第302話 レッドリスト
『・・本当に良いのですか?』
疑わしげに問いかけたのは、白蝋のような肌色をした白髪の女だった。
魔王である。
元々は、地蜂の魔王種だったらしいが、今は限りなく人に近い姿をしている。自分の外殻から生み出したのだという灰色の甲胄を身に纏っていた。
「良いとは?」
シュンは魔王に訊き返した。
『我らは、
「俺にとって種族は判断材料に入らない。迷宮の発展の為に役に立つか立たないか、それだけだ」
『迷宮の・・しかし、我らに命じられた事は野外の・・迷宮外における活動でしたが?』
訊ねたのは、元は軍隊蟻だという魔王種である。こちらは、赤みがかった銅のような肌色をした青年の姿をしていた。
現在、魔王にまで進化して生き残っているのは2体だけだった。
「ああ、そう見えるか」
『・・違うのでしょうか?』
「おまえ達なら、この世界を律する
『・・はい』
「これから先、必要に応じて世界の理が更新される。この理は、生き物のための理では無い。迷宮のための理だ。そのつもりで認識を改めておけ」
シュンは2体の魔王を見ながら言った。
「主神様の迷宮が世界の中心だ。迷宮にとっては、人種も魔王種も価値は等しい。ただし、迷宮の理を遵守するならば・・だ。以前のように、迷宮に攻め込もうとする人間の王国、魔王達は速やかに処分し、世界から消えてもらう。逆に、迷宮の理を守って行動するならば、何をしようとも関与しない」
『・・迷宮勢が造った町に攻め込まず、野外を出歩く
蜂種の魔王が訊ねた。
「当然だ。おまえ達が人種を獲物だと認識している以上、獲物を狙い続けるのは当たり前の行為だろう。人種の側は、それを警戒し防衛に努めれば良い」
『こう申しては失礼ですが・・それは、あまりにも人種にとって不利なのでは? 我々魔王種は、元々人間を駆除するために生み出された生物だと理解しています。生命力、繁殖力は元より、俗に言う攻撃能力も圧倒的に人間よりも高く・・』
「勝負にならないか?」
『・・はい』
蟻種の魔王が素直に頷く。
「では訊くが、魔王種が生まれる前の世界では、蟻も蜂も人間より弱かったはずだ。それでも、蟻や蜂は絶滅しなかっただろう?」
シュンは訊ねた。
『それは・・そうですが』
「ただ人間を狩れという事なら、おまえ達を呼んだりしない」
『・・適度に間引けと?』
「そういう事だ。無闇に俺に勝負を挑まず、息を潜めていたおまえ達なら分かるだろう?」
立場を逆にして考えろ・・と、シュンは言った。人間が息を潜めて生き延びる程度に襲えと。
『なるほど・・』
「魔王に進化したおまえ達は適用の外だが、それ以外の魔王種には、元になった虫と同等の寿命がある。そうだな?」
『はい』
『その通りです』
すでに、魔王種に変異する虫は、地蜂と軍隊蟻に限定してある。そして、それぞれの寿命は長くない。
「多少やり過ぎたとしても、神殿町に住んでいる人間が居る。人種は絶滅しない。ああ・・アリテシア神殿が建てられた町には気を付けろ。迂闊に近付けば龍人の衛士が出る」
シュンは街道の要所要所に、神殿のある町を造るつもりでいた。すでに数カ所で造り始めているが、すでに造りかけの段階から龍人を衛士として置いてあった。
「無論、これまで通り、人間の側も反撃はするだろうが、間違って迷宮の探索者に手を出さない限り、大きな被害を受ける事はあるまい。それから、海を渡った南方の大陸に機人の国を作る予定だ。あれは、魔王種の食用には適さないと思う」
ざっと説明をしてから、シュンは、何か質問はあるかと魔王達に問いかけた。
『すべて、承知致しました』
『御心のままに・・』
両魔王が恭しく低頭した。ほぼ同時に、魔王の足元に転移の魔法陣が浮かび上がり、何処かへ消えて行った。
「次は、人間か」
シュンはユキシラの報告書に目を向けた。
先日、流民街で『王家に所縁のある』と称していた連中は、ただの
自分達が騙った王族や貴族については多少の知識は持ち合わせていたから、まったくの無縁という訳では無かったのだろうが、私兵か何かだったのだろう。
「シュンさん?」
不意の声と共に、ユアナが瞬間移動をして姿を現した。
「どうした?」
「前に壊しちゃった城の人が来たみたいです」
「・・どの城だ?」
方々で色々な国の王城を潰しているが・・。
「聖なんとか?」
ユアナが小首を傾げた。
「セルフォリア?」
「そう! そんな感じ!」
ユアナが手を打ち合わせた。
「あそこは更地にしただろう?」
確か、近くに何とかという神殿があって、魔神騒ぎがあったと記憶している。地面の起伏を均し、ルドラ・ナイトを使った模擬戦が出来る闘技場を建造中だった。
