夏 ねこまっしぐら
偶然が三回続いたならば、その中には必然が混じっている、そう考えるのが当然だ。
俺が尊敬するとある架空の特車二課の隊長が、昔そんな事を言っていた気がする。
確かにそれは確率的に考えて順当な判断であり、大いに同意出来もする。
しかし、今回の事に関して言えば、それは必然でも偶然でも当然でもなく……確実だったのだろう。
「……ちょっと」
半眼を向けつつ顔を背けるハルヒに、俺は口元を押さえたまま無言で頭を垂れて謝罪した。
そこに至る経緯について説明すると――いつもの如くさしたる理由も無いまま放課後の部室に顔を出した俺には、いつもとは違っている点が一つだけあった。
それはついさっき中庭で偶然谷口と国木田と遭遇し、その場で自動販売機のジュースをかけてじゃんけんを実施――いや、別に喉が渇いていたとかではないんだが、まあ流れって奴だ。
結果として俺と谷口は勝者となり、俺は自販機のカップに入ったコーラを無償で手に入れ、それを飲み歩きながら部室へと来たわけだ。
結果、俺の胃の内部には程よくシェイクされた炭酸飲料が……まあ結果だけを言おうか、部室に入っての俺の第一声は、本人の意思に反して声では無い何かだったというわけで、俺はそれについて謝ったわけだ。
――えっと、これだけだな。本当に。
他に語るべきことなど何も無かった、誓って言える。
部室には長門とハルヒしかまだ来ていなかった事を神に感謝しつつ、俺はその日も普段と変わらない朝比奈さんのお姿を眺める以外に何の意味も無かった放課後を過ごし、そして帰宅した。
強いて言えば、部室ではハルヒが俺の方をずっと睨んでいたくらいで、他には特に何も無い一日だったと思っている。
だがしかし――変化はその翌日から始まったらしい。厳密に言えば放課後の時点で始っていたのかもしれないが、目に見える変化が現れ始めたのは翌日からだったんだと思う。
予め言っておく、俺にとってそれは……コメントに困る事だった。
ねこまっしぐら
のろのろと通学路の坂道を歩き終え、やっとの思いで教室へと辿り着き
「おはよう! キョン」
既に精神的には疲労困憊な俺とは対照的に、その日のハルヒは普段より三割増し程度に元気だった。
とりあえず軽く手をあげてハルヒに応え、俺は自分の席に鞄を置いた。
……今度は何を考えているんだ? そうこの場で聞いておいた方がいい気もするが、事前にそれを聞いた所で気を病む時間を長くするだけだよな。
何やらこちらに視線を固定しているハルヒを刺激しない様に注意しつつ、俺は椅子に腰を下ろした。
その直後――俺の背後で机を引きずる音、さらに椅子を引きずる音が続き、その音は俺のすぐ後ろで止まった。
振り向いた先では何食わぬ笑顔のハルヒが居た、普段よりも距離を詰め……というか、密着状態と言った方がわかりやすいかもしれない。
「……えっと、何か用か」
自由な距離が無い分、身体を前に離そうとする俺と
「別に?」
離れた分だけ更に身体を乗り出してくるハルヒの笑顔は、何というか……企みに満ち満ちて溢れている。
数秒の沈黙の後
「そうか、まあそれならいいんだが」
俺は再び前方へと向き直った。
椅子を下げて立ち上がるだけのスペースも無いってのは正直不便だが、とりあえずハルヒはこれ以上何もしてくるわけでもないし……様子見でいいか。
普通に考えれば教師が何か言い出す状況だとは思うが、相手がハルヒという事もありスルーされている様だ。
まあ気持ちはわかる。
下手に刺激するより、多少の問題は見てみぬ振りをした方が無難だろう。……そう、確かにハルヒはこれ以上俺に何もしてくる事はなかった。
授業は普通に受けていたし、休み時間になればちゃんと俺の立ち上がるだけのスペースは開放してくれたしな。
まあ、こいつ固有の謎行動だと思えば被害の少ない方か……と思っていたのだが、
「……」
俺の知らない所、というか、俺のすぐ背後で起きていた事に、俺は気づく事は出来なかった。
「……ね、ねえキョン? 体操服貸して」
体育の授業の前に、何故か声を潜めつつハルヒがそう聞いてきた。
いや、いいけど。
「男物しかないぞ」
当たり前だけどな。
長袖と半袖の二セットがあるから、別に片方を貸すのは問題無い。いつ洗ったのかは記憶に無いが、それ程前では無かったと思う、多分。
