第3話 アンナという鍛冶屋
冒険者協会の呼びかけで討伐隊が集められているらしい。
その手の噂で持ちきりだった。
(
「美味しくない?」
不意に声を掛けられて、シュンは腫れ始めた顔をあげた。
店の看板娘だという猫獣人の綺麗な顔立ちの少女が、猫族に特有の心を見透すような眼で見つめている。獣耳が大きく赤毛がふさふさと長い。前から居たようだったが、言葉を交わしたのは、たぶん初めてだ。
「なぜ?」
「え・・だって、そんな顔してたよ?」
「ああ・・別の考え事してた。料理は美味しいよ」
シュンは最後に取って置いた肉の最後の一切れを口に入れると、代金を小皿に載せて立ち上がった。
「ご馳走様」
「あ・・なんか、邪魔してごめんね」
「いや、用があるから」
シュンは、そそくさと外へ出ると、古道具屋のある下町へ向かった。
3メートル近い巨躯をしている上に、猿並に素早く、大猪のように激しい突進、フルプレートの騎士を握り潰す剛腕をしている。全身が針金のような獣毛に覆われ、犬のように突き出た鼻面に、太い牙が上下に2本ずつ。
自由に暴れさせたら手が付けられない。
おまけに、群れるのだ。
だいたい、数匹から十数匹の群れを作っている。
人里近くに棲んでいる魔物の中では、最も危険な存在だった。
「だからって・・」
ぎゃーぎゃー騒ぐほどでも無い。
何百、何千と襲ってくると言うなら大変だが、わずか1匹の大きな
「こんにちは・・」
シュンは鍛冶屋の軒をくぐって薄暗い奥の間に声を掛けた。
当然のように誰の返事も無い。
シュンは深呼吸するように大きく息を吸い込んだ。
「こんにちはぁーー!」
「・・誰だい?騒がしいね」
熊でも出たのかと思いたくなる大柄なシルエットが店の奥から姿を現した。店の主人で、アンナという。町で長々と鍛冶仕事を続けている老婆だった。
「シュンかい、よく生きてたね」
赤銅色の顔に、真っ白い歯を覗かせて笑顔を見せる。
「ちゃんと御飯食べてるよ」
「あははっ、先に言われたね! まあ入んな、どうせ
腫れ上がった顔を面白げに眺めながら、ツナギの老婆が笑った。
「うん」
シュンは素直に頷いて、
鍛冶の合間に休憩する部屋である。
勝手知ったる何とやらで、壁際の棚から茶筒を取り出しながら、脇に置かれた鍋に水を入れて炉の上に持って行く。
そんなシュンの様子を、
「すまないね」
鍛冶仕事で汚れた手と顔を洗いながら、アンナが穏やかに微笑しつつ見ている。
「エラードに言われて来たのかい?」
「うん、でも町に来たら、ここと
シュンは茶葉の量を見ながら言った。
「なんだい、寂しいこと言うねぇ? あんたも、いっぱしの冒険者なんだ。女の1人や2人、捕まえてんじゃないのかい?」
「いないよ、そんなの・・」
シュンは苦笑した。
ここ数ヶ月は、女どころか、男とも、まともに口をきいていない。
どうにも気が重いのだ。
ある程度、歳が離れていると、まだマシなのだが、歳の近い人間とは上手く会話が成立しない。大抵は、相手の方から怒り出す。
アンナは、椅子に座ったまま、そんなシュンの横顔をじっと眺めていた。
「そりゃ、万人受けはしないだろうけど、結構良い顔してるんだがねぇ・・ちと線の細い病弱そうなところがマズイんかね?」
「さあ?」
シュンは苦笑した。
「16歳だろ?」
「うん」
「所帯持ってたっておかしくない歳だ。同い年くらいの女の子は、どしどし嫁入りしちゃってるよ?」
「そうなの?」
「先の戦争と、昨今の魔物湧きのおかげで、男が減っちまったからねぇ。年頃の娘を持ってる親なんか気が気じゃないんだよ。嫁ぎ先が無けりゃ、自分で稼ぐしか無くなるからねぇ。うちに防具を仕立てに来る冒険者も、ずいぶんと若い娘が増えちまった」
自分で店を持ち、商売が成り立つ者などごく僅か。ある程度裕福な家庭ならば家事手伝いでも良いのだろうが、山野の薬草や野草採りや、河で採れる魚貝の行商など、わずかな日銭を稼ぐので精一杯といった者達が大半である。
