5話「火蓋は切られた」

 壁の上の見張り台。そこで怪鳥を仕留めた男は、酒場で若い女性を捕まえて好き勝手に振る舞っていた。


 相変わらず自由奔放な生き様である。


 反対に、至って静かに席へ着いていたヴィーレは、その姿を露骨にジロジロと観察していた。仏頂面のせいで睨んでいるようにも見える。


(やっと来たか、ドゥリカ・ブラウン……!)


 勇者と酔っぱらいの視線が一瞬だけ交わった。


 しかし、女に絡んでいる相手の男はこちらの事など知らんぷりで、見目麗しい店員へと瞳を戻す。


「相手は今を生きる『ハンター』様なんだから。ね? こういう時に媚びとかないと、いざという時に守ってもらえないかもだよ。ね?」


 男は仄かに紅葉した頬を卑しく吊り上げる。


 ハンター。魔物から人々を救うために作られた『ギルド』に所属する戦闘員の総称だ。


 戦争により、魔物の凶暴さが激化した現在、ギルドは人々からの依頼クエストを多く受注しては、ハンター達を逐次ちくじ現場に派遣している。


 この時代を生きていく多くの人々、特に庶民にとって、ギルドとハンターは軍や兵よりも貴重な存在だという認識におかれている。


 日常生活において、より密接な関わりがあるからだ。


 しかし、はっきり言って、ここで重要なのはそんな些末な情報ではない。


 ヴィーレは美人な店員が絡まれているのを横目で眺めながら、わざとらしくイズに聞こえるよう呟いた。


「戦争中で引く手数多あまたなはずのハンター様が、昼間から酒場で悪酔いか……」


 肩に手を回された店員は「やめてください」を悲痛に繰り返しながら、どうにか逃れようとしている。


 しかし、男の引っ張る力が強すぎるのか、彼女の下半身は虚しく忙しい動きを繰り返すのみだ。


 それが誤って、先ほどは近場にあった椅子を蹴り倒してしまったのだろう。


「こんな世相じゃあ、村人が勇者だ何だと祭り上げられ、少人数で無茶な任務に駆り出されるのも頷ける。そうだろ、イズ」


 冷めた視線を男達から外して、正面に座る仲間へと問いかけるヴィーレ。


 然れども、イズは顔をしかめて知らんぷりするだけだ。


 酔っぱらいハンターの所持する銃を確認してか、それとも彼の肩書きを聞いてか、他の客が彼の身勝手を制する事はない。


 チラチラと成り行きを見守りながら食事を進める者。「嫌なタイミングに出くわしてしまった」と内心後悔する者。


 誰もが件の男を胸糞悪く思いつつも、彼らの様子をうかがうだけに留めている。


 このままではハンターの男が際限なく調子に乗るだけだろう。誰かが勇気を出して制止しなくては。


 そう考え至ったのか、とうとう男性店員の一人が同僚の助けに入った。酔っぱらいの肩を掴んで、女性から客を引き離そうと試みる。


「お客様ッ! ここはそういったサービスを提供する場所ではございません……! それに、他のお客様のご迷惑にもなりますから、今日のところはどうか……!」


「やかましいッ! ムサい野郎には興味ねえんだよ!」


 だが、酔っぱらいは機嫌を損ねたように叫ぶと、力任せに彼の腕を振り払った。そして、そのまま男性店員を片手で突き飛ばす。


 三十代と思われる小太りの店員は、バランスを崩して隣のテーブルに背中から倒れてしまった。


 とんでもない逆上だ。


 そこの席に着いていた男女が、料理を頭から浴びてグチャグチャになった男性を心配そうに見下ろしている。


「雑魚がしゃしゃり出やがって……。テメェはさっさと酒でも持ってこい!」


 一方で、彼を押しやった酔っぱらいはというと、既に女性店員へと瞳を戻していた。


「ったく、余計な邪魔が入ったせいでシケちまったじゃねえか。なあ、姉ちゃん?」


 そう言うや、震えてうつむく女性店員の肩をガッチリと掴んでくる。


