4話「財力こそ真の力なり」
正午を過ぎ、現在十二時十五分。
三人目の仲間、エルは未だに待ち合わせ場所へはやって来ない。
勇者一行の見物客で溢れていた酒場は、ある程度の者が帰ってしまったのだろう、賑やかとまではいかないが、幾らかの活気を取り戻していた。
そんな中、勇者ヴィーレは昼食を取りながら、引き続きイズと二人きりで待ちぼうけを食らっている。
「美味しいか? 薬草ジュース」
「うん。悪くはないわね」
「どのくらい?」
「しばらくの間、この店が経営に不自由しない程度の資金援助をしようと決心したくらい、かしら」
「めちゃくちゃ高評価じゃないか」
謎ドリンクを細目で眺めながら言葉を挟むヴィーレ。
一見、いやたとえ凝視してみたとしても、到底美味しそうには思えない代物である。
(しかも基準がよく分からん)
貴族であるイズとは金銭感覚が違いすぎて、庶民の勇者には彼女の発言について的を射た理解が得られなかったみたいだ。
ひとまず、気を取り直してから、ヴィーレは思いついた話を投げかける。
「金持ちって本当に大金を支払うことに対しての抵抗がないんだな」
「そう? 貧民と同じじゃないかしら」
「躊躇なく金を使えることが?」
「好きな商品とその生産者に向けて、積極的な資金援助をすることが、よ」
「そういう観点かよ」
「他に何があるというの」
イズは訝しげに首を傾げている。
そんな彼女の問いには気付かぬふりをして、ヴィーレは「でもさ」と言葉を続けた。
「たまにいるじゃないか。食費から趣味の必要経費に至るまで、最低限の額しか払いたがらないような倹約家が」
「倹約家……? あんた、彼らを『倹約家』と呼ぶの?」
「違うか?」
「違うわね。好きなものにすら貢げない消費者はただのケチ」
イズは速攻でこちらの発言を切り捨ててきた。
返す台詞のないヴィーレは鼻から息を吐いて、背もたれに上体を預け、押し黙る。
美少女と食事の席で向かい合っているのに、デートというよりは、面接と表した方が正解を貰えそうな堅苦しい雰囲気だった。
「いいかしら。『ケチ』と呼ばれている人々の大半は、知恵の生んだ倹約家でなく、無知の生んだ金満家よ」
膝の上に置いていたナプキンで口元を拭いてから、賢者は再び唇を開く。
説教を受けている気分だ。
「対価を払うのは当然の礼儀であり、資金を提供するのは評価と期待の意思表示なの。そして、それだけが唯一、
「あー……。つまり、『愛すべき商品、料理、芸術を発展成長させるだけの財力が自らの手元にあるのに、それを懐にしまったままにしている奴らが生産者の才能を殺している』と?」
「その通り。昨今の衆人は
「国王が代替わりしてから、世の中は一気に便利になったからな。弊害だって生まれるさ」
「それにしても、持たぬ者の堕落を助長するシステムは気に入らないわね」
「イズ。お前の話を聞いていると、この世の全てが金で決まるかのように思えてくるよ」
「あら、実際そうじゃない? 何だって買えるわ。お金があれば」
イズは両手を軽く広げてみせた後、勝ち気に笑ってこう続けた。
「『財力こそ真の力なり』。私の座右の銘なのよ」
「金で買えない物だってあるさ」
「あんたが知らないだけでしょう。どこで買えばいいのかを」
「……流石は天下の大賢者様。年不相応な達観具合だ」
「ふんっ。日々惰眠を謳歌している庶民達と一緒にしないでほしいわ」
小馬鹿にしたような嘲笑で締めるイズ。
そんな彼女をジト目で眺めつつ、ヴィーレは失礼を承知でわずかに相手の心へと踏み込んでみた。
「ちゃんと寝ないと、体のサイズがいつまで経っても年齢に追いつかないぞ」
「う、うっさいわね!」
イズは
顔を真っ赤にしてそっぽを向いている。睡眠不足からくる発育の遅さについての心当たりは、多少あるらしかった。
(今のは、初対面にしては重い軽口だったかもしれない)
