15話「つまり、異世界転移ってやつですね!」
イズとの話し合いを終えたヴィーレは、相談中に食事も済ませていたため、その後に手早く風呂へ入ってきた。
わずかばかり疲れがとれたところで部屋に戻る。
すると、気絶していたはずの少年が既に目を覚ましていた。
寝かせていた状態から上半身のみを起こしているから、恐らく先ほど気が付いたばかりなのだろう。
「起きたのか。随分と永い夢だったな。近くの森で倒れていたから、勝手ながら運ばせてもらった。気分はどうだ?」
「あっ、えと……は、はい……! 平気です!」
緊張しているのか、やたらと大きい声で返される。
ヴィーレは相手のやや低めな声を聞いて、改めて『彼は男だ』と確信した。
これで「実は女の子でした」とかいうオチだったら、自信満々に男部屋へ連れ込んだ勇者が白い目で後ろ指を差されるところである。
「なら良かった」
ヴィーレは訝しみながらもひとまず安堵する。
外傷が無いだけでなく、正真正銘の無傷みたいだ。猛獣の群れに生肉を投げて一口すら試食されないのと類似した嘘臭さがある。
しかし、奇跡とは総じて信じがたいものだ。
これは天が彼に味方したのだろうとヴィーレは無理やりに自分を納得させた。
「朝食が出来上がるまで、そして君を自宅へ送り届ける前に、いくつか質問させてくれ」
だがそれでも、少年の行動には解せない部分がある。
ヴィーレは初めて遭遇する『不規則』がどのようにして起こったのかを確かめずにはいられなかった。
「どうしてあんな場所で気絶なんかしていたんだ? しかも一人で」
まず最も気になっていた事項から尋ねてみる。
まさか侵攻されている村の離れで野宿はしないだろう。魔物から意識を絶たれたにしたって、かすり傷一つ無いのはおかしい。
そもそも、ヴィーレ達が通りがかるまでの間、少年はどれだけの時間を無防備に眠って過ごしていたのか。
湧き出る疑問は尽きなかった。
「よく、分からないんです……」
再度開かれた少年の口からは困惑に満ちた声がこぼれ出てきた。
「自室のベッドで眠って、目覚めたら『知らない天井だ』って感じで……。ここは本当に日本なんですか?」
「は?」
「えっ。僕、何か変なこと言いました……?」
何やら聞きなれない単語が出てきたため、ヴィーレは反射的に尋ね返してしまった。
その態度が過度に威圧的だったものだから、少年はビクビクと怯えてしまっている。ベッドの端まで後退してこちらの様子を
けれど、ヴィーレは思考の方に集中して相手の感情を認められていない。
(ニホン? 二本? 何だ、それ。そんな名前の村や町は無かったはずだが)
ヘンテコな響きの地名に覚えがないか長考しているようだ。
彼は部屋の扉付近から自分のベッドまで移動する。湿った髪を鬱陶しそうにかきあげて腰を下ろすと、固形石鹸等の入浴セットを荷物の中にしまっていく。
この間もヴィーレはずっと低く唸っていた。
(……やはり人間国に『ニホン』なんて地名は存在しない。恐らく、建物か何かの名称だろう)
ふと、的外れな結論に落ち着いたところで、顔を上げるヴィーレ。
そこで、彼はとうとう気付いた。気付いてしまった。目の前の少年が、こちらを不安そうに見つめ続けていることに。
瞬間、ヴィーレの脳内にあまり望ましくない予感がよぎる。
(むっ? もしこの少年の話が本当なら、彼からすれば俺は誘拐犯か何かに見えているのでは?)
そんな常識的過ぎる予感である。
(待て待て、あまり変な勘違いをされたら困る。もし衛兵に通報でもされたら、『男性である二代目勇者が中性的な顔立ちの少年を眠らせ誘拐!』なんて話が瞬く間に広まり、絶対に面白おかしく噂されてしまうぞ……!)
