12話「魔物との遭遇」

 イズの家に一旦寄ってから馬を借りて、町の外の野原を駆けていく。


 既に時刻は午後の七時を回り、すっかり日が沈んで周辺は暗くなっていた。


 だけれど、月明かりが辺り一帯を照らし出してくれているおかげで、彼らは速度を落とさずに移動し続けられている。


 ヴィーレとイズは現在、魔物の襲撃を受けた隣村アルストフィアへと救援に向かっている最中だ。


 そこでは今も、魔物を相手にした防衛戦が人々によって行われているのだろう。


 突発的に始まった戦いが、休憩無しに、何時間も、である。


 一刻も早くアルストフィア村での戦闘に参加し、前線から送られてくる兵の増援と協力して、事態の沈静化を図らなければならない。


 加えて、そこには彼らと共に魔王討伐へ旅立つ仲間『エル』がいるだろうという情報もある。


 彼との合流もついでに済まそうという算段だった。


「ん? あれは……」


 そこでふと、ヴィーレが自分達の前方に月以外の光源があることに気付く。


 炎だ。揺蕩たゆたう緋色の烽煙ほうえんだ。


 雲にも届きそうなくらいにまで高く黒煙を噴き上げて、遠くで何かが複数燃えている。


 そしてその火事は、アルストフィア内で起こっているものだということが、こちらの立ち位置からでも分かった。


 間に林立している背の高い木々が邪魔で、燃えている物までは確認できない。


 けれど、何が燃料となっているにしろ、火の動きや大きさが明らかにおかしい。それがどういった事を意味しているのかは容易に推し測ることができる。


 やはりまだ魔物の撃退は済んでいないのだろう。あれは呪文によるものだ。


 どうやらイズも少し遅れてその灯りに気付いたらしい。


 馬の足を一旦止めると、隣に停止したヴィーレへ深刻そうな呟きを聞かせる。


「どれだけの魔物が現れたのかは分からないけれど、よく耐えているわ。エルが来ていないことや、兵士がユーダンクの城へ報告しに来た時刻を考えると、襲撃を受けてから大分経つでしょうに……」


「ああ。応戦している兵や民も相当疲弊しているだろうな」


「でしょうね。……少し、飛ばすわよッ!」


 イズは手綱を強く握り締める。


 先ほどまでの安全走行をやめて、残りの道のりは多少の危険をかえりみず全力で走破する意志を固めたようだ。


 が、速度をさらに上げて再発進しようとした彼女に、ヴィーレは慌てて制止の声をかけた。


「ちょっと待ってくれ」


「な、何っ!?」


 こちらの言葉で出鼻を挫かれ、イズは苛立ったように停止した。首だけで振り返ってこちらを一睨みしてくる。


「遠回りしている時間はない。ここを突っ切らないか」


 ヴィーレはそう言って、森へと続く道を指す。


 彼らとアルストフィアの間に林立している木々、それらが形成している大きな森林地帯だ。


 イズがさっきまで向かおうとしていたのはもう一つの道だった。安全な道ではあるが、そこを通ると迂回することになってしまう。


 しかし、イズはそれでも遠回りのルートを選んだ。その根拠は彼女が次に発した台詞から読み取れるはずだ。


「あんたね……。知らないようだから教えておくけど、森の中を行くのはかえって時間の浪費に繋がるわ。分岐の多い地形に加えて、凶悪な魔物が未討伐のまま放置されているからよ。月明かりが頼りにならない夜は特に馬で走って抜けるのに適していないの」


 呆れた様子で「やれやれ」と説明してくれるイズ。


 けれど、ヴィーレはその反論を当然ながら予想していた。否、知っていた。


(確かに、俺が選んだ道は夜の時間帯、しかも乗馬して通るのには向いていない。木々の枝葉で月の光は遮断され、内部の地図情報が無いから最短ルートが分かりづらいんだ)


 だがしかし、今は一刻を争う事態なのである。そのような悠長なことは言っていられない。


 視点をアルストフィアの狼煙に固定したまま、ヴィーレは用意していた指示を早口にイズへ告げる。


「灯りはお前の呪文で作ればいいだろ。それに、俺はこの森を通ったことがあるから、馬でも走り抜けられる道を知っているんだ。先導しよう。イズは道を照らしながら、俺の後ろについてきてくれ」


 直後、無駄話に割く時間はないと、急いで会話を切り上げて、彼は自身の馬を森の方向へ走らせた。


「は? ちょっ、もう、何なのよ! 《パイロキネシス》!」


 プンスカ怒ったイズが半ば自棄やけ気味に呪文を唱えると、小さな火の玉がヴィーレの真上に現れた。


 魔力によって生成された火炎は、不安定に揺れながらも、周囲や地面を明るく照らしてくれている。


 松明代わりには十分すぎる光量だ。


「私、アイツに自分の使える呪文なんて教えたかしら……?」


 至極当然の疑問が聞こえた気がしたが、勇者に応える義務はない。


 彼女の独り言は耳に入らなかったことにしてヴィーレは一層加速した。「犠牲が増えないうちにアルストフィアへ到着せねば」と、再度己に言い聞かせて。







 森へ入ったヴィーレは、後方のイズを気にしながら、予習していた道順に馬を走らせる。


 外から一見しただけでは分からないけれど、この森の構造は実はそこまで複雑ではない。二、三度も通れば大抵の者が正しい道のりを覚えられる程度の難解さだ。


 ただ、全体的に鬱蒼としていて、どこに魔物が潜んでいるか分からないため、普段から人を寄せ付けないのである。


 そういう訳で、ここを通るのは腕に自信がある者だけに限られる。


 そのおかげで、勇者達が現在走っているのも、ほとんど獣道みたいなものだ。


「ちょっと! まだ抜けられないの!? 小さい炎の玉とはいえ、呪文の効果維持してるのって、魔力消費してすごく疲れるんだけどっ!」


 アルストフィア村まであと半分というところで、後ろからイズが文句をぶつけてきた。


 ヴィーレは彼女を振り返らぬまま、冷めた表情を保っている。


(音をあげるの早くないか? このヒッキーさん)


