6話「えっ。この状態からでも入れる保険があるんですか?」
店内の最奥に陣取るイズと、出入り口付近に居座る酔っぱらいの間で、雷の如き視線が交錯し、火花を立てる。
酒場の中は暖かい照明の色に反して、冷めきった雰囲気を宿していた。
客と店員は
参戦してくる者はもういないらしい。
ただただ、酔っぱらいの腕の中に囚われている女性店員だけが、イズへ希望と不安の入り交じった眼差しを向けていた。
当の酔っぱらい、『ハンター』と呼ばれる魔物討伐を生業としている男は虫の居所が悪そうだ。自分の席に座ったまま、イズの方を睨んでくる。
「おいおい! 大人に対する口の利き方を学んでないガキが紛れ込んでいるぞ! 酒の美味さも理解できねえ奴は、家で茶でも啜ってりゃいいのによォ!」
彼はイズが先ほどそうしたように、わざとらしく皆に聞こえるように相手を挑発してみせる。
ひどく幼稚な皮肉り合いだ。
対するイズは「望むところよ」と言わんばかりに同じ手法で煽り返す。
「声の大きさだけで他人を黙らせてきた
「常識ィ? あぁ、人々が青年期までに身に付ける偏見のコレクションのことか」
「たとえ偏見だろうが、多数派が抱く常識は『マナー』になるわ。そして、公共の場で空気を読まずに騒いでも問題ないと思っているような、少数派の常識は『迷惑』になるの」
「チィ……ッ! やれ『空気を読まない』だの『場の雰囲気を壊す』だの、多数派に迎合することをコミュニケーション能力の高さと勘違いして、アイデンティティを捨て去った奴らが吠えやがる!」
ジョッキを割れんばかりの勢いでテーブルに叩きつける男。
彼はそこで初めて女性店員を解放する。と、威嚇するように足音を立てて、勇者達のもとへ近付いてきた。
動じずに待ち構えるイズと、大儀そうに溜め息を漏らすヴィーレ。
勇者にとっては毎度の事だが、こういう展開はあまり好きじゃないようだ。
間もなく、酔っぱらいは騒々しく勇者の目の前までやって来る。すると、今度はこちらのテーブルに片手をついて、怒りに任せて二人を見下してきた。
が、先手を打ったのはイズである。
相手が口を開く前に、平静な顔のまま挨拶代わりのジャブを繰り出した。
「あら? 昼から仕事もしないで怠けている負け犬が、私に何か用かしら?」
「黙らせに来たんだよ。口うるさくて生意気なクソガキをなァ!」
「そう。別に構わないけど、自己紹介なら
「テメェの事だよ、クソアマがッ!」
言い合いはどんどん熱を帯びていく。語り口は対照的だが、二人の視線は同じだけの憤怒を秘めていた。
このまま放っておけばどうなるか。ヴィーレはよくよく知っている。
男は相手が大貴族の娘とも知らずに暴力を振るい、イズがそれに全力で応戦。結果的に、酒場の中が滅茶苦茶になってしまう。
イズが注意するため、怪我人は出ないが、決して最高の結末とは言えないだろう。避けられるなら避けた方がいい未来だ。
「挑発しすぎだぞ、イズ」
ヴィーレは不意に腰を持ち上げる。
そして、今にも相手へ殴りかかりそうな二人の間に割って入ると、彼らの距離を無理やり離した。
まずは味方側の説得だ。
「迷惑行為を止めるのは良いが、喧嘩を売る必要は無いだろう。大人になれ」
「……分かってるわよ」
彼女はわりかし素直に引き下がってくれた。
自身を客観視することはまだできているのだろう。膨らました頬をそのままに、視線を外して、短く返事を寄越してくる。
常時ツンケンしているイズにしては上々の反応だ。
ヴィーレは満足そうに頷くと、次は酔っぱらいの肩に右手を置いた。先より幾ばくか言葉に力を込めて注意する。
「お前もだ。引っ込みがつかないと思っているんなら、最後のチャンスを与えてやる。悪い事は言わないから、身勝手はここまでにしておいた方がいい。もう少し周りの都合も考えろ」
形だけの忠告だった。
度重なる時間遡行の経験からして、酔っぱらいの男がこの後、潔く自分の席に戻る希望は限りなくゼロに近い。
ヴィーレもそれは承知しているのだろう。表情の乏しさも相まって、その対応にはロボットのような無機質さが際立っている。
「うるせえッ! 関係ねえ奴はスッ込んでろ!」
結果から告げると、やはりヴィーレの説得は無駄に終わった。
肩に置かれていた手を振り払うと同時に、逆上した男はこちらの体を蹴り飛ばしてきたのだ。
それをもろに腹へ食らったヴィーレは、先の男性店員のように、近場のテーブルへ背中から突っ込んだ。
「ヴィーレ!?」
叫ぶイズ。彼女は余裕を崩して席を立つと、大急ぎでこちらへ駆け寄ってきた。
倒れた椅子の横で尻餅をつくヴィーレのもとまで来てしゃがみ、彼に怪我がないかどうかを確認してくる。
どうやら本気で心配してくれているようだ。
だが、攻撃を予見していた勇者がむざむざ負傷にまで至るはずがない。正直なところ、先ほど吹き飛んだのも、半分は彼が自主的に行ったことなのだ。
