第395話 「君を愛することはない」の裏事情

「早くないですか!?」


 ビックリしてつい大きな声を出してしまったので、慌てて口を塞ぐ。

 前を行くレグルスくんや和嬢、統理殿下とゾフィー嬢には聞こえなかったみたいだけど、和嬢とレグルスくんの護衛について下さってるラーラさんには聞こえたみたい。

 振り返りざまパチンっとウインクが飛んできた。カッコいい、団扇振りたい。

 じゃなくて。

 ぎぎっと錆び付いたように鈍く首を動かしてヴィクトルさんを仰ぎ見れば、つんっと額を突かれた。


「早くないよ。生まれた時から定まってる子だっているぐらいだし、何度も言うけど君への釣書がロートリンゲン公爵やらけーたんやらのとこに来てるってば。国内の貴族はロートリンゲン公爵のとこ、外国からはけーたんのとこ。全部合わせたら山になるけど、見たい?」

「……ご遠慮申し上げます」

「厳しい事を言えば、それは一つの家の当主としてどうかと思う。でも君の音楽教師というか、身内としてはどうにか逃がしてあげたいんで、今その方法を模索中。最悪は……あのお箏の出番だろうね」

「う……その……はい。よろしくお願いします」


 ヴィクトルさんの言葉は本当に正しいんだ。

 私は一つの家を預かる身として、やっぱり何処かの家と縁付く義務がある。

 菊乃井は身内が少ない分財産の管理は簡単なんだけど、代りに内内で力になってくれる人が本当に少ない。

 後見になってくださってる大人が、皆肉親じゃないって中々ない事なんだ。

 それを考えれば親戚を増やす最も簡単な手段が婚姻の成立。つまり結婚。

 だけど個人的にはそういったものには無縁でありたい。

 私に、まともに誰かを好きになることなんて出来るんだろうか?

 そういう疑問はいつだって付きまとうし、何より自分が嫌いなものを他人に好きになってくれなんてお願いは出来ない。

 政略の一環での婚姻であるならば、その結婚は一種の事業だ。お互いが取引相手、ビジネスパートナーでもある。

 そのパートナーに対して誠意と誠実を尽くすのは勿論、手を取り合える良き理解者・支援者でなくてはならない。思いやりと敬意・信頼を以て関係は築かれるべきだろう。

 出来るんだろうか、私に。

 いや、愛とか恋とかそういう物を、いっそ潔く排除した友人であれれば……。

 そんなことをつらつらと考えていると、ぽんっと肩を叩かれる。

 そっちを見ればシオン殿下が少し眉を落として私を見ていた。


「あのさ、君か僕のどちらかが女の子だったら、君の婚約者は王命で絶対僕なんだよね。それだけの価値と覚悟が僕にはあるから。だから、裏技というか……問えば良いんだよ」

「問う……とは?」

「君の横に立って『貴方では私の助けにならない』って思わせない覚悟と価値はあるのかって」

「え? なんです、その上から目線?」

「いや、実際のところ、中途半端な覚悟のご令嬢に『菊乃井家の女主人』・『菊乃井鳳蝶の伴侶』がとても勤まると思えないんだよね」


 言われて首を傾げると、今度はヴィクトルさんが「一理あるね」と頷く。

 私の名前は世界に不本意ながら知れ渡った。

 それも絶対善みたいな立場で広まってしまった……らしい。望んでないし、目的を遂げた今となっては忘れてくれて全然かまわないのに。

 それを踏まえて考えると、むしろそれを前面に押し出して「これだけのことをした人間の横にいて、同じくらい慕われる人間になれますか? その努力をする覚悟はありますか?」と、ご令嬢本人に突き付ければ、候補者はぐっと減るだろう。

 シオン殿下はそう口にした。


「例えばどっちかが女の子だったら、婚約者は王命で絶対僕になるって言っただろう? あれだって君を皇家に入れたいのもあるけど、第二皇子くらいでないと君の功績と才能に釣り合いが取れないんだよ。間違いなく僕が臣籍降下で菊乃井に入って、レグルスに違う家名を与えて独立……これが規定ルートだ」