ヴィーレは膨れっ面のイズを観察しながら自省した。
『リセットされた関係を復元する』
何回繰り返しても慣れない作業だ。多分、彼のように不器用な者には、一生かかっても克服できない類いの。
ともあれ、勇者は依然として賢者と仲良くなるために奮闘中のようである。
「そういえば、お前はどうして魔王討伐任務に参加したんだ?」
ロール状のパンにかぶりついてから、イズへと質問を投げる勇者。彼はリスみたいに頬袋へ食べ物を詰め込んでいる。
ヴィーレの対面に座るイズは、手で千切ったパン切れを行儀よく飲み込んだ。
彼女は片手に残ったパンを皿の上に一旦戻し、口元を手で覆い隠す。その後、こちらに呆れたような視線を寄越して、鬱陶しそうに答えてきた。
「……ありふれた理由よ。愛する家族と、書物と、それらに関わる全ての人々を守りたいから」
イズの返答にはわずかな間があった。
何かを咄嗟に隠したような息継ぎの仕方。どことなく不自然な目の動き。注意深く観察していなければ察知できないような、一瞬の動揺。
しかし、ヴィーレが彼女の不審を見逃すはずがなかった。
人参やジャガイモ、鶏肉が入った琥珀色のスープを豪快に飲み干してから、空の食器をテーブルに置く。
同時に、彼は何気ない風を装って、イズにこう尋ねてみた。
「それだけか?」
「えっ」
すると、イズは意表を突かれた声をあげた。口へ運びかけていたシルバースプーンを宙でピタッと止めている。
対して、ヴィーレは普通に食指を進めていた。
彼は相手の心を読み取ったのか、視線は料理に釘付けなまま、すぐに補足を入れてやる。
「聞いてみただけだよ。答えているお前から、命をかけるほどの気迫を感じなかったんでな。他にも特別な動機があるのかと」
何度も吐いた台詞だ。ヴィーレは滞りなくスラスラ説明してみせる。
イズが魔王討伐任務に同行するよう立候補した理由。
無論、勇者は時間遡行する前の記憶を引き継いでいるので、聞くまでもなく既に知っている。
この会話は単純に取っつきやすいから始めただけに過ぎない。広げやすい話でもあるから、ヴィーレにとっては純粋に答えてほしかった。
「それは……」
イズは言いにくそうというか、教えたくなさそうな素振りを見せている。
視線を横にずらしてから、彼女は尺を稼ぐためにシチューを慎重に口へ運んだ。誤魔化すか素直に伝えるかを決めかねているらしい。
必然、無言が二人の間に舞い降りる。
と、そこで、椅子の倒れる
「お客様、お止めください!」
直後、女性の声が騒がしかった酒場を静まらせる。
けれど、たった一人だけ、間髪入れずに彼女へ言葉を返した男がいた。
耳につく高い声が、続いてこちらに届くだろう。
「嫌な事があって疲れてんだよ、こっちはよォ。ちょっとくらいサービス良くしてくれてもいいだろ~?」
見ると、店の隅にいるヴィーレ達からは最も遠い位置で、若い女性店員が酔っぱらいの男性に絡まれていた。
男は作業着のような薄い紺色の服装を着崩している。色黒なスキンヘッドが特徴的なだけで、他は中肉中背の一般男性と変わりないようだった。
歳は二十代前半くらいだろうか。
若いわりにはくたびれた顔をしているが、軟派な態度が成熟しきっていない人間性を教えてくれている。
その隣にはマスケットに酷似した形状の銃が立て掛けられており、
(アイツは……)
ヴィーレはその姿に目を細める。露骨に嫌そうな表情だ。
それもそのはずである。ヴィーレはその男に三度も殺されたことがあるのだから。
(やっと来たか、ドゥリカ・ブラウン……!)
勇者と酔っぱらいの視線が一瞬だけ交わる。
それは、これから巻き起こる最初の事件の、小さな小さな予兆であった。
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