第437話 夏休み、前夜

 得た情報は共有しておく。

 これはもう私の癖というか習性のような物だ。

 今ある情報をルイさんや先生方と共有するだけでなく、オブライエンにはまた武神山派の威龍さんの元にお使いへ行ってもらった。

 きな臭い事があるかもしれないし、菊乃井に対して何某かの行動を起こすことが、武神山派の情報網に引っ掛かってくるかもしれない。

 なのでそれを伝えに行ってもらったのだ。

 けれど武神山派の情報網の見事なもので、オブライエンが調べたものと同じくらいの事を掴んでいたらしい。

 その情報を教えてくれるつもりで、こちらに書類を送る手はずになってたそうだ。

 だからこの件は武神山派の諜報部とオブライエンで、情報の精査をやってもらうことにした。

 雪樹方面は兎も角、象牙の斜塔の事に関して、オブライエンはちょっとだけ楽しんでるような所が見える。

 金と権力とを持った人間に吠え面かかせるのが楽しいのかね?

 まあ、仕事は嫌々するより楽しんでする方が精神衛生にはいいんだ。頑張ってくれて、それが菊乃井のためになるならボーナスを出すのも吝かじゃない。

 明日からの夏休みの間に何か動きがあるだろうか。

 私としては、行啓が終わった事もあるし、出来れば雪樹の一族・ラシードさんの関係に何某かの決着がつくまでは、何処にも動きが無い方がいいんだけどな。


「そういう諸々を乗り越えるためにも、休養は必要ですよ」

「そうですよね」


 夕飯の後は応接間でいつもの団らんだ。

 ロマノフ先生やヴィクトルさん、ラーラさんは、今日はブランデーを語らいのお供にしている。

 私とレグルスくんは、紅茶。

 ただし今日の紅茶はちょっと特別。

 紅茶を淹れたカップの上にティースプーンを渡して、角砂糖を乗せたらそれにブランデーをを染み込ませてる。

 その角砂糖に火を点けてアルコールを飛ばして、程よいところで鎮火したら、スプーンを紅茶に沈めてかき混ぜて。

 大人の紅茶・ティーロワイヤルの出来上がりだ。

 伯爵家、今は侯爵家だけどを継いだくらいから、時々ロマノフ先生が「大人の味ですよ」と作ってくださるようになったんだよね。

 何か大人扱いされてるみたいで、ちょっとドキドキ。


「今回はね、僕達それぞれお勧めの場所に行ってみようと思うんだ」

「お勧めの場所ですか?」

「うん。僕は魔術市に連れってってあげるね。運が良ければ星空を飛ぶ空飛びクジラの群れが見れるよ」

「そらとびくじら!?」

「そう。空飛びクジラはそのまま空を飛ぶクジラさ。モンスターだけど、星瞳梟の翁みたいに人語を解する長老もいるから、会えたら挨拶しようね」

「はい!」


 月が真っ赤に光る夜に開かれる魔術市は、そのままズバリ魔術に関わる人や物が沢山集まるのだそうだ。それだけでもロマンなのに、空飛びクジラの群れに遭遇するかもしれないなんて益々凄い。

 しかもヴィクトルさんの口調だと、空飛びクジラの長老とはお知合いみたいだし。

 レグルスくんもワクワクするのか身体をもぞもぞ動かしている。

 そんなレグルスくんの髪をラーラさんがふわふわと混ぜ返した。


「ボクは古王国時代の遺跡に連れて行ってあげよう」

「こおーこく?」

「神聖魔術王国よりもっと前の時代の遺跡だよ。モンスターもいるけど、そんなに危ない場所じゃない。カナやツムもきっと楽しめると思うよ」

「そうですね。奏くんと紡くんも喜ぶと思います」


 今回の旅行にも奏くんは一緒に来てくれるし、紡くんも来てくれるんだ。アンジェちゃんも誘ったんだけど、今回はまだ一人でお泊りが出来ないというので不参加。来年あたりは一緒に行けるかもしれないな。