 ついつい軽口を叩きそうになってしまう。


 だが、今の関係性でこんな事を言ったら、プライドの高い彼女の神経を逆撫でするだけだろう。


 ヴィーレは本音を押し隠し、棒読みで無難な返事を投げ返す。


「ここらでちょうど半分くらいだ。もうしばらく辛抱してくれ~」


「あー、もうっ! もし戦闘中に魔力切れになって、二人で魔物の餌になったら、あんたのせいだからね! 天国に行った後で地獄を体験させてあげるわ!」


 案の定キレ気味で怒鳴られる勇者。


 ヴィーレは辟易としながらも、念のため、イズに限界が来ていないか視線だけ後ろに向けてみる。


 彼女は散歩後の犬みたいに激しく息切れしていた。こちらの身勝手に対する怒りを魔力の糧にしつつ、根性とプライドだけで持ちこたえているようだ。


「脅し文句がいちいち怖いって……」


 愚痴をこぼしながらヴィーレが顔を上空に向けると、道を照らす火の玉が、本当に少しずつではあるが小さくなっていっていた。


 ちょっと無理をさせすぎたかもしれない。脳裏にふっと心配がよぎる。


 しかし、記憶にある過去の経験から、ヴィーレには彼女が持ちこたえるという確信があった。僅かな光が消えないことを祈りつつ、走り続ける。


 だがそこで、彼にとっても予想外の事態が起きる。


 しばらく駆け続け、もう数分で森から出られるというところまで来て、ヴィーレはいきなり馬を止めた。


「きゃっ! ……あっぶないわね! 今度は何よ!」


 先導していた勇者が急に停止したのを見て、咄嗟に止まったイズから注意が飛ばされる。


 けれど、彼に謝っている余裕はなかった。


「何だ、あれは」小さく漏らした呟きを続ける。「前回まではこんな事無かった」


「……何してんのよ? とっとと先に進むわよ」


「待ってくれ。あそこ、人が倒れている」


 ヴィーレは少し先にある木の根元を見据えながら言った。


 道の横にある大木。分厚い樹皮を纏う幹へ寄りかかるようにして、気を失っている少年がいるのだ。


 ヴィーレの話を聞き、瞳を細めて前方を眺めていたイズは、その存在を発見した途端に瞼を目一杯開き、すぐさま少年へ駆け寄った。


 ヴィーレもすぐに馬から降りて、彼女の後を追い、少年の様子を観察する。


 この世界には滅多にいない黒髪で、見たこともないような服を着ている。不自然なことに、彼の服は全く汚れていない。


 また、少年とは言うものの、その姿は一見するだけでは女の子にも思えるような可愛らしいものだった。街中を一人で歩けば、きっと勘違いした軟派な若者に声をかけられることだろう。


「大丈夫。怪我は無いみたい」


 ヴィーレがイレギュラーを注意深く観察しているところへ、イズの安堵した言葉が届く。


「どうしてこんなところに……」


「そんなの今考えても分からないでしょう。ひとまず、村まで一緒に連れていくわ。ここに放置しておくのは危険すぎるもの」


「……そうだな。それが良い」


 渋々答えたヴィーレは、屈んでから美少年の体を持ち上げると、彼を肩に担いで歩きだす。


 気を失った男性の体は存外重かったが、ヴィーレは難なく少年を運んでいた。


(森の中なんかで倒れている理由が謎すぎるが、イズの言うとおり、考えるだけ時間の無駄だろう。今はそんな事より優先すべき目的がある)


 考え事もそこそこに、自分の乗っていた馬へ少年を乗せる。


 それとほぼ同時に、近くの草むらがガサガサッと音を立てた。驚いた鳥達が一斉に羽ばたいていく。生ぬるい空気に混じりだすは腐った血肉の香り。


 直後、木々の隙間から一つの黒い影が勢いよく飛び出してきた。


 影は静かに、しかし大きな風を纏って這い寄ってくる。闇に紛れたその気配を勇者と賢者の二人はすぐさま察知するだろう。


「……何かいるわよ」


「みたいだな」


 それは勇者達の行く手を阻み、ジリジリと距離を詰めてくる。


 やがて、影が火の灯りの届く範囲に入ると、闖入者ちんにゅうしゃの姿が徐々にあらわになっていった。


 は狼に似ていた。


 けれど、一般的な狼とはまるで違う生き物だ。


 全長は人間の大人より一回り以上大きく、筋肉がかなり発達していて、口は裂け、そこから鋭い牙を覗かせている。


 眼球の動作はいわゆる『散眼』だ。左右バラバラの動きをしていて、どこを見ているかも分からない。歪な体からは「シュルルルル」と空気を震わす音が漏れ出ていた。


「魔物か……!」


 異形の生物に面したヴィーレは、わずかに表情を険しくして、独りごちる。


 想定外の要素によって生じたロスは更なる不運を呼び込んだようだ。


 勇者達を目の前にした狼は、臓物にまみれた口内から粘っこいよだれを垂らしながら、品性の失われた遠吠えを放つのだった。

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