3話「薬草ジュースと魔銃の男」

 晴れ渡った空から放たれた日光は、酒場の中には届かない。


 その代わりと言わんばかりに、淡い暖色系の明かりがこの空間を照らしていた。頭がクラクラするような酒の匂いと、飲み屋に似つかぬ妙な静けさが場を支配している。


 そんな中、入り口から見て最も奥の席についたヴィーレとイズ。


 当然ながら、というか、彼らは向かい合って同席している。


 彼らの間にもまた、ひたすら重い沈黙が流れていた。


 自己紹介あれから酒場に入り、最後のメンバーである一人を待つことにした二人。


 だが、そこでイズにとって想定外の事態が起きる。


 勇者一行を見にきた客でもいるのか、酒場が非常に混んでいたのだ。


 周りの様子を調べてみると、確かに、『見送り』や『見張り』というより、『野次馬』の気を纏った人物が多いようだった。


 必然的に空いていた一つの席に勇者と賢者が二人で座ることになる。さっきの出来事、出会いからの事故紹介の一件もあって、とても気まずい。


 ヴィーレは勿論、イズもなかなかに居心地が悪そうだ。三秒に一回は身動みじろぎをしている。


(ていうか誰だよ、酒場を待ち合わせ場所に指定した奴。俺もイズもまだ大人というわけではない。酒の美味さなんて、全く分からんぞ)


 ヴィーレは現実逃避するように、何度も考えた事のある疑問を心中でボヤいていた。


 一方で、四角いテーブルの対角に座るイズは、時々こちらへと視線を移すが、ヴィーレと目が合った後は、すぐにそれを逸らしてしまう。


 彼女はこの動きを先程から延々と繰り返していた。


(いや、そんなに落ち着きなくされると、こっちも困るんだが……)


 お互いが相手との距離を推し量っている。


 会話の糸口を見つけようとヴィーレが苦悩するも、知り合ったばかりという事を前提に置くと、ろくな話題が思いつかない。


 イズもそれは同じようで、しきりに脚を組み直している。その際に発生する衣擦れのわずかな音だけが、二人の間にあるコミュニケーションだった。


 もしかしたら、ここが勇者にとって最初の難所かもしれない。


「ご注文はお決まりですか?」


 冒険に出る前から二人して気をり減らしていると、不意に店員が注文を尋ねにきた。


 瞬間、ヴィーレの瞳が光を取り戻す。


(グッジョブだ、店員。もうこの重い空気には耐えられない。とりあえず、これをきっかけに会話を始めよう)


 取っつきやすい食べ物、飲み物の話から始めようという算段らしい。


 ヴィーレは早速、近くの壁に飾られている布地のメニュー表を指して、探り探りにイズへ問うた。


「何か、頼むか?」


「では、薬草ジュースで」


 尋ねるヴィーレには目もくれずに即決するイズ。


(どうして数ある美味そうな品々から、わざわざそんなハズレっぽい飲み物を頼むのか。これが分からない。いや、体には良さそうだけども……)


 対して、ヴィーレは幾分か渋い表情で壁に貼られているメニューを眺めていた。


(うーん……。しかし、もしかしたら思いの外、美味いのかもしれんな。今まで頼んだことはなかったが、一度チャレンジしてみるのも良いかもしれん)


 旅に出る前から謎の冒険心を発揮してしまった勇者。


 農民として、勇者として、なんとなく飲んでおかないといけない気がしたのだろう。


 決意したように一つ頷くと、改めて店員へとその顔を向ける。


「じゃあ俺も同じものにしよう」


「かしこまりました~」


 若い店員は柔和な笑みを顔に貼りつけたままお辞儀をする。


 簡単な注文なので、メモすることもなく踵を返し、ゆったりとした足取りで厨房まで去っていった。


 と、そこで、イズがイライラしたように口を開く。


「それにしても遅いわね、もう一人の奴! 何してんだか……!」


「しばらくしたら来るだろ。苛ついていてもアイツは来ないぞ」


「それは、そうだけど……」


 息苦しい。この膠着こうちゃく状態を一刻も早く抜け出したい。


 そんな訴えが聞こえてきそうなほど、分かりやすく、空色の瞳が横へ逸らされる。


 ヴィーレの返答に言葉を詰まらせたイズは、口をモニョモニョさせながら脚を組み直した。


(本当に、できれば早く来てほしいものだ。こいつの機嫌をとるのは骨が折れるし。……ほらまた会話が途切れたぞ)


