第265話 四方山話


(・・どうしよう)


 ユアナは、ちらと輪廻の女神を見た。


 あちらは、マーブル主神を後ろから抱きしめて、黒衣で包んでいる。


 こちらは、どうするべきだろう?


 ユアナは、シュンの身体を任せられていた。

 マーブル主神の"内部世界"にゾウノードが根を生やして病巣のようになっている・・と、シュンが説明してくれた。

 その"内部世界"に入って、病巣を取り去ってくるから、戻るまで肉体を預かっておいてくれと。


 そう言ったシュンが、ユアナの肩に手を置くなり、糸が切れた人形のように力を失って崩れ落ちたのだった。無論、ユアナが抱き止めたから床に倒れたりはしなかったが・・。


 マーブル主神の工作室の中は、実に殺風景で、長椅子や寝台は無い。作業台らしい机はあったが、まさか、あんな硬そうな机の上にシュンを乗せるわけにはいかない。


 部屋のほぼ中央に、輪廻の女神とマーブル主神。

 やや離れて扉の前に、オグノーズホーンという老人。


 ユアナとしては、両者から距離があった方が安心できる。何しろ、いつ攻撃を受けるか分からない。

 ユアとユナに分かれている時に召喚されていれば、もう少し警戒し易かったのだが、ユアナの姿の時に神界に連れて来られると、地上世界へ戻るまではこのままなのだ。1人で全てを警戒しなければいけない。


(何があっても、シュンさんだけは護らないと・・)


 神聖術による防御、継続回復は当然として、預かっている秘薬を即座に取り出して使えるよう意識しておいた方が良いだろう。


 シュンを護ることを考えたなら、輪廻の女神のように後ろから抱えていたら身動きが取れない。


(床に寝かせて・・)


 でも、その床から攻撃を受けたら? 接地しているところから影の刃を出すくらい、輪廻の女神なら簡単にやってのけるだろう。


(・・抱えて持ち上げておく?)


 シュン1人を抱え上げるくらい問題無い。外見は華奢でも、身体の力は"ネームド"級である。


(でも、両手が塞がるのは危険かも?)


 色々と考えた結果、立ち上がったまま、もたれ掛かるシュンを右手で抱えて立たせ、左手を空けておくことにした。


 そのまま、オグノーズホーンとは逆側の壁へと離れる。


「そう警戒するな」


 オグノーズホーンが苦笑した。


「・・先ほど、攻撃を受けていますから」


 ユアナはシュンを右手に抱えたまま、床や天井、壁へ視線を巡らせて光壁を展張した。


「ふむ・・今の一瞬で、それか。しかも、分厚い・・いや、薄い光壁を幾重にも重ねているのか」


 オグノーズホーンが感心したように言った。


「・・そんなに強いのに、どうして主神様はゾウノードなんかに入り込まれたのですか?」


 ユアナは、硬い表情のままオグノーズホーンに問いかけた。

 輪廻の女神とオグノーズホーンが揃っていて、何をやっていたのかと。


「儂が主宮の周辺で風の女神を処分しようとした時に、主殿が手心を加えてやれと仰った。まあ・・慈悲深い方なのだ。甘いとは思うたが、主命故、儂は風の女神を無力化して捕らえた」