若い男の数が少なくなると、当然のように娼館などが立ちゆかなくなり、娼婦として稼ぐ道も激減してしまった。手に職をつけようと、弟子入りをして修行する者も居るが、みんなが成れるわけではない。
畑仕事をしようにも、魔物が増えてしまい防塁や城壁の外へ出かけるのは命がけになる。木の柵を作って魔物に怯えながら細々と畑を拡げて行くのだが、すぐに魔獣が来て滅茶苦茶になる。自然と耕作する土地が少なくなり、畑仕事でさえ人手があまり気味だった。
冒険者というのは、最後に行き着く職業だった。
野草や木の実といった採集の仕事から、小鬼や大鬼といった魔物の討伐まで雑多に仕事がある。報酬はすべて成功報酬。結果を出した者だけが稼げる。そして、多くの者が命を散らしてゆく。
「エラードが言ってたんだけどね、
「・・そうなんだ」
シュンは
「ありがとさん」
アンナが微笑しながら受け取って美味しそうに啜る。
「ずっと西の鉱山跡かい?」
「うん、静かだから」
湯気の立つ茶碗に視線を落としたまま頷いた。
「ちったぁ潜ったかい?」
「まだ17層なんだ」
魔物の数が増えて、思うように進めなくなっていた。身を隠しながらの奇襲、距離を取りながら
「1人で潜ったにしちゃ立派だけど・・あそこは48層あるからね」
「うん」
シュンは唇を噛んだ。
「あたしの防具を買えるくらいは稼いだのかい? お若い冒険者さん?」
アンナが俯いたシュンの頭に手をやって乱暴に揺すった。
「く・・首がとれる」
「あははは、あたしなんかに引き抜かれてるようじゃ、まだまだ一人前とは言えないねぇ」
「ちぇっ・・」
苦笑しながらシュンは小さく息をついた。
自分が弱いのは思い知っている。少しずつ工夫をしながら強くなって行くしか無いのだ。今は焦っても仕方が無い。
「で、どうなんだい?」
「がちゃがちゃ音が鳴るのは嫌なんだ」
「言うじゃないか、駆け出し冒険者。このアンナさんが、そんなことも知らないで防具を仕立ててると思ってんのかい?」
「・・革?」
「繊維に甲虫粉を練り込んである薄布と革を何重にも重ねた物さ。ちびっと値が張るし・・あんた、育ち盛りだろうから、町に戻るたんびにサイズを変えなくちゃいけないけどね・・早いとこサイズ・フィットの魔宝具を買えるようになりな」
シュンは黒色の身証を取り出してアンナに手渡した。
「なんだい? まだ黒板のままかい?」
「素材の買い取りをして貰えるから、それで十分なんだ」
「やれやれ・・そんなだから女の子が寄って来ないんだよ」
ぶつぶつ言いながら、アンナは水晶台に黒板を載せた。
「へぇ、稼いだもんだね。それでも・・ちと足りないかな」
「
「見せてごらん」
アンナはシュンが取り出した拳大の魔石の数々を見ると、鑑定道具を引っ張り出して真剣な表情で丁寧に鑑定していった。
仕事をするときのアンナは純粋そのものだ。鑑定する時は鑑定に全力を、鍛冶をするときは鍛冶に全力を尽くす。
シュンは、そんなアンナの表情が好きだった。
「うん・・これなら、十分だね。おつりも出るさ」
アンナが満足げな笑顔を見せた。
「良かった。他にも
「お・・前のやつはどうだった? ちゃんと貫けたかい?」
「うん、少しくらい角度がズレても硬皮で弾かれずに削ってたよ」
「そうだろう? まあ・・あれ以上のも作れるっちゃあ作れるんだけど、値が張るからねぇ」
「とっておきのやつを3本。後は、今までのを50本、お願いします」
「ふむ・・50で足りるのかい?」
「背負って運べるギリギリかなぁ・・他にも荷物があるし」
「よし、分かった。それなら在庫で足りる。
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7月13日、誤字修正。
耕筰(誤)ー 耕作(正)
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