 再び訪れた沈黙を破るべく、ヴィーレが話題を考えていると、意外なことに、今度はあちらから話を振ってきた。


「ところであんた、本当に『瞳が赤い』ってだけで勇者に選ばれたの? 実は何か特別な呪文が唱えられたり、膨大な量の魔力があったりしないわけ?」


「その事か……。まあ、勘ぐりたい気持ちは分かる。俺だって初めはそう思ったさ」


 ヴィーレは瞑目して続けた。


「赤い眼をしているってだけで、こんなヒーロー役をやらされるなんて、明らかにおかしいしな」


「それなら……」と見る目を変えた少女に先んじて、片手で彼女を制し、肩を竦めてから付け加える。


「だが、残念ながら違うみたいだ。俺はどうやらごく普通のありふれた一般男性だったらしいぞ。赤い眼は除いてな」


 こちらの言を耳に入れた瞬間、イズは打って変わって馬鹿にしたようで、どこか安心したような笑いを漏らした。


「てことはやっぱり役立たずなのね……。それじゃあ、あんたのことは『全く戦えないお荷物』って認識でいいのかしら?」


 賢者様はわざとらしく一部を強調して確認してくる。


(さっきから文言に毒やら棘やら色々含んでくるな、コイツ。もう慣れてるから別にいいんだが)


 ヴィーレはチクチク刺さる言葉の針をものともせずに返事を返した。


「少しなら戦えるぞ。呪文も一つだけだが使えるしな。まあ、邪魔になるだけかもしれんが」


 勇者が扱えるという呪文も、はっきり言って彼には使いこなせていないものなのだ。


 できることならヴィーレだって、炎を飛ばしたり、電撃を纏ったりしたいだろう。時間を止める呪文や分身する呪文に憧れた時期もあるはずだ。


 だが、現実は甘くない。


 義務を負わされた者に、それを遂行する能力が伴っていない失敗は、あらゆる状況においてしばしば見られる現象だ。


「へぇ~。そうなの」


 勇者の言葉に優越感を満たしたのか、呪文を三つも使えるイズは「ふふん」と鼻を鳴らして返答した。


「とにかく、足を引っ張ることだけはしないでよね」


「了承はできないが、善処はするよ」


 腕を組んで当たり障りの無い返事をするヴィーレ。


(めっちゃ釘刺してくるじゃん……。別に俺のこと置いて行ってもいいんだぞ?)


 声に出さずに紡がれた彼の言葉は辟易としたものだった。







 所変わって、ユーダンクをぐるりと囲う壁の上。


 そこに点在している見張り台の一つには、銃を肩に担いだ男が、ふて腐れた態度で街の警備をさせられていた。


「ったく、ムカつくぜ……」


 色黒のスキンヘッドを乱暴に掻きながら、上級の制服を着た男は独りごちる。


 彼はルーキーの傭兵だった。


 しかし、二十三歳という年齢に反して、現在は最高ランクの任務を受けて王都の対空迎撃部隊に就いている身分である。


 男の不機嫌の理由は至極単純だ。


 若くして才のある彼は、組織に属する者としては、如何せん奔放ほんぽうすぎたのだ。


 遅刻と早退はしょっちゅう。団体行動においては仲間とのいざこざも日常茶飯事で、暴力沙汰や命令違反まで犯す始末。


 数ある問題行動に、とうとう今朝を入れられてしまった。


「『生産性のないクズ』だとか好き勝手に罵りやがって……」


 男は椅子に座って、目の前のテーブルに刺さっているナイフに手をかけた。


 レディを扱うような紳士さで長銃を近くの壁に立てかけると、今度は荒々しい所作でナイフを抜いて逆手に持ち、刃を大きく振りかぶる。


 そして――――


「人を語るのに『生産性』なんて言葉を使うなよッ! 機械じゃねえんだぞ、機械じゃあ!」


 それを力の限りテーブルに叩きつけた。刃が机上に深々と突き刺さる。


 だが、彼は間をあけず、再びそのナイフを引き抜いた。


 そこからはまるで地団駄だ。


 癇癪かんしゃくを爆発させながら、男は何度も、何度も、何度も、軍の設備である見張り台の卓に八つ当たりをする。


「『前例に倣った命令を出している』だと? 前例って何だよ! 都合の良い免罪符か!? あァ!?」


 憤懣ふんまんやる方ないといった様子で放たれる叫び声は、数十メートルも下の地上へ届きそうなボリュームだった。


 上司の顔をテーブルの上に思い浮かべながら、そこへ刃で穴を開けていく。


「そもそも、一発の指導で仕事を覚えろってのが無理な話だ……! 『一を言われたら十を理解しろ』とか、『臨機応変に常識的な対応しろ』とかってのはよォ~! 云十年って経験を積んだ奴らだからこそ押しつけられる空論だろ……ッ!」


