16話「幼なじみからのプレゼント」

 情報収集をするために訪れた場所はアルストフィアの浜辺近くにある高台だ。


 青空市場が広がるその一帯は、宿からの距離もそれほど無かったため、出掛けてから程無くして着くことができた。


(多くの村人が往来しているここなら、聞き込みにはうってつけだろう)


 初回のヴィーレはそういう考えで市場を訪れたのだ。


 しかし、何度も旅を繰り返した現在の彼は、エルの情報を集めるつもりなど毛頭無かった。


 むしろ、ヴィーレはに、昨日イズと一日も待ちぼうけたのだ。


 勿論、気難しい彼女との距離を縮めるためでもあるのだろうが。


 さて、何故ヴィーレがそんな回りくどい事をしたのかというと、それは『アルストフィア村で済ませておきたい目標』が複数あるからであった。


 そのうち一つを成し遂げるために、彼は今この場へ参じているのだ。


 市場へ訪れている者の中には被害にあった人が少ないらしく、先ほどと比べたら雰囲気が別物のように柔らかく感じられた。


 当然ながら、不安そうな表情で立ち話をする婦人などが目立つけれど、そこには実害を被っていないような、『他人事の余裕』が垣間見える。


 そんな人々の噂話を聞きながら、海で獲れた魚介類を販売している露店の前で、何をするでもなく棒立ちしているヴィーレ。


 ふと思い出して、先ほど瓦礫をぶつけられた頭部、額の辺りから流れていた血を手で拭う。


 すると、既に傷口は塞がっていた。いや、厳密に言うなら、傷が消えていた。


 どうやらこの短時間で完全に治癒したらしい。


「ちょいちょい、そこのお兄さん?」


 そんな事をしていると、快活な声と共に、後ろから軽く肩を叩かれる。


「何だ」


 応えながらヴィーレが振り返ると、そこには同年代の女性が一人立っていた。


 身の丈ほどもある大きな剣と、それを収める鞘を背負った、軽装の女性だ。


 露出が多く、目のやり場に困る服装で、腰くらいの明るい茶髪をポニーテールにしている娘だった。あどけない童顔とは対照的に、体つきは健康的な成人女性並みに成熟している。


 それにしても、『細身の女』と『大剣』とは、何ともチグハグな組み合わせだ。


 女性はヴィーレの顔をしげしげと観察している。


「あーっ! やっぱりヴィーレだ! 久しぶりー! あたしのこと、覚えてる?」


 かと思えば、いきなり興奮気味に話しかけられた。


 ここで出会えるとは想像だにしていなかったみたいで、かなりの喜びようである。


 どうやら勇者とは知り合いを越えた関係のようだ。


 当然ながら、溌剌はつらつとしたその声に、ヴィーレはよくよく聞き覚えがあった。自らの内に眠っていた幼少期の記憶が一気に蘇ってくるのを感じる。


「どちらさんですか」


 が、彼はすっとぼけてそう尋ね返した。


 話しかけてきた彼女は久しく会う幼なじみの『アルル』だ。十数年もの間、家族同然に過ごしてきた唯一無二の親友である。


 ヴィーレは勿論ちゃんと覚えていたけれど、ほんの悪戯心が疼き、敢えて忘れていたように振る舞ってみたのだ。


「えー、忘れたの? あたしにあんな恥ずかしい事をしておいてっ!」


 不満そうに頬を膨らましたのも束の間、すぐに両手を胸の前に持ってきて、「キャーッ!」っと黄色い声を上げるアルル。


 表情がコロコロ変わる娘である。


(何かを思い出しているようだが、その言い方は変な誤解を招きそうなので、やめていただきたい)


