第362話 未来に進む野心

「いやぁ、君達は本当にギリギリ出来なさそうなラインを設定すると、ギリギリでクリアしてきますね」


 あははとロマノフ先生の笑い声に、思わず私もレグルスくんも奏くんもラシードさんもジト目だ。

 魔力制御っていうのは本当に疲れる。

 でも針の孔を通せるほどの正確な制御ができると、魔力を凝縮して下級の攻撃魔術や回復魔術でも、上級のそれと遜色ない威力が出せるんだ。

 これが出来ると出来ないとが、魔術師の二流と三流を分けるそうな。

 それなら魔術師以外出来なくてもいいと思うだろ?

 ところがどっこい、魔術師でなくても魔術が出来るに越したことないし、武器に魔術を纏わせて攻撃に使う時に魔力制御が繊細だと威力の微調整が出来るわけだ。

 やって損になる勉強はないって事だね。

 きちんと虫を落とした絹毛羊の毛は、翁さんとの約束通り一部をアースグリムに持って行って冒険者ギルドに卸した。そこから商業ギルドとの取引で、行き先が何処になるか決まるらしい。

 翁さんが去年まで毛刈りを託していた職人さんは、この冬の間に身体を壊してもう毛刈りは出来ないそうだ。

「来年の事はまた考えないといけない」と、翁さんは寂しそうにしてたっけ。

 でも信頼できる人間を探すのって中々だよね……。

 もしも来年までに毛刈りの人が決まらなかったその時は、私達が責任を持って毛刈りに来る。そうでなくても時々は坊ちゃんと雛の様子を知らせるためにちょくちょく顔を見せに来ると約束して、私達は家路についた。行きにはいなかった、絹毛羊の王子様と、その妹分である星瞳梟の雛を連れて。




 んで、翌日私達がしなきゃいけないのは一緒に帰って来た絹毛羊の王子様と、星瞳梟の雛のお部屋を作ることだった。

 前の日は妖精馬やポニ子さん、アズィーズ達がいる厩舎に入ってもらったんだけど、流石に手狭なんだよ。

 それにヨーゼフが連れて帰ってきてくれた牛さんも、何だか大人しい種類のモンスター牛だったらしく結構大きくて、もう厩舎を建て替えた方が良いんじゃないかって話になった。

 うち、動物園ならぬ魔物園作れそう。

 でもそれも良いかな。だって魔物の生態を知るって冒険者にも生物学的にも有意義なことだし。特に冒険者は魔物とでくわすと命がけなんだから、弱点とかを知らないより知ってる方が良いだろう。


「たしかに、そうだろうなぁ」

「だからって無暗に魔物に戦いを挑むのは違うと思うんです。けど已む無く戦うなら少しでも生存確率を上げるために魔物の生態を知っておくのは大事かな、と」

「うむ。そういう事であれば、冒険者には魔生物学の初歩は学ばせておく方がいいだろう。よし、吾輩も初心者冒険者講座に協力しよう」

「ありがとうございます」


 ギコギコとノコギリで木の板を切断すると、その断面をフェーリクスさんが魔術で綺麗に整えてくれる。

 その板はレグルスくんと紡くんによって、源三さんやヨーゼフと一緒に作業してる奏くんの元へ運ばれるのだ。

 何してるのかっていうと、厩舎用の木材を切ってる。

 私、工芸A++なので。私、失敗しないので。

 釘を使わない前世でいう「木組み」って建築工法用の材木を作ってるのを、フェーリクスさんに手伝ってもらってるとこ。

 この建築法はロマノフ先生の案というか、エルフ式建築法なんだよね。耐震やら免振に優れてるんだってさ。

 そのための木材をロマノフ先生やヴィクトルさん、ラーラさんがエルフの里に調達に行ってくれて、フェーリクスさんがパーツの加工の仕方を私に教えてくれてる。

 奏くんは源三さんの幼馴染のモトお爺さんから、鍛冶だけでなくドワーフの建築工法や技術を教えてもらってるらしく、それも厩舎に活かしてくれるそうだ。

 その最中にうちで暮らす魔物たちの生態の話をフェーリクスさんとしてたんだけど、魔生物学が発展しないのは何でだって話になって。

 研究者がまず少ないし、そもそも研究対象のモンスターを観察できるところがないからっていうのが主な理由なんじゃないか。それならウチみたいな所で研究できればいいねっていう話になったんだ。

