8話「照準の乱れは心の乱れ」
酒場前の往来は日の陰に支配されている。
朝方と比べたら人通りが多くなっているものの、それでもやはり閑散としていて、物寂しい印象を感じさせた。
しかし、現在は『無言の熱気』とでも言うべきか、浮わついた雰囲気が辺りを包み込んでいる。
その原因は、通りの中央で対峙している二人の男にあった。
人相の悪い酔っぱらいは一丁の銃を携えている。その正面、約十メートル先で、ヴィーレは何も武器を持たずに堂々と佇んでいた。
数分前まで彼らがいた酒場の入り口は、野次馬の群れで埋まってしまっている。
最底辺の勇者と傍迷惑な暴漢ハンター。
突発的に始まった両者の決闘を観戦するために、観客達は酒場の中から覗いているようだ。
「ちょっと……! あんた達、邪魔よ! 私を通しなさいってば!」
そんな人混みに阻まれて、イズは事の成り行きを途中から確認できていなかった。
小さい体をピョンピョン跳ねさせ、何とかヴィーレの姿を捉えようと躍起になっている。
巻き込んでしまった責任を強く感じているのだろう。彼女は眉を八の字に曲げて、焦ったように大声をあげていた。人の波に飲み込まれていく姿は少し情けない。
さらに、イズへ追い討ちをかけるようにして、事態は非情に進んでいく。
「観客の少ねえ決闘だな。勇者の華々しい初陣にしてはショボいもんだぜ」
そう言うと、酔っぱらいの男は両手で銃を構えてみせた。
「俺の名はドゥリカ。ドゥリカ・ブラウン。テメェが魔物に食われたら吹聴してやるぜ。『アイツは初日から俺にボコられたクソ雑魚勇者だった』ってなァ!」
ヴィーレも彼の台詞に呼応して、拳を悠然と構え、返した。
「御託はいい。見回りが来る前にさっさと終わらせるぞ」
銃口を覗いている状況だというのに、勇者は怯みもしない。
そんな臆さないヴィーレに、かえって闘志を燃やされたのだろう。いや、もしかしたら、
ドゥリカはニヤリと口角を上げて、自慢げに無駄な話を続けてきた。
「言っておくが、相手が『銃使い』だからって見くびらない方がいいぜ」
惚れ惚れしたような目の色で洗練された銃身を指し示し、こう告げる。
「まあ、理解できなくはない判断さ。銃ってのは、魔力量の少ない下っ端や、呪文の使えない無能がよく装備している武器だもんなァ?」
彼はヴィーレの反応など端から気にしていないようだった。
ガチャリと音を立てて構え直すや、こちらへ悪どい笑みを向けてくる。照準は外してくれていない。誤射しても構わないという姿勢だ。
続くドゥリカの言葉は、さらに大きい声量で発せられた。
「だが甘いッ! この銃は使用者の魔力を弾丸に変えて放つ特注品だァ! 舐めてかかってきたら、テメェの頭がスイカみてえに弾け飛ぶぜ!?」
「……相変わらず、自己顕示欲の塊みたいな人格をしている輩だな」
ヒートアップする酔っぱらいに対して、飽きるほど聞いた台詞に食傷気味な呟きを漏らすヴィーレ。
(しかもこのドゥリカとかいう男、不遜な性格をしているだけあって、腕利きのガンマンではあるんだよな……)
勇者は溜め息混じりにガックリと項垂れた後、俯きがちのまま横目で酒場の方を窺った。
まだイズは通りに出てきていないようである。
観客が上手い具合に肉の壁となって、彼女の進行を阻害してくれているらしい。
(戦っているところをイズに目撃されると厄介だ。『どこで力をつけたのか』なんて尋ねられたら、ややこしい展開になりかねない。モタつき過ぎないよう気を付けないとな)
ヴィーレは自分に言い聞かせるように目標を確認した。
勇者が時間遡行を繰り返している事はしばらく秘密にする予定だ。特にイズを含めた仲間には絶対に知られてはならない。
理由は一つ。打ち明けても信じてもらえないから。
初対面の他人からそんな
だから、ヴィーレは隠し通さなければならない。
少なくとも、ある程度の信頼関係を築くまでは、仲間を騙し続けなければならないのだ。
(本当に面倒な事態に巻き込まれたもんだ。だがまあ、今はひとまず――――)
折り曲げていた首を上げ、ドゥリカと視線を交錯させるヴィーレ。
(コイツの始末に専念しなければ)
勇者はどこか挑発的な色を込めて、手招きのジェスチャーをしてみせた。
「酔いが鎮まらないなら、俺が覚まさせてやる。かかってこい」
それに触発されたのだろう。ドゥリカは自身の瞳を怒りでさらにギラつかせた。実に単純で分かりやすいリアクションだ。
「舐めやがって……」
ドゥリカは歪んだ笑顔のまま呟いて、とうとう引き金に指をかける。
「望むところだ! 蜂の巣にしてやるぜッ!」
そう宣言するや、照準を素早くヴィーレに定めるドゥリカ。
直後、街中に響き渡る発砲音。
男がわずかに指を折り曲げただけで、象ですら一撃で殺める魔の弾丸が、勇者の頭目掛けて放たれた。
刹那、銃口から吹き出る白煙。火薬のような臭いが風にさらわれるのと同時に、観客の悲鳴が発砲音の残響を上書きするだろう。
