秋 喧騒



 とても静かな場所だった。

 

 

 初めて私がその場所を訪れた時、そこには誰の姿もなく、床も、壁際に寄せられたテーブルも、本棚の棚も本も、それら全てが埃に覆われていて、空気は澱んでいた。

 以前、この星の人間についての説明の中で、この様な場所で過ごす事に人は不快感を覚えるのだと、バックアップのインターフェースがそう言っていた。

 ならば私は、この場所にいずれ訪れる人達の為に清掃をする必要がある。

 幸い、部屋の片隅に置かれていた掃除道具入れの中には箒やちりとり、雑巾といった清掃道具は揃っていた。

 これならば目的の達成は可能。

 用具入れの中の一番手前にあった箒を手に取り、私はその場所へと向き直る。

 ――十数分後、誰かが入口の扉を軽い力で叩く音が聞こえる。

 この部屋は以前は文芸部の部室だった。しかし、廃部が決まって以後は物置として利用されていたと記録されている。室内なのに所々に砂があるのは、屋外で使用した物を一時的にここへ保管していたのかもしれない。

 ――再度響く軽い打撃音。

 箒での作業は順調、作業で巻き上がる埃で視界が悪くなってきているが支障にはならない、作業続行。

 ――小さな音を立てて扉が開いて

「もう! 居るなら返事くら……なにこれ?!」

 静かだった場所に、私に掃除の仕方を教えてくれたインターフェース、コードネーム朝倉涼子がやってきた。

「な、なんなのこの埃? いったい何をしてるの?」

 部屋の中を一瞥するなり、彼女は興奮した様子で問い詰めてきた。

「掃除」

 不要な残留物質を一箇所に集めて、捨てる。

 以前貴女より受けた指摘内容に、概ね該当する行為のはず。

 私の返答に言語では説明出来ない顔を向けて、彼女は部屋の窓を指差し

「っ窓! 窓を開けて! 早く!」

 了解した。

 きしんだ音を立てて開かれた窓は、恐らく数か月よりも長い年月の間防いできた外気の直接侵入を許した。

「……そうね、ちゃんと説明しなかった私がいけないのよね」

 流入した外気が部屋の中を掻き回す中、何か困った様な顔で彼女は私の制服の埃を払ってくれている。

 涼宮ハルヒの観察をする為やってきた私に、何度となく向けられてきたその表情。

 上手く言語では説明できない。でも、その顔を見ていると私の精神面が落ち着くのを感じる。

「いい? 掃除をする時はね、まずは換気をしなきゃいけないの」

 とても静かな部屋に響く、これで四十二回目となる彼女の講義。

 今回も含め、彼女に説明される事の意義を、私が理解できた事は無い。真剣な目で告げられる、目的を達成する上で必要性を感じられない選択、行動。

 私のデータ上、それは必要とは言えない事だった。

 しかし、優秀なインターフェースである彼女が言う言葉は、どれもが重要な事なのだと思う。別のインターフェースも同意見で、何か不明点があれば朝倉涼子を尋ねるようにと薦めていた。

 実際に彼女の意見に従う事で、日常におけるトラブルの発生率は激減した。

 ゴミの分別で同じマンションの住人に指摘される事もここ数ヶ月一度も無い、コンビニエンスストアーで一人で買い物をする事も可能になった。制服と下着以外の衣服を選んでもらえた、電気と水道が止まる事もなくなった。

 それらは全て彼女のおかげ、とても感謝している。

 そういった変化とは別に、私は彼女の講義を聞くのが好きなのだと思う。

 

 

 その場所は、とても静かな場所だった。

 

 

 あれから数か月が過ぎ、放課後にこの部屋を訪れるのは私だけではなくなった。

 話し声が聞こえてくる部室の扉を開くと

「あ、今日も早いわね! ……まったく、どこかの平団員にも有希のこの熱心さを見習わせてやりたいわ」

 彼女に浮かんでいる表情は喜怒哀楽で言えば、喜怒。

 普段と同じ窓際の席に座り、読みかけだった本を開く。

「あ……長門さん。あの、お茶をど、どうぞ」

 首肯。

 差し出されたお茶を受け取り、口に運ぶ。

「……」

 怯えた様子でこちらを見ている彼女に

「おいしい」

 そう告げると、彼女はほっとした様子でその場を離れていった。

 おいしいと答えたのは本当。

 味の優劣についてはよく分からない、でも、彼女淹れてもらったお茶を飲む事で起きる変化は、体温の変動だけではない。うまく言語化できないが、 それを好ましい事だと感じている事はわかる。

