第301話 怒れるアンナ


 アンナの鍛冶場で、ささやかな祝言を挙げた。


 ジナリドの慣習に従った質素なもので、煮た白豆、干した川魚、魚卵の佃煮、赤イェシの餅・・これを新郎新婦が信仰する神に捧げ、祝いの酒を酌み交わす。


 今日か、明日かと待ちわびていたらしく、アンナがキャミに頼んで、ずっと準備をし続けていたらしい。

 駆けつけたキャミの差配で、瞬く間に場が出来上がり、エラードとミト爺が連れて来られて、シュンとユア、ユナを上座に、アンナ達が祝いの言葉を掛ける。


 祝言を終えた後、流民街にある料理屋を借り切っての宴席となった。

 座を囲んでいるのは、引き続き、アンナ、エラード、キャミ、ミトの4人である。


 それが、ユアとユナの願いだった。


「シュンさん流」


「旦那様の流儀でやる」


 この日の事を考えていたのは、シュンやアンナ達だけではなく、ユアとユナも色々と考えていた。


「良かったのかい? ユアちゃん、ユナちゃんの世界とやり方が違うんじゃないかい?」


 アンナが2人を気遣う。


「ふふふ・・マミー、郷に入っては郷に従えですよ」


「ふふふ・・私達はシュンさんの嫁となったのですよ」


 ユアとユナが立ち上がって胸を張った。すでに祝いの酒が回って真っ赤な顔になっている。


「・・おい、シュン。あの2人は飲めるのか?」


 心配になったエラードがシュンの耳元で囁く。何しろ2人は姿が幼い。


「さあ? 酒を飲むところを見たのは初めてだ」


 シュンは静かに酒杯を空けながら言った。

 こちらは、まったく顔色を変えずに黙々と飲んでいる。


「良いじゃない! お祝いの席なんだから!」


 キャミがはしゃいだ声をあげて、ユアとユナに持たせた酒杯に澄んだ蒸留酒を注ぐ。


「可愛いお嫁さん達に、乾杯っ!」


 キャミの音頭で、みんなが酒杯を呷って飲み干す。


 すかさず、新しい酒を注いで回り、


「素敵なお嫁さん達を捕まえてきたシュン君にっ!」


 再び、キャミが酒杯を高々と掲げる。


「乾杯じゃっ!」


 ミト爺が唱和しながらひと息に酒杯を空けた。


「乾杯っ!」


「乾杯っ!」


 エラードとアンナが酒壺を掴んで唱和した。


「乾杯っ!」


「乾杯っ!」


 ユアとユナが派手に酒をこぼしながら笑顔で酒杯を突き上げた。


「おう! シュン! ちっとは気の利いた声くらい掛けねぇか!」


 エラードが酒瓶ごと蒸留酒を呷りながらシュンの肩を乱暴に抱いた。


「こんな、可愛い嫁を貰っておいて、披露の言葉くらい言わんか?」


 逆側からミト爺が寄って来て背中を叩く。

 それを見たアンナとキャミが、そうだそうだと囃し立てた。

 さすがに、シュンが小さな頃から見知っているだけあって遠慮が無い。


「・・そうだな」


 シュンは、大きく頷いて立ち上がった。

 ユアとユナが空になった朱色の酒杯を持ったままシュンを見る。


「俺の伴侶となってくれたユアとユナに・・」


 シュンは酒杯に酒を満たした。それを見て、全員が酒杯を手に取る。


「愛おしいという気持ちを教えてくれた二人に、俺のすべてを捧げる。これは誓いの杯だ」


 そう言って、シュンは酒杯を呷った。


 途端、



 キャァーーーー・・



 キャミの甲高い声が響き渡った。


「よく言ったぁーー! それでこそ、ジナリドの男だぁーー!」


 エラードが吼える。


「うむっ! うむっ! よう言った!」


 ミト爺が膝を叩きながら体を揺らす。



 ゥアァァァーー・・



 横で、アンナが顔を両手で覆って大泣きを始めた。


 わずかに遅れ、ユアとユナがシュンに抱きついた。

 2人とも酔っていたが、この日のシュンの言葉を忘れる事は無いだろう。


「シュンさん!」


「シュンさん!」


 ユアとユナが涙を浮かべて名を呼び、シュンの頬に口づけをする。


「・・嬉しいよ」


「・・嘘みたい」


「俺は嘘を言わん」


 シュンは床に膝を突いて2人を優しく抱き締めた。


「うん」


「うん」


 ユアとユナが涙で頬を濡らして頷いた。


「そして、俺は捕らえた獲物を逃がさん」


「うん」


「うん」


「大切にする。ユア、ユナ」


「・・うん」


「・・うん」


 何度も何度も、ユアとユナが頷いた。


 その様子をアンナがまじまじと凝視し、後ろに隠れるようにしてキャミが覗き見ている。


「くあぁぁーー・・なんでぇ! 見せつけてくれるじゃねぇか!」


 エラードが上機嫌で言いながらシュンに絡もうとした瞬間、アンナの豪腕が一閃され、エラードがくの字に身を折って崩れ伏した。


「さっすがアンナさん」


 キャミがアンナの逞しい背を叩く。


