第293話 神様のお気に召すまま
『百華は怒ったか……』
「はい」
『そうか』
ゆらりと白いトゥニカの上に着た、ドレープも見事な赤いトガを揺らして、金髪碧眼、頭には月桂樹の冠を付けた人が頷く。
今夜の氷輪様はユリウス・カエサルとかアウグストゥスとか、古代ローマって感じのお衣裳だ。
難しいお顔で天を仰ぐと、なにやら腹の底からの溜め息を吐かれる。
『お前ももうアレが何者か解っているだろうが、奴の寵を受けるというのは勝利をより引き寄せられるようになるということだ』
「はぁ……」
『反面、奴は戦いに愉悦を感じる性質だ。好んだ者が戦う姿も愛しむ。自然、奴から寵を受けた者は、戦いに巻き込まれやすくなり、平穏とは程遠い生になってしまう』
「それ、は……」
ちょっとごめん被るな。
神様に不敬かもだけど、戦いに巻き込まれるよりは、何もない穏やかな人生の方が良い。
しかし、私の想いとは裏腹に、氷輪様は首を横に振る。
『お前は改革を望んでいるから、どうしても既得権益を手放したくない旧き者達とはぶつかる。それとても戦い。避けられようのない戦いが起こるなら、奴の加護を受けておいた方がいい』
「あー……では、ロスマリウス様が私の事を話したと言うのは」
『ロスマリウスなりの援護なのだろうよ。お前はアレが好んで寵を与える者の条件に当てはまる』
「好んで寵を与える者の条件、ですか?」
きょとんとしてしまう。
そんな私の顔を見て、氷輪様は眉間に皺を寄せた。
『男女の別なく美々しい姿形に、強い力を持つ者。この場合の強さは物理・魔術だけでなく、謀をなす賢さもいう。お前もそうだが、この屋敷であればエルフの教師達も当てはまる。そして、お前の弟も』
「!?」
そこに私を入れるのはちょっとやめて欲しいけど、それより流せない言葉があった。
眉間にシワが寄るのを自覚すると同時に、氷輪様の指が私のそこに触れる。
『まあ、お前の弟だ。お前が望まぬ戦いに呼ばれるなら、弟も従うだろう。同じ巻き込まれるなら、奴の加護を受ける方がいい。百華が怒ったのを見るに、奴は弟も気に入ったようだからな』
「それは……」
そうなんだろうか?
私の弟だってだけで、たしかにいらない揉め事に巻き込まれる可能性は高いんだろう。
今回の冒険者に手袋を投げ付けた件だってそうだ。
だけど加護を受けたら更に揉め事に呼ばれる割合が高くなるなら、それはちょっと。
困っていると、氷輪様が私の頭を撫でた。
『たしかに奴は自分の加護を受けた者が戦う姿を愛でる。しかし、それが切っ掛けでその者が危難に陥れば、それは必ず助けに入る。死ぬようなことにはならぬし、戦えない状況になれば手厚く保護してやっている。だからといって奴の性へ……いや、奴を擁護する訳ではないが』
氷輪様、今なんか不穏な単語を口にされかけなかった?
ごふっと氷輪様が咳払いを一つ。
『神は本来、人間に強制を課し、報酬など与えることなく自分のやりたいように出来る。だが奴はお前の武器を手土産に、自身と関わりがある者がお前と事を構えるのであれば遠慮なく擂り潰し、踏みにじり、蹂躙せよと赦した。百華の手前もあるだろうが、それなりに気を遣っているのだ。だから受け入れろとは言わぬが、嫌ってやらんでくれ。我もどうせ戦いに巻き込まれるなら、お前には奴の加護を与えておきたいと思っていた』
「嫌うだなんて畏れ多いことです。ただちょっと怖かったというか……」
そうなんだよ。
あの時、あのお方の手からレグルスくんを隠そうとしたのは、なんとなく嫌な予感と怖さを感じたからだ。
ぽそりと告白すれば、氷輪様は軽く頷かれる。
『それは本能的なものだろうな』
「本能的なもの?」
『子猫が羆に頬擦りされたのと同じよ』
「ああ、なるほど……?」
つまり大きくて自分よりあからさまに強い相手が、いきなりゼロ距離で迫ってきたもんだからか。
解ってしまえば、何のことはない。
それよりも、持ってこられた話のが怖いのかも。
氷輪様も「擂り潰し、踏みにじり、蹂躙せよ」って、凄く物騒。
もしかして、そんな相手なのかな?
