閑話「勇者の宿命」

 アルストフィアの中は、災害とも呼べる大規模な事件が昨夜に鎮まったばかりなだけあって、落ち着かない雰囲気に満ち満ちていた。


 ヴィーレが泊まった宿の周りは元々が住宅街だった場所であるためか、際立って空気が隠々滅々としている。


 焼け焦げた家の前でへたりこみ、家族と抱き合って涙を流している者。


 アルストフィアの安全性に不安を感じ、ユーダンクや他の町へ避難するべく、馬車に乗って村を出ていく者。


 回復呪文が間に合わなかったのか、体のあちこちに痛々しい傷跡を残している者。


 ちょっと歩いただけでも、そんな人々ばかりがヴィーレの瞳に飛び込んでくる。


 東西南北、どこに視線を逃がそうと、顔を背けたくなる光景しか見当たらなかった。


 だが、これでもまだ被害は軽微な方だ。


 前線から兵士が応援に来るのがもう少し遅かったら、もっと戦いは長引いていただろう。そうなれば被害はさらに大きかったはずだ。


 ヴィーレは比較的な現状に胸を撫で下ろして、目的を果たすために歩みを続けた。


「見て。赤い瞳の男。あれ、噂の勇者よ」


「ユーダンクにいたくせに、こっちに到着したのは昨日の夜だったそうだ」


「遅いんだよ。役立たずが」


 周りから聞こえよがしに投げられる敵意は気にしないように努めて進む。


 こんな時でもヴィーレは感情を表に出さなかった。


 勇者に選ばれる前から、人々に避けられるのには慣れている。悪意を向けられることにも、仲間が少ないことにも、理不尽な目に遭うことにも。


 人並みに豊かだったヴィーレの表情は気付かぬうちに削れていき、いつからか無くなってしまっていた。


 それが『悲しい過去』なのか、『美化すべき苦難』だったのか、今となっては彼自身にも分からない。


「嫌ね。前の勇者様とは大違い」


「血統も身分も劣等な底辺庶民のくせに」


「どうせすぐ魔物に食われて終わりだろうな」


 人々の不安や恐怖が怒りとなって、こちらへ集中し始めているように感じられた。


 このまま長居しても、事態はろくな方向には転ばなさそうだ。聞こえないふりを通して早急に避難するのが賢明だろう。


 ヴィーレは歩を速める。目線は前から逸らさない。


「ケッ。無視かよ」


「薄汚い農民風情がね。きっと勇者に選ばれたからって、調子に乗っているのよ」


 誰とも目を合わせることもなく、一言も言い返すこともない。


 勇者はただただ耐え忍ぶだけだった。


 そんなヴィーレの態度が気に食わなかったのか、次第に周りの声は大きくなっていく。


 やがて、誰かが勇者の背中に目掛けて瓦礫を投擲とうてきし、それがこちらの頭を直撃したのを皮切りに、明確な敵意の込められた罵声が一帯から彼へぶつけられ始めた。


 それでも屈することなく、無視を決め込んで、ヴィーレは立ち去ることのみに専念する。


 胸のロケットを握りしめながら。「こんな奴らのために魔王を倒しにいくわけではない」と、心の中で呟いて。


(もしも俺が人々を守り抜き、魔物という脅威を世界中から消し去って、やっと訪れるであろう『戦争の無い期間』を平和と呼ぶのなら――――)


 平和とは、地獄と欲望が隠された状態を指すのだろう。


「勇者か……」


 なるほど確かに、これは『勇ましい者』でなけりゃ、やってられないだろうな。去り際、ヴィーレは皮肉げに独りごちた。

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