第350話 仁義なきお茶会 破

 侯爵家の当主と、父親が公爵なだけで自身は無位無官の人間ならば、どちらがより権威を持つかなんて知れている。

 少なくとも作法上の無礼を働いたのは私ではない。

 無礼講だって場所で、親や家名を利用して他者を威圧するような下品な振舞いをしたんだから、この場の勝利者は誰か既に決まってる。

 私だよ、臑齧すねかじり。

 アッチの方が背が高いから見上げる立場になるけれど、気分としては見下げているのが解ったのか、ぎりっと少年が奥歯を噛んだ。

 周りの子ども達は、私達の睨み合いを固唾を呑んで見守っている。

 そんな緊張感の走る庭に、「あらあら」と明るい声が響いた。

 高くも低くもなく、耳に優しいその声に自然と子ども達の垣根が割れて。


「御機嫌よう、皆様。本日は良い日和ですこと」

「……これは、ロートリンゲン公爵家のご令嬢。ご機嫌麗しゅう」


 穏やかに声をかけて来たのは、紺色のドレスに身を包んだゾフィー嬢だった。


「まあ、ご令嬢などと他人行儀な。そのような呼び方をされると、私も閣下とお呼びしたくなりましてよ?」

「……やめてください、ゾフィー嬢」

「ええ、鳳蝶様。今日はとても沢山の方がお集りですね」


 朗らかに、こちらに一切の不快感を与えない声の大きさ。見事な貴婦人の振舞に、その場の険しかった雰囲気が一気に華やぐ。

 私と睨み合ってた何とか公爵家のご嫡男すら置き去りに、ゾフィー嬢は私とレグルスくんの傍にいた幼いお嬢さんに目を止めた。


「まあ、梅渓公爵家の和(なごみ)様。お久しゅう?」

「あ、はい。あのゾフィーおねえさまにおかれましては、ごきげんうるわしゅう」


 梅渓ってもしかして、宰相閣下のとこだろうか?

 私はちょっと貴族教育が間に合ってなくって、大貴族の家族関係にわりとかなり結構疎い。だってお付き合いしてるの、ロートリンゲン公爵家ぐらいなんだもん。

 なので成り行きを見守ろうとすると、私と相対していたどこぞのご嫡男の顔から血の気が引いているように見えた。

 同格の公爵家とはいえど、宰相を務めるお家っていうのは別格だ。そこの家のお嬢さんを払いのけて、そのドレスを汚させたんだもんな?

 意地の悪い気持ちで様子を見ていると、ゾフィー嬢が「お怪我はなくて?」と和嬢に声をかた。

 弾かれたようにご嫡男が声を荒らげる。


「少し当たったくらいで大袈裟な!」


 これ、年の頃からして第一皇子殿下か第二皇子殿下のご学友候補だよな?

 こんなんで帝国大丈夫なんだろうか?

 若干遠い目をしていると、ゾフィー嬢が怪訝な顔をした。


「あら、貴方が和様にぶつかられましたの?」

「ぐ、っ」

「私は和様が涙目でいらしたから、もしかして転んでしまわれたのかと思ってお声がけしただですのに」


 こういうの、前世では語るに落ちるって言うんだっけか?

 って言うか、ゾフィー嬢ことの最初から見てたんじゃないの?

 そういう意図を視線に込めてゾフィー嬢を見れば、彼女は意味ありげに扇子を広げる。

 緊張感が庭に戻って来たのを察したのか、和様と呼ばれたお嬢さんが慌てて言葉を紡いだ。


「あ、いえ、あの、わたくしがかってによろけただけで……!」

「そう? でも涙目になる程の事があったのではなくて?」

「それは……わたくし、よろけたときにドレスのすそにあるレースをふんづけてよごしてしまっいましたの。せっかくきょうのためにしたてていただいたのに、かなしくて。でも菊乃井様にきれいにしていただけましたので!」

「そうでしたの」


 にこにこと表面上進むご令嬢同士の会話に、ご嫡男の顔色が益々悪くなる。

 和嬢は意図してたわけじゃないだろうけど、このご嫡男様は小さな公爵家のご令嬢に当たっただけでなく、ドレスも汚させてしまうなんて非礼な事をしたって止めを刺したわけだ。

 そんなつもり全然ないけど、やっぱゾフィー嬢を敵に回すの良くない。この程度の会話で、ご嫡男とゾフィー嬢の力関係をはっきりさせたんだから恐れ入る。

 ついでに今まで萎縮していた子ども達も、自分より小さいお嬢さんにこの少年が働いた無作法を咎める顔つきになった。

 いやぁ、強いなゾフィー嬢。

 ご嫡男の取り巻き連中はすっかり消沈して、彼から一歩下がってる。つまりもう兵士は戦意喪失してて、こちらはまだ戦えるんだから戦況は推して知るべし。

 ギリギリと歯ぎしりが聞こえてきそうなご嫡男の形相に、私はそろそろ潮時だろうなと思った。

 これ以上は面子を粉砕骨折させることになる。やり過ぎは良くない。

 そう目配せすると、ゾフィー嬢も頷く。

 それと同時に「第一皇子殿下、第二皇子殿下、ご入場」と従侍から声がかかった。

 ざわっと子ども達が騒めいて、ご嫡男や私達からあっさりと注目が離れる。

「チッ」と行儀の悪い舌打ちが聞こえたけど、情けだ。聞こえないふりをしてやるから、さっさと失せろ。そんな意図を込めてちらりと視線をながしてやれば、ご嫡男は取り巻きを連れてさっさと第二殿下の方向へ。