氷輪様にお聞きしようかと思うと、先に首を否定系に動かされてしまって。
『詳しくは我も言えぬ。言えぬが、奴が気を付けろというならその方がいい。それからお前の教師どもにも、奴の加護を受けたことをきちんと伝えておけ。奴が屋敷に出入りするようになれば、あの三人と言葉を交わすこともあろうからな。後はあの三人に聞くがよい』
「? 承知致しました」
氷輪様の手がわしゃわしゃと頭を撫でると、月明かりにお姿が消えた。
なんかよく解んないけど、最後のは時々私がホウレンソウを忘れるから念押しされたんだな。
よし、明日のことは明日の私に任せて、今日は寝よう。
んで、夢も見ずに起きたら朝だった訳で。
いつものように、いつもと同じく身支度をして朝御飯を食べに向かえば、やっばりいつもと同じくレグルスと合流して食堂へ。
だだっ広いテーブルに私達兄弟と向かい合うように、先生方三人が座る。
今日は! ちゃんと! ホウレンソウ!
意気込んで食事中の雑談として、猫耳オジサマ……山の神にして戦争と勝利、炎と武力を司る神・イシュト様にお会いしたことをさらりと伝えると、先生方三人とも「ごふっ」と噎せた。
「い、今、なんと?」
「なんか、さらっと凄いこと言わなかった!?」
「イシュト様ってあのイシュト様かい!?」
「えぇっと、はい。あの、柘榴みたいな色のプシュケも貰いました」
ポケットに入れていた柘榴の実のような紅い羽をはためかせ、少し飛んだかと思うと、細工物の美しい蝶は三人の前に降りる。
それをまじまじと見つめて、ヴィクトルさんが長く息を吐いた。
「間違いなくムリマ作で、素材は他の蝶と同じく古龍の鱗やら逆鱗やらその他諸々。ちなみに蝶が六つ揃った時の効果は、あーたんの身体能力やら魔力を劇的に底上げするだけでなく、【貫通】・【完全防御】・【武器破壊】・【疑似不老不死】・【反射】……他にも色々怖いのが付いてるよ」
ごふっと今度は私が噎せる番だった。
いや、うん、薄々解ってたけど、プシュケは子どもがお遊びの冒険者ごっこで持つような武器じゃない。
けれど先生方があえて扱わせてるのは、やはり菊乃井が普通の領地じゃないからだろう。
こんな一人砲台みたいな武器を自在に使いこなせて戦えないと、ダンジョンからモンスターが溢れ出てきた時の対処が厳しいってことだよね。
うーむ、冒険者の皆さんに頑張って間引きしてもらおう。
そのためには冒険者さんの待遇やら、居心地を良くしなきゃいけない。
罷り間違ってもロマーニュの王都ギルドのような横暴を、見過ごすわけにはいかないんだ。
つらつらと考えていると、かたりと食堂の扉が開く。
なんだろうと思っていると、ロッテンマイヤーさんが手紙を持ってきてくれたようで。
「冒険者ギルドのローラン様からで御座います」
「ああ、はい」
開封すると、そこには帝国とコーサラの商業ギルドがルマーニュ王都の冒険者ギルドに不信を表明すると言ってきたとあった。
おおぅ、火の手がドンドン広がってるよ。
先生方にも手紙を渡して読んでもらう。
ロマノフ先生がニヤリと口角を上げた。
「包囲網が出来つつありますね」
まあ、ここまで広がるとは思わなかったけど、これで有耶無耶には出来なくなったし、あちらは何かしら答えを出さないとまずい状況に置かれた訳だ。
不意に、イシュト様の言葉が思い出される。
もう相手が白旗を上げるまでは秒読みだろうけど、まだ勝ちきってはいない。
なら狙い目は勝ったと思った時に生じる隙だろうか。
何が起きるか解らないけど、気は緩められない。
そういうと、レグルスくんが元気に「にぃにはれーがまもるよ! ゆだんしないもん!」と、元気に胸を張った。
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