第338話 天地(あめつち)にきゆらかすは

 呉三桂とコンチーニ、マキャベリ氏がリングを降りた瞬間、試合開始の鐘が鳴った。

 刹那、響き渡るキマイラの咆哮に、観客が悲鳴を上げる。

 筋骨隆々のおじさんと緑の髪のおじさんが素早く動いたのをみて、即座にプシュケ二つをおじさん達の到達予想地点に配置して、残った四つの内二つで私たち自身の能力の底上げのために付与魔術を使って、残りをキマイラの牽制に配置した。

 私達の作戦は「命大事に、時間を稼いで!」だ。

 これさー、魔術ってやつの弱点なんだけど、大きな効力を持つ物ほど時間がかかるんだよねぇ。

 まして私のしようとしてることって、めっちゃ時間食うの。ついでに魔力も物凄く持っていかれる。

 それでも変若水のお蔭で、世界七周ぐらいできる魔力は溜まっているし、レクス・ソムニウムが持っていたアクセサリーにも、かなりの魔力が溜まってる。ついでにお正月にバーバリアンに誕生日プレゼントで貰った花の形の宝石が付いた手に付けるアクセサリーもちゃんとつけて来た。このアクセサリーのお蔭で、私の消費魔力はぐっと抑えられるって寸法。

 今朝お会いした姫君からお聞きしたところによると、この火神教団の教主さん達についてるイシュト様のご加護って、肉体の年齢をその人の能力が最高値に達した年齢のままで進ませないっていうのもあるんだって。

 でもそれは肉体が衰えないだけで、精神は成熟するし、寿命だって天寿が全うされれば死ぬ。

 あれだ。

 前世の北欧神話のベルセルクみたいな感じで、火神が戦場に赴く事態になれば蘇って一緒に戦うためなんだってさ。

 私も加護をいただいたけど、そうなるか否かは本人の意思次第らしい。いや、私は姫君の臣なんで、そんな事になっても困るわ。

 とまあ、そんな訳で結構お強い。ゾンビだけど、そんなん忘れるぐらいだ。


「「…………!」」


 なんて思っているうちに消えたみたいに動いたおじさん達が、ベルジュラックさんと威龍さんの目の前に現れた。予測通り。

 二人が殴りかかろうとした瞬間、私はプシュケで物凄く硬い物理障壁をベルジュラックさんと威龍さんの前に出現させた。

 跳び退ったベルジュラックさんと威龍の前で、鈍い音を立てて火神教団の教主さんたちの拳が壁に打ち付けられて割れる。

 思い切りいったから、生きてたらさぞや痛いだろう。

 その機を逃さずベルジュラックさんが筋骨隆々のおじさん、威龍さんが彼の師父を迎え撃った。

 金属がぶつかる音に、裂ぱくの気合。中々彼方は名勝負になっているようだ。

 しかし無粋な事に、キマイラが目の前で動くものに興味を持ったようで唸りを上げる。

 でも唸りが火の吐息に変わる寸前、その猫科の口が凛々しく尾を上げるタラちゃんの蜘蛛の糸によって塞がれた。

 一方ではござる丸は魔物使いのおじさんが振るう鞭を避けて、レイピアのように尖らせた腕根でフェンシングでもするようにしつつ彼を追いかけてる。

 概ね順調。

 私の腕に巻き付いているペンデュラムも、多頭の蛇のように地を這いずりながら、あらゆるものを威嚇するようにうねっている。

 時折プシュケでベルジュラックさんや威龍さん達に付与魔術をかけているから、恐らく敵は私をただそれだけで戦力とは思っていないのか、絶賛放置中だ。

 好都合としか言いようのない状況を見守っていると、不意にキマイラが苦し気な声を上げる。

 タラちゃんの糸に締め付けられているからかと思ったら、どうもそうでもないらしい。

 では何だと伺っていると、ござる丸が「ゴザー!?」と大きく鳴く。その鳴き声は私には言葉としては聞こえなかったけど、声に交じる警戒音は聞き取れた。

 だからそちらに目をやると、ござる丸の攻撃を受け止めながらも、魔物使いのおじさんの口がもごもご動いているのが見える。

 そうしてタラちゃんに縛り上げられ、動けないようにされているキマイラの胴が風船のように膨れて。


 パンッ!


 風船に空気を入れ過ぎたら破裂する。

 そんな音を立ててキマイラの身体が破裂して、腸や血がリングの周辺に飛び散った。

 観客席が、その凄惨なあり様に瞬時に静まり返る。しかし歓声と同様小さく起こったざわめきが瞬時にして阿鼻叫喚となってコロッセオを満たいた。

 で、何が来るわけ?

