9話「大衆の中にいるときほど痛切に孤独を感じることはない」

 ヴィーレが酒場の前まで来ると、観客であった群衆は彼から逃れるように道を開けていった。


 すると、人混みに揉まれるだけ揉まれたイズが、そこでようやく解放され、勇者の前まで飛び出してくる。


 つんのめりながらの再登場だった。


 ヴィーレとは対照的に、彼女の方は相当苦戦していたみたいだ。汗だくで、髪は乱れ、見るからに疲弊している。


 人の多い場所に慣れていないのも、賢者の体力を奪った一因だろう。人付き合いが苦手な本の虫であるイズらしい弱点だ。


「ぜぇ、ぜぇ……。蟻地獄に落とされたような気分だったわ。『誰一人知る者のいない群衆の中に身を置いたときほど、痛切に孤独を感じることはない』とは、よく言ったものね……」


 膝に手をついていたイズは、呼吸を整えるのに必死だったため、近付いたヴィーレの靴が視界に入るまで、彼の存在に気が付いていなかった。


「……あっ」


 だからだろう。彼女はこちらの姿を認めるや、慌てて体裁を取り繕い、いつも通りに腕を組んでみせた。


 かなり手遅れな気がするが、イズの中ではギリギリセーフの判定が下っているらしい。何事も無かったかのように優雅を気取っている。


 と、そこで、勇者の遥か後ろでピクピクと痙攣けいれんしているドゥリカを発見したイズは、意外そうに尋ねてきた。


「……倒せたの? 若手ルーキーのはぐれ者っぽかったとはいえ、現役のハンターを」


「ああ。かなり深く酔いが回っていたんだろう。勝手に暴れて好き放題に喚いた挙げ句、自分から街灯へ突っ込んで、ついさっき気絶してしまったよ」


 準備していた嘘をしれっと突き通すヴィーレ。


 滅茶苦茶な発言だけれど、『普通の農民であるはずの勇者が、呪文使いに丸腰で挑んで、しかも倒した』という物語よりは、よほど信憑性があるはずである。


(どうせここにいる野次馬は俺達に話しかけてこないんだ。利用の可能な状況ならば、利用しない手はないだろう)


 卑屈に眉をひそめて、ヴィーレは周りをチラと流し見る。


 先日まで村人という肩書きを着て生活していた彼は、『庶民で役立たずな勇者』として、ここらの町では有名なのだ。


 ただし、知名度はあるが人気は無い。


 冒険に出る前から、ヴィーレは散々な扱いを受けてきた。


 元々どういう訳か差別的な態度を取られることが多かったのだけど、勇者に選ばれてからというもの、嫌がらせはより過激で露骨になる。


 そんな彼が実は絶大な力を持っていたというのだ。


 先の決闘を目撃した人々は、ヴィーレの報復を恐れて一層関わらないようになるだろう。


「何はともあれ、この件はもう片付いたんだ。お前も無事で良かったよ。『貴族の娘』に怪我でも負わせたら、大事だからな」


 ヴィーレは頬の傷を手のひらで隠しながら、イズの横を通り過ぎていく。


「……っ!」


 だが、こちらの態度にイズはハッとしたような顔をして、悔しそうに俯いてしまった。


 スカートを両手で掴んで、奥歯を食い縛っている。


 先の言葉に引っかかる部分があったようだ。彼女は悲痛そうな顔をして、何事かを思い悩んでいる。


 他方で、仲間の変化を見落としたまま、一人で酒場の方へと歩き続けるヴィーレ。店から漂ってくる香ばしい料理の匂いに夢中みたいだ。


「……守られていたくなかったからよ」


 と、建物の入り口へ差し掛かった勇者を直前で制止したのは、そんなイズの呟きだった。


「えっ?」


「私が魔王討伐任務に参加したきっかけの話」


 振り返るヴィーレに、イズがすかさず補足を入れてくれる。


 そこでヴィーレは得心した。そういえば戦闘が始まる前に、彼は『命を懸けるに値する志望動機』を、イズに問うていたのだと。


 食事中の会話を思い出しながら、ヴィーレはその場で踵を返す。


(忘れてた。ドゥリカと戦闘した後は、このタイミングで打ち明けてくれるんだっけな)


