第339話 みたまがり、たまがりませし

 カオオオオオォォォォォン!


 言葉に直せばそんな感じの鳴き声が天空から聞こえて、重く空を隠していた雲が一瞬で晴れた。

 けれど太陽は顔を出さず、暗いままのコロッセオに、月光に似た淡い銀の光が満ちる。

 しんと耳に痛い程沈黙の中で、月光色の燐光が徐々に一つの形を取りだした。

 長い髭に、鹿のような二本の立派な角、蛇にも似た紫水晶の鱗の生えた長大な身体に、鷲のような大きな翼、四本の足にはそれぞれ三本の爪、そのうちの一つは月にも似た色の玉(ぎょく)を持つ──応龍だ。

 ひたりとその龍の銀の目が、私を捉える。

 もう一度、龍が大きく鳴いた。その声はどことなく温かみのあるもので、私は跪いたまま龍を見上げる。

 龍は穏やかに銀色の目を瞬かせた。


「月の龍・嫦娥。私の願いをお聞き届けいただいてありがとうございます。外法で魂が歪み切ってしまう前にどうか、火神の加護を受けたる先人を冥府へとお導きください」


 私の言葉に、龍が応じるようにその大きな身体を揺らしてまた一鳴き。

 すると、それまでベルジュラックさんと対峙していた筋骨隆々のおじさんも、威龍さんと殴り合っていた緑の髪のおじさんも、タラちゃんとござる丸に追い詰められていた魔物使いのおじさんも、糸が切れたようにその場に崩れ落ちて。


「師父!?」

「おい!? アンタ!?」

「ご、ござぁ!?」


 慌てて三者三様に倒れたおじさんに駆け寄ろうとするのが見えたけど、彼らがおじさん達に触れる前に三人が立ち上がった。

 そして何か訝るように手をにぎにぎと動かしている。

 何が起こっているのか調べるより先に、緑の髪のおじさんが「うぇい、ろん?」と小さく呟いた。

 って、死者が喋った!?


「師父……!? 師父!」

「おお、威龍……威龍よ、久しいな……」


 吃驚してると、緑の髪のおじさんが威龍さんに駆け寄って、呆然としている威龍さん両手を差し伸べる。


「師父……! 師父は蘇られたのですね!」


 威龍さんの声は震えていた。

 喜びと驚きが入り混じったような表情の威龍さんに、けれど緑の髪のおじさんは首を横に振る。


「いや。月の龍の御慈悲により、別れの挨拶を交わす時間を与えられただけだ。お前にも、正しき義を胸に生きる信徒達にも苦労をかけるな」

「何を仰います! 某は……!」


 言葉にならない。

 そんな様子の弟子の肩を叩くと、緑の髪のおじさんは私に向かって頭を下げた。それだけじゃなく、タラちゃんやござる丸に連れられて近づいてきた魔物使いのおじさんも、ベルジュラックさんに伴われた筋骨隆々のおじさんも、私に向かった頭を下げる。

 そして彼らが頭を上げると、月の龍が大きく吼えた。その瞬間三人のおじさん達がほのかな光に包まれて、龍の握っていた宝珠の中へ。

 誰もが皆、龍を声もなく見守っていた。

 ちりん、と。

 ぺたぺたと何かが走る音と共に、何処からか鈴の音が聞こえた。


『ねぅん』


 猫にしては何だかぎこちない鳴き声が空から響くと、がばりと龍が大きく頭を振って背の翼をはためかせる。

 刹那、紫水晶の龍の身体を包んでいた燐光の輝きが強くなり、やがて一際強く光った。

 眩い光の洪水の中、龍が天へと還っていく。

 私の魔力を吸いあげていた魔法陣から光が消えたかと思うと、太陽の光が地上に戻った。

 しんっとコロッセオは静か。

 策は成った。

 氷輪様の龍・嫦娥は、彼の御方に背いて地上に縋りつく魂を狩るのが役目だけど、無理に地上に繋がれたり引き戻された魂を解放する役目も持っている。

 だけでなく、死者であれば身体ごと地上から引き離すことが出来るのだ。

 私の奥の手は、つまり月の龍・嫦娥の召喚。神聖魔術でなくて召喚魔術だった訳ですよ。

 ゆっくりと膝を付いた姿勢から、私は立ち上がった。でも魔力をかなり持っていかれたせいか、膝が笑いかけるのを、ぐっとこらえて背を伸ばす。

 そして杖をわざと少しだけ強めに地面について、こつりと音を立てた。


「さて、相手選手は全て戦闘不能になりましたが?」

「あ、え…ぇ…?」


 立会人であるマキャベリ氏に声をかけると、彼はハッと正気に返る。彼だけじゃない、観客も我に返ったようで、一瞬の後ざわめきと歓声がコロッセオを一瞬にして沸き立たせた。

