第8話 人助けは身を滅ぼす
首を
さっぱりとして古着ながらも清潔な白いシャツにズボン、袖無しの胴衣を羽織ると、途端、それまで着ていた衣服の異臭が気になり始めた。どうやら、大変な悪臭を撒き散らしていたらしい。
(悪臭罪とかで斬首されるところだった)
汚れきった衣服を暖炉の火へ放り込み、シュンは寝台の上に組み立て
時間になったら呼びに来るそうなので、それまでの時間つぶしである。
(番のところがへたってるなぁ)
組み立て式の
旅をするわけじゃないし、短槍などを揃えた方が良いだろうか? 迷宮というのが、どんな場所なのか分からないまま道具を揃えても無駄になりそうで嫌なのだが。
(迷宮かぁ・・)
中の広さはどのくらいなのだろう。
天井高は? 幅は? 建物なのか、天然の洞窟なのか。
(選別会で選ばれてしまったら、最低でも3年は迷宮の探索を続けなければいけない)
その行為に、いったいどんな価値があるのだろう?
なんのために迷宮を探索するのか?
斃した魔物は迷宮に吸われて消えてしまうのだと言うし、そうなると毛皮や爪牙も採れない。解体している余裕など無いだろう。
(う~ん・・行ってみないと分からないことだらけだ)
狭所での戦いが主になるなら、自分の戦い方では無いが、楯などを準備した方が良いのかもしれない。
(よし、とりあえず、短刀の予備と短槍、革の軽鎧、それと解毒薬かな)
明日の買い物を決めて、シュンは小さく息をついた。
ちょうど時間らしく、廊下を足音が近付いて来ていた。
「大奥様がお呼びです」
迎えに来たのは、ぴしりと背筋の立った女中服の女性だった。言われるままに後ろについて行くと、戸口に武装した騎士が立った部屋があった。
「・・なるほど」
シュンは部屋に居並ぶ面々を見るなり思わず声を漏らした。
獣人の青年に、女騎士、ノイマンという老紳士、そして女大公が居た。
「見違えた・・とは言えんな。まあ、臭わんだけマシか」
女大公が容赦無い。
「ありがとうございました」
シュンはお礼を言うに留めた。
「まあ、座れ。君の席は、その2人の間だ」
女大公が指さしたのは、獣人の青年と女騎士の間に置かれた席だった。ノイマンが椅子を引いて座るように目顔で促す。獣人の青年は腕組みをして眼を閉じている。女騎士の方は射るような視線で腰回り、シャツの袖などを確かめたようだった。
「案ずるな。喰いかかりはせん」
「・・失礼します」
シュンは諦め顔で着席した。
「両手は机の上に置いておくように」
隣の女騎士に言われて、両手を机上に置いた。そこまで気にするくらいなら縛り上げてくれれば良いのにな。そんな事を思いつつ、視線で机の木目をなぞりつつ相手の質問を待つ。
「やれやれ、案じておるのは、我が方の騎士であったか」
女大公が呆れた口調で言う。
「・・護りを確かなものにするためです。ご寛恕を」
硬い表情のまま女騎士が言った。
「やれやれ・・そういうことだ。窮屈だろうが、我慢してくれ」
「大丈夫です」
シュンは机上を見つめたまま答えた。
「・・・では、さっさと終わらせよう。客人を不快にさせるばかりのようだ」
女大公がノイマンから書類を受け取った。
「シュン君が連れ来た少女について、その発見から、こちらのクラウスへ託すまでを説明してくれ」
「はい」
シュンは街道で起きた出来事について淡々と話して聴かせた。
「すべて事実か?」
「はい」
「ふむ・・」
視線を伏せたままのシュンに、女大公がしばらく視線を向けていたようだった。
「一点だけ、信じ難い部分がある。これは、疑っても仕方なの無い部分故に、本来なら捨て置くべきなのだが、どうにも性分でな。はっきりとさせておかねば気が落ち着かん」
「なんなりと」
「君が河蛙どもから少女を助け、適切に救命措置を行ったことは疑う点が全くない。見事としか言いようが無い」
「・・・」
「だが、その後、うちのクラウスが君を見つけるまでの間に不審な点がある」
「背負って走った事ですか? 馬もありませんでしたし、ああするしか思い付きませんでした」
「・・いや、その行為自体は良いのだ。つまり・・どうやって、あれほどの距離を少女を背負った状態で走ったのか。君は、3キロ先を走っていた私の馬車に追いついて来ていたのだぞ?」
「・・夢中でしたから、ただ・・助けて欲しくて手を振りました」
あの時の事を言われても、他に答えようが無い。事実、シュンは死ぬ思いをして走り続けただけだった。
「・・ううむ」
女大公が低く唸った。
「どうにも・・私の眼と耳を信じるならば、君は真実しか語っていない」
「はい」
「一方で、私の頭がそんなはずは無いと疑っている」
「本当の事ですから」
「・・クラウス、そんなしかめっ面は止せ」
女大公が苦笑気味に言った。
「ただ確かめたい・・それだけだと言ったであろう」
「お嬢の命の恩人ですぜ?」
獣人の青年が、低い声で短く言った。押し殺した不満が声音に滲んでいる。
「クラウス! 無礼なっ!」
女騎士が怒声をあげて立ち上がりかけたが、
「良いっ! クラウスの申すとおりだ。無礼を働いたのは、私の方なのだ」
女大公が
その間、シュンは両手を机上へ置いたまま、じっと木目を眺めていた。風呂に入ることは出来たし、適当なところで追い出してくれると有り難いのだが・・。
(そういえば、どうして蛙に食べられてたんだろう?)