 目を細めると遠目に呉三桂がニヤニヤしているのが解る。こちらが怯えてると思うなら、勝手に思ってろ。


「主! 何か転移してくる!?」

「伯爵様!」


 たしかに不穏な空気がリンクには満ちていた。

 それを察してベルジュラックさんと威龍さんが、私を守るために傍に来ようとするのを、筋骨隆々のおじさんと緑の髪のおじさんが邪魔をする。

 するとぴょんと私の前にタラちゃんが糸を使って飛んできた。そして尾をまだ見ぬ敵を威嚇するように持ち上げる。

 ずぞぞと空間が割れる音がして、リングの周りに散らばったキマイラの血と肉がぎゅるぎゅるとその割れた空間に吸い込まれていく。

 その血肉の渦が消えると、空間に開いた穴が不気味に広がってそこから闇が染み出てくる。

 と、炎のように赤い光が渦の中からこちらを睨んでいた。

 染み出した闇がゆっくりと巨大な猫科の前足を、身体を、後ろ脚を、尾を、そして頭部を作る。

 燃え盛る地獄の炎のような真っ赤な瞳、黒い鬣……。


「火眼俊猊(かがんさんげい)!?」


 ローランさんが背後で叫ぶ。

 たしか火眼俊猊というやつは、砂漠にすむ霊獣の一種で、虎のようでも獅子のようでもあるという生き物だ。

 結構大きくて、キマイラの倍ぐらいはある。

 それが私を見下ろして、そして敵だと認めたのか高らかに大きく吼えた。

 喧(やかま)しい。

 私は自己評価は低いけれど、実は矜持というものはかなり高い方だ。見下ろされることに我慢がならない。

 そして侮られるのも。

 火眼俊猊が私に向かって飛び掛かろうとするのに、タラちゃんが防御用の糸を出そうとするのを止める。

 気に入らない。


「駄猫、今、誰に向かって吼えた?」


 ふわっとプシュケが光った刹那、どおんっと大きな音を立てて火眼俊猊の身体がリンクにめり込む。

 重力制御。

 獣の頭に通常の五倍ほどの圧力をかけて地にめり込ませれば、赤い瞳が恐怖に揺れて、甘えと怯えを含んだ猫のような声でくるくると鳴き出した。

 しんとまたコロッセオが静かになる。


「隅っこの方で大人しくしておいで? そしたら優しくしてあげるから」


 頭を魔術で圧迫されていても身体はそうでもないから、私がそう声をかけると火眼俊猊は一生懸命腹を見せようと藻掻く。

 この生き物にとって腹を見せるのは、服従と従属の証だ。

 タラちゃんの糸をリードのようにしてから、魔術を緩めてやれば大きな猫はタラちゃんに引かれて、闘技場の隅に移動して蹲る。

 さてそろそろ魔力も練れた。

 見れば筋骨隆々のおじさんとベルジュラックさんは拳と剣とで素早い応酬をしているし、威龍さんも緑の髪のおじさんと蹴りや拳の欧州をしている。でもちょっと、威龍さんの動きが鈍いな。

 そう思った矢先、威龍さんが緑の髪のおじさんの蹴りを食らって、こちらに吹っ飛ばされてきた。


「……師父……」


 切れた唇から流れる血を拭い、威龍さんが苦しそうに呟く。

 すると追撃のためにこちらに来ようとした緑の髪のおじさんの動きが僅かに鈍った。

 いつぞやの試合で千切られた腕は、歪ながらもつけられている。

 この人はこんな扱いをされなくてはいけない人だったのだろうか?

 ベルジュラックさんとやり合ってる筋骨隆々のおじさんも、猫を寝かしつけて戦線に復帰したタラちゃんと、フェンシングから手裏剣のように枝を飛ばす戦い方に切り替えたござる丸に追い詰められてる魔物使いのおじさんも、だ。

 沸々と腸が煮えくり返るのを感じていると、緑の髪のおじさんの表情がはっきり見えて。

 その顔は苦痛に歪んで、目からは死者の筈なのに涙が零れ落ちていた。プシュケに映像を拾わせたら、他の二人も緑の髪のおじさんと同じく泣いている。

 きっと唇を噛んだ。


「頃合いです。その無念、私に預けていただきます!」


 ジャラジャラと多頭の蛇がのたうつ様に動いていたペンデュラムが光って、私の手の中で一つに集約されて眩く光る。

 その溢れんばかりの光が収まった時、私の手の中に私の背よりも長い杖が現れた。

 いつかお城で見た、先端に渾天儀が付いた杖と似た形状で、違うのはその渾天儀の左右に大きな蝶の羽のような装飾が付いているっていう。

 その杖にありったけの魔力を込めたのを合図に、ペンデュラムが蠢いて地面に付けた跡へ、私の魔力が流れ込んだ。

 地面に幾何学模様が浮き上がり、それが繋がって一つの魔法陣を描く。

 俄に天に雲がかかり、あっという間に太陽を覆い隠すと、地に描かれた魔法陣が地響きを立て始めて。


「な、なんだ!? なにをする気だ!?」

「ひぃぃっ!?」


 呉三桂の怒声、コンチーニの悲鳴が聞こえた。

 私は地面に描かれた魔法陣の真ん中で膝を折る。


「冥府の扉よ、開け!」


 その言葉に、呉三桂が何かに気が付いたのか狂ったように笑う。


「何かと思えば黄泉の扉を召喚する神聖魔術か!? 神聖魔術など、方々に効くものか!」


 楼蘭との戦いを知らぬのかと、下品な大声で笑う男に私は答えない。

 まだ膝を折ったままで、私は魔力を更に魔法陣に注ぐ。


「冥府の入口に身を横たえる、慈悲深き月の龍に伏してお願い申し上げる! ここに外法によって魂のありようを捻じ曲げられた、哀れな死者がいます。どうか貴方の優しさでこの方々に救済を!」


 魔法陣に込めた魔力が逆巻いて、天を貫く太い光の柱がそびえる。

 立ち込めた暗雲の間から、聞いたこともない生き物の鳴き声が聞こえた。  


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