第5話 旅立ち
「行ってくるね」
「ああ、行くからには、しっかりやんな!」
アンナがシュンを抱き締め、小さな背をそっと
鍛冶屋の前には、エラードやミト爺、受付のキャミも見送りに来ていた。
エラードからは厚造りの短刀を、ミト爺には皮剥用のナイフを、キャミからは御守りを贈られた。
アンナに解放されて、
「・・まあ、すぐに返品されるかもしれないけどね」
シュンが照れ臭そうに笑う。
「その時はとっとと戻って来い! ああ、土産の一つ二つは仕入れて来いよ!」
エラードが常のどら声で言った。
「そうよ! 腕の良い冒険者は何時だって歓迎だからね? 年季が明けたら戻って来てね?」
キャミが真剣な顔で訴える。
「確かにのぅ・・近頃は、傷だらけのボロ雑巾のようにした獲物を持ち込む奴ばかりじゃ」
「そう言えば、迷宮の魔物は解体できないって聴いたなぁ」
シュンが呟く。
「死体は、壁や床に吸われて消えちまうって話だ」
エラードが言った。
「ふうん、変なの・・」
「獲物の心配より、自分の心配をしなっ!
アンナが叱った。
「・・そうだね。うん、気を付けるよ」
シュンが素直に頷いた。
「道中は、人に気を付けるんだぞ。魔物なんぞより、人間の方がよっぽど怖いんだからな? はっきり盗賊だ、山賊だと分かるような奴等ばかりじゃ無いぞ?」
エラードが言った。
「うん・・そこは、ちょっと自信無いけど頑張るよ」
「
「うん」
「出された食事や飲み物に薬を入れられる事だってある。解毒薬は絶えず携行しておけ」
「うん」
アンナ、エラード、ミト爺、キャミから、わいわいと注意事項を浴びせられ、その全てに素直に頷きながら、シュンはこの町で育って良かったと・・この人達と知り合えたことを神様に感謝していた。
迷宮都市までは、隣町まで徒歩で行き、馬車に乗せて貰って次の町へ。船で河を下ってラープという港町へ。そこからは、迷宮都市方面へ駅馬車が出ている。順調に行けば、3ヶ月ほどの旅程だった。
町を離れれば、人を見かける事すら無くなる。旅の人がどこで死のうと誰にも分からない。魔物はもちろん、わずかな金品を狙って追い剥ぎをやる人間は当たり前のように居るし、集団で武装して襲ってくる山賊も居る。
旅の道中が無事で済む確率は限りなく低い。野山を旅するというのは、そういう事だった。
「しばらく会えないから、体に気を付けて」
「まだまだ、くたばりゃしないさ!」
アンナがむすっと膨れ面で言った。
「エラード・・アンナをよろしくね?」
「ぶははは・・心配するなら、俺の方だ! このクソ婆ぁが数年でどうにかなるとでも思ってんのっ・・」
言葉途中で、エラードの筋骨逞しい体が二つに折れた。その腹部に、アンナの拳が深々とめり込んでいる。
「ミト爺も、キャミさんも・・お元気で」
「ふん・・儂の方は今生の別れになりそうじゃ」
「ナイナイ」
キャミがパタパタ手を振る。
「・・アンナ・・お母さん、行って来ます」
シュンは勢いよく頭を下げると、くるりと
「親より先にくたばるんじゃ無いよっ!」
アンナの怒鳴り声が背中を圧す。
「土産を待っとるぞ!」
「元気でねっ! 必ず帰って来てよ!」
次々に掛けられる声に片手をあげて応えつつ、シュンは真っ直ぐに道を歩いた。
まだ
しばらくは踏み固められた道が続き、すぐに下草が
住み暮らしていた山とは逆の方角だ。
シュンにとっては、初めてとなる河向こうへの旅になる。
やや重たげな雲が流れていて、旅立ちに
(闇討ちには良いかもな)
いずれ降り出す雨が、死体を冷やし、血を洗い流してくれる。何時死んだのか、あやふやになってしまうのだ。
山道を進みながら、道端の草を摘んだり、樹上の鳥を眺めたり・・シュンはぶらぶらと歩いていた。
いつしか、木々が鬱蒼と茂った森になり、道は森を流れる小川に沿って登りになっていた。低木の枝葉が伸びて道を覆い、下草の踏み跡を見つけるのも苦労する。
(くそっ、いつ休む気だ)
胸内で毒づいたのは、シュンの後をつけてきた男だった。アンナの鍛冶屋前から、ずっと尾行してきたのだ。
(殺してやる!)
そのつもりで、付かず離れず距離を取りながら町から遠く離れた山間にまで追って来た。
男は外套の頭巾を目深に被り、短槍を手にして木立の隙間に眼を凝らしていた。
(・・どうなってやがる?)
シュンが休憩をする時を狙うつもりで追っているのだが、いつまで経っても休まないのだ。
すでに町を出て3時間も歩き通しだった。追っている男の方が疲労を感じ始めている。
(くそっ・・)
額を濡らす汗が眼に入って染みた。被っている頭巾の内でごしごしと顔を擦って汗を拭く。
(ぁ・・?)
男がぎょっと眼を剥いた。
視線の先から、旅装姿のシュンが消えていた。
(ど、どこに行きやがった!?)
直後、首筋に鋭い痛みが跳ねた。
「ぐっ・・な、なんだ」
思わず声を漏らして喉元を手で払った男が、地面に落ちたものを見て顔を引き
(解毒薬を・・)
すでに震えが始まった体で、薬袋をまさぐろうと手を後ろ腰へ回したが、あるはずの革袋に指が触れなかった。
(な、なんで・・)
冷たい汗が染み出した顔に、血走った眼だけが熱く痛い。懸命に腰回りを手で探り、絶息寸前の状態でのろのろと周囲へ視線を巡らせた。
「・・ぁ」
少し離れた草むらに、革の薬袋が落ちていた。
「ぁ・・ぁ・・」
男は何とか体を動かそうと手を動かしたが、もう足腰に力が入らなかった。
「ノイブルの人か」
不意の声は、男の後ろにある立木から聞こえた。
酷くゆっくりと首を捻った男が、僅かに開いた唇の端から血泡を吐きながら、何かを言おうとして倒れていった。
ノイブルのレンドル。先日、冒険者協会でシュンを殴った男だった。
(誰かと思えば・・)
まさか、あれを恨みに思ったのか? 一方的に殴ったくせに?
(やっぱり、ノイブルはクソだな)
レンドルという男が息を引き取るまで見守って、シュンは静かに木立の間へと分け入って行った。
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