第295話 かつてあって、失われたもの

「火神教団ってたしか、古くからあるイシュト様を崇める宗教団体でしたよね?」

「そうですねぇ」


 ぽりぽりと頭を掻きつつ呟けば、ロマノフ先生が肩を竦めた。

 イシュト様の信仰の母体は戦いを生業とする兵士や冒険者や、変わったところでは博打打ちが多い。

 だけど火神教団の信徒はちょっと変わっていて、桜蘭より更に砂漠地帯を進んだ所にある本拠地の神殿で修行三昧の日々を送り、滅多に人里には降りてこない。


「はい。その教義は現世の栄耀栄華には目もくれず、ただひたすらに武を極め、強さの頂点を目指すもの……な筈なんですが……」


 ロマノフ先生が言い淀む。

 そう、火神教団ってここ数年変な噂があるんだ。

 曰く、何処かの武道会で火神教団の信徒と当たる筈の武人が闇討ちにあって、犯人は火神教団のシンボルマークを身に付けていたとか、何処かの国の貴族の弱みを握って脅したとか、商会にみかじめ料を請求したとか。

 そんな珍しくも嫌な感じのする教団関係者が、菊乃井に二人も来ている。

 きな臭い。

 なので。


「タラちゃーん!」


 名前を呼んで五つ数え終わる前に、みょんっと天井からタラちゃんが糸を伝って降りてくる。

 尻尾は「何かご用ですか?」と書かれた紙を貼り付けてるのが可愛い。


「タラちゃん、手紙を書くからラシードさんとこにお使い頼める?」


 尋ねれば直ぐ様、誰かに作ってもらったのか「はい」の札が出てくる。

 それに頷くとラシードさんへの手紙を認めて、タラちゃんへと託す。

 するとタラちゃんはまた、みょんっと糸を伝って天井へと戻って行った。


「ラシード君に火神教団の人達の監視を頼むんですか?」

「はい。彼の連れてる魔女蜘蛛のライラは、子分の小蜘蛛を使って街の警備に当たってくれてますから」

「タラちゃんを街の監視に行かせると、君が注視してるとあちらに教えるようなものですしね」


 別に私が注視してるって相手に伝わっても困りはしないんだ。

 けど、街の人達に余計な疑念を抱かせたくはないんだよね。

 火神教団だって別に禁教じゃないし。

 ただ先触れがあったこと、その先触れに合致した人達であること。

 この二つと、今菊乃井が騒動を抱えていることが、どうしても警戒心を強くする。

 次から次へと本当に頭が痛いな……。

 ともあれ、目的の一つであるヴァーサさんの菊乃井へのお引っ越しは達成された。

 今日のところはそれで喜ぼう。

 そう告げると、ロマノフ先生も頷く。

 その拍子に、先生の目がデスクの上の書類──レクス・ソムニウムの衣裳デザイン画に留まったようで、ドアノブから手を離して私の方に再び近づいた。


「翻訳が終わったんですね」

「はい。片手間って言いつつ急いで下さったみたいで」


 説明書きを改めて読む。

 使われている素材の大半、私には初耳なんだよね。

 あ、でも、先生なら解るかも知れない。

 思い付いて先生にデザイン画の書類を渡せば、ざっと読んだ先生の眉間にシワが寄る。


「先生?」

「透明な蓮ですか……」


 どうしたのかと声をかけると、先生が顎を擦る。

 眉間にはシワが寄ったまま。

 暫く考えてから、先生が口を開いた。


「この透明な蓮ですが、入手は無理だと思います」

「え……?」

「絶滅してるんです、およそ千年前くらいに」

「ぜ、絶滅!?」

「はい。でも理由が解りましたね」


 先生が書類に書かれた「透明な蓮から採取された繊維」の一文を指差す。

 レクス・ソムニウムは千年前くらいに実在した人物で、その時代にも【鑑定】のスキルは存在した。

 衣裳その物の再現は出来なくても、何を材料にしているかは鑑定すれば解る訳だから……。


「同じ効果を求めた人間が乱獲したってことですか……!?」

「人間だけではないでしょうが、恐らくは」


 なんてこった!?