うんうんと頷くハルヒに、好きな方を使えと言って俺は体操服の入った袋ごと手渡した。
クラスの女子に借りればいいのにと思わなくもないんだが、ブルマは同姓でも借りにくいのかもしれないしな。
結果としてハルヒは迷わず長袖を選び「暑くないか?」「ぜんぜん?」そうか、もう六月も終わりなんだが……まあ本人がそう言うなら。
俺は季節が既に初夏だった事に感謝しつつ、膝と肘に日光を浴びせる事になった、これもまあどうでもいい事だろう。
その後、何事も無く体育の授業を終え、
「洗ってから返すね!」
ハルヒの返答に適当に頷いて、俺はまた狭苦しい状況で午後の授業を受ける事になった。
いつもと違った事と言えば、今日は背後から聞こえるハルヒの寝息が普段より大きかった気がする事くらいだろうか。
次に起きた変化は
「キョン! 今日はお弁当? じゃあ部室で食べましょう」
昼前の授業が終わり、俺が弁当を鞄から取り出した時に背後から聞こえた発言がそれである。
質問の様に聞こえたかも知れないが、あいにくと質問者は返答を聞くという概念を持ち合わせていなかったらしい。
襟首に伸びるハルヒの手、抵抗を意に介さない無常な腕力、そこに感じる既視感というか、弱肉強食というか……とりあえず俺に出来た事は、腕に抱えた弁当が寄り弁になるのを防ごうと努力する事だけだった。
昼休み早々、溜息と共に訪れた部室で俺が見たのは
「あ、どうも」
「……」
「お待ちしていました」
天使と長門、あと他一名がそれぞれの昼食を机の上に並べて待ちかねていた。
おい、ハルヒ。
「何よ? ほら、あんたもさっさと弁当を広げて食べる食べる!」
いや……まあいいか。いいな、うん。何も問題ない。
実際の所、ハルヒの考えなんて物は本当にどうでもよかった。
「いただきまーす……あ、こうやってみんなでお弁当を一緒に食べるのって初めてかもしれませんね」
はい、そう言えばそうかもしれませんね。
さっきまであったハルヒへの不満など、愛らしい天使様の愛らしい食事風景を目にしている今となっては何処にも見つかりはしない。むしろ団長によるこの粋な心遣いに心からの賞賛を送りたいくらいだが――それは我ながら早計だったと言わざるを得ない。
至福の時間が無情にも経過してしまい
「じゃあ、食事が終わった人からお昼寝しなさい! いい、この時間に眠っておく事は短時間でも極めて効果が高いの。限られた人生を有効活用する為に、効率に拘って行動するわけ! はいはい寝た寝たぁ!」
食後に朝比奈さんの入れてくれた番茶を一呑みで飲み干したハルヒの発言に、俺は表情をあえて僅かに曇らせつつ、心の中で最大の賛辞を送った。
ああ送ったとも! まさかボーナスタイムの延長とはな……流石ハルヒ様だ! 話がわかる!
困惑した様子の天使だったが、隣に座るイエスマン古泉にならって自分の腕を枕に眠る態勢に入った。
長門と俺もそれに習い……
「あ、あたしはみんながちゃんと寝てるか見ててあげるからいいのよ。気にしないで寝なさい」
何故か背後に立って俺を見下ろしていたハルヒは、何も聞かれていないのにそう答えた。
好きにしてていいぞ? 全くもって構いやしない。
なんせ俺は対面の席でゆるゆると上下に揺れている朝比奈さんを眺めるので忙しいからな。
僅かに開いた瞼の隙間から見える至福の光景に、荒んでいた心が満たされていくのを実感する時間は……静かで満腹だったからな、本当に睡眠時間になってしまった。
結局、昼休み終了まで俺達は優雅な昼寝を楽しんだわけだ。
寝起きの朝比奈さんは可愛かった、可能ならSOS団の活動として今後も継続して欲しいと願わざるをえない。
――しかし、
「……」
この時間が続いて欲しいと思っていたのは、俺だけでは無かったらしい。
次の変化が起きたのはその日の放課後、
「じゃあ先に帰るわね!」
部室の中に顔だけ入れたハルヒはそう言い終えると、返事を待つ気はなかったらしくさっさと扉を閉めて去って行った。
いや、それって何に対しての「じゃあ」なんだよ。
結果として部室に取り残されていた俺達も
「……えっと、帰りますか」
「そうですね」
互いに顔を見合わせつつ、帰り支度を始めるのだった。
誰も口を開かなかったのだが、またハルヒが何かを考えているのだろうなという事は共通の認識だったと思う。
あの様子を見れば、SОS団員なら誰だってそう思う。俺だってそう思う。
