第293話 呪いが見せるもの


 失態だった。

 自身の油断を悔いたのは、いつ以来だろう。


 シュンは唇を噛みしめた。


 何かの術に囚われてしまった。手足の感覚はおろか、自分がどういう姿勢なのかすら分からない。ただ、急速に体の力が失われているようだった。


(・・無様だ)


 我ながら・・と、自分をわらう。


 試合相手との力量差を把握し、揺るがぬ勝ちを確信した、その一瞬の心の隙を突かれた。

 勝ちを確信するように誘導されていたのだろうか。

 シュンの中に、力の差に酔うような心根は無かったはずだが・・。


おごっていた・・という事か)


 いつの頃からか、自分が強いと思い上がり、獲物の行動に注意を払う慎重さを失っていたという事だ。


(だから・・入られた)


 シュンの中に、宵闇の呪詛が入り込んでしまった。入り込んだ呪いに体を呪縛されてしまった。


 そして、見覚えのないものを見せられていた。

 どれも、シュンの記憶には無いものだった。シュンの知らない光景が次々に現れては消える。

 その全てに、ユアとユナの姿があった。


 シュンは、香の焚かれた部屋の中で、ユアとユナが泣き崩れる様子を眺めていた。


(幻影・・なのだろうな)


 棺に横たわるまだ若い父親にすがって泣きじゃくる幼いユアとユナ・・。


 何も喋らなくなり、部屋に閉じ籠もって他者との関わりを拒絶するようになったユアとユナ・・。


 泣き叫ぶユアとユナの頬を引っ叩き、家から引き摺り出して、祖母が指導する踊りの教室に預けた母親・・。


 2人を慈しみながらも、厳しく指導する祖母・・。


 2人だけで語り合い、2人だけで行動するユアとユアを心配する祖母と母親・・。


 少しずつ母親や祖母と会話をして笑顔を見せるようになったユアとユナ・・。



 泣いているユアとユナを見ると胸が痛んだ。

 笑っている2人を見ると、気持ちが和んだ。

 この光景が、シュンを惑わすための幻影だろうと理解していても・・。


(・・なるほど)


 シュンの奥歯が、ギリッ・・と嫌なきしみ音を鳴らした。


 この幻の中では、棺に横たわるユアとユナの父親を、シュンが殺した事になっていた。


 父親を殺したかたきだと、ユアとユナが睨み付け、憎悪の籠もった声を張り上げていた。


 母親が罵り、祖母がまなじりを吊り上げて糾弾する。


(そして、これか・・)


 いつの間にか、シュンの手に"魔神殺しの呪薔薇テロスローサ"が握られていた。

 ユアとユナの父親を殺した凶器を握っているという事らしい。


(なるほど・・)


 シュンを睨み付けるユアとユナが、その手に光る刃物を握っていた。どちらも細身の長剣だ。


 それを見て、シュンは嘆息を漏らした。


「テロスローサ、休んでいろ」


 シュンは、手に持っている"魔神殺しの呪薔薇テロスローサ"を消した。


「そちらの世界ではどうであったか知りませんが・・2人共、元気にやっていますよ」


 シュンは、母親と祖母に向けて穏やかに語りかけた。


 唐突な語りかけに、


 ・・えっ?


 怒りに顔を歪めて罵っていた母親と祖母が、ふと我に返った顔で口を噤み、まじまじとシュンの顔を見つめた。


 ただ語りかけているのでは無い。シュンは、声に魔力を込めている。幻だと理解した上で、自我ある者を相手にしているかのように、シュンは話していた。


「ユア、ユナ・・俺はシュン。こちらの世界・・異世界に来ているおまえ達の婚約者だ」


 ・・へっ?


 ・・は?