 オグノーズホーンが、ほろ苦く笑った。

 その風の女神と話がしたい。どうして裏切ったのか、直接問い質したいと、マーブル主神が言い出したらしい。


「無論、儂と闇は反対した」


「・・それで、その風の女神が何かやったんですか?」


「風の女神にゾウノードが入り込んでいたのだ。手法は分からぬが・・2、3質問をしたあたりから、主殿がおかしくなった」


『闇術や呪怨の類では無かったわ。霊体・・それも、かなり微細に凝縮された霊が神様の中に入ったのよ』


 輪廻の女神が怒りに顔を歪めながら言った。


「・・それで、女神様もオグノーズホーンさんも命令を?」


 ユアナは、油断なく両者を等分に見ながら訊いた。


『神様から・・この部屋から出るな。使徒シュンを神界に入れるな。この2つを命じられたわ』


「守らねば、主殿の身体を自壊させると脅しおった」


「できます? 自分が憑依のようなことをしている肉体が壊れちゃったら、もう行き場がなくなるでしょう?」


 宿主を失えば、入り込んでいたゾウノードも消えることになるだろう。


「そうは思ったが・・自暴自棄になれば、やりかねんだろう」


『私には、神様が全てなのです。失う事は絶対に嫌なの』


 輪廻の女神が、白目を剥いているマーブル主神を抱きしめる。


「主殿が目を覚まし、おまえ達を殺せと命じれば、儂はおまえ達の敵になる。だが、先ほどのシュンの言葉通りなら、数日の猶予があるはずだ」


 オグノーズホーンが、どこからともなく大きな座布団を取り出して、ユアナの方へ放った。


「シュンの嫁になるほどだ。修羅場は嫌になるほど潜っておろう? ここは腹を決めてくつろいでおけ」


「・・まだ婚約者です」


 ユアナは、床に転がった座布団とオグノーズホーンの顔を見比べ、少し考えてから小さく息を吐いた。

 改めて、オグノーズホーンと輪廻の女神を見てから、座布団に腰を下ろすと、抱えていたシュンをそっと寝かせ、自分の膝の上にシュンの頭を乗せた。


『・・あら、それ良いわね。で、でも・・今は手を離す訳には・・あぁ、でも何だか良いわ』


 輪廻の女神が何やら悩み始めた。


「機会があればと思っておったが・・」


 オグノーズホーンが静かな口調で語り始めた。


「シュンには、異邦人の血が流れておる」


「えっ?」


 ユアナは、大きく双眸を見開いた。


「かなり昔の・・何代も前の先祖にな」


「そうなんですか?」


 ユアナは、膝の上のシュンの顔を見つめた。


「主殿が苦労して辿り、調べたことだから間違いないだろう」


 シュンのあまりの"怪物"ぶりに、マーブル主神がシュンのルーツを念入りに調べたらしい。一度や二度の探査では"原住民"としか判別できなかったが、何度も精査し、何代も辿っていく内に、異邦人の女性が出て来たそうだ。


「この世界には、多くの異邦人が暮らしておるからな。珍しくも無い話だが・・」


 オグノーズホーンが穏やかな眼差しをシュンへ向けた。


「その異邦人の女というのが、儂の玄孫でな」


「・・へ?」


 ユアナの瞳が丸くなった。


「なに・・昔、この世界に渡って来た時に、ちょっとな」


「じゃ・・オグノーズホーンさんって、シュンさんのご先祖なんですか? そういう事ですよね?」


「ふむ・・まあ、恐ろしく世代が離れておるし、血縁といっても限りなく薄いらしいが」


 オグオーズホーンが淡い笑みを浮かべた。


「細かな数字の事は分からぬが、1より小さな、ほんの微細な数値だけ・・儂と関わりがあるというだけの話だ」


「・・オグノーズホーンさんって、他にも御子孫がいます?」


「む?・・それはまあ、おるだろう。子がおり、孫がおり、玄孫がおったのだ。儂の子孫は、この世界のどこかで暮らしているはずだ」


「それって、みんなシュンさんみたいな・・凄い力を持っているんですか?」


 もしそうなら、とんでもない事になりそうだ。


「儂の血を引いただけで力が宿るなど有り得ん。そもそも、シュンは生まれついての力など持っておらんぞ?」


 オグノーズホーン自身が、先天的な特殊な力を持っていないのだと言う。ただ、後天的に、努力をして手に入れた力は誇れるだけのものがある・・と、オグノーズホーンが笑って言った。


「霊気を操る感覚・・素養くらいはあったかも知れぬが、少なくとも迷宮に入った時の能力に特別なものは無かったそうだ。腕の良い狩人ではあったそうだが・・」


「うん・・そうかも」


 ユアナは出会った頃のシュンの姿を思い出しながら頷いた。


「いきなり、闇の迷宮を突破してな。主殿も興味をそそられて何かと目を掛けていたようだ」


 オグノーズホーンが輪廻の女神の方を見た。

 女神が何やらごそごそ動いて、黒衣の中でマーブル主神の身体の向きを変えようとしている。


「闇の・・それでは、主殿が闇に溺れてしまうだろう。せめて、顔くらい外に出しておかぬか」


『・・そうね。もどかしいけど、仕方無いわね』


 輪廻の女神が、またゴソゴソと何やらやって、マーブル主神の顔を黒衣の外に出した。


「それはそうと・・中へ入ったシュンの心配はせんで良いのか? ゾウノードが構築した"内面世界"・・簡単な戦いでは無いと思うぞ?」


「えっ? だって、シュンさんですよ?」


 ユアナは、きょとんと眼を見開いてオグノーズホーンを見た。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る