しかし、野次馬である人々が、パニックに陥ってその場から逃げ出すことは無かった。
その原因は彼らの目が集まる先にある。
引き金を引いたドゥリカ。銃を構えたままの姿勢である彼の眼前に、無傷で立っているヴィーレが、その場にいる全員の視線を奪っていた。
ドゥリカは信じられないといった剣幕で言葉を漏らす。
「この俺が……外しただと……ッ!?」
「いいや。お前が外したんじゃない」
ヴィーレは律儀に独り言へ返事を寄越してやった。
間近で向かい合う二人。既にそこは互いの射程圏内だ。
「俺が避けたのさ」
と、ヴィーレが言葉をさらに紡いだところで、盤面が動いた。
先手は言葉を吐いた勇者の方だ。撃たれることなど微塵も恐れずに、相手の胸ぐらへいきなり掴みかかる。
寸前でドゥリカがゼロ距離射撃を試みるが、ヴィーレの左手が銃身をずらした事により、弾丸はあっけなく外れてしまった。
その後、間をあけず相手の喉を右手でグワシと掴むヴィーレ。
彼は片脚をドゥリカの膝裏まで持っていくと、右手を一気に押し出した。必然、ドゥリカの体は背中から地面に叩きつけられる。
仰向けになって天を仰ぐドゥリカ。目を白黒させている酔っぱらいへ、勇者の声が冷たく届いた。
「酒飲みは『罪を酔いのせいだと思い込む悪疫』に
瞬間、ドゥリカの顔に影が落ちる。
彼はそこで体を恐怖に硬直させるだろう。
「さて、ドゥリカ・ブラウン。お前はどうかな?」
慌てたドゥリカが必死の形相で首を横に曲げると、彼の耳のすぐ隣を、ヴィーレの靴底が光速で通過していった。
爆発が起きたような音の波がドゥリカの鼓膜を叩く。
恐る恐る彼が横を向くと、先ほどまで自身の顔のあった地面が粉々に割れているではないか。
「ヒィ……ッ!?」
「おい。おいおい、ドゥリカ」
真っ赤だった顔を真っ青にしているドゥリカへ、真上から問いが投げられる。
「酔いは覚めたかよ?」
朱色の両眼は冷徹に相手を見下ろしていた。
反対に、見上げるドゥリカからすれば、勇者の姿は不気味な黒い人影にでも思えたことだろう。地に付けている背が汗で次第に湿り出す。
殺される。ドゥリカは本能でそう直感した。口を金魚みたいにパクパクさせて、震えた声を漏らしている。
「テメェ……テメェ……ッ!」
泳いでいた両の目は周囲の人々を捉え、割れた地面へと移り、最終的に勇者の顔と向き直るだろう。
瞬間、ヴィーレは察知した。ドゥリカの中で萎みかけていた不合理な憤怒が、またも急速に膨らみだしていることを。
「この俺に……公衆の面前で、恥をかかせやがったなァッ!」
響く咆哮。酔っぱらいの顔は修羅の色を纏い始めた。
同時に、ドゥリカは片手を突き出してくる。彼に手のひらを向けられたヴィーレは咄嗟に身を構えた。
「顕現しろッ! この呪文の詠唱と呼び名は――――」
「野郎……ッ!」
紡がれる言葉を慌てて止めにかかるヴィーレ。
「《サモンナイト》!!」
が、間に合わず。
ドゥリカの叫んだ呪文と共に、辺りは眩い閃光に包まれ、勇者は通りの端まで吹き飛ばされてしまった。
否、吹き飛ばされたのではない。何者かによって
壁に背中から叩きつけられたヴィーレの体は、そのまま固定されて地に落ちてこなかった。
彼の両脇の下には円錐形の槍が通され、建物の壁に突き刺さっている。地上五メートルほどの位置で
(脅しだけで諦めてくれないか……。一番の外れパターンを引いたな……)
ヴィーレは自身の不運を嘆きながら、正面に浮かぶ影を確認する。
そこには二体の甲冑が白銀の羽を広げて佇んでいた。片手には半身を覆えるくらいの大盾、もう片方の手にはヴィーレを宙に拘束した
意思を持った鎧は瞳の部分をエメラルドグリーンに光らせながら、こちらへ黙々と敵意を飛ばしている。
対して、どうしようもない状況へ陥ったヴィーレは、相手も見ずに後悔へ暮れていた。
(幸先が悪い。時間のかかる
我ながら行動が甘すぎたと反省しているようだ。
予見できたのなら、わずかな危険性でも潰しておくべきだった。手を抜くのはいいが、楽する場所を考えなければ、これからの冒険では生き残っていけない。
ヴィーレは長めの息を吐いて、緩んでいた気を引き締め直した。
相手が唱えたのは
突如として現れた鎧はドゥリカの
「許されねえ……。許されねえぞ、勇者ヴィーレ……!」
ドゥリカはユラユラと妖しい動きで立ち上がりながら、ドスの利いた呟きを漏らしていた。
よく見ると、彼の傍にも二体の鎧が控えている。
合計四体の召還兵。それを魔物と勘違いした観客がざわめきだすが、ドゥリカが銃を掲げると、彼らはあっという間に静まってしまった。
「ぶっ殺してやるッ!」
天に向かって放たれた雄叫びと射撃。
威嚇の意を持つ一発の弾丸は、分厚い雲をかき分けて、勇者達へと陽光のスポットライトを当てるのだった。
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