第294話 慈悲の銃口
シュンによって一方的に斃されていく無数の宵闇の女神達・・。
そのまま延々と続いて根比べになるのかと思って見ていたら、いきなりシュンが動かなくなった。
それは、ユアとユナが初めて目にする光景だった。
シュンが無抵抗のまま一方的に斬られ、刺されて、闘技場の床を転がった。
血を流したシュンを見たのは、パーティを組んだ最初の頃以来だ。
いつだって、相手より上手をいくシュンが、人形のように身動きをせず、女神の長剣で刺され、破壊光で灼かれていた。
輪廻の女神が引き留めなければ、ユアとユナは闘技場に飛び降りてシュンの援護に向かっていただろう。
『まだ、大丈夫よ』
輪廻の女神が打ち転がされるシュンを見ながら言った。
「で、でもっ!」
「なんか、おかしい!」
ユアとユナは泣きそうな顔で場内に飛び降りようとする。
それを、輪廻の女神が捕まえて引き戻した。
『大丈夫なのに2人が行ったりしたら、使徒シュンの負けになっちゃうでしょう?』
「・・女神様?」
「・・本当に大丈夫?」
『ええ・・大丈夫よ。今は、宵闇の呪いの檻に閉じ込められているだけ』
「檻?」
「呪いの?」
『そう。でも、もうシュンが呪いを解き始めているわ。あんなに強い宵闇は初めて見たけれど・・もう、間に合わないわね』
「えっ? 女神様?」
「間に合わない?」
『宵闇は仕留めきれなかった。使徒シュンが呪いの檻を出るわ』
輪廻の女神に言われて、ユアとユナが闘技場を見た。石床の上に仰向けに倒れたシュンの上に馬乗りになり、宵闇の女神が細身の長剣を握って何度も突き刺していた。
『応援しなさい。ユア、ユナ・・名前を呼ぶのよ。使徒シュンの覚醒が早まるわ』
そう言うと、輪廻の女神が2人から離れて、マーブル主神の傍らへと戻って行った。
ユアとユナは、互いに顔を見合わせて大きく頷いた。
「シュンさーーん!」
「シュンさーーん!」
喉を振り絞るように叫ぶ2人の声が闘技場内に響き渡った。
破壊光でシュンが跳ね飛び、反対側の防壁近くに転がされる。
ユアとユナは大急ぎで走った。とにかくシュンの近くへ行って声を掛けたかった。
「起きてっ! シュンさん!」
「シュンさん、起きてーー!」
観覧席を回り込み、縁石ぎりぎりに身を乗り出して、遙か下方に倒れているシュンを見ながらユアとユナが叫び続ける。
その声に焦ったのか、宵闇の女神が遮二無二斬りつけ始めた。
直後、
ギィィィィーーン・・
激しい金属音と共に火花が散って、宵闇の女神が弾け飛んだ。
まだシュンは仰向けに倒れたままだったが、その手に短刀が握られている。
「シュンさん、起きてっ!」
「シュンさん、しっかりしてっ!」
ユアとユナがここぞとばかりに声を張り上げる。
その声に応えるように、シュンが上体を起こした。開いたままだった傷口がみるみる癒えていく様子が見て取れる。シュンに、いつのも再生力が戻っていた。
見守っていると、シュンの近くにジェルミーが姿を現し、ユアとユナの居る観覧席へと飛び上がって来た。
「ジェルちゃん! シュンさん大丈夫なの?」
「ジェルちゃん! シュンさん大丈夫よね?」
ユアとユナは、不安顔のまま傍らの女剣士を見上げた。
「大丈夫です。相手の勝ち筋は完全に消えました」
ジェルミーが生真面目に答えた。
「・・あんなに斬られてたんだよ?」
「・・滅茶苦茶に刺されてたし」
ユアとユナは場内のシュンを見下ろした。
「もう、大丈夫だ」
シュンが、ユアとユナを見上げて手を振っていた。
「だって・・そんなになって、何があったの?」
「シュンさん、どうしたの? 何かの術?」
ジェルミーに引き留められながら、ユアとユナが観覧席から身を乗り出して訊ねた。
ここで助けに入ったり、回復魔法を使ってしまうと負けになる。
「挨拶をしてきた」
