第295話 伝来のカラクリ


 宵闇の女神が膨大な数の蚊に覆い尽くされて真っ黒になったまま動かなくなった。

 苦しんだ時間は非常に短い。

 短時間でとてつもない量のダメージを浴びて無抵抗のまま死んでいた。


 シュンがVSSを手に観覧席を見上げた時、


『宵闇の女神の送魂を確認した。勝者っ! 使徒シュン!』


 闘技場内に、バローサ大将軍の声が響き渡った。


(・・終わったか)


 シュンは、宵闇の女神の死骸を眺めた。甲胄や剣は良い物なのだろうが、正直なところシュンには不要な物だ。"魔神殺しの呪薔薇テロスローサ"やテンタクル・ウィップのように手に馴染んだ武器なら良いが、今更、新しい武器を使う気にはならないのだ。


『それは良い品ですよ?』


 そう言いながら姿を現したのは、死の国の女王だった。横に、デミアとバローサが控えている。


『"鬼王蜂の毒棘イゴレーダ"という名です。剣というより針なのですけど』


 死の国の女王に促され、デミアが細身の長剣を拾い上げてシュンの元へ持って来た。

 少し考えてから、シュンは剣を受け取った。


『刺した相手に呪毒を与える武器です』


「呪いの毒ですか?」


『はい。剣の形をしていますが、色々な種類の呪いの因子を敵に強制付与する呪具ですね』


 デミアが説明する。


『宵闇が格上の相手を斃す時に、必ず使っていた武器です』


「・・呪いの因子」


『呪陣は御存じ?』


「知識としてなら」


 シュンの中には、非常に多くの知識がある。過去に食べてきた獲物から得た知識であり、ダークグリフォンという稀少種から得た知識だ。


『普通、格上の相手に呪詛は効きません。それを呪陣で補うのです。宵闇に縁の深い存在を大量に生け贄にして呪いの力を強め、その"鬼王蜂の毒棘イゴレーダ"で与えた呪の因子を通して強敵を呪いの檻に閉じ込める・・今回で言えば、生け贄は宵闇の分体ですね。数も質も最良でした』


「なるほど・・」


『宵闇の呪いは、貴方を惑わすものであったはずですが・・どういった呪いであったか、伺っても宜しいかしら?』


 デミアがシュンを見る。

 単純な興味というよりも、シュンの弱みに感心があるのだろう。


「あれをどう説明すれば良いのか・・」


 シュンは、呪いで見せられた幻を思い出しながら首を傾げた。


「私が知らない光景を鮮明に見せられました。それから、私の知らない人物が登場しました」


『"因縁"の糸を手繰ったのでしょう。宵闇が見せる幻は、本物に繋がっていますからね』


 だからこそ、幻夢だと分かっていても抜け出せなくなるのだとデミアが言った。


「本物に? すると・・」


 やはり、幻に登場したユアとユナ、母親や祖母などは異界に実在している"本物"という事になる。


『そうですね。主神によって写し身として連れて来られたユアとユナ・・あの二人の"因縁"を辿ったのでしょう。正直、気が遠くなるような作業なのですが、あの宵闇ですからね』


 デミアが苦笑した。かなり根気の要る作業らしい。


『ユアとユナ。幻夢であの2人を見せる事が、貴方を苦しめる事になる・・あるいは、動きを封じる事が出来ると考えたのでしょうね』


「いきなり、敵意を向けられた時はいい気分がしませんでしたが・・しかし、あの時の幻が実在の人間と無関係で無いとなると、向こうの世界にいるユアとユナにも影響が?」


 シュンはデミアに訊ねた。


『この世界の神である宵闇は、異界に住み暮らす人間を操る事は出来ません。ただ、抜け道と申しますか・・夢を操る程度の事は黙認されるのです。幻夢に登場したユアとユナは、貴方を困らせるために、宵闇が怨嗟で染めていたのでしょう。しかし・・それにしても、よく抜け出せましたね? 宵闇の幻夢は、力尽くでどうこう出来るものでは無いはずです。どんな存在であっても、呪いに囚われると、小一時間は戻って来られなくなるのですが・・』


