第4話 アンナとシュン


 シュンは、山の中で拾われた。


 拾われた時、3歳くらいだったらしい。拾ったのは、エラード、育ての親はアンナだった。幼かったシュンには、その時の記憶が無い。アンナの事は母親だと思って育った。それで十分だった。


 鍛冶は、アンナに教わった。

 狩猟は、エラードに教わった。

 もちろん、真似事だ。

 二人共、たかが10年足らずで追いつける所に居ない。二人の域に到達するためには、もっともっと気が遠くなるほどの努力が必要になるだろう。


 狩りの腕は悪くない・・と、エラードが言っていた。

 ただ、自分では評価が出来ない。よく怪我をするし、狩ろうとした獲物に逆襲されて死にかけることも多かった。鍛冶仕事も似たような感じで、それなりの品は造れるようになったが、アンナの打った物と並べられると恥ずかしくて隠したくなるような物ばかりだ。


 13歳でアンナの家を出て、山で暮らしている。

 洞窟や大きな樹の上など、転々と移動しながら狩りをして過ごし、毛皮や牙などお金に換える品が貯まったら町へ姿を見せるという生活だった。炭を焼く小屋に鍛冶場を拵えてあって、天候が悪い時、獲物が見つからなかった時には、狩猟の罠に使う金具や投げナイフなど消耗品を打つ。


(ふぅ・・)


 湯船に手足を伸ばしながら、シュンは久しぶりに心の底から緩む自分を感じていた。何だかんだ言って、やはり育った家は心地が良い。

 理屈では、血の繋がらない母だと分かっていても、やっぱり、シュンにとってはアンナが母親なのだった。


「ノイブルの連中とやり合ったんだって?」


 アンナが鎚を振りながら訊いてきた。

 この家は、どうせ火を使うからと、鍛冶場の隅に風呂場がある。重たい打音の合間合間に、アンナが話し掛けてくるのだった。


「ただ殴られただけ。酷い奴だ」


「殴られっぱなしかい? 情けないねぇ」


 アンナが舌打ちをする。


「びっくりするくらい体格が違うんだから仕方無いよ」


「馬鹿だね。喧嘩なんてもんは気合いだろ! がつんとすねでも股間でも蹴り跳ばしてやれば良いんだよ!」


 えるように言いつつ、アンナが金槌を振る。アンナならやりそうだ。


「そうは言うけど・・」


「そいつ、何て奴だい? 居場所は分かってんのかい?」


「あぁ・・エラードに殴られて医療小屋に入ってる」


「・・そうかい」


 アンナの声が少し大人しくなった。


大鬼オーガだって狩れるようになったのに、未だに喧嘩は苦手かい?」


「そもそも、俺、殴り合いは元々得意じゃ無いよ?」


「ふん、そんなだから、女の子が寄って来ないんだよ」


「寄って来ても困るけど」


 シュンが笑う。


「なんでだい?」


「山の中を連れ回るのは無理でしょ?」


 大小便とか大事になるし、ちょっとした小川で体を洗おうにも異性が居るとやりにくい。


「町で囲っとけば良いだろ?」


 アンナが事も無げに言う。


「で、何ヶ月かに一度、会いに来るの?」


「・・・逃げられるね」


「でしょ?」


 シュンは大きな伸びをした。細身ながら革鞭のように引き締まった身体が、熱い湯に浸かって赤く色付いていた。


「明日はどうするんだい?」


 アンナが訊いた。


「古着を何枚か買って、後は保存食作りかな」


「矢は揃えとくよ」


「ありがとう」


「もう、行かなきゃいけないのかい?」


 アンナが鍛冶の手を休めて振り返った。

 この話題が今夜の主題・・他は枝葉みたいなものだ。


「たぶん、遠いからね」


 シュンは湯船から出て手早く身体を拭いていった。シュンは血縁が不明だ。居ないのかもしれないし、もしかしたら遠く異国の地に居るのかもしれない。

 この国では、そうした子供には最低限の生活ができるように日に一食は無料で飲食できる引き換え券が配られ、古着なども定期的に与えられる。また、里親になった者には支援金も出る。


 代わりに、その孤児は16歳になったら、王国が主催する選別会に参加して探索士の資格を取得、その後は迷宮都市で3年間探索士をやらなければならない。そう決められていた。

