第6話 人助け


「ずいぶんと良い匂いをさせてるね」


 声を掛けてきたのは、先ほど追い越して行った馬車、その護衛らしい獣人の青年だった。どこか猫っぽい、人と獣が混じり合ったような不思議な風貌は、シュンが居た町では、ほとんど見たことが無い。冒険者協会のキャミさんは猫人族だったが、目の前の青年はもっと獰猛な獣を想わせる。


「おっと、そう警戒しないでくれ」


 獣人の青年が笑顔を見せた。

 シュンがわずかに足の位置をずらして不意討ちに備えた、その動きに気付いたのだ。


(・・厳しい)


 身を隠す物の無い、こう開けた場所では身体の能力差を埋める手段が限られる。

 獣人の青年とシュンとでは、基礎の体力、俊敏さがまるで違う。捨て身で掠り傷を入れられるかどうか・・。


「おいおい、本当に・・何も悪気は無いんだぜ?」


 獣人の青年が苦笑しつつ頭を掻いた。その手が頭の後ろに隠れただけで、シュンは緊張の視線を配っている。


「クラウス、もう良い」


 もう1人の護衛が兜の面頬を跳ね上げながら声を掛けた。声の感じは、どうやら女らしい。


「・・そうだな。いや、邪魔したな」


「貴方は、騎士様ですか?」


「え・・」


 まさか話し掛けられるとは思っていなかったらしく、獣人の青年が軽く眼を見開いた。


「騎士様は、あっちだ。俺は傭兵上がりの私兵さ」


 獣人の青年がシュンから眼を外さずに答えた。シュンの方も、青年を見つめたまま身じろぎしない。


「水鳥を獲って食べました。でも2日も前の事ですよ」


「そうかい? いや、燻製スモークの香りがしたものでね」


 獣人の青年が小さく口元を綻ばせた。その間も、双眸はシュンの瞳を捉えて離れない。


 しばしの沈黙の後、


「・・買い取ってくれるなら」


 シュンは身体の力を抜いた。どう思案しても勝ち筋が見えない。


「ふふっ・・良いねぇ、良いっ! 買い取ろうじゃないか」


 獣人の青年が破顔した。


「クラウス!」


 女騎士が苛立いらだたしげに声を掛けつつ馬を寄せて来た。


「この猟師に、鳥の燻製くんせいを別けて貰っただけですよ」


 獣人の青年がシュンに向かって片目をつむって見せつつ、油紙に包んだ燻製鳥を3羽受け取った。代わりに、聖印銀貨を5枚も押しつけて手を振る。


「・・ありがとうございました」


 シュンは頭を下げた。


「こっちこそ、楽しめた。また縁があったら会おう」


 獣人の青年が鼻歌を吟じながら馬車の方へ去って行った。

 女騎士がシュンの方を一瞥いちべつして、


「連れが迷惑をかけた」


 小声で言って黙礼し、そのまま馬首を巡らせて去って行く。


 シュンはその場に立ち止まったまま、馬車の様子を眺めていた。艶のある黒木造りの豪奢な馬車だが、装飾品は付いていない。貴族の馬車にありがちな、家紋らしき物も見当たらないようだった。


(護衛が2人だけ?)


 どこかの貴人なのだろうが、御者を入れても3人・・中に乗っていたとしても、せいぜい4人の供回りだけで旅をして来たのだろうか。


 土埃をあげながら去って行く黒馬車を見送り、なお時間を置いてから、シュンはゆっくりと歩き始めた。


(鳥が2羽になった)


 別けて食べるから、5日くらいは保つが、どこかで携行食糧を補充しておいた方が良いだろう。


(また蛇かな)


 味は悪くないのだが身が少ない。


(後、何日かな?)


 次の町からは駅馬車に乗る。船の賃料を高く感じたので、ラープという港町まで河沿いに歩いているのだった。


(ん・・?)


 シュンは物音を聴いた気がして視線を左右した。

 街道には他に人影が無く、空は薄曇りといった感じで雨の気配は無い。


(・・なんだろう?)


 少し切迫した感じがする。

 シュンは背嚢はいのう下にくくりつけてあったボウガンを外して、手早く組み立てていった。弦だけを引いて金具に掛け、短矢ボルトは手に握ったまま物音がした方へと小走りに進む。


 白っぽい大石が点在する丘を駆け上り、注意深く視線を地表に沿って這わせて行く。


トード・・河から出て来たのか)


 河の魔物だ。カエルとは言っているが、体高が2メートルある化物だった。牛馬でも人間でも口に入る物は何でも喰う。


 シュンは、わずかに見え隠れしている黄緑色の背中を見るなり、弦を引いたままのボウガン短矢ボルトを載せた。直後に引き金を握っている。

 すぐさま、弦を引き直して次矢を放つ。

 その間、わずかに2秒ほどか。


 石の間をするすると音も無く駆け抜けて、苦悶して暴れている大蛙を横目に、潜む位置を変えて再び弩の弦を引く。


(人・・喰われたのか?)