「特に何もしませんでしたが・・」


 あの時、シュン自身に、幻夢から抜け出そうとする気負いは無かった。


『ご主人はお話ししたです』


 カーミュが姿を現した。


『お話し?』


『幻夢の人達とお話しして、ご主人が良い人だと分かって貰ったのです』


『・・お話し?』


 デミアがシュンを見た。


「武器を向けたくない相手でしたから、話し掛けてみました」


 シュンは改めて幻夢の中での出来事を説明した。


『因縁の繋がった幻夢とは言っても、本来の自我までは持ち合わせていない・・いえ、宵闇なら・・深層まで探って引き出したのかしら?』


 デミアが困惑顔で考え込んだ。

 宵闇が呪いで生み出した幻の中の人物が、シュンの言葉に反応して態度を軟化させたという部分が理解できないらしい。


『使徒シュン』


 それまで黙っていた死の国の女王が会話に加わった。


『宵闇の女神は、主神に近い力を持った大神でした。ただ、創造の力を持たなかったために主神になる事が出来なかったのです。あの女神の本来の力は、神敵の近くに潜み、探る事です。恐らく、以前から現主神の身辺、そして使徒の近くに宵闇の分体が潜んでいたのでしょう』


 シュンの武器、能力、戦い方、そしてユアとユナとの関係について調べていたからこそ、"神前決闘ラグデスル"に際して武器についての条件を出し、呪陣で見せた幻夢にユアとユナが登場したのだ。


「・・気が付きませんでした」


 何度か疑った事はあったが、痕跡を見つける事が出来なかったのだ。


『貴方に見せた幻夢に、向こうの世界に居るユアとユナが登場したという事でしたから、あるいはもっと早い段階から現主神の動向を探っていたのかも知れませんね』


 女王が言った。


「ユアとユナのような異邦人は、向こうの世界に実在する人間の写し身であると・・それは間違い無いのですよね?」


 シュンは訊ねた。


『ええ、その通りです』


「・・向こうの世界に居るユアとユナが事故などで死亡した場合、写し身であるユアとユナに影響はありますか?」


 シュンの心配はそれに尽きる。他の事は枝葉だ。向こうの世界のユアとユナと、こちらの2人は何らかの縁が繋がっている。宵闇の女神が仕掛けた呪術によって分かった事だ。


『命を維持するという点では影響はありませんが・・』


「何か影響が?」


 シュンは眉を顰めた。


『今回の逆・・こちらの世界のユアとユナが、夢の中で別世界で起きた事故を知覚し共感してしまう可能性はあります』


 あまりにも明確に知覚してしまうと、事故の追体験のような状況に陥る可能性があるらしい。限りなく低い確率らしいが、無いとは言い切れないそうだ。


「必ずという訳では無いのですね?」


『通常はぼんやりとしたもので、少し嫌な感じがするといった程度ですが・・あの2人は色々と特殊ですからね』


 女王が笑みをこぼした。


「確かに・・妙な所で勘が鋭いですし・・」


 シュンは深刻な顔で呟いた。限りなく低い確率・・それをうっかり引き当ててしまいそうな2人である。


『写し身だからと言っても、縁が切れることはありません。そういう意味では、写し身というよりも分体と言った方が近いかも知れませんね。貴方もそう考えたのでしょう?』


「・・はい。その方が、自我や姿を写し取ったという話よりも、私の中ではすっきりします」


 シュンは頷いた。ただ写しただけなら、何ら影響は無いはずだ。"分体"だからこそ、"因縁"があるのではないか?