 3年の年季が明けて後、多くの者は、そのまま迷宮で採取される素材を取り扱う商人などに雇われて、迷宮を探索する仕事に就く。


「山の中に隠れちまえば良いだろう? お前が本気で身を隠せば、見つけられる奴なんか居ないと思うがね? ああ、エラードなら捜し当てるか」


「ずうっと隠れ続けるのは、ちょっと気が滅入るよ。おかげで覚悟をする時間はあったし・・それに資格を与えられない事だってあるんでしょ? 俺はこんなんだし、まず見た目じゃ失格なんじゃないかな?」


 衣服着終えたシュンは、ほっそりと痩せて華奢に見える。女装すれば、まだ女の子でとおるだろう。


「ふん、確かにね。シュンを見て、頼もしいと思う奴は居ないだろうよ」


 アンナが笑った。


「迷宮都市かぁ・・どうして、あんな場所があるんだろうね」


「神様が遊びで創りたもうた遊戯場だって話さ」


「選定の場だって言ったじゃない」


「選定も遊びさ。お前のような子供をさらって来るのも遊びだろう」


「召喚の儀だっけ?」


 神様がどこからか異邦人を拾って来て、こちらの世界に放り込むらしいのだ。迷宮の入口付近にある古びた神殿にある広間に、数年に一度、どこからともなく異邦人が放り出される。神官には、神託が下るらしいが・・。


「他所から連れて来られて、いきなり迷宮都市? ちょっと厳しいかなぁ」


 神様の悪戯か、異邦人達は迷宮都市から外に出られない。何か神様から与えられた課題があって、それを達成すると自由に外へ行けるようになるのだとか。


「そうでもないさ。その辺は神様もちゃんと考えて、召喚で連れて来られた異邦人には特別な力と武器を下さるそうだよ」


 実際に、少なくない数の異邦人が迷宮都市から出て暮らしているそうだ。


「ふうん・・」


 シュンが先におもりの付いた短い棒を両手に一本ずつ持って、ゆるゆると水平に左右へ拡げ、また同じようにゆっくりと戻す。

 その動作を膝を着いてやり、中腰でやり、立ち上がってやる。千回を数えるまで続けて、次は両手持ちの長い棒を持ってやる。

 決して勢いをつけず、動いているのか疑わしいほどに、ゆっくりと・・ゆっくりと、見えない線をなぞるように棒を動かしていく。

 幼い時分に、エラードから教え込まれた鍛錬の一つだった。


「まだ、続けてたのかい」


 アンナが呆れた口調で言って鍛治仕事を再開した。


「なんか、これやらないと寝付きが悪くなってさ」


 シュンが笑った。


「それで、どうして肉が付かないんだい? いつまで経っても細っこいまま・・」


 アンナがぶつぶつと言っている。

 シュンが今振ってる長い棒の先端には、50キロのおもりが付いていた。


「ちゃんと食べてるんだよ?」


「草ばっかり食べてんじゃないのかい?」


「やめてよ、山羊ヤギじゃ無いんだから」


 シュンが床すれすれから上方へと棒をすくい上げるように持ち上げ、ぴたりと斜め上方で停止した。そのまま動かない。


「エラードが見たら泣いて喜びそうだね」


「まだまだ、ブレるんだよね。ちょっと身体の芯に力が足りない感じ」


「それが分かるってのが大事なんだ。満足しちまったら、そこでお終いだからね」


「うん」


 シュンが素直に頷いて棒を置いた。

 次は小さな小刀を取り出して、釘を打ち込んだ木片を床に置く。

 呼吸を整えながら、小刀を釘めがけて振り下ろす。

 小さな金属音が鳴って、刃が弾かれる。釘の頭にわずかな傷が入っただけだった。

 また振り下ろす。

 弾かれても、弾かれても繰り返し・・。

 黙々と、小さな動作で小刀を振り下ろして釘を打つ。


 肩越しに振り返って見ていたアンナが苦笑しつつ、灼けた鉄棒めがけて金槌を振り下ろした。

 無数の火花が散って、薄暗い鍛冶場に閃光が爆ぜる。


 シュンが釘を打つ小さな音に、金槌の打音が重なって、アンナの鍛冶場は夜が更けるまで打音が聞こえ続けた。






=====

10月4日、誤記修正。

火花か散って(誤)ー 火花が散って(正)

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