第291話 開戦


『現界の主神殿』


 死の国の女王がやや呆れた顔で語りかけた。

 場内へ響く声ではない。


『なんだい?』


 マーブル主神がむくれた顔を向ける。


『なぜ、宵闇の条件を拒否しなかったのです?』


 咎めるような声音だった。


『・・は? 出来ないんでしょ? 神前試合ラグデスルでの弱者救済条件は断れないって聴いたよ?』


『貴方は、主神でしょう?』


『ん? そうだけど?』


『経緯はどうであれ、主神に楯突く叛逆神の申し出ですよ? あのようなもの、ふざけるなと一喝してしまえば良いではありませんか?』


 女王の眼差しが厳しい。


『・・へっ?』


 マーブル主神の眼が大きく見開かれた。


『この場を用意した意味は何です? 主神に逆らう叛逆神の公開処刑ですよ? なぜ、あのような馬鹿げた条件を呑んだのです?』


 女王の追求が厳しい。


『あ、ああ・・うん、そうだね』


『さすがに、甲胄人形の使用は困ります。だから、死の国として、甲胄人形の使用だけは禁止させて貰いました。しかし、他の条件を呑む必要など無いでしょう? 私なら一蹴して相手にしませんよ?』


『・・いや、まあ・・あれ?』


 女王から糾弾され、マーブル主神が混乱した様子で頭を抱えた。


「この、とてつもない徒労感」


「この、底の抜けた土瓶どびん感」


 ユアとユナがボソボソと囁き合っている。


『いや、だって、神前試合ラグデスルで条件拒否とか出来ないでしょ? 聴いたことが無いよ?』


『例が無いというだけです。ただの神ならまだしも、主神であれば・・あのような馬鹿にした条件など呑むべきではありません! これは神前試合ラグデスル! 死の国が取り仕切る、主神様の前で行う試合なのです!』


 女王の声音が、鞭打つように厳しく響く。


『う、うぅ・・』


 マーブル主神が呻くばかりで言葉を出せなくなった。


「奥方様、優しく慰める」


「これは、とても良い物」


 ユアとユナが、心配そうに見守っている輪廻の女神にチョコレートの小箱を差し出した。


『ユア、ユナ、いつもありがとう・・でも、どうすれば?』


「優しく背中を撫でてあげる」


「愛は世界を救う」


 女神の耳元で2人が囁く。


『・・神様』


 輪廻の女神が項垂うなだれたマーブル主神の背に手を触れ、そっと摩る。


『・・闇ちゃん』


『大丈夫です。神様・・』


『なんか、やらかしちゃったみたい・・さすがに、使徒君に申し訳無いよ』


『使徒シュンなら大丈夫です。それに・・これは失敗ではありませんわ』


『闇ちゃん?』


『死にゆく宵闇を哀れみ、慈悲を恵み与えただけのことです』


 輪廻の女神がマーブル主神の傍らに膝を突いて、背を抱くようにして囁きかける。


『・・闇ちゃん』


 マーブル主神が泣き出しそうな顔で見る。


『さあ、始まりますわ。神様に叛逆した愚かな女神を・・見送って差し上げましょう』


 輪廻の女神に促され、マーブル主神が小さく息を吐きながら身を起こした。


『・・そうだね。うん・・もう決まっちゃった事を悔やんでも仕方ないね』


『そうですわ。条件がどうであれ、勝てば良いのです。それだけの事ですよ』


 輪廻の女神が膝を突いたまま、死の国の女王を見上げて微笑した。


『・・奥方の言う通りですね。現界の主神殿・・言葉が過ぎました。お詫びします』


 微笑を返した女王が、マーブル主神に向けて頭を垂れた。


『あ・・いや、ボクが不甲斐なかったから・・女王陛下、今後も色々と教えてよ。主神だと言われても、まだまだ知らないことがいっぱいなんだ』


 マーブル主神が頭を掻く。


『そうですね。見ていて・・とても危なっかしいのですけれど、良き主神になって頂きたいと願っております』


 そう言った女王が、傍らに侍していたバローサ大将軍に頷いて見せた。


『始めましょう』


『はっ・・』


 バローサ大将軍が観覧席の石段を降りていく。


『さあ神様、こちらへ』


 輪廻の女神がマーブル主神の手を引いて近くの席へ座ると、先ほどユアとユナから渡されたチョコレートの小箱を開いた。


『まあ、美味しそう!』


『・・ほおぉ、葉巻入れみたいだね』


 色とりどりの紙に包まれた細長いチョコレートが整然と並んでいる。


『はい、神様。あ~ん・・』


 輪廻の女神が包装紙を剥いたチョコレートをマーブル主神の口元へ運んだ。


 その時、



 ドォォォ~ン・・



 ドォォォ~ン・・



 ドォォォ~ン・・



 大太鼓の音が鳴り始めた。



「間が空いたな」


 シュンは訝しげに呟いた。


『ふん、条件の事で揉めたのだろう。あれは、あまりにも私に有利だからな。だが、宣言された以上、もう変えることは出来ぬ。間抜けな主神めが、手遅れだっ!』


 宵闇の女神が兜の面頬を落とし、盾と剣を手に腰を落とした。


『貴様の呪薔薇と同じ時代に、同じ工匠によって生み出された盾と甲胄だ。人の手で壊せる物では無い。そして・・』


 宵闇の女神が握っている細身の剣が赤く光を放ち始めた。



 キュイィィィィーー・・



『これは"鬼王蜂の毒棘イゴレーダ"という』


 宵闇の女神が呟いた。



『全ての条件は整った! これより、三打の後に試合開始となる!』


 バローサ大将軍の声が闘技場内に響き渡った。


 シュンは無言のまま宵闇の女神を見つめている。



 ドォォォ~ン・・



 ドォォォ~ン・・



 ドォォォ~ン・・



 三度目の大太鼓が叩かれた瞬間、宵闇の女神が"鬼王蜂の毒棘イゴレーダ"から破壊光を放った。


 同時に、



 バギィィィ・・



 硬い破砕音が鳴り、宵闇の女神の兜がひしゃげて跳ね飛んだ。


『・・ちぃっ!』


 長い銀髪を振り乱し、宵闇の女神が自分の後ろへ向けて"鬼王蜂の毒棘イゴレーダ"を振り抜く。



 ダギィィィン・・



 今度は盾が破砕し、把手から上がちぎれて飛んだ。


『おのれっ! どこだ!』


 "鬼王蜂の毒棘イゴレーダ"を手に怒声を放った宵闇の女神の真横に、シュンが現れて右拳を振り抜いた。


 咄嗟に"鬼王蜂の毒棘イゴレーダ"で防ごうとしたが間に合わず、シュンの右拳が宵闇の女神の肩口を捉えた。

 物悲しい破砕音と共に、肩甲が飛び散る。

 直後、シュンの左拳が宵闇の女神の側頭部を打ち抜いていた。


 首から上を失った宵闇の女神が蹈鞴たたらを踏んで、ゆっくりと闘技場の石床に倒れ伏す。



 ギィッ・・



 シュンは、床に転がった"鬼王蜂の毒棘イゴレーダ"を踏み折った。


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