 でも研究場所があったとして、その研究が何らかの利益を出さない事にはスポンサーがついてくれない。

 じゃあ魔生物学ってまず誰のためになるのかって考えたんだけど、そこはほら。

 うちはダンジョンを抱える領地で、冒険者達の始まりの場所を目指してる訳だから、まず菊乃井で活用すべきじゃないかと。

 即ち、冒険者達に初歩の魔生物学を教えて、彼らの生存確率を上げる手段にしてもらう。そういうことで冒険者達に教えたらどうだろうって、フェーリクスさんにプレゼンしてた訳だ。


「そうさな、吾輩だけでなく弟子達も受け入れてもらえるだろうか?」

「お弟子さん、ですか?」

「うむ。少し前に菊乃井に腰を据えたことを、斜塔に残る弟子に伝えたら『ここの堕落にはもうウンザリなので、そちらに引っ越したい』と泣き付かれてしまってね」


 ちょっと考える。

 そりゃ学者さんが向こうから来てくれるってありがたい事なんだけど、菊乃井はどうしても田舎だ。研究環境が整ってるとは言い難い。唯一ずば抜けて整ってるのがレクス・ソムニウムの研究室だけど、あれはフェーリクスさんにお貸ししたもの。研究室のシェアってしていいんだろうか?

 疑問に思ったので尋ねてみると、フェーリクスさんが「ああ」と呟いた。


「研究室や機材は正直に言えば、菊乃井は心許ない。しかしここは利益の追求より、後に残る研究や技術の追求が許される場所だ。そういう場所で学問の自由を、倫理を踏み躙らぬ限りは保障されることの方が、研究者としては有難いな」

「うーん、研究や技術の追求って、時には採算度外視して取り組まなきゃいけないことじゃないですか。例えばの話、いつ来るか判らないモンスターの大発生に備えたり、地震や台風なんかに備えるのと同じ。疫病だっていつ流行るか判らないから、その時のためにあらゆる病に聞く薬を研究してもらう。それって広い意味では万人に利益を齎すものだと思うんです。その辺りは芸術に投資するのと変わらないかな」

「広く万人に夢や希望を与えるために、かね?」

「そればっかりじゃないです。そういう日々の暮らしに小さな不満はあっても、大きな、それこそ国を倒そうと思うほどの不満を持たないよう、民衆をコントロールしたいってのもあります」


 でないと安心してミュージカルとか楽しめない。平和で豊かである事は、人間が娯楽を追求するための必須条件なんだ。

 その為にはお金を出し渋っちゃいけない分野ってのがあって、技術や学問の研究はその出し渋っちゃいけない分野の代表格だと思う。

 ようはそういう話なんだと言えば、フェーリクスさんがニヤリと唇を歪めた。


「そうだな、若者は野心家の方が良かろうよ。世界に類を見ない学術・芸術都市? 結構なことじゃないか」

「そうでしょう? 私、欲張りなんです。もうすぐミュージカルは形になりそうだし、そうしたら次は美術館とか博物館にだって行きたいし、動物園や植物園だって水族館も欲しいいんですよね。遊園地にも行きたいし、音楽の夕べや研究討論会だってあってもいいだろうし」


 笑うフェーリクスさんに、私もニヤリと口角を上げた。


「ふむふむ。研究討論会は吾輩の弟子達が集まれば、すぐにでも出来るが……。議題はどうするね?」

「幼児にも解り易く学問の楽しさを体験してもらう方法とかどうでしょう?」

「なるほど。実に学術・芸術都市を目指す領地で最初に開かれる討論会に相応しい議題じゃないかね」

「ついでに、今なら討論した内容を実践できますよ」

「よし。弟子達に手紙をだそう。菊乃井に越してくるならば、それぞれ研究成果を発表する用意をしてくるように、と」

「はい、家はいくつか見繕っておきますね」


 私が請け負うと、フェーリクスさんは実に愉快そうな声で「よろしく頼むよ」と言った。

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