 トードの口から人の足らしきものが覗いて見える。窒息さえしていなければ助かるかもしれない。


(・・5匹か)


 地面に毒の入った小壺を置き、短矢ボルトの先を浸すなりボウガンに載せて放つ。


 一発、二発、三発、四発・・・。


 突然の襲撃者を探して、あちこちへ頭を向け、眼を動かしているトード達が、頭部を射貫かれ、目玉を失い、半狂乱になって身もだえる。


(人を喰っていたトードは一匹だけか)


 精密に射撃をしながら観察をしていたシュンが腰の短刀を抜いて走った。

 息ができない状態だとすると一刻を争う。


 まだ死にきれずに痙攣している大きなトードを仰向けにひっくり返し、躊躇ためらわずに短刀を突き入れ、一気に腹まで切り裂いた。えた悪臭が立ちのぼり、溶けかけの肉塊と一緒に小柄な女の子が出て来た。12歳くらいだろうか。髪も顔も胃酸にやられて痛々しいくらいに変色していた。眼も潰れているだろう。これはもう、傷薬ではどうにもならない。


(駄目か?)


 そうは思ったくらい、女の子の顔は胃酸で灼かれてただれてしまっていた。引きずり出して、横向きに寝かせると、軽く喉を反らしながら背を鋭く圧す。


(・・よし)


 まだ息をしている。トードの胃酸は致死の毒では無い。飲んだ量が少なければ助かるかもしれない。


 シュンは女の子の衣服を剥ぎ取ると、脱いだ外套の上に寝かせ、薬草の煮汁を浸した布で全身を拭いていった。赤い発疹や火傷のようになった部位などあったが、トードに呑まれたにしては軽傷だ。


 布を替え、同じ作業を繰り返す。

 ラープの町に、治癒術師が居れば顔や身体の傷は消えるだろう。


 解毒薬、炎症止め・・と、口移しに薬を飲ませ、薬液で濡らしたまま自分の着替えを着せる。その上から外套で包んで背負いあげ、そですそを絞って身体の前で結んだ。


 シュンは、ボウガンの弦を引いて金具に掛けた状態で片手に持ち、小走りに街道めがけて駆け上がって行った。

 危険は承知で、道行く馬車なり、馬なりを借り受けるしか無い。


 フッ・・フッ・・フッ・・


 規則正しく呼吸を繰り返しながら傷んだ石畳みを走る。


 久しぶりに汗まみれになって走る事になった。

 自分の身体一つでも重たく感じるのに、もう1人背負っているのだ。


 懸命に足を前へ出しているが、もどかしいくらいに遅い。だが、馬も馬車も通らないのでは、とにかく走るしかない。


(き・・きつい・・)


 破れそうなくらいに心臓が脈動している。息も乱れて、無意識に大口を開けて空気を吸おうとして咳き込み、せ返る。

 それでも、足は前へ出していた。

 まだ走っている。


(あ・・)


 遙かな先に、ぽつんと点のように馬車が見えた。なだらかな下りになり、遠くまで見渡せるようになったのだ。先ほどの黒馬車だろう。


 思わず片手のボウガンを振っていたが、


(遠い・・駄目か)


 先を行く馬車が、こんな後ろを見ているはずがない。いや、仮に振り返って見たとしても・・。

 そうは思ったが、それでもシュンはボウガンを振りながら走っていた。


「うぅっ・・」


 背負っている女の子が呻き声を漏らしたようだった。


「すまない・・耐えてくれ」


 肩越しに声を掛けながら、シュンは遮二無二走った。


 その時、


「おぉ~い、狩人少年」


 いきなり男の声が聞こえた。

 

 はっ・・と顔をあげると、先ほどの獣人の青年が馬を走らせて戻って来ていた。あれほど遠かったのに、異変に気付いてくれたらしい。


「どうしたっ!?」


 シュンの尋常じゃ無い様子を見て取るなり、馬から飛び降りて駆け寄ってきた。


「こ、この子・・助けて」


 絶息寸前の有様で、座り込むようにして地面に背負っていた外套を降ろして手早く開く。


「これは・・」


 獣人の青年が息を呑んだ。


「向こう・・河蛙トードに・・呑まれていた。薬液で胃酸は拭いた・・」


「分かった。後は任せろ。お前は大丈夫か?」


「お、俺は・・良い・・その子を早く」


 シュンは息もえに言って外套ごと女の子を押しつけた。


「よし、任せろっ!」


 獣人の青年が女の子を外套で包み直すと身軽く馬に跨がって、ちらとシュンを見ると、すぐさま馬首を巡らせて疾駆を始めた。


(凄い・・あの距離で俺を見つけたんだ・・凄い人だ)


 ぜぇぜぇ、げぇげぇ・・息をつくのも大変な有様で、シュンは獣人の青年に感心していた。



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