 男はだらしなく鼻の下を伸ばしながら、彼女の臀部でんぶをねちっこく撫で回していた。胸を揉んだり太腿ふとももを触ったりと好き放題だ。


 一連の流れを受けて、他の店員も手が出せなくなってしまっている。


 いよいよ事態は歯止めが利かなくなりそうだった。


 ぬるくなり始めていたジョッキを持ち上げ、一息に仰ぐ酔っぱらい。喉の鳴る音が冷えきった空気を揺らす。


 そうすると、気分を早くも回復させたのか、男はまたもデカイ声を店内へ響かせる。


「酒場で水商売なんかしてるんだ。男が嫌いなわけないよなァ~?」


 誰にでもなく、賛同を求めるような口調であった。


「ほ、本当に……やめてください……」


 抵抗する女性店員の声も段々と萎んでいく。もう今にも泣き出してしまいそうな様子だ。


 ヴィーレは無表情のまま騒動の一部始終を傍観していた。


 当然、時間遡行をしている彼はこうなる事も予知していたのだが、事前に知っているからといって、全てが未然に防げるわけではない。


 例えば、酔っぱらいの入店を防ぐなんて事は不可能だし、彼が騒いでいるだけの時に「出ていけ」等と告げれば、ヴィーレが無理を言っていることになる。


 この場合はハンターの男がある程度の被害を出すまで、ヴィーレにも止められなかった。


 けれど、もう十分であろう。


 現在の男は誰がどう見ようが『追い出されても文句を言えない客』だ。


(流石にここまで実害が出ていたら、俺が間に入っても文句は言われないだろう。止めに行くなら今だ。怪我人の出ていない今がベスト……)


 だがしかし、勇者は依然として立ち上がらなかった。


 何故か。それは聞くまでもない。


 勇者は幾度も時間遡行を繰り返している。この忌々しい冒険を何度も、何度も、何度も経験しているのだ。


 だから、彼は知っていたのである。


 自分が止めに入ろうとしていたところで、正面から掛けられる声によって、それが阻まれるという事は。


「ねえ、ヴィーレ」


 案の定だった。前回の旅と同様に、イズのいる方向から声が飛んでくる。


 が、彼女はこちらの返事を待っていなかったらしい。


 賢者は『ヴィーレに』ではなく、『酔っぱらいの男へ』と届けるような声量で、皮肉げに独りごちた。


「彼はもしかして、清掃員や汲み取り人として働いている人達が全員好きだとでも思っているのかしら?」


 瞬間、空気が凍りつく。


 同時に、ハンターの男が耳をピクリと動かした。


 彼を含めた全員の視線がこちらに向けられる。集めた注目には微塵も動じず、イズは薬草ジュースを飲んでいた。


「あァ? 嬢ちゃん、何か言ったかよ?」


 眉間にしわを寄せた酔っぱらいがドスを利かせて問いかけてくる。


 ヴィーレとイズ以外の皆が恐れていた事態だった。場はまさに一触即発の様相を呈している。


「はぁ……。庶民は凄みも三流なのね」


 が、それでもイズは落ち着いていた。相も変わらず毒を吐きながら、機嫌の悪そうな溜め息を漏らしている。


「いいわ。もっと分かりやすく、簡明率直に伝えてあげましょう」


 そこで一旦台詞を止め、彼女は脚を組み直した。


 テーブルに片肘かたひじを置いて頬杖をつく。食事中のお嬢様とは思えない下品な仕草だが、不思議とその姿は絵になっていた。


 おもむろに開かれる桜色の唇。そこから白い歯が覗き、小ぶりな舌が見えた時、言葉は明瞭に紡がれるだろう。


「あんたのせいでランチが不味マズくなるって言っているのよ。ゴミクズ未満の下衆野郎さん」


 賢者イズは凍てつくような眼光をもって、宣戦布告した。

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