その翌日、俺はハルヒから洗濯機の故障で体操服が破れてしまったので弁償したいという申し出を受ける事になった。
「ほんっ……と~にごめんね?」
なにやら晴れやかな顔で両手を合わせているハルヒは気になるが、まあ弁償してもらえるなら俺も親に弁解が出来る訳だし、特に文句は無い。あの使い古しの体操服で新品の金額を弁償されると、こっちが申し訳ない気がするくらいだ。
相変わらず俺との机の距離は近かったが、何事も無い日常が続いている様に見えていた。
何か変わった事と言えば……昼休みにハルヒを食堂で見かけた時、その向かいの席に長門が居た事か。珍しい光景を見た気がする。
二人が何を話しているのかまではわからなかったが、やはりというかハルヒのテンションが高いという事は遠目にもわかった。
その日の放課後、ハルヒは部室に顔も出さなかった。
来なかったのはもう一人、
「今日は、長門さんも来ないみたいですね」
部室にいつも居るはずの長門の姿も、そこには無かった。
「昼休みにハルヒと何か話してたみたいですから、その件で何かあるのかもしれません」
……とは言うものの、だ。
具体的にそれが何なのか、その場に残った三人はそれが知りたかった。
流石にこれは何かあるのかと思ったらしく、
「僕からは何も報告はありません。涼宮さんの精神状態は特に悪くない……というより、むしろ良い状態が続いているくらいです。ここ数日は急なバイトもありません」
古泉が自分からそう言い出し
「私も……何も、未来からの連絡も定時報告だけですし、何かする様にとも言われてません」
超能力者、未来人からは以上という事らしい。
もちろん
「俺からも何も無い。妙にハルヒの機嫌がいいとは思うがそれだけだ」
俺には隠す事も情報も無い。
となると……何か知っているとしたら長門なのかもしれないが、二人は今一緒に居るのかもしれないしな。
まあ、その内に元の日常に戻るだろ。
もしくは何かが起きる事になる。
……そのどちらの可能性が高いかと言えば、経験者としては後者だと言わざるを得ない。
俺の勘ってのは、嫌な事でしか当たらない仕様なんだろうかね。
何かが起きる事になる、それは正解だった。
だが、一つ違っていた点は、
「キョンくんおかえり~」
自宅に戻った俺が見たのは、玄関にあった北高指定の女子用通学靴。
その数……二足。
「はるにゃんとね? ゆきちゃんがきてるよー」
やっぱりか。
「えっと……二人は、今何処に居るんだ?」
「えー? キョンくんのお部屋だよ? わぁ!?」
ちょっと待てぇぃ!
しゃみせんを抱えた妹の脇を通り抜け、一段飛ばして階段を駆け上がると、俺は自室のドアを開け……開け、あれ?
ドアノブがぴくりとも動かない、中から誰かが扉を閉めているらしい。
「おいハルヒ、それか長門、居るんだろ? ここを開けろ」
別に見られて困る物が……無いとは言わないが、とりあえず開けろ、な?
「あっ……ちょっとキョン、手洗いとうがいがまだでしょ? 風邪の予防は大切なんだから、ちゃんとやって来なさい」
「いやそっちこそ人の部屋に入る時にはまず承諾を得るべきじゃないのか? というか、何でさっきから物音がしてるんだ」
「気のせいでしょ」
返事の声までわざとらしい……くそっ、どうやってるのかわからないが、どんなに力を入れてもドアが開く気配が無い。というか、ノブが微動だにしない。
これは長門だな、確認しなくてもわかる。
「長門、ここを開けてくれ」
「……まず、手洗いとうがい」
ええいっ! ああ、わかった、じゃあその二つをやってきたら開けてくれるんだな?
「開ける」
長門相手に押し問答をしても無駄なのは経験済みだ、俺は上ってきた勢いで階段を駆け下りて洗面所に飛び込み、うがいと手洗いを終えて部屋の前へと戻るとノックをした。
「どうぞ」
「……どうぞじゃねぇよ」
あっさりと開いたドアの向こうでは、
「お邪魔してるわ」
ベットの上に座り、何やら息が荒いハルヒと
「……」
無言でドアの横に立つ長門が居た。
「まず、何の用件か聞いてもいいよな」
部屋の占有者として、俺はお前達にそれを聞く権利はあるだろう。
「ちょっと用事があったのよ、帰ってくるまで玄関で待ってるのも何だからって、入れてもらえたの」
用事があるなら休み時間に直接言うなり、放課後にメールを送るなり出来るだろ?