「おや……今日も彼はまだ来ていないようですね」

 まだ、きていない。

 表情には出していないが、涼宮ハルヒ同様に彼もこの場所にまだ彼が居ない事に落胆している。

 ――? 私も? 何故。

 誰かが入口の扉を軽い力で叩く音が聞こえてくる。

「は~い」

 朝比奈みくるの返答の後、小さな音を立てて扉が開いて

「遅い! 平団員は団長より先に来るのは当たり前でしょ!」

 意識していないのに、手元の本から少しだけ視線が動く。

 部屋の入口と、パイプ椅子の一つが見える程度に少しだけ。

「掃除当番だ。誰かさんと違って暇じゃないんだよ」

「誰か暇ですって?! 毎日毎日寝るために学校に来てるようなあんたに暇だなんて言われる筋合いがどこにあるってのよ!」

 問い詰める様な口調、でも、彼女の脳波から感じる内容は歓喜。

 でも声はやはり怒声。よく、わからない。

「へいへい、悪かったな」

「すぐにお茶を入れますね」

「みくるちゃん? キョンにはでがらしのでがらしになっちゃったような、薄っすい水道水でいいからね!」

「お茶ですらないのかよ」

 彼の体重を受け、パイプ椅子が僅かにきしむ。

「今日はまた、ずいぶんと楽しそうですね」

「古泉、人の話はちゃんと聞いた方がいいぞ」

 その場所は、とても静かな場所だった。

 でも今は違う。

 今では放課後になるたびに喧騒に包まれるこの場所を、私は楽しいと感じている。

 ――いい? 掃除をする時はね、まずは換気をしなきゃいけないの――

 ただ、彼女の声はもう聞こえない。

 開いて本をそのままに、そっと立ち上がる。

 視線が高くなった事で窓の向こうにある風景は変わり、遠くまで透き通るような秋空が広がっていた。

 自分の中にある感情は、まだよくわからない――ただ、自然と手は窓のロックを外している。

 少しだけ、外の音が聞こえるように少しだけ窓を開き、目を閉じる。

 これは無意味な行動。 

 外の喧噪にどれだけ耳を澄ませてみても、そこに彼女の声は聞こえない。

 聞こえるはずがない。

 ――な、なんなのこの埃? いったい何をしてるの?――

 ――っ窓! 窓を開けて! 早く!――

 ――……そうね、ちゃんと説明しなかった私がいけないのよね――

 この場所で聞いたその言葉を何度思い出しても、何故か彼女の声を聞きたいという欲求は満たされないままになっている。

 この感情はなんなのだろう。

 エラーなのはわかっている、でも消去できない。

 朝倉涼子。

 彼女はもうこの世界に存在しない。

 私が彼女の情報連結を解除したから。

 それは規定事項だった。必要な事だった。

 しなくては、いけない事だった。

 そう、彼女はもう居ない。

「長門」

 背後から呼びかける声、

「換気も大切だけど、暖かい格好してろよ? もう寒くなってきたからな」

 肯く私を見て、彼は小さく口元を緩ませ、去っていく。

 胸部に圧迫されるような痛みを確認、外部からの刺激要因は見つからず。

 体内情報の不具合について検索……確認されず。

 統合思念体に類似事例の検索及び対策を求める……原因不明、対処不能。

 これから先、自分がどんな行動をするのか、してしまうのか、それがどんな結果へと繋がるのか。

 私はそれは知っている。避けてはいけない事も、知っている。

 ただ、今私は彼女の声が聞きたい、理由はわからない。



 ……検索対象の最後の音声記録。

 ――じゃあね――終了。


 

 この行為に意味は無い、不明なこの感情が満たされた事もない。

 ただ、とても静かな場所にエラーが降り積もっていく。

 何かあれば、いつも困った様な顔で嬉しそうに教えてくれた彼女は、もう居ない。

  

 

 喧騒 〆

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