『ふふふ・・まあ、その辺りは主神殿にしか分かりませんね。あの幼い主神殿は、"創造"だけで言うなら、歴代の主神の中でも群を抜いて強い力を持っています。残念ながら基本的な知識が不足していますが・・代わりに、神界の常識に囚われない自由な発想を持っています。ですから、実際のところ主神殿が何をやらかしたのか私には分かりません。もしかすると、主神殿も全容を把握していない可能性があります』


 女王が微笑しながら、観覧席に居るマーブル主神を見る。


『でも、安心なさい。向こうの世界のユアとユナに何かが起きたとしても・・こちらのユアとユナがどうこうなる事はありませんよ。仮に大きな星が落ちて来たとしても、あの2人なら、けろりとして無事に済むでしょう?』


「・・確かにそうですね」


 シュンは苦笑を漏らした。どうやら過剰に心配をしすぎたようだ。死の国の女王が言う通りだった。向こうで何が起ころうと、どんな因縁があろうと、こちらの世界のユアとユナが危難に遭う事は無いだろう。


「そもそも、どうして異邦人の写し身が必要だったのでしょう?」


 シュンは話題を転じた。


『分かりません・・が、主神殿は、単一の、整然としたさまを嫌うようです。ずいぶんと前の事ですが、ごちゃごちゃとした・・でしたか? 創造を許された時に、世界という容器に色々な文明を放り込んでかき混ぜるのだと息巻いていました。彼方此方あちこちを放浪していたようですし・・ユアとユナの本来の世界にも入り込んで遊んでいたのでしょう』


 女王が首を振った。


「ユアとユナは、迷宮の仕組みが自分達の世界・・ニホンにあったゲームのようだと言っていました」

 

『十分に有り得る事です。思い付いた物を具現化し、創造する力は抜群ですが、独自の発想そのものが優れている訳ではありません。それに・・主神殿は遊戯好きです。異界のゲームとやらが気に入って遊んでいたのかも知れませんね』


「そして、この世界に持ち帰ったという事ですか」


 シュンは小さく頷いた。


『さて、本題に入りましょう。使徒シュンよ』


 女王がバローサを振り返り目顔で合図した。

 控えていたバローサが前に出る。


『神前試合の勝者には、賭けられていたものとは別に褒美が与えられる。無論、主神殿からは別途褒賞があるだろうが・・相応の金品や素材等は贈らせて貰う。他に何か望みは無いか?』