 細身の長剣を握り締めていたユアとユナが、ぽかんと眼と口を開く。


「こちらの世界では、私の義母に報告する事ができましたが・・まさか、そちらの世界の義母に会えるとは思いませんでした」


 呆然として手で口元を押さえている若い母親に向けて、シュンは静かに頭を下げた。


「こちらの世界に居るユアとユナは、神が生み出した写し身・・ですが、俺にとっては掛け替えのない2人です」


 シュンは立ち尽くす祖母を見た。


「2人の踊り・・バレエとモダンダンスでしたね。こちらでも自慢しながら踊っていますよ」


 シュンの言葉に、立ち尽くしていた祖母が涙を流し始めた。


「ユア、ユナ・・おまえ達に長剣はまだ早い。まずは、包丁を扱うところから練習した方が良いな」


 シュンが笑みを浮かべると、ユアとユナが握っていた長剣を後ろへ隠して顔を赤くした。

 隣で、母親が苦笑する。


「こちらの世界にも、ピノンやバリバリ君・・クロクマもある。少し食べ過ぎな気もするが・・」


 シュンに言われて、ユアとユナがちらと祖母の方を見た。隣の母親も顔を向ける。

 どうやら、せっせと甘い物を与えていた犯人らしい、祖母が母親の方を見て謝る仕草をした。


「私が居る世界は、そちらのニホンとはまるで違う世界です。今が幸せかどうかは、本人達に訊いてみなければ分かりませんが・・元気に頑張っていますよ」


 穏やかに語りかけるシュンを前に、母親が涙ぐみ、祖母がそっと目元を押さえた。真っ赤な顔をしたユアとユナが母親の後ろへ逃げ込む。


「思いがけぬ邂逅・・名残惜しいのですが、そろそろ時間のようです」


 シュンは、周囲に視線を巡らせた。


「・・お義母かあさん、お義祖母ばあさん。ユアとユナを褒めてやって下さい。異界の地でも、健やかに逞しく生き抜いています。楽しいと笑い、不実を怒り、傷ついた友人のために泣き・・本当に頑張っています。2人を見事に育てて下さった事を心から感謝致します。住み暮らす世界は異なりますが・・どうか、身体を労り、大切になさって下さい。皆様に幸多い事を!」


 もう一度、深々と頭を下げたシュンの前で、祖母と母親が、そしてユアとユナが慌てたように頭を下げた。


「それでは・・さらばです」


 ゆっくりと頭を上げたシュンの顔から笑みが消えている。


「ジェルミー・・俺に入り込んだ虫を斬りはらえ」


 シュンの声が鋭く響き、



 ・・チンッ!



 小さく鍔鳴つばなりが聞こえた。



 直後、開けた視界に迫る宵闇の女神を認めるなり、シュンはアンナの短刀を握って振り抜いていた。



 ギィィィィーーン・・



 激しい金属音と共に火花が散って、覆い被さるように襲って来ていた宵闇の女神が弾け飛んだ。

 女神の術による支配を脱したらしい。シュンは、満身創痍で仰向けに倒れていた。


(眼は見える・・まだ手足はあるな)


 かなり手傷を負わされていたが・・。


 シュンは体の状態を感知しながら、口中の血反吐を吐き出した。かなり臓腑を痛めているらしい。骨も筋も無事な部分が少ないほどだった。

 シュンは倒れたまま眼だけを動かして、宵闇の女神を探した。

 今の一撃で警戒したのか、黒い甲冑姿の宵闇の女神が、かなり離れた場所で長剣を構え、こちらを伺っていた。


「シュンさん、起きてっ!」


「シュンさん、しっかりしてっ!」


 観覧席の最前列に居るらしいユアとユナから悲鳴のような声が掛けられる。


 呪詛に囚われていた間、シュンは一方的に痛め付けられていたのだった。回復する事を許されず、ただ見守る事しかできなかったユアとユナが懸命の声を振り絞って呼び掛けていた。


「・・ジェルミー、2人をなだめておけ。乱入させるな」


 シュンの口元がわずかに綻んだ。


 大量の流血と激痛、臓腑の鈍い痛みをはっきりと知覚しながら、シュンは上体を起こして片膝を突き、右手に握ったアンナの短刀を逆手に構えた。


 宵闇の女神により肉体の強度が落ち、再生能力を失っていたらしいが、術から脱した事で、本来の力を取り戻したようだ。わずかな間に、傷口が塞がり、折れ砕けた骨が再生し、切られた筋肉が繋がっていく。

 一方的に攻撃をしながら、宵闇の女神はシュンを殺す事が出来なかったのだ。


「ジェルちゃん! シュンさん大丈夫なの?」


「ジェルちゃん! シュンさん大丈夫よね?」


 ユアとユナが観覧席で騒いでいる。


 シュンはゆっくりと立ち上がると、賑やかな観覧席を振り仰いだ。


 隙と見て、宵闇の女神が斬りかかろうとするが、いきなり正面に出現した水楯に顔からぶつかって仰け反り尻餅をついている。


「もう、大丈夫だ」


 シュンは、今にも泣き出しそうな顔をしているユアとユナに手を振って見せた。


「だって・・そんなになって、何があったの?」


「シュンさん、どうしたの? 何かの術?」


 ジェルミーに吊り下げられるようにして引き留められながら、ユアとユナが観覧席から身を乗り出してシュンを見る。


「挨拶をしていた」


 シュンは2人に向かって笑みを見せつつ、宵闇の女神が放った破壊光を片手で受け止めた。そのまま握り潰すようにして破壊光を消し去る。


 最初の時より、随分と破壊光の威力が増している。

 これが、"鬼王蜂の毒棘イゴレーダ"本来の力なのだろう。

 多重の水楯を突き破った威力はそれなりだが、無抵抗のシュンを殺しきれなかった程度の物だ。今更、何度放ったところで目眩ましの役にも立たない。


「き、貴様は・・貴様は・・何なのだ! 何なのだっ!」


 宵闇の女神が叫び声を放ちながら、"鬼王蜂の毒棘イゴレーダ"を高々と頭上へ振り上げた。


 闘技場内の呪陣から流れ込んでいた黒々とした呪力の流れが奔流となって宵闇の女神に集まり、手にした"鬼王蜂の毒棘イゴレーダ"に流れ込む。


「2度目は無い!」


 シュンは無造作に踏み込むと、アンナの短刀を一閃した。鬼王蜂の毒刺イゴレーダを握ったままの女神の手が宙を飛んで石床の上に転がった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る