「その時の生き残りみたいですよ。死にそうなお爺さんと暗い顔の子供が一緒でした」
「どうやって来た?」
そんな状態の老人と子供が、自力で神殿町まで辿り着けるとは思えないが・・。
「あっ、来たと言っても、アレクが拾って連れてきただけです」
「ああ・・そういう事か」
シュンは納得した。そう言えば、アレクはどこかの山に籠もっていた集団を確かめに行っていた。そこで拾ったのだろう。
「王族か貴族か、そんなのらしいです」
アレクがそう言ったらしい。
「まだ息をしているのか?」
「今、"ケットシー"の子が治療していますから大丈夫です」
「会ってみよう」
シュンは、ユキシラの報告書を読みながら所在地名と地図を見比べた。それなりの集団を形成している組織の所在地だ。いずれも、数千名程度の集団だった。アレクが訪れた場所もその1つだ。
「もう人間が生きて行ける場所なんて、少ししか残っていないのに・・まだ何かやると思います?」
ユアナが、シュンの手元にある地図を覗き込んだ。
「まだ、昔の事が忘れられない者は多いだろう。ぽつぽつ点在しているだけだが・・」
シュンは苦く笑った。
「そう言えば・・流民街で訪問診療を行っていた"ケットシー"に、商人のグループが接触してきたそうですよ。シュンさんに会って話がしたいと言っているとか」
「ロシータは何と?」
商取引の窓口は、ロシータだ。そのロシータを越えて、シュンに会おうと申し出た時点で、商人達は大きな過ちを犯している。
「元貴族の使者を兼ねた者が混じっているんじゃないかって言っていました」
「そうだろう。これから、そういう連中が増えそうだな」
シュンは苦笑しつつ、ロシータからの報告書に目を通した。
「ロシータが、面倒だから全員に薬を盛って喋らせようかって言っていました」
「それで良い。死なない程度にやるよう伝えてくれ。通貨の種類と出回る量を調整できる以上、こちらに取り引きの旨味は無い。金と物の流れは、すべてこちらの都合で構築する」
取り引きなど全く無くても良いのだ。迷宮は困らない。マーブル迷宮は、完全に自給自足で存続できる。
「あれって、偽造したらどうなるんです?」
「偽造が発覚した場所に、龍人の衛士が派遣される」
「・・地獄絵図ですね」
ユアナが笑う。
「やった本人は良いにしても、周辺の住人は悲劇だな」
シュンは、読み終えた報告書をユアナに返した。
「行きます?」
訊ねながら、ユアナがシュンの手を取った。
「そうだな」
シュンが頷いた直後、ユアナに手を引かれて瞬間移動していた。
そこは、神殿町の外に設けられた神官の待機所になっている平屋の建物だった。
玄関扉から建物の中に入ってみると、
「おう! 大将っ! 帰ったぜ!」
アレクが大きな声を出しながら手を振った。
「人を拾ったって?」
「よく分からねぇが、牢の中で死にかけてたぜ」
「牢? 閉じ込められていたのか?」
「坑道を使った半地下の砦みてぇなのがあってよ、そこの代表だって奴がぐだぐだうるせぇからぶん殴ったんだが・・」
アレクが拳を軽く振って見せる。
「あれだ・・つまり、内輪揉めってやつだ」
「・・そうか」
シュンは頷いた。かなり、間が端折られているが、おおよその状況は分かる。そして、それ以上の詳細を知る必要は無い。
「う~ん・・あのお爺さん、見覚えがあるかも?」
寝台が並んだ部屋を覗き込み、ユアナが小首を傾げた。
「何処の誰でもいいが、酷く痩せているな。他の連中も痩せていたのか?」
シュンはアレクに訊ねた。
「どうだったかな? それほどじゃ無かったと思うぜ?」
「そうか。よく連れて来る気になったな?」
「ああ、そっちの小さいのが・・」
アレクが部屋の中を指差した。
「どっちだ?」
「右の奴だ。あいつが殴りかかって来たからな。まあ、足が
アレクが笑う。
「なるほど・・」
シュンは苦笑した。気紛れだったのだろうが悪くない判断だ。
「シュン様、意識が戻ります」
治療に当たっていた"ケットシー"の少女が戸口のシュンに声を掛けた。
「私達は外しましょうか?」
「いや、そのままで良い。しかし・・こんな口で何か話せるのか?」
老人は酷く
「歯を再生しましょうか?」
"ケットシー"の少女が訊ねる。
「そうだな。やってくれ」
シュンは老人の様子を見ながら頼んだ。すぐさま、神聖魔法の光が部屋の中を明るく照らす。
「・・ぁ」
神聖光を浴びながら、老人がゆっくりと目を動かして治療に当たっている少女を見つめ、隣の寝台に寝かされている2人の子供・・それから戸口に立っているシュンを見た。
「あぁ・・貴方は・・貴方様は・・」
老人が震える声で呻くように言った。
「御使い様・・」
「俺を知っているのか?」
シュンは部屋の中に入った。
