6巻発売記念SS・歌劇団事務長は見た!?
ルマーニュ王国から亡命してきた当初から思っていたことだけれど、菊乃井という土地はとても治安がいい。
それは衛兵や兵士がきちんと己の責務を全うしているからだけれど、それに加えて菊乃井家にご逗留中のエルフの英雄方が見回りをしていたり、冒険者たちが治安維持に貢献しているからだ。
ルマーニュ王国にも冒険者ギルドはある。
しかし彼方はどちらかと言えば、破落戸に近いものが多く、住民から煙たがられている節があった。
翻って菊乃井では、冒険者は常に街の住人に対して礼儀正しく接し、住人もまた冒険者に敬意と親愛を込めて接している。
これは菊乃井の冒険者ギルドが、なりたての冒険者達や誤解されやすい冒険者達に、礼儀や接遇をきちんと指導しているからだろう。
街を歩けばそこかしこで冒険者達とすれ違うが、彼らは私の顔を見るとにこやかに挨拶をしてくれる。
それは私が、彼らの愛する「菊乃井少女歌劇団」の事務局長と劇場支配人だからだ。
歌劇団、前身の「菊乃井少女合唱団ラ・ピュセル」の頃から、開場時と閉場時に私は来てくださったお客様に挨拶をしているから、足しげく通ってくださる方は私の顔も覚えて下さっているのだろう。
私も彼らに挨拶を返せば、口々に労いと歌劇団の乙女たちへの激励を伝えられる。
私一人の時はこの程度だけれど、ユウリと二人で歩いている時は女性に囲まれることも多い。
つまり、まあ、菊乃井というところは、ダンジョンを抱え、かつ冒険者で賑わっているわりに、とても穏やかで華やかな土地なのだ。
燦燦と降り注ぐ暖かな日差し、そこかしこに植えられた花、柔らかな彩の建物。
いずれ菊乃井は芸術や音曲を愛する人たちにも憧れの街になるんじゃないだろうか?
私はそんな未来に胸を躍らせながら大通りを、劇場に向かって歩いていた。
歌劇団のお嬢さん方に定期的に菊乃井のお屋敷から、クッキーの差し入れがある。
私はそれを受け取りに、お屋敷に行っていたのだ。
オーナーにもご挨拶をしてきたけれど、執務中で大変お忙しそうに見受けられ、大人でも音を上げそうな状況の中で、あの方は本当に精力的に活動なさっている。
彼の方の掲げる「最低限健康で文化的な生活」を、領民全てが甘受できる状況にはまだほど遠い。
それでもこの街の住人は、私の故郷の王都の住人たちより、遥かに明るい顔で生きてる。
なんと尊いことか。
世を経(おさ)め、民を済(すく)う。
異世界から伝わった「経世済民(けいせいさいみん)」という言葉は、まさしく行政や民に関わる者が肝に銘じる言葉だけれど、それを体現すれば菊乃井になるのかもしれない。
そこに少しなりとも関わることが出来る。
それも愛する演劇を守る側として参加できるのだから、今の私はとても幸せだ。
ぴーひょろろと、雲雀が鳴く。
とても長閑だ。
しかし、その長閑(のどか)さは次の瞬間、大きな、とても大きな音でかき消された。
「っ!?」
何かがぶつけられて壊れる音に続いて、女性の絹を裂くような悲鳴。男たちの怒号。
一瞬呆気にとられた私の眼の前で、酒場の扉が吹っ飛んで、酒樽が通りへと投げつけられた。
道を歩く人は皆上手く避けたようで、酒樽は民家の扉にぶつかって砕ける。
辺りには樽に入っていた酒の匂いが漂って、何事かと往来していた人が足を止めた。勿論。私も。
何が起こったのかと酒場を見れば、ぬっと赤ら顔の男たち—―10人くらいだろうか、ぞろぞろと酒場から出て来た。
何なんだろう?