 でも第二皇子殿下は近付いて来る彼らに気付かなかった振りをして、さっさと兄君と近くにいる子たちに歓迎の声かけを始めた。

 なるほど。


「あの方々が、殿下のお悩みの種ですの」

「さもありなん、ですね」

「複雑な系譜のゆえですわ」

「?」


 ゾフィー嬢の呟きに、何のことかと首を捻る。

 すると、「昔話として聞いてくださいませね」と、ゾフィー嬢の前置きがあって。

 現皇妃殿下のエリザベート様と前皇妃殿下のソフィーナ様はそれは仲の良いご姉妹であらせられたけれど、実はお父上が違う。

 現皇妃殿下のお父上は前シュタウフェン公爵で、前皇妃殿下のお父上は若くして亡くなられた前シュタウフェン公爵の兄上だとか。

 その前のシュタウフェン公爵、皇帝陛下の義祖父に当たられる方は、陛下の臣としては優秀だったみたいだけど、父親としてはどうだったのか。二人の息子にかなり差を付けて育てたのは、その世代では有名な話なんだそうな。

 しかし、運命は皮肉的かつ因果は巡る。

 大事に育てた嫡男は若くして病に倒れ、粗雑に扱ってきた次男が公爵家の跡を継いだ。その時、前シュタウフェン公爵は兄の妻だった人を「路頭に迷わせるわけにはいかない」と、そのまま自身の妻にしたのだとか。

 良い話に思うだろ?


「殿下方のお祖母様にあたる前シュタウフェン公爵夫人ユーディト様は、夫の喪に服したいと出家を望まれたそうです。でも妻にならないなら、自身の娘でないソフィーナ様を公爵家で養育する気はないと言われたそうで、泣く泣く前シュタウフェン公爵の妻になったそうです」

「……ご心痛を察することしか出来ませんが、相当な想いをなさったのですね」

「私にも想像することしか出来ませんが……」


 そして育てた娘は見事女性においては女人最高位の皇妃という地位についた。

 だが、前シュタウフェン公爵はそれが許せず、ソフィーナ様を正妃にするなら自身の娘であるエリザベート様を側室にとねじ込んだそうな。

 結局のところ、シュタウフェン公爵家がシオン殿下を皇帝にしたいのは、前シュタウフェン公爵の自身を虐げた父親への復讐が根幹にあるのだろう。

 そうゾフィー嬢は締めくくった。

 うん、迷惑だな。

 でも気持ちは解らんでもないのが複雑なところだ。


「貴族の家って皆こんなか。揉め事ばっかり……」


 呟いたのが聞こえたのか、ゾフィー嬢も綺麗な笑顔のまま。


「当家も父と叔父が……。その節はお世話になりました」

「いえいえ、こちらこそ色々とご指導賜っております」


 乾いた笑いを浮かべる私と、目が若干死んでるけど笑顔なゾフィー嬢に、ひよこちゃんと和嬢のおめめが行ったり来たりを繰り返す。

 そんな事をしていると、レグルスくんと和嬢の視線がばちっとかみ合った。

 すると和嬢が「あ!」と手を打った。


「わたくし、菊乃井さまにおれいとおわびをもうしあげたくて、りょうちからでてまいりましたの」

「おれい、ですか?」

「はい。きょねんのなつのコーサラでのこと。わたくしのせいで、菊乃井様はなつやすみをはやくきりあげなくてはいけなくなったと……」


 ああ、そう言えばそんなことがあったな。

 モンスターに襲われたバーバリアンの雇い主さんのトコの下の娘さんが怖がって、早くお家に帰りたがってるからとかなんとか。

 それでバーバリアンと現地解散で、私達は菊乃井に戻ったんだっけ。

 思い出した。

 レグルスくんも思い出したみたいで「ああ」と頷く。


「あのときはごめいわくをおかけして……」

「よいのです、おじょうさん」


 レグルスくんがきりっとしたお顔で、和嬢の小さなお手々をとる。

 何だかひよこちゃんが普段より大人びて見えて、ちょっとびっくりだ。


「あなたがごぶじでよかった!」


 かぱっとおおらかにレグルスくんが笑う。それを見た途端、和嬢の丸くてもちっとした頬っぺたが、みるみると染まって桃のようだ。

 私はもしかして、女の子の胸にキューピットの矢が刺ささった瞬間を目撃したんじゃ……?

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