あの場所は、街道からは離れ過ぎている。それに、どうやら大公家に関係のある女の子だったようなのに、護衛も付けずに何をやっていたのか?
河から上がって来た?
(・・あるな)
河船が沈んだか、船から落ちたか。河岸まで泳ぐなり流れ着くなりしたが、岸辺に生息している河蛙に襲われた・・十分に有り得ることだ。
(貴族のごたごたか・・)
これは、人助けをしたつもりで、厄介な騒動に首を突っ込んだかもしれない。
「もう帰して頂けませんか? 今晩の宿探しもありますので」
シュンは机を眺めたまま言った。
一瞬、呆気に取られたような、息を呑む気配が部屋を支配し、すぐに女騎士が怒気も露わに横合いから襟首を掴んで来た。
しかし、シュンは、両手を机上へ置いたまま身じろぎもしなかった。
「
「こ、このっ・・」
女騎士が力を込めて襟首を引いたために、シャツが胸元まで引き裂けてしまった。
「止めよ! リージェ! 待てっ、クラウス!」
女大公が声を荒げ、びくりと女騎士が動きを止めて慌てて襟首を放した。その女騎士の喉へ、獣人の青年の指が食い込んでいる。
「坊主、よく耐えた。これ以上は俺が
「クラウス」
「こいつは、お嬢の命を救った。その上で何も望んじゃいねぇ。こっちがどこの誰かも関係ねぇんだ。ただ、お嬢を助けただけで、こうして連れて来られ、罪人のように責められ、服は破られ・・この辺にして貰いましょうかね」
獣人の青年の指が喉に食い込み、女騎士が真っ赤に顔色を変えて身を震わせている。青年は、腕一本で、甲冑を着ている女騎士を吊っているのだった。
「落ち着け、クラウス」
「ああ、クラウスさん?」
シュンはおもむろに席を立った。
「坊主・・」
「そのくらいで・・俺は大丈夫です。貴族がこうしたものだということはよく知っていますから。お風呂の対価としては、この程度ならお安いものです」
「・・ったく、すまねぇ。お嬢を助けて貰って、却って迷惑を掛けちまった」
クラウスが女騎士を壁際へ放り棄てた。
「ですから、大丈夫ですって。庶民はこんなの慣れっこですよ」
シュンは苦笑気味に笑った。
「ちぇっ・・どっちが年長だか分かんねぇな」
クラウスが嘆息した。
「でも、凄いですねえ」
「何がだ?」
「女の子の、あの傷が消えたんでしょう? 治癒魔法で」
「ああ・・そうだな。あれは見事なもんだった」
「今さらですけど、もう駄目だと思ってましたよ」
「そうだな。お前からお嬢を預かった時、俺もそう思ったよ」
クラウスが肩を竦めた。
「享年16歳・・罪状は不敬罪ってやつですか。これだから貴族に関わるのは嫌なんだよなぁ」
シュンは部屋の外に集まってきた重たげな足音を聞きながら呟いた。
手持ちの武器は何も無い。2、3人はやれるだろうが、その後は運だのみの乱闘だ。死亡確定だ。
「やれやれ・・だな」
女大公が額に手を当てながら、ちらりと傍らの老紳士を見た。
「おまえまで、私を責めるのか」
「命を賭してお諫めせねばと思い極めておるところです」
「・・援軍は無しか」
女大公が椅子の背もたれに寄りかかった。
そこへ、
「お退きなさい」
扉の外で冷徹な女の声が響いて、先ほどの女中が部屋に入って来た。布で包むようにして、シュンが部屋に置いてきた弩や矢、短刀、背負い袋などを持っていた。
「荷物です」
「・・ありがとうございます」
シュンは礼を言って受け取った。
「替えの衣服はありますか?」
「古着屋で買うので平気です」
「気を付けて行きなさい」
女中が無表情に言って部屋から出て行った。外に犇めいている兵士達が慌てて左右へ道を開いたところを見ると、どうやらただの女中では無い。
「どうにも・・このままでは、私の首が撥ねられかねんな」
女大公がぼやく。
「つまり・・偽物?」
シュンが女大公を見る。
「影武者だが、ちゃんと子爵様だぜ」
「・・じゃ、不敬罪は継続中?」
「さあな、いずれお達しが届くだろうよ。だが、大公様は道理の通らないことはやらねぇ方だ」
クラウスが戸口から覗き込む兵士達を睨んだ。大急ぎで顔が引っ込む。
シュンは破られたシャツをそのままに背負い袋を背負って外套を羽織った。短刀を腰のベルトへ吊り、
「もう、邪魔をする奴は居ないと思うが、気を付けて行け」
「はい。次は風呂に釣られないようにします」
シュンは窓際に寄るなり、開け放った窓から外へ身を躍らせた。
「3階だぞ!」
大公の影武者をしていた女が慌てた声をあげて窓辺へ駆け寄った。外へ身を乗り出すようにして眼下の通りを見回すが、シュンの姿はどこにも見当たらなかった。
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