7話「その呪文の詠唱と呼び名は」

 酒場前の往来は日の陰に支配されている。


 朝方と比べたら人通りが多くなっているものの、それでもやはり閑散としていて、物寂しい印象を感じさせた。


 しかし、現在は『無言の熱気』とでも言うべきか、浮わついた雰囲気が辺りを包み込んでいる。


 その原因は、通りの中央で対峙している二人の男にあった。


 人相の悪い酔っぱらいは一丁の銃を携えている。その正面、約十メートル先で、ヴィーレは何も武器を持たずに堂々と佇んでいた。


 数分前まで彼らがいた酒場の入り口は、野次馬の群れで埋まってしまっている。


 最底辺の勇者と傍迷惑な暴漢ハンター。


 突発的に始まった両者の決闘を観戦するために、観客達は酒場の中から覗いているようだ。


「ちょっと……! あんた達、邪魔よ! 私を通しなさいってば!」


 そんな人混みに阻まれて、イズは事の成り行きを途中から確認できていなかった。


 小さい体をピョンピョン跳ねさせ、何とかヴィーレの姿を捉えようと躍起になっている。


 巻き込んでしまった責任を強く感じているのだろう。彼女は眉を八の字に曲げて、焦ったように大声をあげていた。人の波に飲み込まれていく姿は少し情けない。


 さらに、イズへ追い討ちをかけるようにして、事態は非情に進んでいく。


「観客の少ねえ決闘だな。勇者の華々しい初陣にしてはショボいもんだぜ」


 そう言うと、酔っぱらいの男は両手で銃を構えてみせた。


「俺の名はドゥリカ。ドゥリカ・ブラウン。テメェが魔物に食われたら吹聴してやるぜ。『アイツは初日から俺にボコられたクソ雑魚勇者だった』ってなァ!」


 ヴィーレも彼の台詞に呼応して、拳を悠然と構え、返した。


「御託はいい。見回りが来る前にさっさと終わらせるぞ」


 銃口を覗いている状況だというのに、勇者は怯みもしない。


 そんな臆さないヴィーレに、かえって闘志を燃やされたのだろう。いや、もしかしたら、嗜虐心しぎゃくしんがくすぐられたのかもしれない。


 ドゥリカはニヤリと口角を上げて、自慢げに無駄な話を続けてきた。


「言っておくが、相手が『銃使い』だからって見くびらない方がいいぜ」


 惚れ惚れしたような目の色で洗練された銃身を指し示し、こう告げる。


「まあ、理解できなくはない判断さ。銃ってのは、魔力量の少ない下っ端や、呪文の使えない無能がよく装備している武器だもんなァ?」


 彼はヴィーレの反応など端から気にしていないようだった。


 ガチャリと音を立てて構え直すや、こちらへ悪どい笑みを向けてくる。照準は外してくれていない。誤射しても構わないという姿勢だ。


 続くドゥリカの言葉は、さらに大きい声量で発せられた。


「だが甘いッ! この銃は使用者の魔力を弾丸に変えて放つ特注品だァ! 舐めてかかってきたら、テメェの頭がスイカみてえに弾け飛ぶぜ!?」


「……相変わらず、自己顕示欲の塊みたいな人格をしている輩だな」


 ヒートアップする酔っぱらいに対して、飽きるほど聞いた台詞に食傷気味な呟きを漏らすヴィーレ。


(しかもこのドゥリカとかいう男、不遜な性格をしているだけあって、腕利きのガンマンではあるんだよな……)


 勇者は溜め息混じりにガックリと項垂れた後、俯きがちのまま横目で酒場の方を窺った。


 まだイズは通りに出てきていないようである。


 観客が上手い具合に肉の壁となって、彼女の進行を阻害してくれているらしい。


(戦っているところをイズに目撃されると厄介だ。『どこで力をつけたのか』なんて尋ねられたら、ややこしい展開になりかねない。モタつき過ぎないよう気を付けないとな)