 勝手に一人歩きする少女を横目に、周りの目を気にするヴィーレ。


 幼なじみのダル絡みには慣れているけれど、人前でこれをされてしまうと、無駄に目立ってしまうから苦手なのだ。


「やめろ、アルル。何も恥ずかしい事なんてしていないだろ。それより、なんでお前がアルストフィアにいるんだよ」


「やだな~、薄々勘づいてるのに知らんぷりしてぇ~。も昨日、魔物達と戦っていたんでしょ?」


「……なるほど。ということは、お前が前線から送られてきたってわけか」


「ざっつらいと!」


 自慢げにサムズアップをしてみせるアルル。


 よく見ると、彼女が腰に巻いている上着には優秀な兵士へ贈られる勲章がいくつも並べられてあった。


 アルルが身に着けているのは軍服だったらしい。


 彼女は、ヴィーレが勇者に選ばれるよりも前に軍へ徴兵された。満十八歳になった者の大多数に課せられる義務である。


 現在、アルル達は前線で生き死にをかけた戦争をしているそうだ。


 今回はたまたまアルストフィア近くを移動していたため、報告を受けた複数の部隊から、彼女らが志願して急行したとのこと。


(いくら魔物の襲撃が激しいとはいえ、俺と変わらない若さの女性まで戦場送りなのだから、世も末だな)


 憂いを抱いて息を吐くヴィーレ。


 すると、こちらの心配を知ってか知らずか、アルルが「歩こっか」と柔和に笑った。


 こちらがしっかりついてくるか確かめるようにして彼女は歩きだす。立ちっぱなしで話すと、他の通行人の邪魔になると考えたのだろう。


 ヴィーレもその意を察して彼女の横に並ぶ。


「それにしてもにいやん、すごく雰囲気変わったね~。勇者だからってあんまり無茶しないでよ! このこのっ!」


 アルルはヴィーレの纏う辛気臭い空気を吹き飛ばすかの如く、バシバシと背中を叩いてくる。


 前線で命の危機に立たされ続けているとは、とてもじゃないが想像できない。そんな笑顔だった。


(『元々バカみたいに元気な奴だとは思っていたが、まさかこれほどとは……』なんて、初めは呆れ半分に感心半分で応じたっけな)