しかし、その事を知らないイズはといえば、先にも勝る激憤を湛え、キッと酔っぱらいを睨みつけていた。
「ちょっと! 彼は止めてくれただけじゃない! あんた、八つ当たりも大概になさいよッ!」
立ち上がった賢者は、少女のそれとは思えない剣幕をもって相手を一喝した。
そこで、ようやくヴィーレが起き上がる。気怠そうではあるが、ダメージを蓄積している様子は微塵も見受けられない。
彼はイズの隣に並ぶと、服に付いた埃を払いながら、静かに台詞を読み上げた。
「おい、お前。もう後戻りできないぞ。暴力を仕掛けてきた以上、相応の覚悟はできているんだろうな」
「先に喧嘩売ってきたのはテメェらだろうがァ……! 生意気なガキ共が何をするつもりか知らねえがよォ~! 返り討ちにしてやるぜ……!」
だが、酔っぱらいは正義の面を被って反論してくるのみだ。
彼の言動を受けて、ヴィーレはわずかに眉間をしかめた。今度は軽蔑の視線を隠しもせずに隣のイズへ話しかける。
「コイツ、自分が暴れまくってたのを忘れているのか? 随分と都合の良い頭をしているんだな」
「新手の病気かもしれないわよ。さぞかし辛いことでしょう。保険の案内でもしてあげようかしら? ギルドが最近始めたらしいし」
「えっ。この状態からでも入れる保険があるんですか?」
勇者達は完全に酔っぱらいの男を『敵』と認識したようだ。
静観していたヴィーレまで加わって、小馬鹿にしたような会話を繰り広げている。変なところで息の合う二人だ。
「野郎……ッ! 俺を侮辱したな……!」
その頃、やり取りを黙って聞いていた酔っぱらいは、額に青筋を立てていた。今にも地団駄を踏みだしそうな苛立ちようである。
酔いどれハンターは紅潮させていた顔をさらに赤くして、こちらへ勇み足で歩み寄ってきた。
ヴィーレとイズも相手を迎え撃たんとするように、肩を並べて近付いていく。よって、
ぶつかる直前で止まる三人。
イズだけがその中で飛び抜けて小さいが、敵の怒りは彼女に集中しているらしい。
男は固く固く拳を握り、腕を目一杯に振り上げると――――
「テメェらの下顎砕いてやるァァァ!!」
それをイズ目掛けて振り抜いた。
が、狙われた本人は至って冷静だった。迫る拳からは視線を外さず、目の前に片手をかざすと、呪文の詠唱を開始する。
刹那、ヴィーレは直感した。「こいつら、ここで喧嘩を始めるつもりだ」と。
酔っぱらいの拳がイズの顔面に向けて吸い込まれていく。それと同時並行で、イズの口も詠唱の続きを紡いでいた。
このままではあらゆる点が問題となる。傍観していたヴィーレは、迅速に行動を始めた。
「《フローズンスノウ》!」
イズが氷雪の呪文を唱え終えた瞬間、突き出されていた彼女の手のひらから、一本の氷柱が勢いよく射出された。
氷柱の先端は円錐形となっており、極太な鉛筆という形状のそれは酔っぱらいの拳と正面からぶつかり合おうとしている。
今、まさに、互いの距離はゼロになろうとしていた。
「ストップ」
が、衝突ならず。それらは直前で止められてしまう。
その原因、争う二人の間に立っていた人物は、やはり勇者ヴィーレだった。酔っぱらいの腕を掴み、氷柱は直に握りしめている。
案の定、両者からは「邪魔するな」とばかりに睨まれた。
しかしながら、イズだけはその後にハッとした顔となる。怒りで我を失っていたのを自覚したようだ。
ヴィーレはひとまず彼女へ向けて視線を返す。
イズから理由を尋ねられる前に、あらかじめ制止に入った動機を答えておくことにした。
「貴族のお前が公の場で他人に手を出したりなんかしたら、良からぬ噂が立つかもしれないだろ。余計なお世話かもしれないが、家のためにも、ここは引っ込んでおいた方がいい」
そう言うと、イズから照れ隠しの反論をされる前に、ヴィーレは続けてこう述べた。
「俺のために怒ってくれてありがとな」
「……っ! べ、別にあんたのためなんかじゃないわ!」
率直に礼を伝えてみせたら、イズは赤面しながら悔しそうにこちらを見返してきた。
「はいはい」
ヴィーレはそんな彼女を軽く無視して、もう一人の方に顔を向ける。
そこには未だに怒り冷めやらぬ男がこちらへ殺意を送っていた。彼には、イズに施したものとは別の鎮火手段が適しているかもしれない。
「暴れ足りないなら俺が相手をしてやる……」
対して、泰然とした調子で告げるヴィーレ。
彼は両手に掴んでいた物を一斉に放した。酔っぱらいは拘束から解かれ、氷の塊は床に落ちていく。
そして、鈍い落下音と共に氷柱が破砕した後――――
「荷物まとめて表に出な!」
その残響を打ち消すように、勇者の冷たく野太い怒号が建物内を揺り動かした。
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