 けれど正気に戻ったのは観客たちだけではなく、呉三桂とコンチーニもそうで。

 腰でも抜かしたのか、四つ這いで這いずる様に逃げようとしていたのを、ベルジュラックさんと威龍さんが目ざとく見つけて、それぞれを捕えた。


「は、はなせぇぇぇっ!」

「だ、だから言ったんだ! 古の邪教の秘薬など使うべきじゃないって!」

「やかましいわ! この話は貴様から持ち掛けたんではないか!」

「違う! 私は……!」


 ぎゃんぎゃんと罪を押し付け合う二人に、観客からは激しい罵倒が飛ぶ。

 聞いてられないな。

 私は視線でマキャベリ氏に促せば、彼は急いで試合終了の鐘を鳴らした。


「勝者! 菊乃井チーム!」


 宣言に、ブーイングより歓声が大きくなる。

これで一応ベルジュラックさんと威龍さんの件というか、ルマーニュ王国の冒険者ギルドの不正と火神教団の腐敗には一応決着がついたのだ。

 あー……疲れた。

 世界七周分の魔力は今や一周出来るか半周出来るかくらいにまで減っちゃったし。

 ほうっと息を吐くと、マキャベリ氏の合図で呉三桂とコンチーニが引き立てられてコロッセオから出ていくのが見えた。

 これからあの二人はルマーニュ王都の冒険者ギルドの不正と、火神教団の革新派がやらかした件に関して、帝都のギルドで取り調べを受けることになるそうだ。

 そして私たちの勝ちを確かめた、威龍さんの御仲間の暗部の人たちが、この時をもって火神教団の革新派と、事実を知りながらも知らぬふりをしようとした穏健派の長老達を拘束にかかっているだろう。

 威龍さんと暗部の人の間で、そう言う手はずになっているそうだ。


「主……!」

「伯爵様……」


 ベルジュラックさんと威龍さんが二人で私の前に跪く。

 そう言えば今回って優勝決定戦だったような?

 じゃあ、本当にこの件も武闘も一先ず終わりって事で。

 息をつけば、武闘会の責任者的な人が私達菊乃井チームの優勝を宣言し、詳しくは後日発表すると告げれば、会場はどっと大きく沸き上がる。

 責任者は私達にも恭しく退場を促してきたから、言葉に従ってリングから降りれば、ローランさんが片手を上げて「大丈夫ですかい?」と声をかけて来た。

 この後忙しくなるのは寧ろ私より、各地の冒険者ギルドだよな。勿論ローランさんもだ。

 ともあれ、これで今日はもういいだろう。

 そう思っていると、不意にござる丸が大きな声で私を呼んだ。


「ゴザー! ゴザルゥゥゥッ!」

「うん?」


 ござる丸の声が聞こえた方を見れば、タラちゃんと並んで大きな猫──火眼俊猊(かがんさんげい)と一緒に立っていた。

 なんか、こういうの、前にもあった気がする。

 心の中で白目を剥いていると、背中にとすっと暖かいものが振れた。


「にぃに! あのおおきなねこちゃんかうの!? かうの!?」

「あー……飼わなきゃいけないやつ?」


 観客席から降りて来てんだろうレグルスくんが、ぎゅっと私の腰にしがみつきつつ、火眼俊猊をキラキラしたお顔で見てる。

 身体ごと振り返れば、ロマノフ先生にヴィクトルさんとラーラさん、奏くん・紡くん・アンジェちゃんが降りて来てくれていた。


「お疲れ様でしたね。見事な術式展開でした」

「本当に。神龍を召喚するなんて、召喚魔術を教えた甲斐があるってもんだよ」

「まんまるちゃん、よく頑張ったね!」

「ありがとうございます、これからも精進します」


 先生達は口々に褒めては、私の頭を撫でてくれた。

 それに、奏くんと紡くんとアンジェちゃんも、口々に「やったな!」とか「すごい!」とか言ってくれる。


「そうだよ! れーのにぃにはすごいんだから!」


 にかっと笑ったレグルスくんの晴れやかな表情が、私の心に染入った。

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