7巻発売記念SS・公式が最大大手の悩み深さ
異世界には、人間の女と黄泉の国の帝王の恋物語がある。
何処かの国の皇妃の命の輝きに満ちた美しさに惹かれた黄泉の国の帝王が、彼女の愛を得るために苦難を与えたり、時に突き放したり、最後には優しくその命の終わりを抱きとめるというような。
「死」というのはそもそも現象なのだから、恋などしない。
それなのに人間と同じく感情があるように考えるとは、異世界の人間とは面白いものだ。
異世界の人間が作った物語に惹かれ、我はその話を齎した鳳蝶に興味を持ったのだ、が。
「……なに突っ伏してるの?」
『昨日の夜、鳳蝶の部屋に行った』
「ああ、通ってるんだったっけ?」
『話が弾むのだ』
「良かったじゃん」
夜を統べる我の館は、月光水晶や月状水銀という希少金属で作られている眠らずの城。
玉座はあるが、用がない限り我は自室で過ごしていた。
壁をくり抜くように作られた寝台には、鳳蝶にやった奈落蜘蛛が、かつて織りあげた宵闇色のカーテンが下がる。
ベッドに寝ていた訳ではないが、何と無しにそこに顔を埋めていた時に、イゴールが尋ねて来たのだ。
我は顔を上げない。
イゴールが「どうしたの?」と面倒そうに声をかけて来た。
『……鳳蝶に、「エリザベート」というミュージカルを少しだけやって見せてもらった』
「え? ミュージカルって一人で出来るものなの?」
『いや、一人で何役も演じてくれる』
「何それ、しんどい。めっちゃ疲れるやつじゃん」
『……歌って喋るだけなら大丈夫だと言っていた』
「わぁ」
呆れたような声がするから、ついついムッとしてイゴールを睨む。そんな我にイゴールは肩をすくめて、視線で続きを促した。
『あのミュージカルは、黄泉の帝王が皇妃に恋をするのだが……』
その恋心を歌った曲は、テンポこそそんなに速くはないが、恋した女を一途に追いかける姿勢が如実に表れていた。
けれど皇妃を愛するあまり、黄泉の国の帝王は彼女を追いかけ過ぎて、時に恐怖さえ与えたようで、時折手ひどく拒絶されるのだ。
例えば芝居の一場面。
めでたく新婚となったのに、姑に厳しくされたことを訴えても、夫は少しも取り合ってくれない。その悲しみの皇妃を、黄泉の帝王は己の国へ「黄泉の国にくれば自由になれる」と誘う。
だがかつて命を助けられた事を覚えていない皇妃は「貴方の事など必要としていない」と、黄泉の国の帝王に向かって叫ぶのだ。
『鳳蝶が芝居をしながら、物語を語ってくれるのだが……』
「うん? あの子、役者さんだっけ? 違うよね?」
『我のために、全力で。それはもう情熱的に一人で何役も演じてくれる』
「……念のために聞くけど、真夜中にそんな事させてないよね?」
『そんなはずがないだろう。宵の口だ』
「おぉう、家人に見られてないといいね……」
『?』
何を言ってるんだ、コイツは。
今度は我が胡乱な目をイゴールに向ける。
すると奴は「こっちの事」と言うだけで、それ以上は何も言わない。
黙るという事は続きが聞きたいのだろう。勝手にそう判断して話を続ける。
『皇妃に辛い出来事があった時、黄泉の国の帝王は言葉を弄して皇妃を死に誘うのだが、その度に皇妃は清々しいまでに拒絶するのだ』
「へえ、誘惑を跳ね除けるんだ?」
『ああ。それはもう、はっきりと。しかし、その拒絶の言葉が鳳蝶の口から出るのだ』
思わず眉が寄る。
何と言うか、セリフの一つ一つがサクッと刺さるのだ。
そう口にするとあの時の衝撃が蘇ってきて、我は眉間を手で押さえた。
「うん。お芝居を氷輪がせがんだからだよね?」
『そうだが?』
何を言ってるんだ、お前は。
もう一度そう言う顔をしつつ、話を続ける。
聞かれた以上は全部話してすっきりした方が良い、そんな判断だ。
