13話「分析の呪文」

 『魔物』。あらゆる姿形を持つ異形の化け物だ。


 理性を感じさせない凶暴さと、主として人類を襲うという共通項がある怪異のことを、古くから人々はそう呼び、恐れていた。


 中には形態に応じた特殊能力で獲物を食い殺す種族もいるらしい。人間の呪文とは似て非なる超常現象である。


 いつ、どういう起源、経緯で生まれたのかは不明。


 しかしそういった『特異な概念や存在』は、剣と魔法の世界において別段珍しくもなかった。


 当然、以上に述べた不可思議を研究の対象とする者はしばしば現れるが、依然として真実に辿り着けた者はいない。


 数百、数千と紡がれた歴史の中で。誰一人として、である。


 ある意味、この事実こそが最も奇妙で不可解な謎であった。一部では魔物を神聖化する宗教も誕生する始末だ。


 閑話休題。


 舞台はユーダンクとアルストフィアの間に位置する森の中へと移る。


 勇者パーティーの二人と、道端で拾った中性的な顔立ちの美少年。そして、彼らと対峙する一匹の化け物が舞台の役者だ。


 闇夜を毛皮に纏ったような魔物を前に、ヴィーレは警戒を解かぬまま愚痴をこぼす。


「ハプニングが続くな」


「アルストフィアが近いんでしょう。村を襲っている魔物がこっちに流れてきていてもおかしくないわ」


「元々ここに住み着いていたヤツかもしれないけど、まあ、そこはさほど重要じゃないか」


「ええ。いずれにせよ、私達のやる事は変わらない」


 言いながら、イズはヴィーレ達を庇うようにして、魔物の前に躍り出る。


 どうやら昼間に交わした誓いは遂行されるようだ。


 誰かを守れる人間になりたい。保護されずとも、己の実力のみで生き抜ける証明をしたい。彼女はそう決意していた。


 生真面目なイズなら、有言は実行するだろう。


(一人で戦うつもりのようだが、俺のことは最初から戦力に入れてくれていないのか。いや別に良いけどさ。俺がでしゃばってもメリットは無いしな。ここは彼女に任せよう)