 ラシードさんも誘ったんだけど、あのエクストリーム鬼ごっこでノエくんや識さんと仲良くなったらしく、今回はまだ菊乃井に不慣れな彼らを気にかけて残るそうだ。

 菫子さんと識さんとノエくんは私の留守の間に、空飛ぶ城の図書室の虫干しをしておいてくれるらしい。

 その間に菊乃井の地理や色々を覚えておくとも言ってた。

 ティーロワイヤルを一口含む。

 するとブランデーの凄く良い香りすっと口の中に広がった。

 お酒は飲めないけれど、この香りは凄く好きなんだよね。

 ふはぁっと息を大きく吐くと、ロマノフ先生がくすくすと笑った。


「君は将来のん兵衛になるかも知れませんね」

「えぇ? そうですか?」

「ええ、凄くそんな予感がしますね。ティーロワイヤルも気にいたんでしょう?」

「はい、凄く!」


 良い匂いなんだよねぇ。

 ブランデーの香りも好きだし、ラムだって好き。

 そう言えば食べ物だって、お酒の肴になりそうなものが結構好きなんだ。

 やっぱりそう言う人ってお酒好きになったりするんだろうか?

 尋ねてみると、ロマノフ先生は首を横に振った。


「一概には言えませんけどね。ただ君は何となくイケる口だと思いますよ。将来一緒に晩酌で来そうで楽しみだ」

「そうですか? それなら嬉しいな」

「ええ。晩酌と言えば、私が君達を連れて行こうと思っている場所は川魚の美味しいのが取れましてね。晩酌にも夕飯のおかずにも持って来いですよ」

「れー、おさかなだいすき! つるの!? つかむの!? どっちもたのしそう!!」

「そうだねぇ。私は釣る方がいいかな?」

「外にテントを組み立てて野営の真似事をしましょう。楽しいですよ」


 それってまんまキャンプみたいなものだよね。

 という事は飯盒炊爨にキャンプ飯ってやつかな!?


「ペミカンやリュウモドキのベーコンを料理長が用意してくれてるらしいですよ」

「凄い! 本格的だ!」

「キノコや山菜も採りましょうね」


 私、あんまり運動得意じゃないけど、こういうキャンプ的な事は大好きだったりする。

 私のワクワクにつられたのか、レグルスくんもきゃっきゃとはしゃぐ。

 するとこほんっとヴィクトルさんが咳払いを一つ。


「ま、最初は僕のお勧めの場所だからね。お宿に泊まるよ。僕がそのお宿に泊まる時にいつも使ってる部屋を用意してもらってるから。アリスたんがお付きで来てくれるし」

「はい! 凄く楽しみにしてます!!」

「うつのみやも、まじゅついちいっしょにいける?」

「勿論だよ。僕が使ってるお店とか、まだあったら紹介してあげるね」

「ありがとうございます!」


 お礼を言えば、ヴィクトルさんが穏やかに微笑む。


「そうだ。アリスたんやロッテンマイヤーさんには言っておいたんだけど、ちょっと寒いところだから荷物に温かい服を入れてもらってるよ。お宿に転移したらすぐに着替えようね」

「寒いところなんですね?」

「ああ。芸術家と魔術師の都市って言われててね。帝国の北にある湖の真ん中に浮かぶ島の都市・マグメルっていうんだけど」

「マグメル……天領ですね」

「そういう事。あそこは魔術師も芸術家も沢山いるよ」


 君が好きそうな物が沢山あるよとヴィクトルさんは教えてくれた。

 帝国は地図の上でも現実の上でも、凄く広い。

 そのなかで私が行ったことのある場所なんて、帝都周辺と菊乃井領周辺、天領だったアルスターくらい。

 知らない事を知る楽しみや、行ったことのない所に行く喜びを、先生達は与えてくれようとしてるんだろう。

 私だけじゃなく、レグルスくんや奏くん・紡くん達にも。

 去年の私はそれを申し訳ない事のようにとらえていたけれど、今の私は少し違う。

 甘えてしまう事に対して遠慮する気持ちがない訳じゃないけれど、それよりもその与えてくれようとする気持ちを受け止めて、その先で先生達に関わって良かったと思える存在になろうって気持ちの方が大きい。

 先生達に与えてもらったものを、いつか必ずお返しするんだ。

 今年の夏休みだって一生に一度の旅が始まる。

 期待に膨らむ胸に手をあてると、鼓動がワクワクで跳びはねている事に気が付いた。

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