「邪魔はさせないよ」


 呟いたアンナが、シュンと抱き合うユアとユナを見たまま涙を滲ませている。


 それをちらと横目に見ながら、ミト爺が楽しそうに相好を崩し、黙々と酒杯を呷っている。


 その時、


「・・あのぅ」


 店の女中が引き戸を開けて顔を覗かせた。


「どうした?」


 シュンは女中の顔を見た。


「あ・・あの、申し訳御座いません。その・・階下のお客様が・・その、少しお声が大きいと」


 酷く言いにくそうに女中が言った。


「今日は、ここを借り切ったはずだが?」


 シュンはわずかに眉をひそめた。


「あっ、は、はい・・そうなんですが、どうしてもというお客様がいらっしゃいまして・・」


「なんだい、水をさすねぇ」


 アンナが怒り顔で立ち上がった。


「・・あ? どうしたい?」


 エラードが痛む腹をさすりながら身を起こした。


「どこの馬鹿なの?」


 キャミが腕まくりをしながら女中を睨み付ける。そのキャミの目が据わっていた。非常に危険な兆候である。


「い、いえっ・・その・・も、元っ、王家に所縁のあるという方々で・・だから、その」


 真っ青な顔で、声を震わせる女中の横を通り、アンナを先頭にエラードとキャミが部屋の外へ出て行った。


「行かんのか?」


 ミト爺が空になった酒瓶を揺すりながらシュンを見た。


「アンナ達が、少し暴れてからにしよう」


 シュンは、ユアとユナを両腕に抱いたまま目を閉じた。その口元に薄らと笑みが浮かんでいる。


 やはり、魔物や魔王種よりも、人間が一番愚かしい。こういう諍いが嫌だから、貸し切りにしたというのに・・。

 店の主人も、強引に入った客も愚かだった。


(やれやれ・・運が無い奴等だ)


 他の土地なら未だしも、マーブル迷宮外に隣接する流民街ですら、元王家だという権威が通用してしまうというのは驚きだった。

 出自など何の意味も持たない世界になっている事が分からないのだろうか。


 あまりにも馬鹿馬鹿しく、笑えない話だった。


(一度刷り込まれたものは、簡単には忘れられないという事だろう)


 小さく息を吐いたシュンを、ユアとユナが間近に見つめる。


「シュンさん?」


「どうする?」


「この店の人間に怪我人が出れば最低限の治療を。客の方は放置でいい」


 シュンは、引き戸の向こうで硬直している女中に目を向けた。


 客が何者であったのか、ようやく分かったらしい。そして、なぜ貸し切りになっていたのか・・。


(あぁ・・アンナが怒ってるな)


 階下から馴染みのある霊気が噴き上がった。続いて噴き上がった霊気はエラード、そしてキャミのものだ。あまり多くは語られないが、3人の中ではキャミが一番武勇伝が多い。ジナリドで敵に回してはいけない三人衆がそろい踏みである。


「死にたくなければ、そこを動くな」


 シュンは女中に声を掛けた。その声に、ひれ伏したまま女中が背を震わせた。


 すでに階下では重々しい震動音と苦鳴、何かが砕ける音が聞こえ始めている。一切言葉を交わさず、問答無用でアンナ達が襲いかかったようだった。


「マリン・・この店から外へ逃げようとする奴を捕まえろ」


 シュンに呼ばれて、真っ白な精霊獣が姿を現した。


『はいです~』


 マリンが、楽しそうに声をあげながら外へと飛び出して行く。


「リール、流民街の衛士を停止しろ」


 シュンは"護耳の神珠"で指示をした。


『了解じゃ』


 なぜとも問わず、リールが答える。


「王だの貴族だのという連中を間引いておいた方が良いのかも知れないな」


 魔王種が暴れていた時には息を潜めていた連中に、今になって大きな顔をさせてはいけないだろう。

 元々、特権階級の人間の数などわずかなものだ。全員を処分しても、人間という種が滅びる事は無い。


「・・少し話を訊いてみるか」


「もう下に行く?」


「マミーのHPは減ってないよ?」


 ユアとユナがシュンの腕から解放されながら、体に神聖魔法を纏わせる。


「ジェルミー」


 シュンの声に応じて、美麗な女剣士が姿を現した。


「ミト爺を護れ」


「畏まりました」


 腰の刀に手を触れながら、ジェルミーが折り目正しくお辞儀をする。


「行くぞ」


 シュンは、ユアとユナに声を掛けて廊下へ出た。


「アイアイ!」


「ラジャー!」


 敬礼をした2人の瞳が危険な光を帯びている。


「さすがに、かばえんのぅ。ちと塩気が強いが、良い味をしとるし、料理人の腕は良いんじゃが・・」


 ミト爺が炒り豆についている塩を舐めつつ、酒杯を呷った。


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