 今回辿ったルートは『稀なケース』だったので失念してしまっていた。


 会話を続ける前に、彼らを取り巻く人々へ視線を向ける勇者。


 無感情な瞳だが、受け取り手によっては『邪魔だ』という感情を隠さぬ眼光に思えたかもしれない。


 酒場の入り口に集っていた野次馬達もそうだったのだろう。彼らは空気を読んで、誰からともなく店の中へと戻っていった。


 観客が全て建物内に消え、二人きりになったタイミングで、賢者は固く結ばれた口を開くだろう。


「私は小さい頃から強い人間に守られて生きてきた。両親には不便なく何でも与えられてきたし、お兄様やお姉様からも過剰に甘やかされてきた自覚はある」


 初めてイズと出会った場所。


 酒場の正面入り口前にて、ヴィーレは彼女の身の上話を打ち明けられる。


「でも、だからこそ、『死』が蔓延まんえんしたこの現代で、私は己の強さを証明してみせたかったの」


 イズの声に力が込められる。


 それは普段の虚勢から来るものではなく、彼女の芯の部分から滲み出たもののように感じられた。


「自分は一人でも大丈夫なんだって。肩書きだけの人間じゃないんだって。誰かを守れる側の人間なんだって……」


 賢者はヴィーレと目を合わせずに、地面を見つめながら語り続ける。


「証明……したかったの……」


 彼女がどうしてこの場でこんな告白をしているのか、ヴィーレは薄々勘づいていた。


 要するに、イズ・ローウェルは悔しかったのだろう。


 争いの原因を自分から作ってしまったことが。それなのに、事の始末をつけたのが彼女自身ではなく、勇者一人であったという事実が。


 存在しない誰かに「またお前は守られたのだ」と説かれているようで、たまらなく悔しかったのだ。


「……イズ」


 ヴィーレは彼女に近付いて、その肩に手を伸ばそうとした。


 助けなければ。何か慰めとなる声をかけなければ。と、自分自身の本能から突き動かされたように、考える間もなく自然と体が動いていたのだ。


 けれど、ヴィーレの行動は、イズが決意に満ちた顔を上げたことにより、寸前で止められてしまう。


「私は自分を曲げない女よ。もう庶民あんたなんかには守られない。むしろこれからは、私があんたを守り抜いてみせるわ!」


 イズはいつもの強い語気で、しかし嫌味な刺々しさは全く含ませずに、今後の旅における自身の『目標』を宣言した。


 だが、そのすぐ後、彼女はヴィーレの赤い瞳から不意に視線を逸らすだろう。


 そして、長い前置きを経て、ようやく本題に入るはずだ。


「だけど、その……」


 胸の前辺りで落ち着かなさそうに手遊びしながら、賢者イズは蚊の鳴くような声で台詞の続きを呟いた。


「今回のところは、助かったわ。……ありがと」


 絞り出すようにそう言って、明後日の方向を見ながら、片手をこちらに差し出してくる。


 ヴィーレは彼女の礼には応えぬままに、相手の様子を観察した。


 シルクのような手のひらが、開かれた状態で無防備にこちらへ向けられている。小さな賢者は唇を一文字に引き結んで頬をほのかに紅潮させていた。


 あの強情なイズがそうしているのだと思うと、まさしく世にも奇妙な光景である。


 だけれども、ヴィーレは彼女の意図をすぐに察せられたみたいだった。


 友好の証として求められた握手。酒場に入る前、つまり数時間前の今朝に、彼の方からイズへ仕掛けて、見事に玉砕したものだ。


『最悪だった出会いをもう一度やり直しましょう』


 と、彼女はそう言いたいのだろう。イズが過ちを犯してしまった、この場所から。


(自分から断った手前、どう切り出すべきか悩んでいただけで、仲直りはずっとしたかったのかもしれないな。……いいや、流石にこの考えは都合が良すぎるか?)


 心の中で自問自答するヴィーレ。


 その様が握手を断ろうとしているように見えたのか、イズは不安そうに揺れた瞳でこちらを見上げてきた。捨てられた子犬みたいな態度だ。


「……あぁ、すまない」


 彼女の心情を読み取ったヴィーレは、でき得る限りの親しみを込めて、相手の求めているであろう温かい挨拶を返した。硬くなった表情筋を微かに綻ばせながら。


「改めてよろしく、イズ」


 その時、ヴィーレは確信した。


 やはり目の前に立っている少女はだったのだと。


 才色兼備で、自他共に厳しく、根は優しい女の子。それが勇者パーティー二人目のメンバー、大賢者のイズ・ローウェルだ。


 少し汗ばんだ相手の手のひらを、対応する手で掬い取ったヴィーレは、親愛の意を込めて、それを優しく握り返してやる。


 すると、イズはまた口をモニョモニョと動かして、気恥ずかしそうにそっぽを向いてしまった。


 知識過多なものの、経験不足な彼女には、適切な返事が見当たらなかったようだ。


 この賢者を素直にさせるにはまだまだ時間がかかるらしい。


 ヴィーレは自身の手の内に感じる彼女の明らかな葛藤を、しばらくの間だけそのまま楽しんでいた。

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