第2話 『わくわく』
夜が来た。
王都中のあちこちから彼女を称える声、彼女を謳う吟遊詩人の歌が聞こえる。
どこの店も、人で溢れかえっている。英雄の凱旋とばかりにビールが飛び交い、香ばしい臭いが王都の街を優しく包む。
だが、お食事処『カウディーレ』には、誰一人として人は寄りついていなかった。
みすぼらしい看板と、豪華絢爛な王都に似つかわしくない古ぼけたままの佇まいが人を寄りつけなくしていたのだ。
客の目を引くようなメニューの看板も無い。
客の鼻を引きつけるような香ばしい臭いも無い。
客の耳を駆り立てるような食事処の喧噪も無い。
王都にあって王都にない。
汚らしいローブを羽織って、全身を隠している。
手に持った麻袋をいったん地面に置いて、ノックをするかしまいかすらも迷っている様子だ。
そんなときだった。
ギィ、と。
小さく扉が開いた。
中は灯火魔法による薄暗い橙色の温かい光でで満たされていた。
「今日は随分遅かったじゃないか。来ないんじゃないかと思ったよ」
不適に笑いを浮かべる中の青年に、ローブ姿の人物は胸をほっとなで下ろした。
「……」
「相変わらずガードが堅いんだな。いいぜ、特等席は空いてるよ」
青年の言葉に従うように、ローブの人物はそそくさと店の中に入っていった。
青年は、ローブの人物が店の中に入るのを見計らって扉を閉める。
ローブを剥いだその人物の金髪ポニーテールがふわりと揺れた。
○○○
「わくわく。わくわく!」
「アンタそれ、普通声に出して言うことじゃないだろう」
「ふふふ、甘く見てもらっては困りますね。最近の私はこれを生きがいにしているんですから」
「そうですかい、そうですかい。そりゃ光栄なことですよ。
「そ、その名はここでは言わないって約束じゃないですか! ズルいですよ、クルトさんっ!」
「っははは、そりゃ悪かった」
厨房とカウンター越しに会話をしていた男女。
一人は、つい昼頃まで王都凱旋の真ん中にいた女性だった。
昼に見たキリリとした厳しい目つきに、仰々しい銀鎧とは大きく打って変わっている。
ふんわりと柔和な笑顔に、ほんのり赤らんだ頬。ぷるんとした柔らかそうな唇は、昼間の
ローブを脱いだ彼女は、白いブラウスと花柄のロングスタートに身を包んでいる。
王都でも少し裕福な女性が着飾る服装は、こんなボロい庶民的とも言えないような食事処には少しだけ、豪勢すぎるように思えた。
対照的に厨房を挟んだ向かい側には小綺麗なエプロンを身につけた、クルトと呼ばれた青年がいた。
綺麗に揃えられた黒い短髪に、爽やかな表情。王国男児に良くある「冒険者となって武勲を上げてやろう」などと言う野望が微塵も感じられない。
だからこそ、シルファの拠り所になっているのだが――。
シルファは差し出されたお茶を一口含みながら、辺りを見回す。
「本当に、今日も人っ子一人いないんですね」
「ま、メニューも出さなけりゃ看板も薄汚い。路地裏に
「私としては嬉しいことこの上ないですね。お店にとっては、商売あがったり――といった所でしょうけど?」
出される料理への楽しみや期待値を隠せないシルファが、満面の笑みを一つも曇らせずに言う。
「……そうでもないかもな」
シルファ・ラプラスは王国の英雄であり、最高峰だ。
だからこそ常に民の模範であり、民の象徴であり続けねばならない。
そんなシルファが心を許せる唯一の場所こそが、この古びた食事処『カウディーレ』だった。
無邪気な笑顔でクルトの料理を待ち望むその姿は、まるで一人の気の強いお姫様のようだ。
「で、クルトさん! 今日のお料理は何ですか?」
「あぁ、そうだな。頼まれてたやつ、持ってきてくれたかい?」
「もっちろんです。遠征先のサルディア皇国原産、マンドラゴラでしたっけ。ちょびっと、あそこの人とは縁があっていただいちゃいました。ほら、この袋の中!」
「それは助かる。俺も、伝説の食材とやらはお目にかかってみたかったからね」
そう言ってシルファは腰に提げていた小袋をクルトに手渡した。
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