シュンが意味不明の事を言っていた。
ユアとユナは、なおも身を乗り出して何かを訊こうとして、ふと口を噤んで静かになった。
「・・あれ?」
「・・あれれ?」
2人は、そうっとジェルミーを振り返った。
ジェルミーが喋ったような気がしたのだ。
「ジェルちゃん?」
「もしかして?」
ユアとユナの大きな瞳に見つめられて、ジェルミーが微笑を返した。
「声が出せるの?」
「喋れるようになった?」
「はい」
ジェルミーが頷いた時、場内で閃光が爆ぜた。宵闇の女神が放った破壊光だ。
ユアとユナが場内を振り返った時、宵闇の女神が放った破壊光を、シュンが片手で受け止め、そして掻き消した。
思わず体に力を入れ、拳を握ったユアとユナだったが、ほっと息をついて体の力を抜いた。
どうやら本調子に戻った。
いつものシュンに戻ってくれた。
「場内に入ってはいけません」
ユアとユナの上着の襟首を、ジェルミーが掴む。
「えへへ・・もう大丈夫ですよ~」
「えへへ・・もう暴れませんよ~」
ユアとユナは、小さく舌を出しながら、最寄りの座席に腰を下ろした。
その間も場内では破壊光が輝き、激しい殴打音が鳴っていたが・・。
(もう大丈夫)
(もういつも通り)
ユアとユナは腕組みをして目を閉じた。
ドシィィィッ・・
殴打音と共に、宵闇の女神は闘技場の反対側の壁まで飛ばされた。
直後に、使徒に片足を掴んで持ち上げられ、床めがけて叩きつけられた。真上から腹部に拳を叩き込まれた。顔面を踏み抜かれた。
宵闇の女神は呪陣による効果で、開始直後とは別格の、龍人などより遙かに高い身体強度になっていた。再生速度も速い。
故に、死が訪れなかった。
使徒に殴られ、床に叩き付けられても死ぬことなく即座に回復し、宵闇の女神は生き続けた。ただ生き続けただけだった。
宵闇の女神は抵抗できなかった。
すでに、心が絶望してしまっていた。
今回の神前試合において考え得る最上の条件を呑ませた。宵闇の女神にとって、これ以上無いほど有利な条件だった。
その上で、呪法具"
あらゆる防御力を失った無防備な使徒を、持てる全ての力を使って攻撃した。
戦前に、こうなってくれればと夢想した最上の状況に持ち込めたのだ。
だが、完全に無防備になった使徒を、あれほど懸命に攻撃しながら仕留めきる事が出来なかった。振り下ろす手の方が痛くなるくらいに剣を振った。破壊光を全力で撃った。殺傷能力の高い魔法を、何度も何度も使った。
なのに・・。
死なないのだ。どうやっても、使徒が死んでくれなかったのだ。
そして、使徒が呪縛から脱け出てしまった。
呪詛によって無防備だった使徒の体に、防御の力が戻り、凄まじい再生力によって肉体が復元していった。
・・もう駄目だ。
宵闇の女神だけでなく、観覧している皆が確信しただろう。
宵闇の女神に無惨な死が訪れることを・・。
もう宵闇の女神に分体は残っていない。使徒を討ち果たすために、すべての分体を結集し、在らん限りの力を振り絞っていたのだ。
ドシッ・・
軽い殴打で、吹き飛んだ宵闇の女神が床の上に倒れたまま動かなくなった。
「解体して喰ってもいいが・・」
見下ろして呟く使徒を、虚ろな眼差しで見上げながら、宵闇の女神は弱々しく首を振った。食べられるのは嫌だった。
「・・楽にしてやる。そこを動くな」
静かな声でそう告げて、使徒が離れていった。
宵闇の女神はゆっくりと首を捻って使徒の後ろ姿を目で追った。
少し離れた位置で使徒が振り返り、銃器を手に片膝を突いた。黒光りする銃口が宵闇の女神に向けられる。
宵闇の女神は目を閉じて、その時を待った。
「ビリオン・フィアー」
使徒がそう呟いたようだった。
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