しかめ面の裏で、勇者は激しく焦っていた。
変わらない時間を繰り返していただけにアドリブに対しては免疫が薄いようだ。
ンンッと一つ咳払いをしてから、ヴィーレは即座に貫禄のある風を装った。片手のひらを前へ出し、重大な前提を先に断っておく。
「すまない、ついつい記憶を探るのに没頭してしまった。『ニホン』という言葉は初めて聞いたよ。君はそこからやって来たのか?」
「はい、そこが僕の故郷なんです。ここはどこなんですか?」
「アルストフィアという村だ」
「……うーん、知らない村ですね。国の名前は?」
「国の名前? 何を言っているんだ。この世界に国と呼べるのは、俺達の住んでいる『カーニバル王国』しかないだろう」
「えっ……? く、詳しく話を聞かせてください!」
言葉の意味を理解するなり、ガバッとこちらにしがみついてくる少年。
その表情には、激しい動揺と焦燥、そして薄暗い期待のようなものが見え隠れしていた。
ともあれ、ただ事では無い様子だ。
ヴィーレは彼同様に困惑しつつも、とりあえずは求められている説明を与えてあげることにしたのであった。
――――それから話を進めていくうちに、いくつかの事情が分かった。
少年はまだ発見されていない遠くの国、もしくはこの世界に無い『別のどこか』から来たということ。
それが彼の意思によるものではないということ。また、それを可能とする手段、方法についても心当たりが無いということ。
そして、彼のいた世界には『魔物』と呼ばれる化け物や、『呪文』と呼ばれる魔法も存在しなかったということ。
どうやら何か良くない不可解が少年の身に起こったのは確からしかった。
根拠はある。
少なくとも、ヴィーレが観察した限りでは、少年が嘘を吐いているようには思えなかったのだ。
デタラメにしては、向こうの世界についての設定が完成され過ぎていた。
(それにしても、少年の話が本当ならば、言語が同じというのはなかなかに運命的だな。どうやら普通に文字も読めるようだし)
ヴィーレは先ほどイズの座っていたベッドに腰掛けて、どうでもいい感想を抱いている。些細な問題を気にする男だ。
するとそこへ、対面で目を輝かせていた少年が、またも身を乗り出してきた。
「つまり、『異世界転移』ってやつですね!」
あまりの大声に「なんでコイツはこの状況でこんなに嬉しそうなんだ」と若干引きつつも、勇者は適当に話を逸らす。
「そ、そうかもな……。ていうか敬語はやめてくれ。歳も大して変わらないだろ」
「分かり……分かった。お互いに対等でいよう。僕はカズヤっていうんだ。これからよろしくね」
名前を述べたカズヤは愛想よく笑って、こちらに手を差し伸べてくる。
「俺はヴィーレだ。こちらこそよろしく。……っていや何この流れ」
思わず握手に応えてしまったヴィーレ。
だが、「これじゃあまるで、彼とこれから一緒に生活するみたいじゃないか」と考え直し、咄嗟にカズヤへ問い返す。
「えっ。だって僕、住む家持ってないよ? お金も、家族も、この世界に対する知識も何もないよ? 君はそんな僕を置いていくのかい?」
カズヤは仲間になりたそうな目でこちらを見ている。ウルウルと涙目になった彼は子犬のようであった。
口調は質の悪い当たり屋に通ずる部分があるけれど、一理あるせいでどうにも憎めない。
「どうやら夢でもないみたいだし。きっと
よく分からない事情をつらつら捲し立ててくるが、その全てが勇者の良心にダメージを与えていく。
(この男、最初は大人しかったくせに、慣れたらグイグイ来やがるな……)
ヴィーレはいつの間にかすり寄ってきていたカズヤから逃れるように身を引いた。
彼は決して優柔不断ではなかったが、後ろめたさのような感情が邪魔をして、カズヤのお願いを断れないでいるのだ。
(確かにあまりに不憫だし、第一発見者である以上は助けてやりたいという気持ちも無くはないけれど、これは俺の独断で勝手に決めていい話じゃない)
ヴィーレの考えているとおり、勇者達が臨むのは危険な任務だ。
彼自身はともかく、きっとイズはそう簡単に許してくれないだろう。ヴィーレはそこを懸念していた。
だけど突然、彼の脳裏を閃きが走る。
「そうだ……!」
悪魔的発想に柏手を打った勇者は、気さくにカズヤの肩を掴む。
「じゃあ、こうしよう。しばらくしたら、えらく怒った女がここにやって来る。俺の仲間でイズって奴だ。ソイツを説得して、お前が仲間になることを認めさせてみろ」
とても簡単な課題を与えるような優しい態度で、ヴィーレは更なる試練を付け加える。
「あとついでに彼女の機嫌も直しておいてくれ。その二つができたら、一緒についてきてもいいぞ」
「うん、分かった! 必ずやり遂げてみせるよ!」
即答だった。
無理難題を押しつけたにも
(あぁ、可哀想に。最恐の女を前にして、この笑顔のひきつる様が、今からもう目に浮かぶな)
イズを騙した尻拭いをいかにして為そうかと悩んでいたヴィーレは、『初対面である年下少年に仕事を丸投げする』という形で、心の平穏を取り戻したようだ。
勇者といえど、聖人ではないらしい。
彼は自身の企みが成功することを切に願って、部屋の入り口へ近付いた。
「俺はそろそろ出かけるぞ。用事があるんでな。朝食は宿主のオジサンに頼んでおいたから、もうすぐ来るはずだ」
「ありがとう! イズさんの件は任せておいて!」
目を合わせずに最低限の情報だけ伝えると、カズヤの元気な声が返ってきた。
ヴィーレは爽やかに「おう!」と告げて、武器以外の荷物を背負って、そそくさと逃れるように部屋を出る。
扉を閉める直前、カズヤには聞こえぬよう、「頼むぞ少年」と付け加えて。
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