第363話 日々是良日、まったりと

 厩舎の改築はやっぱり一日じゃ終わらなくて、次の日にも持ち越し。

 菊乃井は街灯なんてないから、太陽が沈んだら暗くなるので作業は無理。烏が鳴くから帰りましょう、だ。

 街灯もいずれ治安の維持と旅人の安全のために何とかしないと。

 菊乃井の街の大通りには、去年魔力を込めると半永久的に光る石を組み込んで、日が暮れると明るくなるようにしいてるけど、他はまだ舗装されてるとは言い難いんだ。

 この辺も区画整理と一緒に考えないと。

 それだけじゃない。歌劇団が大きくなり、各種学校が出来れば、そこに人が集まるようになる。

 観光客や留学生たちが安心して楽しく、それでいて元からの住人達も不便なく暮らせるような街。私が目指すものはそこだ。

 こういうのは先生方やルイさんに相談して進めて行けばいいよね。

 相談と言えば、フェーリクスさんのお弟子さんの話だけど、先生達やロッテンマイヤーさんに伝えると、住居がちょっと問題みたい。

 家がない訳じゃないけど、空き家が老朽化してるんだよね。でも越してくる人がいるなら、その人の意見を入れつつ、改修工事をすればいいかな?

 そういえば前世では可動式の家があったような。そういう仕組みを応用できれば、区画整理も少しは楽にできるんだろうか。

 まあ、でも、出来る事からだ。

 その出来る事の一つ、えんちゃんさまに差し上げる縫いぐるみなんだけど。

 絹毛羊の毛はまず洗わなきゃいけない。綺麗にした後で今度は乾かして、梳いて、洗って、乾かして……という工程を経て、それを糸紬で紡いで毛糸にしたり、或いは綿として使用したり。

 つまりそう簡単に作品にはならないって事だよね。

 それに今回は新しく挑戦したいことがある。

 その為に必要な道具が実は手元にないのだ。これが今回は一番のネック。

 そんな訳で翌日、朝ご飯の後で私は厩舎作りにやって来てくれた奏くんを捕まえて、ちょっと相談に乗ってもらう事にした。


「フェルティング・ニードル?」

「うん。えっと、針なんだけど先端がささくれてるんだよね」

「ささくれ? なんか溝やら引っかける部分があるってこと?」

「そう。それが浅くても使いにくいし、深すぎても駄目なんだ」

「ほぁー、手芸にも色々道具がいるんだなぁ。よし、やってみる」

「ありがとう、奏くん!」


 地面に棒で絵を描いて「こんな感じ」と説明すると、奏くんはそれを即座に試作してくれる。

 最初は針より大きいペンサイズから。ニードルの先についてる溝の具合を、まず大きなもので作ってみて確認して、小さくしていくんだそうな。

 そんなお兄ちゃんの姿に、紡くんがキラキラとした目を向けている。


「つむ、いっつもにいちゃんすごいなっておもうんだ」

「うん。かなはすごいぞ」


 レグルスくんも奏くんには一目置いてるからか、胸を張って同意した。私も勿論同じ意見。

 すると聞こえてたのか、奏くんがにかっと笑う。


「そりゃ、おれは兄ちゃんだもん。この中で一番年上なんだからさ」


 そうだ。

 奏くんって何だかんだ一番年上だからって、色々考えてくれてるんだよね。

 私が持ち込む相談も、解んない事でも一緒になって考えてくれたりするし。こういうのがお兄ちゃん力ってやつだなんだろうなぁ。

 私もまだお兄ちゃん歴より一人っ子歴のが長いから、そういう甘やかしに弱いんだ。

 そんな訳で、針の事は奏くんが請け負ってくれるから、次は目に使う真珠百合の黒い実の方。

 こっちの毒性の方はフェーリクスさんに相談したら、あっさり片付いた。

 曰く、「茹でなさい」って。

 真珠百合は茹でると本物の真珠のように硬化する。毒性はその時にゆで汁に溶け出て色だけが残るそうだ。でも真珠のように硬化しちゃう訳だから、茹でちゃうと食べられない。

 生でも食べられないし、茹でちゃうと食べられないなら、せめて綺麗なアクセサリーになる方が良いっていうのは人間の傲慢かもだけど、折角生まれて来たならそんな咲き方もあるだろう。