 そう考えて、ヴィーレはイズからできるだけ距離をとる。


 心配はしなかった。「勝てるか?」だとか「戦闘経験は?」だとか、彼は不躾ぶしつけに尋ねたりしない。


 質問を一切しない者は、『何でも知っている者』か、『何も知らない者』のいずれかである


 ヴィーレは前者でいるくせに、後者だと見なされることへ揚々と甘んじたのだ。


「シュルルルル……」


 魔物は虚空を眺めて、涎を垂らしながら、呆然と静止している。


 そしてズタズタの舌を出したまま、短いスパンで呼吸を繰り返していた。獲物を前にして何事かを考えているようだ。


 が、それは突然口を開いたかと思うと、イズの頭蓋を狙って一目散に飛びかかってきた。


 象に匹敵するサイズの巨体が少女へ襲いかかる。


「……ふん。デカいだけで所詮は獣ね」


 しかしイズは余裕の調子を崩さない。


「《フローズンスノウ》!」


 片手を相手の方へかざし、覇気のある声で呪文が唱えられると、彼女の手前に分厚く巨大な氷壁が現れた。


 一瞬で形成された防壁だ。


 猪突猛進の勢いをつけていた魔物は避ける術無く、氷の塊に頭からぶち当たる。


 その衝撃を受けても微動だにしない氷壁。陥没し、無数のヒビを作ったものの、主には傷一つ付けていない。


 見ているこっちがヒヤヒヤするような光景だが、当人であるイズは涼しい顔をしている。観察するヴィーレも「肝が据わっているなぁ」と感心顔だ。


「掃除せずに済むことだけが、コイツらに与えられた唯一の利点ね。魔物の死体は塵となって消えるから」


 イズはそう独りごちた。


 余裕を感じさせるほどの遅々とした歩みで、倒れた姿勢から起き上がろうとしている獣に近付いていく。


「《フローズンスノウ》」


 そして、無慈悲な音色でもう一度、氷雪の呪文を唱えた。


 途端に獣の上で複数の氷の剣が生成される。先端は本物の刃に劣らない鋭利さで、刺されたら痛いだけじゃ済まなそうだ。


 一つ瞬きを終える頃には、化け物は串刺しにされていた。


 子犬のようなか細い断末魔が聞こえた気がする。あっという間の決着だった。


 ヴィーレはそんな光景を見て、「魔物よりコイツの方がよっぽど怖いな」と場違いに間抜けな感想を抱く。


 砂煙が風に吹き飛ばされるようにして狼の死体が跡形もなく消失した後、イズは呆れた様子で彼の方を振り返った。


「それにしても……。あんた、ちょっとは手を貸そうと思わないの? おとりになるとか」


「あー、すまない。初めて遭遇した魔物に怖じ気づいてしまったようでな」


 心にもない釈明をするヴィーレ。


 情けない態度に恒例の説教か文句がつけられるかと思ったけれど、イズは少しの間睨んできただけだった。


「今回については無用な配慮になっていたでしょうから、責めはしないわ。ただ、後ろでボーッとされるより、肉壁になってもらった方が多少マシってだけの話よ」


「俺に求められる精神って自己犠牲ばかりなのかよ?」


「ええ。しっかり守ってあげるから、可能なら実行しなさい」


「不可能なら?」


「断行なさい」


 ニッコリと微笑んでそう命じると、イズはこちらから目を離す。


「時間がないわ。早く行きましょう」


 先よりは明るくなった声色で彼女はヴィーレに声をかけた。


 顎で進行方向を指される。「案内役なんだから、モタモタせずに導いてくれ」ということだろう。


 ヴィーレは「はいはい」と首肯してから、浮わつきかけた気持ちをリセットして、気絶したままの少年と一緒の馬に乗るのだった。







 村に着くと、そこにはヴィーレ達が予測として描いていたとおりの、混乱を絵にしたような光景が広がっていた。


 立ち並ぶ家や店には火が燃え移っており、あちこちに負傷者が転がっている。


 先ほど森で出会ったのと同種の魔物がちらほらいるのが分かった。中には、狼とは別の形態をしている異形も見受けられる。


 それら一体一体と相対しているのは複数人の人間だ。


 兵士や、普段は見回りをしているであろう衛兵。それに、ところどころでは、武器を持っただけの村人が戦っているのも確認できた。


「酷いな。人間と魔物では、個体別の戦力に差がありすぎる」


「おまけに人口の少ない村よ。ギリギリ持ちこたえているようなものだわ。子どもや老人だけ避難させて、有志の者だけで戦っているのなら、それでも勲章ものだけど」


「命あっての物種だろ。イズ、俺達は戦っている一般人から優先して助けよう」


「賛成ね。だけど、この村は土地が広いから、できれば手分けして倒したいんだけど……あんたは大丈夫?」


「力になれるかは分からんが、死ぬ気で頑張ってみるよ。でな」