 ヴィーレは為すがままにされながら回想する。


 前述したとおり、彼女とは昔からの仲で、ヴィーレの唯一無二の親友だった。


 いや、双方に家族がいなかったせいか、正確に表すなら兄妹か姉弟みたいな関係だ。それこそ毎日のように一緒にいたのだから。


 そんな間柄であれば、自然とそれぞれの無事を気にかけたりはするわけで。


 互いに離れてしまってからも、二人は文通で可能な限り連絡を取り合うようにしていた。


「他人の世話を焼いてる場合かよ。お前の方こそ大丈夫なのか? 空元気なら感心しないぞ」


 物理的にも精神的にもやたら距離の近い幼なじみから一歩離れるヴィーレ。


 無理していないか探りを入れてみるが、こちらへ返ってきたのは、いつもと変わらずバイタリティー溢れる返事だった。


「だいじょーぶ! あたし、弱虫のにぃになんかより全然強いもん! それに、この『御守り』もあるしね!」


 アルルは両手をかざしてくる。


 そこには、茶色の厚手な革グローブがはめられていた。


 アルルが軍に行くと決まった日に、ヴィーレが渡した贈り物だ。あまりにも不安がっていたから、彼女が欲しがっていたそれを、大金をはたいて買ってあげたのである。


 よくよく考えてみれば、渡す時にクサイ台詞を吐いたような記憶が、ヴィーレにはあった。


 なんだか顔が熱くなってくる。


「……嘘吐け。お前って幽霊だの暗闇だのに対しては、ギャーギャー騒いでこっちの背中に隠れてくるような怖がりだったろ。フィジカルはともかくメンタルが激弱だ」


 ヴィーレは適当に話を茶化すことにした。


 当時の情景を思い出し、『恥ずかしい事』の指していた事柄が掴めて、恥ずかしくなってきたのだろう。


 内心では「昔の俺ってそんなに行動的だったのか」と驚いているようだ。照れを誤魔化すように頬をポリポリ掻いている。


「ちょっ……! それ、小さい頃の話でしょ! もう今は怖くないですぅ!」


 その隣でアルルは顔を真っ赤にしていた。


 照れを怒りへと変換して、必死な身振りで幽霊嫌いの件を否定してくる。


「本当かよ」


「おう? 何だよ~。にぃには幼なじみの話を疑うのかよ~? 一緒に暮らしていた仲なのに!」


「勝手に盛るな。毎日会っていただけで、ちゃんと明るい内に家へ帰していただろう」


「いやいや。視野が狭いですぜ、兄貴。惑星規模で考えれば、あたし達は今でも同棲しているのだよ!」


「ちょっと何言ってるか分かんない」


「人間性の差だね。ほら、スケールの大きい人物って理解されないものですから」


「凄い凄い。夜道を一人で歩けないビビりとは思えんよ」


「おい。あたしがせっかく逸らした話をあっさり復活させるな」


「思い出したぞ。お前、ちょっとでも暗い場所を歩くときはいつも呪文に頼ってたよな? 『彼女』を呼び出してさ、――――」


「そ、そうだ~! 危ない危ない、『本来の目的』を見失うところだった!」


 アルルは半ば棒読みにそう叫んでヴィーレの話を打ち切った。


 勇者の次撃を防ぐため、強引な手段に出たようだ。誤魔化しの下手さはご愛嬌である。


「忘れないうちに渡しとくね。はい、これ、プレゼント」


 元の調子に戻ると、アルルは背にかけていた鞘ごと、大剣をこちらに手渡してきた。


 ヴィーレはもう少し雑談していたい気分を抑えつつ、渋々それを受け取るだろう。腕にズシリとした重みが預けられる。


「先輩のお古だよ。貰ってきたんだ~。」


 アルルは説明を始める。彼女の片手は、照れて赤くなった自身の頬を、パタパタ扇いで冷ましていた。


「兵士でもなかったら、武器なんてなかなか手に入らないでしょ?」


「ありがたい。本当に助かった。大切に使わせてもらうよ。……ちょっと待て。まさかとは思うが、これを渡すために救援部隊へ参加したんじゃないだろうな?」


「まっさか~! 偶然だよ!」


 イタズラっぽく「ニヒヒ」と笑うアルル。


 口調からして、それが隠すつもりのない嘘であることはヴィーレにも伝わっているだろう。


(変に行動力のあるコイツなら、そのくらい平気でやってのけそうなんだよなぁ……)