「ははあ……」

「でもそうじゃないからこうなってる訳だけど、親と子の望みなんか大抵合致しないよ。親は年頃の娘がいるから狙ってくるけど、ご令嬢は当事者なんだから色々考えるよね? 僕だったら嫌だ。君は友人にするにも結婚相手にするにも悪くないけど、『正義の味方・菊乃井鳳蝶』の隣は怖い」

「……つまり、私の虚像を利用して『私と同じことをする覚悟を見せろ』と迫れと?」

「失礼な話だと思うよ? でも、その覚悟がないと菊乃井の女主人なんかとても無理だと思うね。まあ、これ、僕がとってる方法だから、無理には言わないけど」


 あはははと乾いた笑いが、私とシオン殿下の口から出る。

 ヴィクトルさんはと言えば、顎を擦って何かを考えたみたいで、ややあって首を横に振った。


「その手は逆に使えないな。一人、覚悟が決まりまくってて、あーたんが頼りに出来るほどの立場を持つっていう、条件完全一致みたいなお嬢さんがいる」

「あ、そうだった。この手は無しだね」

「うん? そんな人、いるんです?」


 聞き返すと、ヴィクトルさんもシオン殿下も気まずそうね視線を明後日に飛ばす。

 でもそうか、そんな覚悟も立場もある人なら良いんじゃないだろうか。


「その方、私は恋愛とかその方面で好きになるとかでお応えは出来ないけども、友人として誠意ある態度で接しますし、勿論その方に好きな人が出来ても応援するので……って条件なら受けてくれますかね?」


 愛とか恋とかそんなのを期待されないのであれば、その人をきっと大事にできると思うんだ。女主人として生きるのは仕事で雇われてると思ってもらえれば。子どもとか跡継ぎは、二人で相談して決めれば何も問題ない筈だ。

 良いじゃん!

 そう思って言っただけなんだけど、シオン殿下もヴィクトルさんも凄く複雑な表情で手を「無理」って振る。


「最初から愛されることを期待しないで……とは、ちょっと……うん」

「その考え方は、相手もだけどあーたんも幸せにしないよ」

「まあ、人でなしな考えではありますよね……」

「う、いや、あーたんがその方が負担がないって言うなら、それはそれなんだよ。でも、このご令嬢にそれを言っちゃうのはちょっとまずい」

「んん? えっと、もしかして、ロマンチックな人なんですか?」

「まあ、うん。でも女の子なら、愛し愛され幸せな結婚に夢がある、というか?」

「あー……そうですよねぇ……」


 そうだよなぁ。

 誰だって、覚悟しててもそりゃ好きあって結婚する方が良いに決まってる。


「でもなぁ……。そういう事に期待しないでもらえたら、不自由はさせないし、嫌な思いもさせないし、出来るだけ楽しく過ごせるように努力するし、一生大事に大切にするんだけどなぁ」


 ままならない。

 溜息を吐けば、シオン殿下も遠い目をする。

 そう言えばこの人、人の婚約だのなんだの言ってるけど、自分はどうなんだ。

 尋ねると、目線が明後日の方向に飛ぶ。


「……君って七歳だもんね。僕なんか十歳でまだ婚約者も決めないでふらふらしてる訳なんだから、焦って決めなくていいよ。うん。いいよ、いい。大体、僕らよりも先にロマノフ卿とかショスタコーヴィッチ卿とかだよ」

「ああ、そう言えば」

「ソーニャ様がぼやいてるよ。『お嫁さんまだー!?』って」

「へぇー、そうなんですね」


 シオン殿下が「ふへ」っとちょっと悪戯する時の子どもの顔で笑う。同じく私も「ふへ」っと笑うと、ヴィクトルさんが急いで視線を逸らした。

 いやぁ、そりゃ私より先生方でしょ。私と違って大人なんだから。

 ジト目で見ていると、ヴィクトルさんが話題を逸らすように、前方のレグルスくんと和嬢へと目線をやった。


「えっと、和嬢との話は進めていいのかな?」

「うーん、ちょっとレグルスくんとお話しても良いですかね?」

「うん、勿論。急がなくても良いけどね」


 まだ少し、いや、沢山猶予がほしい。

 そうこう思っているうちに、もう劇場へと着いてしまった。

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