 肩を竦めて返してやると、イズは不満そうに両腕を組んだ。あまりウケはよろしくないようだ。


 しかし気にかけず話を続けるヴィーレ。


「だが、その前に、まず俺はコイツを安全な場所に置いてくる」


 彼は馬上で未だに意識を取り戻さずにいる少年を指差す。


「どこかに移動させないと、安心してここから離れられない。お前は先にエルを探しながら魔物を撃退していてくれ」


「分かったわ」


 彼女は返事を寄越すと、馬をその場に置いて去ろうとした。


 しかし、駆け出して三歩目で早速立ち止まり、こちらへ顔だけで振り返ってくる。


「……念のため忠告しておくけど、さっきのは冗談よ! 流石に死なれたら夢見が悪いから、自分の身が危険そうだったら、あんたも逃げるなり隠れるなりしてなさい!」


 後半はやや早口で叫んで、イズは先に救援へ向かった。


 怪我人の治療を最優先に、近くの魔物を相手しながらエルの捜索まで、全て一人でこなすつもりのようだ。


「……分かっているさ」


 ヴィーレは呟くように応える。


 きっと彼女に声は届かない。が、それで良い。


 自身の中に勇気が湧きあがるのを感じる。ヴィーレはその場から動かずに、握られた己の拳を眺めていた。


(だけど、俺は仮にも勇者なんだから、年下の仲間を置いて逃げるわけにはいかない。微力ながら、手伝いくらいはさせてもらおう)


 思考を終えたヴィーレは一旦、仲間の背から目を離した。


(……あっ。そういえば、すっかり忘れていたな)


 しかし、思い立ったように振り返り、再度イズへと焦点を当てる。


「念のため、今のうちに確認しておくか」


 誰に聞かせるでもなくポツリと独りごちるヴィーレ。


 酒場でイズには説明したけれど、勇者の彼にだって扱える呪文が、たった一つのみ存在するのだ。


 戦闘に関してそれが頼りになることは滅多にない。


 けれど、とりわけ時間遡行を繰り返しているヴィーレにとっては、まだ使いようのある能力なのである。


 ヴィーレは目をわずかに細めてから、その呪文を詠唱した。


「《チェック》」


 すると、勇者の足元からスルスルと文字が浮かび上がってくる。奏でられた響きが集まり、自然の摂理をもって結われていくようだった。


 『分析の呪文』。過去に記録された文献で、この能力はそう呼ばれている。


 白い文字列は不規則な動きで『文章』を組み立てていき、最終的には詠唱者の正面にて完成した。


【レベル63・あらゆる本を読破しており、卓越した知識を有している】


 空に浮かんだそれを閉口したまま読み終えるヴィーレ。


 その後、彼は納得したように一つ頷いた。


(63か……。さっき倒した魔物を計算に入れると、そんなもんだろうな)


 分析の呪文は、端的に述べると、対象を調べることのできる能力である。


 こう伝えると有用な力に聞こえるだろうが、肝心のヴィーレ本人は決して違うと信じて疑っていないのだ。


 まずこの呪文、扱いがかなり難しく、メッセージは今回のように意味を理解できる場合の方が珍しい。


 加えて、『レベル』という数値を調べる能力なのに、それが敵の強さを大分アバウトに示すものでしかないという事が致命的な短所として挙げられる。


「《チェック》」


 次に、視界に入った狼型の魔物にも呪文を唱えてみる。森で戦った敵と類似した『狼型の個体』だ。


 詠唱の直後、先と同じようにして、ヴィーレの眼前に文字が整列し始める。


【レベル52・狼子の魔物。いつもお腹を空かせている】


 他の魔物も二、三体調べてみたが、似通ったメッセージが流れるばかりだった。


 レベルは大まかな戦闘力を示す数値だと覚えておいてもらえればいい。具体的に何の『水準レベル』なのかについて、今すぐに説明する必要はないだろう。


 ここで重要なのは、個体の数値を確認することによって、勝率やリスクが大まかに推測できるという点。


 そして、遡行前との変化をいち早く察知できる点だ。


(このくらいのレベル差なら大丈夫だろう。チェックの指標がが通じない『例外』が紛れ込んでいなければ、の話だが……)


 イズ達の数値を確認してとりあえずの安心を得ると、ヴィーレは辺りをゆっくりと見渡した。


 村のそこかしこから悲鳴や怒号が聞こえる。死臭と鮮血、業火に覆われた、この世の地獄が詰まったような光景だった。


 これ以上、魔王の好き勝手にはさせられない。


(さっさとコイツを手近な場所に運んでいって、俺もイズ達に加勢しないと)


 改めて目下の仕事を確認し、少年を抱え上げると、ヴィーレは消えるようにしてその場を去った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る