第263話 ゾウノードの罠


『あ・・あれっ? 何か邪魔しちゃったっぽい?』


 マーブル主神が気まずそうに声を掛けた。


 冒険者協会の応接室で、ユアナがシュンに向かって勇気を振り絞った直後の事である。


 倒れ込むように抱きついたユアナを、シュンが優しく受け止めた・・正に、その瞬間、マーブル主神によって、2人は神界に召喚されたのだった。


 シュンとユアナだけが召喚されたため、座っていた長椅子ソファは消え、2人は抱き合ったまま床に倒れ込んでいる。


『ええと・・1時間くらい後にする? もうちょっと?』


 マーブル主神が申し訳なさそうに訊ねる。


「・・ということらしいが?」


 シュンはしがみついているユアナを見た。


「・・立たせて下さい」


 真っ赤な顔で頬を膨らませたユアナが、シュンに抱えられるようにして立ち上がった。そのまま、膝の辺りを手で払うと、腕組みをしてそっぽを向いた。


『あちゃぁ・・何だか本当に申し訳無かったね』


 マーブル主神が頭を掻きながらシュンを見る。


「ご無事でしたか?」


 シュンは、マーブル主神の後ろに立っている輪廻の女神とオグノーズホーンへ視線を巡らせながら訊いた。


『いやぁ、それがあんまり大丈夫じゃなくてね。それで急いで君達を招いたんだ』


 マーブル主神が苦笑しつつシュンの前に近付いて来た。


「世界に終わりが訪れますか?」


 シュンは、静かな口調で訊ねた。その声音に、ユアナが息を呑んで顔を向ける。


『あれ? 君、気付いてたの?』


 マーブル主神が意外そうにシュンを見た。


「終焉だの、終末の神器などという道具とは異なる"本物"があるだろうと考えていました」


『ほんと・・大したものだ』


 マーブル主神が小さく息を吐いた。


『神々が創り出した世界を消去する装置・・う~ん、術式と言った方が近いかな? まあ、そういう危ない代物があるのさ』


 軽々に神界の外へ持ち出せるような小道具では無い。神界でも主宮と称される主神だけが入れる場所に"白の秘紋"がある。

 それが発動すれば、神々が生み出した全てのものを無に帰して真っ新な状態に戻されるというものだ。


「その秘紋が神界に侵入した者の手に?」


 シュンは輪廻の女神とオグノーズホーンの顔を見た。


『いや、まだ発動はしていないんだけど・・ボクが捕まっちゃってさ。2人が脅されて自由に動けなくなったんだ』


 マーブル主神が頭を掻いた。


「そうですか」


 シュンは小さく頷いた。


『まさか、これも予想してた?』


「いいえ」


『ふうん? それにしては、ずいぶんと落ち着いているよね?』


 マーブル主神がいぶかしげに見る。


「たった今、思い知らされたところです」


 シュンは淡く笑みを漏らした。


『はい?』


「色々と考えて、頭の中を複雑にし過ぎました。最近は自分の頭が幾つもあるような感じで、取り込んだ膨大な情報を理解することに追われ、おぼれたようになっていたのですが・・すっきりしました」