 両手に抱いた新品同然の大剣に視線を落とす。


 ヴィーレは無機質な手触りで、悪夢が再来したことを改めて痛感させられた。


 試しに少しだけ鞘から刃を引き抜いてみる。


 そこでは、牛をも一刀両断できそうな青銅色の刀身が、日の光を受けて鈍く輝いていた。


 未来の記憶があるヴィーレはよく存じているけれど、これは彼の怪力をもってしても折れない丈夫さを誇っている。十中八九、高級品だ。


「先輩から譲ってもらった物にしては、使い込まれた形跡が見当たらないな。まるでつい先日仕入れたばかりのような清潔さだ」


「へへへ~。軍のみんなには内緒だよ?」


 アルルは人差し指を口の前で立てて、可愛らしくウインクする。


「『誰にも言わないで』って秘密を明かしたら、『誰にも言わないで』と言ったところまでしっかり広めるのが人間だぞ」


「ちょっと!? 真理はいいから誠意を聞かせてよ! 恩を仇で返す気か、貴様!」


 ヴィーレの捻くれた返事に、彼女は調子を合わせて乗ってくれる。


 アルルの過保護っぷりには小さい頃から世話になったり、時には悩まされたりもしていたが、どうやら現在に至ってもそれは健在のようだ。


 とにかく、「これでイズから小言を聞かされずに済む」と安心することにする。


 ヴィーレにとっては得のある話でしかないのだから。


「何はともあれ助かる。これが無かったら、ずっとくわで戦うところだったよ」


「えっ、農具で戦ってたの!? うっわぁ……」


「おいこら、なんで引いてるんだよ。鍬をバカにするな。アイツは俺の友達だぞ」


「どっちかというと、バカにしてるのは鍬じゃなくて、にぃにの方なんですけど……」


 アルルが苦笑していると、遠くから唐突に彼女を呼ぶ声が聞こえた。


「アルル殿~! ここにいましたか……!」


 声の方を見やると、アルルの友人だろうか、いかにも騎士といった容姿の女性が小走りでこちらへ駆け寄ってきた。


 それは金髪にルビー色の瞳が美しい女の子だ。彼女はヴィーレ達の近くでようやく足を止めると、息を切らしながら報告を開始する。


「上官がそろそろ出発だと仰っておりました! 名残惜しいとは思いますが……もう、ね?」


「ありゃりゃ……。もうそんな時間か~」


 話を一段落させてから、勇者の方をもう一度向き直るアルル。


「……ヴィーレ。あたし、もう行かなきゃいけないみたい」


 彼女の声は露骨に暗くなってしまっている。先ほどまでの元気は、風船へ針を刺したようにどんどん萎んでいった。


 アルルがヴィーレのことを名前で呼ぶのは真面目な話をするときだけだ。


 わずかな時間とはいえ、心安らぐ貴重な瞬間だった。それは決して、勇者に限った感情ではなかったのだ。


 彼女はまだヴィーレと同い年の若人である。


 終わりを知らない戦いが嫌になるのは責められないし、見せたくない弱みを漏らしてしまうのだって仕方がない。


 本来そうであるべき有り様であった。


「……アルル」


 兵士の仲間に連れられて帰ろうとする幼なじみの姿へ、咄嗟に声をかけるヴィーレ。


(別れる前の顔が沈んだ表情なんて、アルルらしくない)


 ヴィーレは彼女に甘えたい衝動や、溜めこんでいる弱音を押し隠し、できるだけ雰囲気を和らげた。


「お前、生きろよ。生きて、俺が魔王を倒すのを待ってろ。くだらない戦争なんかすぐに終わらせてやるから。その後、二人で一緒に家へ帰ろう」


 我ながらクサイ台詞だと思った。


 ふと顧みれば、先の言葉が脳内でエンドレスリピートされて、今すぐにでも地面の上をのたうち回りたい気分になるだろう。


 内なる衝動を必死に抑えつつ、ヴィーレはアルルの瞳を見据える。


 彼女は初め、面食らった表情をしていた。


 が、すぐにいつもの笑顔を取り戻し、目尻に一粒の涙を浮かべる。


「うんっ! 待ってる! 待ってるよ!」


 そう満面の笑みで返される。どこか安心したような、泣き出してしまいそうな声色だった。


 アルルは一度飛びつくようにしてヴィーレにハグをした。


 たった数秒間の抱擁だ。


 離れ際「どうか無事で」と小さくこぼして、彼女はそのまま顔を見せずに、こちらへ背を向けてしまった。


 別れは敢えて告げずに、少女達は足早に去っていく。


 心配そうにする同僚へ気遣わせないようにと、すぐさま話を始めるアルル。


「次の目的地はどこだって?」


「ヨーン村で盗賊の襲撃に備え、対策を練るそうです。私達は恐らく、村周辺で索敵をこなす班に配備されることになるかと」


「それなら――――」


 二人の会話は雑踏に掻き消され、聞こえなくなってしまった。


 幼なじみの背中はどんどん小さくなっていく。


 ヴィーレは彼女達が見えなくなるまでその姿を見送り、踵を返した。「絶対に生きて帰ろう」と、強い勇気を抱いて。

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