『それだけではない。皇妃が自身の生きる道を自覚した時に、自身を誘う黄泉の国の帝王と……デュエットと言っていたな……二人で歌う曲があるのだが、それも皇妃からの拒絶が強くてな』
「えぇっと、その二人で歌う曲を鳳蝶一人で歌ってるの? しかも男と女の役をやりながら? え? 忙しくない?」
『息継ぎの間合いが非常に絶妙で、全く音程がぶれないのだ。素晴らしかろう?』
「なんで氷輪が胸張るんだろうね?」
決まっている、鳳蝶は我が贔屓なのだ。
その歌や演技の出来栄えが良いというのは、とても誇らしい話ではないか。
そう、鳳蝶は素晴らしい。
歌に込められた感情は、我の心をも揺さぶる程に。
本当に、物凄く揺さぶられるのだ。
『何というか、まるで我が鳳蝶に拒絶されているのかと思うほどに、情感があるのだ……』
「氷輪が頼んだから、鳳蝶頑張ってくれてるんだよね?」
『そうだぞ。我が見たいと言ったから応えてくれたのだ』
「え? それなのに拒絶が刺さってるの?」
『それとこれとは別だ』
何故なら物語とはいえ、語るのもセリフを話すのも歌うのも鳳蝶なのだ。
普段から誼を通じていて、関係だって良い筈で、鳳蝶も我を少なからず知己として遇してくれている。
それはきちんと解っているし、拒絶されているのも我でない事はきちんと理解しているのだ。
それでさえあっても、鳳蝶の口から拒絶の言葉と歌が出ると、我が心は震える。「この黄泉の帝王と同じことしたら嫌いになりますよ?」という空耳が聞こえるほどに。
「え? 氷輪?」
色々、何だか辛い。
耐えかねて寝台に潜り込もうとした我を、イゴールが服の裾を引っ張って押し留める。
因みに今日の我は、鳳蝶がかつての生で贔屓にしていたという役者が演じた、すとんと真っ直ぐに腰まで落ちる黒髪の、流し目も艶やかな語り部の姿。
羽織った濃い紫のマントとローブの裾を、まとめてイゴールが握っていた。ぎゅうぎゅう引っ張られるのが鬱陶しい。
「鳳蝶の口から出たって、それはお芝居なんだから!」
『芝居でも歌でも刺さるものは刺さるのだ!』
「自分でやってくれって頼んだんだろ? 自分で頼んでて、何言ってんのさ!」
『うるさい! 推しからの供給が過多で嬉しいが、拒絶が心に刺さるのだから仕方あるまい!』
「ちょっと何言ってるか解んないんだけど!? っていうか、貴方そんな性格だったっけ!? あと、推しとか供給が過多とかなんなの!?」
ぎゃいぎゃいと煩くイゴールが喚く。
今日は鳳蝶の歌の余韻に浸りつつ傷心を癒そうと思っていたのに、とんだ邪魔者が来たものだ。
いい加減裾を引っ張るイゴールが煩わしくなってくる。だからシーツを跳ね除けてる。
『えぇい! 五月蠅いぞ、イゴール! 今日は余韻に浸ろうと思っていたのだ、邪魔をするな! 帰れ!』
「僕だって来たくなかったよ! だけど艶陽が帝国の子たちから、この間鳳蝶が帝都の祭りで歌った時の映像を記憶させた布を捧げられたから『一緒に見ませんか』って言付かって来たんだよ!」
イゴールの叫び声に、一瞬動きが止まる。
そう言えばあの舞台、最終日にはまた鳳蝶が歌っていたのだ。
一度だけあったことがある鳳蝶の音楽教師が、菊乃井の家のために開いているサロンで使うために記録しているかも知れないと、百華も艶陽も期待していたように思う。
それがやはりあったのか。
なれば艶陽が帝国の皇帝に「見たいぞよ」とでも言ったのだろう。普段はそう言った強請りごとを人間にしないようにしている艶陽の言葉だ。皇帝も驚いたに違いないが、でかした艶陽。流石、我が同志。頼もしき同担よ!
『それを早く伝えぬか、行くぞ!』
「ちょ!? え!? 行くの!?」
『急げ!』
妙に急かす我にイゴールが遠い目をした気がするが、そのような事は我の知った事ではなかった。
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