 もっともらしい事を愚痴としてこぼしているが、元はと言えば彼の問題行動が原因でなされた指導である。


 男がやっているのは幼稚な責任転嫁にすぎなかった。


「『アイツにはできたんだから、お前も当然できるはずだ』って? 勝手に買い被ってんじゃねえッ!」


 最後に、叩き割らんばかりの激しさで右手を振り下ろす男。


 瞬間、その音に被せるように、ユーダンク内に鐘の音が響き渡った。町に三つ設置されている時計塔からの知らせだ。


 だが、それは定刻を報告する類いのものではない。


 『緊急警報』だ。


 町の上空に飛行タイプの魔物が現れたとき、通常の緩やかな間隔と違って、鐘は一秒に二回の頻度で延々と鳴り続ける。


「チィ……ッ!」


 男はそのやかましさに顔をしかめる。


 視線を上げてみると、なるほど町の領空には、巨大なとんびが雄々しく気高く羽ばたきながら、外出している人々を狙って舌舐めずりをしていた。


 やはり。それは『魔物』だった。


 警報を聞いた国民は走って建物内に避難しようとしているが、相手は体長五メートルに及ぶ怪鳥である。


 このまま放っておけば被害が出てしまうのは自明の理だった。


「たかが一匹相手に騒ぎやがって……」


 しかし、男にとってそれらの事情はどうでも良かった。


 ナイフから手を離し、『魔銃』をハラリと抱き寄せる。体内の魔力を自動的に弾丸に変換してくれる彼専用の特殊な武器だ。


 男はそれを流れるように構えると、念じることで魔銃に弾を込めた。


「カンカンカンカン、カンカンカンカン……ッ! どいつもこいつもうるせえなァ~!」


 猛犬のように噛みついて、彼は一人で怒鳴り散らす。


 即断即決で射出される弾丸。


 それは直近の時計塔に直撃して鐘を殴りつけた後、跳弾してから魔物の頭部を的確に撃ち抜いた。


「静かにしてろ。せっかく眠っている俺様の才能が起きちまうだろうが」


 愛銃を元の位置に戻しながら、男はテーブルの上に足を乗せた。とことん行儀の悪い男だ。


 椅子に座ったまま、彼は目を瞑って黙想する。


 その頃には、鐘の音などとっくに鳴り止み、鳶の魔物も力なく地上へ落下していた。


 けれど、怪鳥の体は地面に着く前に空中で消失する。


 魔物は死体を残さない生き物なのだ。通常の物理法則では測りきれないその特徴は、彼らが不可思議の『怪物』と怖れられる所以ゆえんの一つである。


「ふぅ~……」


 魔物が死に絶えた様子も確認せずに一息つく男。


 周りの騒音は無くなった。しかれど、こうしてジッとしていると、今朝の不満が再び頭をもたげてくる。


 男は何とか薄っぺらの自制心をもってそれを制御しようとしてみた。


 足首は貧乏揺すりで忙しなく動き、歯は欠け落ちそうなほど強く軋んでいる。相当我慢が苦手な性分であるらしい。


 そんな彼が限界を迎えるのに、そう時間はかからなかった。


「……よしっ! めだ、め! こんな気分じゃあ、射撃の照準も定まらねえぜ」


 そう言うと、男は雑念を振り払うように立ち上がった。


 意気揚々と銃を肩に担ぐ。


 するとそこで、卓上にある弾丸の薬莢やっきょうへと目がいった。先ほど射撃を放った時に卓上へ落ちたのだろう。


 まだ温かい鉄の塊は、ある方角を指し示している。


「ふむ……。お前は酒を飲みたい気分か……」


 男は銃に語りかける。


 薬莢の指差す方向に目をやると、そこは日陰になって隠れている飲み屋街の小道だった。


 まさしく男の求めていた『静寂』が満ち満ちている場所である。


 それに、この時間の酒場なら、バッタリ上司と出くわすこともないだろう。今はとにかく現実から逃避したい気分だった。


「悪くねえ。悪くねえぜ、そのチョイス」


 彼は柏手を一つ叩いて、着用していた制服の上着を脱ぎ捨てた。


 椅子に掛けていた普段着の袖に手を通し、休憩時間でもないのに颯爽と身を翻す。


 今日は仕事をサボる日だと決定されてしまったみたいだ。反省という文字を知らない典型的なダメ男である。


「ちょうど酒に呑まれたいと考えていたところだ」


 小悪党めいた笑みを浮かべて、彼はその場を去っていく。


 残されたのは、ズタズタになったテーブルと、ヴィーレ達のいる酒場を指した薬莢やっきょうだけであった。

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