 前世でも人間が関わったために絶滅に追いやられた生物は沢山いたけど、まさか今生もそんな事があったなんて思いもしなかった。

 いや、それよりも。


「危なかった……!」

「何がです?」

「私、姫君様に透明な蓮の事をお尋ねしようと思ってたんです」

「ああ、それは……叱られはしないでしょうが……」

「あまりに無神経ですよね。花は全て姫君様の眷属ですのに」


 って言うか、私、姫君様に眷属を滅ぼした人間にお目こぼししてくださいなんてお願いしてたんだな。

 己の面の皮の厚さに今さら気づいて、ちょっと落ち込む。

 しおしおした私の頬を、そっと先生の手が撫でた。


「人間だけのせいではありませんよ。エルフにしても獣人にしてもドワーフやら魔族やらも関わっていることでしょう。いずれにせよ、君が生まれる遥か前の事です。君が責任を感じることではありませんし、感じたところで責任の取りようもない」

「それは……。そうですね、何も出来ないことに対して、責任を負おうとするは単なる傲慢です」


 でも反省は必要なんだよ。

 そうじゃなきゃ、繰り返す。

 人間のために絶滅してしまった生き物がいたことを、肝に銘じておこう。

 それはそれとして。

 レクス・ソムニウムの衣裳に付与される効果は、諦めるには惜しすぎる。

 意識を切り替えると、私は先生に尋ねた。


「絶滅してしまったということは、素材は入手不可……衣裳の再現は不可能ってことですかね?」

「そうですね。その蓮は非常に火や虫に弱いらしく、そもそもの個体数が少なかったと聞きます。それで作った物が現存しているなら、それは世界屈指の至宝でしょう。しかし、そういったものがのこっているとは聞いたことがありません」

「あー……」


 これは詰みかな?

 がっくりと肩が落ちる。

 儘ならない事が多い。

 そんな訳で、この話は保留になった翌朝。

 裏庭でいつものように姫君様にお会いすると、薄絹の団扇がふわりと振られた。


「そなた、妾に聞きたいことがあるのではないのかえ?」

「え!?」


 あー、これは昨日のロマノフ先生との遣り取りを見ておられたのかな?

 ちょっと悩む。

 でも私がツラツラと悩んだところで、この心の動きも姫君様には筒抜けなんだろうな。

 私が押し黙ると、レグルスくんがツンツンと心配そうに服の裾を引っ張る。

 少し戸惑いつつも、私は昨日ロマノフ先生とした「透明な蓮」の話を姫君様に。

 姫君様が形の良い唇を開かれた。


「そなたの師のエルフの言う通り、その蓮は千年ばかり前に地上より消えた。理由も推測の通りじゃ」

「やはり、そうなんですね……」

「にんげんのせいで、おはななくなっちゃったの……?」


 姫君様の表情は少し硬い。

 レグルスくんも話の内容が解ったようで、しょんぼりしてる。

 私も多分同じ顔だろう。

 欲のために何かの種族を滅ぼすなんて、本当に罪深い。

 だけどその歴史の積み重ねが今の私達に繋がるんだから、批判も簡単には出来ない。

 なんと言っていいのか解らないまま黙っていると、姫君様がヒラリと団扇を閃かせた「じゃが」と仰る。


「……?」

「地上にないだけで、天にはあるぞよ」

「へ?」

「完全に滅びる前に、妾の花園へと召し上げたのじゃ」


 ふふんって感じで姫君様が笑われる。

 それにレグルスくんが「よかったー!」とか笑ってるけど、本当にそれ。

 いや、人間やらがやったことは全然良くないし、姫君様に叱られてもしかたないことなんだけども。

 

「そなたを叱っても致し方なかろう? そなたが原因と言うわけでなし」

「あ、はい。でも、ちょっと罪悪感がありまして」

「ふぅん? まあ、よいわ。それでどうしたい?」


 目を細めて姫君様が、内輪で口許を隠しつつ仰る。

 どうしたいって、どういう……?

 意味を図りかねていると、姫君様が再び口を開かれて。


「望むなら、蓮をやってもよいぞ?」

「え……?」


 言われた言葉を飲み込んで、暫く。

 私はゆっくりと首を横に振った。


「取り返しのつかない事は、取り返しのつかないままにしておく方が良いと思います」

「で、あるか」

「はい」

「ではそのように。代わりに一つ教えてやろう」

「?」

「かの蓮と似た効果を持つ糸が採れる植物がある。それも、そなたの傍らにの」


 私が目を見開くとコロコロと姫君様が笑った。

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