 当面、私的な面での問題はこれでクリアだ。

 となれば、公の問題だ。

 といっても、公の問題っていうのはラシードさんの一族の問題を覗けば、あと一つは……。


「行啓の日にちですけどね」


 これだ。

 首にタオルを巻きつつ、農作業用に作ったツナギスタイルで、にこっとロマノフ先生が笑う。

 私もツナギだし、レグルスくんもツナギ。奏くん・紡くん兄弟もツナギだし、ヴィクトルさんもラーラさんもツナギだ。作業着だから全員お揃い。

 ギコギコとノコギリを引くロマノフ先生と、それを加工する私とレグルスくん。作業は単調だからか、雑談のついでにひょろんと先生の口からそんな言葉がでた。


「用事が終わったのを、手紙で知らせたでしょう?」

「はい。ヴィクトルさんに届けてもらいました」

「その返事が、母経由で来ましてね」


 此方の準備は整ったけど、あちらとロートリンゲン公爵家の準備がまだ終わってないそうだ。


「それなら別に予定通りゆっくり来てくれてもいいですけどね」

「君ならそう言うだろうと思って、予定通りで構わないと返しておきました」

「ありがとうございます」


 先生には私の面倒くさがりは知られてるから、こういう対応をしてくれるんだろうな。

 問題は色々抱えているけれど、暫くはこんな和やかな日々が続くだろう。

 この数か月は忙しすぎた。

 なんとなく視線を落とすと、レグルスくんが木片を片付けてるのが目に入る。その横顔がとても楽しそうだ。


「レグルスくん」

「はい? どうしたの、にぃに」

「暫くは忙しくないと思うから、どこかに遊びにいけるといいね」

「うん! れー、にぃにとだったらどこでもいいよ!」

「そうだねぇ。どこがいいかなぁ」


 何処だっていいんだ、どこかでゆっくりレグルスくんと過ごせる場所なら。

 奏くんや紡くん、アンジェちゃんも誘おうか? それで近くの丘や原っぱでキャンプとかどうだろう?

 そんな事を考えていると、屋敷の方から「旦那様ー!」と私を呼ぶ人影が。

 段々近付いて来るそれに目を凝らしていると、先にエルフ先生達には誰か分かったらしい。

 ヴィクトルさんが木材を片付けながら「アリスたんだ」と呟くのが聞こえた。


「うつのみや? どうしたのー?」

「あ、レグルス様。旦那様にお客様です。あの、スパイスの行商人さんの……」

「え? ジャミルさん?」

「はい。ちょっとご相談があって、と」

「うん? なにかな」


 尋ねれば、ジャミルさんは次男坊さんの所で色々とスパイスについての話を聞けたらしい。例えばショウガを使ったジンジャーマンクッキーやら、紅茶に牛乳とシナモンを入れて作るチャイだとか。そういうものも凄く興味深かったらしいけれど、中でも一番ジャミルさんが惹かれたのはスパイスを沢山入れて作る癖になるような味の飲み物だったそうで。

 しかし、次男坊さんはそれを「スパイスをたくさん入れて作るのは聞いたことがあるし、味も解るんだけど作り方が判らない」、「寧ろ解ったら俺が作って欲しいくらいだ」と言ったそうな。

 それで何で私に相談かと言えば、これも次男坊さんが「カレーをスパイスから作れるんだから、もしかしたら」と呟いたらしい。


「うーん。なんだろうな、私で解るかな?」

「『蝶々ちゃんで無理なら、誰にも無理じゃね? ダメもとで、菊乃井の渡り人さんに聞いてみるとか?』って仰られたそうですよ」

「……蝶々ちゃんて、次男坊さん私のことそんな風に呼んでるんだ」


 それは知りたくなかった。

 とりあえず私はこの場をロマノフ先生にお任せして屋敷へ。

 ツナギのままで失礼だとは思ったけど、エントランスで待ってたジャミルさんと鉢合わせしちゃった。

 ジャミルさんは自分が急にきたせいだからと、そのままお話することに。


「スパイスを沢山つかった飲み物なんですよね?」

「ハイ。次男坊サン、ソウ言ッテマシタ。タシカ、カルダモンヤレモン、砂糖ニ炭酸水ヲツカウラシク……。ア、多分バニラビーンズヤシナモンモハイッテルダロウ、ト」


 うん、炭酸水?

 心に引っかかるものがある。

 なので、ジャミルさんに質問。


「炭酸水で割って飲むってことじゃないです?」

「アア、ハイ。ソウヤッテ飲ム人モイルトカ」

「あー、なるほど。あれか」

「!?」


 ポンッと手を打った私に、ジャミルさんの目が点になった。

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