……まあそれも今更か、
「で、その用件ってのは何だ」
「あー……それね、うん」
ハルヒはベットから立ち上がると何やら部屋の中をぐるぐると見回してから
「これ、これちょうだい?」
そう言いながら手に取ったのは、俺のベットの上にあった枕だった。
何処の店で売ってるのかは覚えてないが、枕のカバーも中身も市販品で間違いない。
そんな枕を何故か興奮気味に抱き締めつつ
「待ってる時に使ってみたら凄くよかったのよこれ、だからちょうだい! あ、その代わりにあたしの使ってる枕あげるから! 明日学校に持ってくるわね!」
……待てハルヒ、何だか目が怖いぞ?
それと距離が近い、というか零距離状態だ。
「いいでしょ? ねえ、これ、ちょうだい?」
枕を手にしたハルヒに壁際まで追い込まれていると、
「わたしはこれが欲しい」
そう言いながら長門が持っていたのは、俺のパジャマ一式だった。こっちも珍しい品物ではないのは保証する、少なくとも進化の可能性とやらとは確実に無関係だ。
……いや待て、確かそれは朝出て行く時にちゃんとしまってたと思うんだが。
「あっ! ちょっと有希、それはずるくない? あたしは枕一つで我慢してるのに上下一式だなんて!」
「では交換でもいい、わたしは枕でも満足」
俺のパジャマを差し出す長門の手から
「うっ……でもこれはこれで」
枕を隠すようにしつつ、それでもハルヒはパジャマから視線をそらせないでいる。
何やら当事者を無視したまま交渉が続いているようだが、何となく嫌な予感がするので口を出さない方がいい気がしてきた。むしろ、今の内にこの場を離れた方がいいような……。
物音を立てないように廊下へと移動を始めた時、俺の横を長門が通り過ぎて行って、
「……」
無言で部屋の鍵を閉めると、長門はこちらへと振り向いた。
「な、なあ。何で、ドア、閉めたんだ」
「……」
「っていうか、そのドアに鍵なんて無かったはずだが……いやそれより、何で二人とも、さっきから、その、俺の私物を取り合ってるんだ?」
「……」
「何で二人とも詰め寄って」
「黙りなさい」
じりじりと距離を詰めて来たハルヒと長門は、そのまま俺への接近を続け……二人の顔は俺の顔……ではなく、耳元や首元を周回し始めるのだった。
マネキン状態で硬直する俺の皮膚の上にかかる二人の吐息、というか鼻息か、これは。
恐怖心もあるもののくすぐったいというか恥ずかしいというか、逃げ出したい様な感覚に身悶えていると
「あ~……やっぱり、直が一番ね」
空ろな目で何やら物騒な事を呟きつつ、ハルヒは俺の手を掴むとそのままベットの上に押し倒してくるのだった。
日本語でも英文でも疑問形の問いかけをする間も無く、覆いかぶさってくる二人
「キョン、あんた何か香水とか使ってる?」
俺の身体の上で忙しそうにふんふんと鼻をならしつつ、ハルヒは顔をあげないままで聞いてくる。
その声もくすぐったいって……え、は? いや、何も。
そもそも香水何て持ってない。
「そう……じゃあこのいい匂いはキョンの匂いってわけね」
「へっ?」
……今更ではあるが、俺は自分が今何をされているのかを理解した。
同時に思ったのは、俺の体操服が破れたってのはもしかして
「あれは嘘」
何故か答えたのは長門だった。
というか、俺は何も言ってないんだが。
「ああ、キョンの体操服の事? 対価は受け取ったでしょ、だからあれはあたしの物。それに、ちゃんと大事に使ってるわよ」
ハルヒ、やっぱりさっきから目が怖いから。本当に。
あと、それ以上詳しい説明は本人には不要じゃないか? お前が何を言おうとしてるのか何となく想像出来てしまってるんだが、俺は個人の趣味主観については、他者に迷惑をかけない範囲であれば気にしないつもりだぞ?
「そう? まあ安心していいわよ、使ってるのはあたしと有希の二人だけだから」
「長門もかよ?!」
っていうか使うって何にだ? いや、言わなくていい。言わなくていいからな。
ごく平凡な男子高校生としては、女子高生の口からは聞きたくないワードが飛び出してきそうな気がする。
それはそれで言わせてみたいという趣味の男子も居るのかもしれないが、俺はそれに該当しない。今のところは。
「貴方に伝えておく」
今もなお、俺の胸元に鼻を寄せる行為に忙しいらしい長門の声が下の方から聞こえる。
「シェアをした」
顔を上げるつもりはないらしく、そのままの姿勢で声は続く。
シェアって。
「体操服と上履き。お互いの嗜好品を共用化した」
は? 上履きって……え? 俺の?