 ヴィーレは自分に言い聞かせるように目標を確認した。


 勇者が時間遡行を繰り返している事はしばらく秘密にする予定だ。特にイズを含めた仲間には絶対に知られてはならない。


 理由は一つ。打ち明けても信じてもらえないから。


 初対面の他人からそんな奇天烈きてれつな話をされたと想像してみてほしい。きっと受け入れられる者の方が少ないだろう。


 だから、ヴィーレは隠し通さなければならない。


 少なくとも、ある程度の信頼関係を築くまでは、仲間を騙し続けなければならないのだ。


(本当に面倒な事態に巻き込まれたもんだ。だがまあ、今はひとまず――――)


 折り曲げていた首を上げ、ドゥリカと視線を交錯させるヴィーレ。


(コイツの始末に専念しなければ)


 勇者はどこか挑発的な色を込めて、手招きのジェスチャーをしてみせた。


「酔いが鎮まらないなら、俺が覚まさせてやる。かかってこい」


 それに触発されたのだろう。ドゥリカは自身の瞳を怒りでさらにギラつかせた。実に単純で分かりやすいリアクションだ。


「舐めやがって……」


 ドゥリカは歪んだ笑顔のまま呟いて、とうとう引き金に指をかける。


「望むところだ! 蜂の巣にしてやるぜッ!」


 そう宣言するや、照準を素早くヴィーレに定めるドゥリカ。


 直後、街中に響き渡る発砲音。


 男がわずかに指を折り曲げただけで、象ですら一撃で殺める魔の弾丸が、勇者の頭目掛けて放たれた。


 刹那、銃口から吹き出る白煙。火薬のような臭いが風にさらわれるのと同時に、観客の悲鳴が発砲音の残響を上書きするだろう。


 しかし、野次馬である人々が、パニックに陥ってその場から逃げ出すことは無かった。


 その原因は彼らの目が集まる先にある。


 引き金を引いたドゥリカ。銃を構えたままの姿勢である彼の眼前に、無傷で立っているヴィーレが、その場にいる全員の視線を奪っていた。


 ドゥリカは信じられないといった剣幕で言葉を漏らす。


「この俺が……外しただと……ッ!?」


「いいや。お前が外したんじゃない」


 ヴィーレは律儀に独り言へ返事を寄越してやった。


 間近で向かい合う二人。既にそこは互いの射程圏内だ。


「俺が避けたのさ」


 と、ヴィーレが言葉をさらに紡いだところで、盤面が動いた。


 先手は言葉を吐いた勇者の方だ。撃たれることなど微塵も恐れずに、相手の胸ぐらへいきなり掴みかかる。


 寸前でドゥリカがゼロ距離射撃を試みるが、ヴィーレの左手が銃身をずらした事により、弾丸はあっけなく外れてしまった。


 その後、間をあけず相手の喉を右手でグワシと掴むヴィーレ。


 彼は片脚をドゥリカの膝裏まで持っていくと、右手を一気に押し出した。必然、ドゥリカの体は背中から地面に叩きつけられる。


 仰向けになって天を仰ぐドゥリカ。目を白黒させている酔っぱらいへ、勇者の声が冷たく届いた。


「酒飲みは『罪を酔いのせいだと思い込む悪疫』に罹患りかんしている」


 瞬間、ドゥリカの顔に影が落ちる。


 彼はそこで体を恐怖に硬直させるだろう。


「さて、ドゥリカ・ブラウン。お前はどうかな?」


 慌てたドゥリカが必死の形相で首を横に曲げると、彼の耳のすぐ隣を、ヴィーレの靴底が光速で通過していった。


 爆発が起きたような音の波がドゥリカの鼓膜を叩く。


 恐る恐る彼が横を向くと、先ほどまで自身の顔のあった地面が粉々に割れているではないか。


「ヒィ……ッ!?」


「おい。おいおい、ドゥリカ」