『ええと? 大丈夫? やっぱり、ちょっと待とうか?』


 マーブル主神がシュンの顔を覗き込んだ。

 その眼を、逆にシュンの双眸が覗き込む。


「異界の神、ゾウノードですね?」


『・・おいおい、本当に・・とんでもないね。どうやって、そこに辿り着いたんだい?』


 マーブル主神が仰け反るようにして離れた。


「ゾウノードに囚われましたか?」


 シュンの双眸がわずかに細められる。


『・・面目ない』


 マーブル主神が項垂うなだれた。


「何日保ちます?」


『ボクがボクでいられるのは・・頑張って、あと半日くらいかな』


「女神様とオグノーズホーンも?」


『悪いわね』


「すまんな」


 輪廻の女神とオグノーズホーンが短く謝罪を口にする。


『闇ちゃんも、オグ爺も、ボクには逆らえないんだ』


「状況は理解しました」


 シュンは、いきなりユアナの腰へ手を回して引き寄せた。


「ぇ・・」


 ユアナが小さく声をあげた直後、オグノーズホーンの拳がシュン達を襲い、闇の刃が足元から突き上がった。

 しかし、そこにシュンとユアナの姿は無い。


『・・消えた?』


 輪廻の女神が周囲を油断なく見回す。


「瞬間移動だが・・跳んだ先が分からぬな。あやつ、また化け物の度合いが増しおったな」


 オグノーズホーンが苦笑を漏らした。


『ふふふ・・さあ、ボクの魂が消えるのと、どっちが先かなぁ?』


 マーブル主神が、宙に浮かんで漂いながら笑みを浮かべる。


『神界の何処かに居るはずですわ。捜し出しましょうか?』


 輪廻の女神が黒衣の闇を床へ拡げながら訊いた。


「待て、闇の」


 オグノーズホーンが静止の声をあげた。


『オグ爺?』


 輪廻の女神が焦りを露わに、オグノーズホーンを見る。


主殿あるじの下知を待てと言っておる」


『・・そうね。そうだわ』


 輪廻の女神が怒気を鎮めて、マーブル主神を見た。


『ボクを操っている仕組みが分かるまで、暴れるのは待ってね。2人が部屋を出ちゃうと、ボクの体が危ないらしいからね? まあ、状況からして、はったりだろうけど』


 マーブル主神が輪廻の女神に笑って見せた。


『申し訳ありません。闇は・・でも・・心配です! もし、使徒シュンの行いによって、ゾウノードが暴走してしまったら、神様のお体が・・』


 輪廻の女神が身を揉むようにして訴える。


『う~ん、大丈夫なんじゃない?』


『だ、だって・・使徒シュンは戦いには長けていますけど・・それに神界の仕組みを知らないでしょう?』


「あの者を使徒に選んだ理由が、今になって得心できました。さすがと言うしかありませんな」


 オグノーズホーンがマーブル主神を見て笑った。


『むふふふ・・まあ、最後までボク自身で決着をつけたかったんだけど。彼に任せた方が良さそうだね。何しろ、あの使徒君、一目でボクを幻体だって見抜いてたし・・さすがは、ボクの使徒だ!』


 マーブル主神が両手を腰に当てて胸を張った。


『神様・・』


 輪廻の女神が泣き出しそうな顔で見る。


『大丈夫だよ。ボクの使徒君がきっと何とかしてくれるよ。何しろ、彼はイレギュラーなんだからね』


 マーブル主神が笑い声をたてながら、宙空に消えていった。初めからここには居なかったのだ。


 シュンとユアナを出迎えたのは、オグノーズホーンと輪廻の女神だけで、マーブル主神は別の場所から幻体を見せていただけだった。


 マーブル主神は、主宮に居る。

 神界の主宮に入ることが出来るのは主神だけだ。

 そして、"白の秘紋"を起動できるのも・・。


 異界神ゾウノードがどうやって神界に侵入し、マーブル主神を支配下に置いたのかは不明だったが、マーブル主神の体はゾウノードに操られて、"白の秘紋"の封印を解くために神力を使い続けている。


 時折、支配の力が弱まる瞬間、マーブル主神の自我が戻り、今のように表に出て来るのだが・・。


『使徒シュンは何処に行ったの? 誰であっても主宮に入ったら御自害なさるって・・神様が仰ってるのよ?』


 輪廻の女神が俯いて唇を噛みしめた。


「あれはゾウノードとやらが言っておる戯言だ。まあ、我らは主宮はおろか、この部屋を出ることすら禁じられているが・・」


 オグノーズホーンが、散らかった部屋の中を見回した。マーブル主神の工作室である。


『ああっ! こうしている間にも、神様のお命はどんどん削られているのに!』


 輪廻の女神が拳を握って呻く。


「主殿はお強い。まあ・・色々と隙の多い方ではあるが、ゾウノードとやらも馬鹿な事をやったものだ。何をとち狂って神界に入り込んだのか。なんとも間の抜けた奴だな」


 オグノーズホーンは何処からともなく、丸い座布団を取り出すと扉の前に腰を下ろした。


『使徒シュン・・主宮に入ったりしないわよね? ゾウノードに気付かれたら、神様が危険なことに・・』


「入らんと助けられん」


『オグ爺!』


 輪廻の女神が眼を釣り上げて怒る。


「その辺は上手くやるだろう。あれは、腕力頼みの猪では無い。生粋の狩人だ。あいつの話しぶりからして、神界に来る前から、ゾウノードを獲物と定めて動いていた節がある。逃しはせんだろう」


 湯気の立つ湯飲みを手に、オグノーズホーンが穏やかに言った。


『あら? 使徒シュンって、狩人なの?』


「主殿の使徒で、お主の騎士で、アリテシア教の教祖で、迷宮の管理統括で、神敵にとっては最悪の狩人だ」


『なんだか肩書きがいっぱいね』


 輪廻の女神の素朴な感想に、


「忙しいだろうな」


 オグノーズホーンが思わず笑みをこぼした。







=====

1月14日、誤記修正。

削れて(誤)ー 削られて(正)

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