「セルフォリアという国で宰相をしていた者で御座います。王城で一度、お目にかかりました」
「その宰相が、なぜ牢に?」
「・・色々と御座いましたが・・」
「直近の話だけで良い」
「・・配下の騎士によって幽閉されました」
老人が端的に答えた。
「なぜ、殺されなかった?」
「騎士達は、私達が王家の隠し財産の在処を知っていると思い込んでいたようです」
「馬鹿げた話だ」
シュンは興味を失った顔で吐き捨てると、そのまま部屋を出ようとした。しかし、ふと足を止めて老人を振り返った。
短いやり取りだったが、この老人に興味が湧いたのだ。
「おまえは、この世界の実情をどこまで理解している?」
シュンは質問をぶつけた。
「新しい神の世になり、神のお力で多くの迷宮が出現した事・・までは、夢で見ました」
「人間よりも強く、数が多い敵が存在する事は?」
「・・虫の化け物でしょうか?」
「王や貴族という地位が意味を失った事を理解しているか?」
「・・王という存在に権力があると勘違いをしている者が多い事は想像できます」
わずかに考える間を置くだけで、老人がすらすらと答える。ろくに食事を摂れていないだろう痩せ衰えた状態で、頭の方は明敏に回るようだった。
「宗旨は?」
シュンは老人の目を見た。
「お許し頂けるなら、アリテシア教に入信したく思っております」
老人の答えを聞いて、シュンはユアナを振り返った。神聖術で言葉の真偽を確かめていたユアナが小さく頷いた。
「連れの子供は?」
シュンは、隣の寝台に横たわる2人を見た。
子供とは言っても、少年と少女、どちらも十代半ばに達している。この世界では成人だ。
「2人共、まだまだ分別の足らぬ未熟者ではありますが愚か者ではありませぬ」
これまでとは違い、老人が婉曲に庇う物言いをした。肉親なのかも知れない。
「おまえは働けるか?」
シュンは老人の顔を見た。
「・・なんと! この老害めにお役目を与えてくださると?」
老人が体を震わして声を絞り出した。
「害になるかどうかは働き次第だ。神殿町に学校がある。そこで教師をやれ・・名は?」
「グリストン・ヒュ・・いや、グリストンと申します」
老人が何とか身を起こそうと上体を震わせながら名乗った。
「よし、グリストンには学園で世界の歴史を語ってもらおう」
そう言って、シュンは隣の寝台を見た。
「グリストンが、そこで寝たふりをしている奴の保護者という事でいいな?」
「・・お恥ずかしながら、その通りで御座います」
グリストンが寝台で身を硬くしたまま動かない2人を見つめた。
グリストンが"保護者"になるという事は、2人は成人と見なされないという事だが・・。
「治療と食事を与えてくれ」
シュンは"ケットシー"の少女に声を掛けて部屋を出た。
後ろをユアナとアレクがついてくる。
「あの爺さんが学校の先生をやるのか?」
アレクが訊ねた。
「たった2人の生徒も教えられないようだが・・しばらく、試してみよう」
「ふうん・・おお、そうだ! ロシータの奴が、流民街の商人と会えと言ってんだが、俺で良いのか? あれだろ? また小煩い理屈を並べる連中だろ? また、やっちまうぜ?」
「神殿町に入れなければいい。好きにしろ」
シュンは答えた。
どの道、"外"は荒れる。
もう、すべては決定され、動き出している。交渉事が入り込む余地は無く、それに付き合うつもりも無い。
人間を見捨てた訳ではない。各地に造っている神殿町が、ある程度の人数を収容できるようになる。しかし、先日の一件で、入植資格に王侯貴族では無い者という条件が加わりそうだ。
(まだ改定前だ。あの老人は運が良かったな)
シュンは胸内で苦笑した。キャミとアンナが、ロシータやアオイに働きかけているらしい。近いうちに、困り顔のロシータが相談に来るだろう。
「大将! 世界の理ってのは、もう書き換わったのか?」
「マーブル主神が忘れていなければな」
シュンは足を止めて空へ目を向けた。
あの主神様は、意図的に頼み事を忘れる癖がある。きちんと履行してもらえるよう、方々に働きかけておく必要があるかも知れない。
あと一息といったところか・・。
「綺麗な嫁さんを貰ったし、惚けて忘れてんじゃねぇか? 女の尻ばっかり追いかけ回して、約束忘れるようじゃ困るぜ、まったくよぉ! ちゃんと仕事しろってんだ!」
アレクが大声で言って豪快に笑った。それをユアナが横目で睨んでいる。握り固めた拳が剣呑な光を帯びていた。
=====
2月22日、誤記修正。
長く無い(誤) ー 長くない(正)
十代半(誤) ー 十代半ば(正)
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