「望み・・ですか」


 シュンは少し考えた。


「では引き続き、カーミュをこちらへ置いて下さい」


『カーミュを?』


 バローサが、ふむ・・と呟いて女王の顔を見た。


『貴方が望む限りではなく、カーミュが希望する限り・・という事で宜しいかしら?』


 穏やかな表情で女王が訊ねる。


「はい。カーミュが嫌がるなら、無理に連れ帰ったりせず、私に憑いたまま、残してやって頂けませんか?」


 シュンは、一度女王の目を真っ直ぐに見つめてから深々と頭を下げた。


『あら、誰か・・死の国に連れ戻すような話をしたのかしら?』


 女王が微笑を浮かべたまま小首を傾げる。

 途端、シュンの横に浮かんでいた白翼の美少年が騒ぎ始めた。


『カーミュは帰らないです! こっちにずっと居るです!』


『まあっ! そんな事を言うの? あぁ・・とても悲しいわ!』


 女王が両手で顔を覆った。


『泣き真似は駄目なのです。カーミュには通じないのです』


 カーミュが腕組みをして言う。


『じゃ、止めるわ』


 女王が小さく舌を出した。


『カーミュは、カーミュが居たいだけ居るです』


『はいはい、分かりました』


『帰れと言っても帰らないのです』


『はいはい、ちゃんと聞こえていますよ』


 死の国の女王とカーミュが何やら賑やかに言い合う。

 その様子を、バローサとデミアが苦笑を浮かべて見守っていた。

 どうやら、よくある事らしい。


『ところで、シュン』


 女王が急に砕けた調子で話し掛けてきた。


『マリンちゃんは何処へ行ったの?』


「・・お気づきでしょう?」


『貴方の口から聴きたいわ』


「先ほどの戦いで、宵闇の女神に呪いで見せられたユアとユナの幻に、ぼんやりとですが気配の連なりのようなものが見えました」


 シュンは幻から脱け出る最中、幻に繋がっている"因縁"を辿るようマリンに依頼したのだ。


『本当に抜け目がないわね。宵闇の幻に囚われている間に、そんな事に気が付いたの?』


「少し話はズレますが・・」


 シュンは、おもむろに創作魔法陣を出現させて、秘薬の調合を開始した。


「この魔法を使用する時にも、幻夢と同種の気配・・"因縁"というものが見える事があるのです」


 そして、その"因縁"が見える時には・・。



 パンパカパ~~ン♪ ヒューヒュードンドンドン♪



 例の楽器の音が鳴り響いた。


 創作魔法陣の上に、見るからに豪奢な包装をされたチョコレートの小箱が山積みになって現れる。


『まぁ・・』


 女王が瞳を輝かせた。後ろで、デミアも食い入るように見つめている。


「このように、ユアとユナの世界にあるお菓子が出て来るのです」


 当初は、マーブル主神が創った仕組みだろうと思っていたが、何度か繰り返す内に、ある種の召喚が行われているのではないかと疑い始めた。つまり、異世界から実物を召喚して奪っているのではないかと思ったのだ。


 しかし、創作を続けている中で、召喚とは異なるものだと気が付いた。お菓子についての情報をどこからか得た上で、お菓子の"写し身"を創作しているのではないかと考えるようになった。


「幻のユアとユナを見ている時に、ふと創作で現れるチョコレートの事を思い出しました」


 そう考えながら観察をすると、それまで気が付かなかった因縁の糸が見えてきたのだ。


「こうして現れる異世界のお菓子は、つまり、異世界のお菓子に繋がる因縁の糸を創作魔法で捉えて、具現化した結果だと思うのです」


 ただし、"写し身"も"分体"も対象をはっきりと知覚していなければ生み出せないはずだ。存在しないはずの未知のお菓子の"因縁"をこちらの世界に紐付ける方法・・その理屈までは分かっていない。何らかの仕掛けがあるのだとは思うのだが・・。


『呪陣の檻の中で、シュンがお菓子伝来の秘密に思いを巡らせていたなんて知ったら宵闇の女神が泣いちゃうわね』


 女王が笑った。


「私の推察・・当たらずとも遠からずでしょうか?」


 シュンは訊ねた。


『恐らく的を射ていると思うわ。でも、本当のところは分かりません。そして・・』


「主神様も?」


『そうでしょうね。そもそも、創作魔法陣そのものが怪しいのよ? 分かるでしょう?』


 そう言った女王の目が笑っている。


「そうですね。非常に扱いが難しく、極めて不安定です。主神様は創作ルーレットだと仰っていましたが、こうして、異世界のお菓子を生み出しますし・・」


 シュンは苦笑した。わざと不安定な要素を盛り込み、意図しない事故が起こるように創られた魔法・・そうとしか考えられないのだった。


『そうでしょう。創作、取り寄せ、そして・・異世界のお菓子。例によって、主神がごちゃごちゃ入れ込んだ結果なのでしょう』


「・・これは全て進呈致します」


 シュンは、出現したチョコレートの山をそのままデミアに渡した。


『あら、良いの? 貴方の大切な・・あの可愛い子達に恨まれるのは嫌よ?』


「それこそが、マリンに"因縁"の糸を辿らせている理由です」


 シュンは微笑した。


『・・あら、まぁ・・なるほど、そういうことね』


 死の国の女王が軽く目を見開いてシュンの顔を眺める。すぐに穏やかな表情になり、シュンを見て大きく頷いた。


『う~ん・・良いでしょう! カーミュは引き続き、貴方に預けましょう。死の国の全権大使として改めて貴方の元に置かせてもらいます。寂しいけれど・・使徒シュンの近くに置いておく方が死の国にとって有益ですからね』


「感謝します」


 シュンは低頭した。


『感謝です!』


 カーミュが喜色満面お礼を言った。


 その時、


『ボッス~、何か音がしましたよぉ~?』


『ボッス~、おかしな音が聞こえましたよぉ~?』


 "護耳の神珠"から、ユアとユナの声が聞こえてきた。


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