騒ぎが大きくなったのか、民家からも人が出てくる。
すると、酒場から出て来た赤ら顔の男たちの一人、顔に大小いくつも傷のある男が腰から剣を抜いた。
また悲鳴が上がる。それに煩わしそうにすると、男は後ろを振り返った。
酒場のマスターと給仕の女性が囚われていて、首元に剣を突き付けられているようで。
「おう! てめぇら! こいつら助けたかったら、金と馬を寄越せ!」
ざわっと集まって来ていた民衆が揺れる。
しかし、その揺れにはなんと言うか「あーあー、やっちゃった」といった感じの、うんざりしたような、若干の馬鹿にしたような雰囲気があった。
人間は何故か、誉め言葉とか雰囲気は伝わりにくいのに、嘲りや侮辱というものは言葉にせずとも伝わりやすく出来ている。
不逞の輩とでもいうべき彼らもそうらしく、赤ら顔を更に赤らめて剣を大きく振りかざす。
かく言う私も実は少し呆れ気味だったり。
彼らはきっと、この街についたばかりか、そうでなければ余程の命知らずか、或いは身の程知らずか。
だって菊乃井領だぞ?
エルフの英雄のお三方はいるし、エストレージャやバーバリアン、他にも名のある冒険者もいれば衛兵は強壮。そんな所で、たかだか10人くらいで何ができるんだろう?
そう思っているのはきっと私だけではないんだろう。
彼ら破落戸(ごろつき)が威嚇のために喚けば喚くほど、民衆の雰囲気も冷めていく。
そんな中、バタバタと衛兵や冒険者たちが駆けつけて来た。
槍を持った逞しい青年達や、硬そうな盾を持った壮年の男性、それから杖を構えた栗毛の少女や、剣を腰に差した少年たち、或いは妙齢の鞭を構えた女性、それにエルフの英雄の一人ショスタコーヴィッチ卿。そう言えば、私やユウリを賊から助けてくれた強面の、たしか鬼平兵長や冒険者ギルドのマスターもいる。
ほら、言わんこっちゃない。
駆けつけて来た面々、特にショスタコーヴィッチ卿……ヴィクトルさんを見て、街の住人は皆そう感じたんだろう。
益々雰囲気が盛りさがった。
「お前達、悪い事は言わんから投降しろ!」
「今なら間に合うぞ!」
鬼平兵長とローランさんが、犯人たちに声をかける。
それを眺めながら、私はヴィクトルさんにそっと近づいた。私に気付いた、ヴィクトルさんが手をあげる。
「やあ、エリック。これ、どうしたの?」
「それが、私もたまたま彼らが酒場のドアを破った所に居合わせただけで……」
「そうなんだ。マスターも災難だねぇ」
「そうですね」
肩を竦めたヴィクトルさんの視線の先には、酒場のマスターがいる。お気の毒なことだと思ったが、不思議な事にマスターの顔には悲壮感や恐怖感のようなものが一切なくて。
どうしたのかと思っていると、ヴィクトルさんが「そろそろかな」と呟いた。
「そろそろって……助けに入られるんですね?」
それなら僭越ながらお手伝いさせてもらおう。
なに、私だって暗殺者を向こうに回して戦うくらいの腕はあるんだ。そう思って腕まくりしようとすると、意外な事にヴィクトルさんが首を横に振った。
「僕じゃないよ」
「え?」
「まあ、見てなよ。10秒くらいかな」
そう言うとヴィクトルさんは「ほら」と酒場の屋根を指差す。そこにはなにも無くて、私は首を僅かに捻った。
それから暫くして、ぴゅい~~っと調子はずれな口笛が辺りに響いた。
「なんだ!? 誰だ!」
「ふざけたことしてっと殺すぞ!」
「うるせぇ! 止めろ!」
口々に不逞の輩が騒ぎ出す。しかし、彼らを見ていた民衆は少しも騒ぐことなく。
ローランさんと鬼平兵長が、物凄く頭の痛そうな顔で眉間を押さえていた。
すると屋根の上に人影が五つ、ざっと並ぶ。
「ひとぉつ、ひとのいきちをすすり」
ひよこの綿毛のような濃い金髪の下は、ひよこの可愛いお面をつけた、恐らく五才かそれ位の幼児。