「私の部屋、置いていった」
……思い出した。長門のくれた世界を元に戻す鍵、そいつを使った俺は過去に戻る事になり、誰の物かわからない上履きを黙って借りて……結局そのまま長門の部屋の玄関に脱いだままになってたんだっけ。
完全に忘れていた。
「あなたは上履きを取りに来なかった」
えっと……すまん、って謝った方がいいよな? これ。
本来の持ち主にも悪い事をしてしまった。
「いい、問題ない。……あの上履きには本来の持ち主と、その時代に存在しない人物である貴方の汗や皮脂が付着していた。貴方が再び上履きを使用する可能性を考慮し、上履きを複製。一足は貴方の使用する前の状態に戻し、持ち出した下駄箱に収納。もう一足からは本来の持ち主の汗と皮脂を摘出し、貴方の汗と皮脂のみを残しておいた」
宇宙人的にはそれが普通なのかもしれないが、色々と拘り方がおかしくないか?
っていうか、こんな話をハルヒに聞かれて……と心配する必要はなかったらしい、現在のハルヒは俺の脇の辺りに鼻を埋めたままあらぬ方向へと虚ろな視線を彷徨わせている、別の意味で心配が必要だ。
ともあれ
「上履き、返しておいてくれてたのか。ありがとうな、長門」
これは人として礼を言うべき事だろうと思う、本当に色々と釈然としないが。
「いい、何も問題ない。残された貴方の履いていた上履きのおかげで、貴方達と再び出会うまでの私の時間はとても有意義な物になった。むしろ感謝している」
大問題が起きてるじゃねーか!
「それはね有希、バグ何て物じゃないの……欲情って言うのよ」
ハルヒぃ! ちょっといい事言った顔になってんじゃねぇ! しかも欲情って何だ! そこはせめて感情って言え!
「これが、欲情……」
長門は長門で聞き入らなくていいからな?
っていうか、二人ともそろそろ俺の上からどいてくれ!
……ああ、もう今日という一日を忘れたい。というかまず終わってくれ。頼む。
この二人がその体操服と上履きで何をしているのかという事は勿論なんだが……深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているように……その、さっきから二人は俺の体の上を嗅ぎ回ってるって事はつまり、俺もまた二人の体臭を嗅いでしまっているというか、その色々とあたってるというか、たまに見えてたりするというか、その、な?
普段とは別の意味過ぎる非日常な状況でも、健康な一男子高校生としての生理的な現象をこれ以上抑えたままでいるのはそろそろ限界なんです……。
「な、なあ。とりあえずその辺にしておかないか? な?」
悲鳴にも似た声を上げた俺に、二人は一度動きを止めてくれた。
不安と、不安ではない感情の入り混じった数秒の沈黙の後、
「そうね、匂いはこの辺にしておきましょう」
俺はハルヒの言葉に心から安堵し
「……ねえ有希……味も見ておかない?」
小悪魔とでも言うべき表情のハルヒに、
「……」
長門は……今までに俺が見た事の無い表情を浮かべて頷いて
「冗談、だよな? な?」
二人は俺の声を無視したまま、口元から舌を覗かせつつ俺の首の辺りへとのしかかって――ざりっとした感触に跳ね起きた時、俺の顔の上から数キロ程の重さの物体が弧を描いて飛んでいくのを、俺はただ見送ていった。
やや不恰好な着地を決め、体を起こした俺に不満げな視線を向けるのは
「……」
毛づくろいを始め、既に部屋の主への興味を失っている愛猫の姿。
高まったままの動悸を抑えつつ部屋の中を見回してみたが、そこにハルヒの姿も長門の姿もなかった。
部屋のドアは細く開いたままで、当たり前だがそこに鍵なんて物は見当たらない。
この胸に残る感覚は安堵……だけではない、ような。
……これって、やっぱりあれなのか。欲求不満って奴なのか?
同級生二人に特殊すぎるプレイで迫られる夢とか……やっぱりフロイト先生に相談してみるべきかもしれん。心配そうな無表情で俺の指先を舐めに来たしゃみせんの額を適当に撫で回した後、俺は猫のよだれ臭くなっていた顔を洗うべく部屋を出て行こうとして――さっきまで自分が寝ていたベットの上に、枕が見当たらない事に気がついた。
ねこまっしぐら 〆
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