 真っ赤だった顔を真っ青にしているドゥリカへ、真上から問いが投げられる。


「酔いは覚めたかよ?」


 朱色の両眼は冷徹に相手を見下ろしていた。


 反対に、見上げるドゥリカからすれば、勇者の姿は不気味な黒い人影にでも思えたことだろう。地に付けている背が汗で次第に湿り出す。


 殺される。ドゥリカは本能でそう直感した。口を金魚みたいにパクパクさせて、震えた声を漏らしている。


「テメェ……テメェ……ッ!」


 泳いでいた両の目は周囲の人々を捉え、割れた地面へと移り、最終的に勇者の顔と向き直るだろう。


 瞬間、ヴィーレは察知した。ドゥリカの中で萎みかけていた不合理な憤怒が、またも急速に膨らみだしていることを。


「この俺に……公衆の面前で、恥をかかせやがったなァッ!」


 響く咆哮。酔っぱらいの顔は修羅の色を纏い始めた。


 同時に、ドゥリカは片手を突き出してくる。彼に手のひらを向けられたヴィーレは咄嗟に身を構えた。


「顕現しろッ! この呪文の詠唱と呼び名は――――」


「野郎……ッ!」


 紡がれる言葉を慌てて止めにかかるヴィーレ。


「《サモンナイト》!!」


 が、間に合わず。


 ドゥリカの叫んだ呪文と共に、辺りは眩い閃光に包まれ、勇者は通りの端まで吹き飛ばされてしまった。


 否、吹き飛ばされたのではない。何者かによってのだ。


 壁に背中から叩きつけられたヴィーレの体は、そのまま固定されて地に落ちてこなかった。


 彼の両脇の下には円錐形の槍が通され、建物の壁に突き刺さっている。地上五メートルほどの位置ではりつけにされている状態だ。


(脅しだけで諦めてくれないか……。一番の外れパターンを引いたな……)


 ヴィーレは自身の不運を嘆きながら、正面に浮かぶ影を確認する。


 そこには二体の甲冑が白銀の羽を広げて佇んでいた。片手には半身を覆えるくらいの大盾、もう片方の手にはヴィーレを宙に拘束したランスを握っている。


 意思を持った鎧は瞳の部分をエメラルドグリーンに光らせながら、こちらへ黙々と敵意を飛ばしている。


 対して、どうしようもない状況へ陥ったヴィーレは、相手も見ずに後悔へ暮れていた。


(幸先が悪い。時間のかかる岐路ルートに入りかけているな。やはり一撃で容赦なく沈めるべきだった)


 我ながら行動が甘すぎたと反省しているようだ。


 予見できたのなら、わずかな危険性でも潰しておくべきだった。手を抜くのはいいが、楽する場所を考えなければ、これからの冒険では生き残っていけない。


 ヴィーレは長めの息を吐いて、緩んでいた気を引き締め直した。


 相手が唱えたのは召喚の呪文サモンナイト。使い魔を自らのもとへ呼び出し、使役するという能力だ。


 突如として現れた鎧はドゥリカのしもべだと考えていいだろう。つまり、明確にこちらと敵対する意志を持つ者たちだ。


「許されねえ……。許されねえぞ、勇者ヴィーレ……!」


 ドゥリカはユラユラと妖しい動きで立ち上がりながら、ドスの利いた呟きを漏らしていた。


 よく見ると、彼の傍にも二体の鎧が控えている。


 合計四体の召還兵。それを魔物と勘違いした観客がざわめきだすが、ドゥリカが銃を掲げると、彼らはあっという間に静まってしまった。


「ぶっ殺してやるッ!」


 天に向かって放たれた雄叫びと射撃。


 威嚇の意を持つ一発の弾丸は、分厚い雲をかき分けて、勇者達へと陽光のスポットライトを当てるのだった。

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