「ふたぁつ、ふらちな……なんだっけ?」
「悪行三昧ですよ、カナくじゃなくて、アーチャー仮面!」
「あ、そうそう、ふらちな悪行ざんまい!」
逆三角を二つ並べたような仮面をつけて弓を構えた茶色い髪の少年と、お祭りの時につけるような仮面をつけたメイド服の少女がごにょごにょと話す。
その中に「カナ」って聞こえたのは、気のせい……とは思えない。
「みっちゅ、みっつ、みにくいわるいやつ!」
ひよこの仮面をつけた子よりさらに幼く、けれど弓を構えた少年と同じような仮面をつけた子どもが、スリングショットを不逞の輩に構える。
「わかしゃまにかわってぇ!!」
ピンクの可愛いレースをあしらった、猫の顔半分を象った仮面をつけたメイド幼女の稚い声には聞き覚えがあって、私は隣にいる人に視線を移す。
いや、いやいや、いやいやいやいや、まさかそんな……。
私が混乱しているのと同じく、不逞の輩もぽかんと口を開けて彼らを見ていた。
「「「「「おしおきだ!」です!」よ!」」」
ぴたりと声を揃えた上に、それぞれ天に腕を突き上げたり、両手を殴り合いでもするかのように構えてみせたり、或いはびしっと不逞の輩たちに突きつけたり。
各々思い思いのポーズを決めると、何故かその背後に爆発音とともに、大きな光の花が咲く。
っていうか、隣から指を弾く音がした後に爆発音と光の花が咲いたから、まあ、うん。
パチパチと何処からか拍手が聞こえた。それから伝播して民衆が皆手を叩く。
それに我に返ったのか、不逞の輩が喧しく吼えた。
そんな男たちに、ひよこの仮面を被った子どもが鬱陶し気に木刀を一閃する。すると、はらりと、剣を構えた顔に傷のある男のズボンが腰から落ちた。
「!?」
「おじさん、ちょっとうるさい! いまからなのるから、だまってって!」
「な、なにをぉ!?」
ひゅんっ。
今度は矢が飛んできて、男の頭頂の髪を削いでいく。
「ひよさま、いまのうち」
「うん! かな、ありがとう。きくのいの、あいとへいわをまもるため! せいぎのししゃ・ひよこかめん! けんざん!」
「さすらいのアーチャー仮面! 参上!」
高らかに響く声に、不逞の輩が大きな声を上げる。すると、幼児の持ったスリングから放たれた礫(つぶて)が、大きく地面を抉った。
「おなじく、しゃ、さすらいのスナイパーかめん、さんじょう!」
「メイド仮面V3、推参です!」
言いつつ、メイド仮面のモップがまだ騒ぐ連中が掲げた剣めがけてなげられ、それを粉々に粉砕。しかし、それでも折れない輩に、今度はメイド幼女が、何処から出したのか解らない銀のお盆を投げつける。
「まほーしょーじょ、ぷりちぃ・アンジェ!」
可愛くポーズを決めた手元に、不逞の輩たちの頭頂部をはげ山にしたお盆がゆっくり戻って来た。
ばばん!
そんな効果音でも付いていそうな自己紹介に、またも民衆から拍手が起こる。
何なんだろう、これ?
唖然としていると、横一列に並んだ子ども達がびしっと空を指差す。そして「せーの!」というひよこ仮面の合図で叫ぶ。
「「「「「菊乃井戦隊ひよこファイブ!!」」」」」
青空に五人の誇らしげな声と民衆の拍手が響き渡ったが、それを聞く筈の不逞の輩は一人残らずお縄になっていた。
「……ヴィクトルさん?」
「うん? 今日も菊乃井戦隊ひよこファイブ、大活躍だったね」
「いや、そうじゃなく……」
そうじゃなく……。
そうじゃない、でもどういえば言いか解らない。
「とりあえず、オーナーには黙っとくか?」と、家で私の話を聞いたユウリが呟いたのに、私も何となく同意した。
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