第7話 迷宮都市

 河蛙トード騒動の他は特に大きな事件も無いまま、シュンは迷宮都市に辿り着いていた。

 駅馬車では無く、徒歩で門を入って来たシュンを見て門番が呆気に取られた顔をしていた。


「孤児の義務を果たしに来ました」


 それだけを告げる。


「・・そうか」


 門番の男が帳簿を開いて名前を書くように指示をする。


「シュンだな」


「はい」


「ここでの事は聴いているか?」


「はい」


「次の選別会は明後日だ。届けはこちらでやっておくが・・少し身綺麗にした方が印象が良いらしいぞ」


 門番の男がシュンの身なりを見て少し声を落として言った。


「分かりました。風呂のある宿はありますか?」


「風呂付きは、貴族様御用達だな・・湯屋ならあるが、お前のようなのが行くと湯女に玩具にされちまうぞ?」


「・・古着屋はあります?」


「門を潜って左側は庶民向けの店や宿が集まっている」


 門番が親切に教えてくれた。


「ありがとうございます」


 シュンは礼を言って、物々しい城門をくぐって街中へ入った。


(人が多いな)


 思わず顔が歪む。

 これが嫌で、ラープの町にも入らずに、ここまで歩き通したのだ。さすがに、ここで逃げ出すわけにはいけない。


 道に沿って並んだ屋台をチラ見しつつ、物の値段をざっと見聞きしていくと、思っていたよりも良心的だった。もっと高騰しているのかと思ったのだが、同じような品を扱う競合店が多いためだろうか。


 古着を何着か仕入れ、状態の良さそうな干し肉と練り固めた餅のような物を買ってみた。作りの良さそうな革製の鎧を売っている店もあったが、武器防具は選別会の後で買い求めることにして、砥石の予備と油だけを買っておいた。


(あとは、薬屋か・・ん?)


 シュンはふと足を止めて、小さな天幕を張った出店を覗いた。どこかの本からちぎってきたのか、大きさの違う紙を紐で束ねて"本"として売っている。いわゆる古本屋だった。エラードやアンナが本物の本を持っていたから、文字を習うついでに繰り返し読ませて貰ったが、紛い物でも、文字の描かれた紙を見たのは久しぶりの事だった。

 先ほどの門番も紙の帳簿を持っていたし、迷宮都市というのは紙が当たり前にある場所らしい。


「おや・・その歳で文字が読めるのかい?」


 声を掛けてきたのは、客として来ていた初老の女だった。一目で貴家の人間だと分かる佇まいである。


「お邪魔かい?」


「もう少し先か、後であれば良かったのですが・・」


 シュンは手に取っていた紙束を籠へ戻した。


「おやおや、素直なことを口にする子だ。それで、私の問いかけには答えてくれないのかい?」


「エインサラ語の読み書きはできます。ただ、ノックス語とニジェーラ語は読むだけで書くことは不自由です」


「ほう・・今の時期に、この町へ来たのだから、君は16歳になったばかりだろう?」


「はい」


「そして・・孤児」


「はい」


「よほど良い孤児院か・・里親に育てられたんだね」


「はい」


 シュンは躊躇ためらわずに頷いた。


「ふふっ・・良い返事だこと。君は面白い」


 初老の女がじっとシュンの顔を見つめた。深い緑色をした瞳に映っている自分の様子に気が付いて、


「あぁ、今から洗うところなので、もう少しマシになりますよ?」


 シュンが言うと、


「君が、クラウスの言っていた猟師ハンター君だね?」


 女がわずかに目元を和ませた。


「クラ・・ああ、あの強そうな」


「君の行動を邪魔するつもりは無いが、あの時の事情をどうしても聴いておきたくてね。方々を探させていたのだけど・・まさか、ここに居るとは思わなかった」


「・・あの子は?」


「無事だ。君の処置が適切だったおかげで、傷一つ残らずに治癒できた」


「そうですか」


 シュンは、ほっと安堵の息をついた。どうしようも無い事だと思いながらも気になっていたのだ。


「君にも都合があるだろう。明日、うちの使いをやるから屋敷の方へ来て貰えないか?」


「非常に厚かましいお願いがあるのですが・・」


「ほう? 聴こうじゃないか」


「その・・湯船を使わせて貰えませんか?」


「ん? 湯・・なるほど」


「ずうっと歩いて来たので、全体にかなり汚れているのです。できれば、お風呂に・・と思ったのですが」


「湯船など、貴族用の宿にしか備え付けておるまい」


「・・という事なのです」


「よし・・ノイマン」


 女が背後に向けて声を掛けた。少し離れた場所に立っていた老紳士が近付いて来た。


「大奥様・・」


「この子のために部屋を取りなさい。湯船が備わった部屋だ」


「畏まりました」


 老紳士がお辞儀をする。


「これで良かったかな?」


 女の視線を受けて、シュンは深々と頭を下げた。

 何よりも嬉しいご褒美である。


「御名前をお聴かせ下さいますかな?」


「ぁ・・失礼しました。シュンと申します」


「シュン様ですね」


 老紳士が斜め後ろに立っていた若者に頷いて見せると、すぐさま若者が走り去って行った。


(いつの間にか、そういう人ばかりになってるな)


 大奥様と呼ばれる女を中心に、ずらりと逞しい男達に囲まれているようだった。正しく肉の楯である。


「君は、萎縮するようには見えないけれど?」


 女に声を掛けられて、シュンは頭を掻きつつ苦笑した。


「無事にお風呂に入れる事を願うばかりです」


「ふふ・・何も取って食おうと言うのでは無い。事のあらましは調べた。ただ、少し曖昧な部分が残っているので、君から話を聴いて補完したいのだ」


「なるほど・・」


 肩は凝りそうだが、湯船に浸かれる魅力に比べれば大した事では無い。降って湧いた幸運に、シュンは久しぶりに気分が明るくなっていた。


「シュン君、買い物は良いのかな?」


「はい」


「では行こうか。先触れはしてある。着く頃には湯船に湯が満たされているだろう」


「何よりの褒美です」


「なんと・・なかなかの風呂好きのようだな」


「はい。熱い湯に浸かると、その日の全てが報われる気がします」


「ふむ、何というか・・」


「年寄り臭いですよね? よく言われます」


「ふふっ・・ノイマン、私は本当に15歳の若者と話をしているのかな?」


「大奥様、紛れもなく・・」


 老紳士が柔和な表情で頷いて見せる。


「シュン君は何処から来たのだ?」


「ジナリドという町です」


「この国の北東部にある町だな。確か、モンチャッド男爵が治めていたか」


「すでに亡くなられております」


 ノイマンが穏やかな声音で訂正する。


「ふむ・・後は誰が継いだ?」


「一代のみの爵位でありました。現在は帝の直轄地となっております」


「そうだったか。では、代官が赴任しておるのだな?」


 女がシュンを見る。


「ベネデート様ですね」


「ノイマン?」


「その通りで御座います。確か、騎士爵の方であったと記憶しております」


「ほう、騎士の身で代官か」


 呟いた女が少し妙な表情をしたようだった。


「ノイマン様」


 シュンは老紳士に声を掛けた。


「何事でしょう?」


「こちらの御方はどういった方なのでしょう?」


 声を潜めて訊ねる。


「サディータ領の領主にして、大公であらせられる。敬うが良い」


 答えたのは、その大公閣下であった。







=====

10月26日、誤記修正。

この来た(誤)ー この町へ来た(正)

非情に(誤)ー 非常に(正)

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