第290話 界を跨いでも言語は難しい

 此方の文字の上に日本語のルビが打ってある。

 私が文章を読むときに見るのは、そんな光景だったりする。

 でも晴さんから貰った羊皮紙に書いてある文章には、日本語のルビがなかった。

 見覚えのある形の文字の羅列がそこにあるだけ。

 違和感の正体はそういうことだった。

 けど、晴さんはこれが渡り人の言語だと言う。

 じっとその文字を見ていると、「Lotus」という単語が浮かび上がって、心の隅で「俺」が手を打った。

 これ、英語だー!?

 なるほど、そりゃ読めないわ。

 自慢じゃないけど「俺」って奴は、「英語なんか赤点取らなきゃいいんだろ?」って具合だったんだもん。

 解るわけない。

 寧ろよ「Lotus」=「蓮」によく気付いたってなもんだよ。

 ともあれ、名のある魔術師が着ていた装備のデザイン画だ。

 それを見て分析とか研究するだけでも、とても価値があるから嬉しい。

 そう告げれば晴さんはにこやかな顔で帰って言った。

 けど、それで終わらないのがウチな訳で。

 ヴィクトルさんが、紅茶のカップをテーブルに置いた。


「あのさ、あーたん」

「はい?」

「そのデザイン画、ユウリに見せてみたら?」

「ユウリさん……?」


 あ!

 そうだよ、ユウリさん!

 渡り人は渡り人でも、彼はちょっと特殊な経歴の持ち主で、日本より海外暮らしのが長かったって言う。

 それなら英語の成績が赤点スレスレの「俺」より、遥かに「外国語」に精通してる筈だ。

 もし読めたら、装備が作れるかもだし、そうなれば晴さんも喜んでくれるだろう。

 ウキウキした気分でいると、部屋の中心に魔力が渦巻いて光の粒が降ってきて。

 瞬きする間に、ロマノフ先生とラーラさんが現れた。


「ただいま戻りました」

「お帰りなさい」

「おかえりなさい!」

「ただいま」

 

 二人の表情は穏やかだけど、ちょっと雰囲気が草臥れてる。

 何かあったんだろうなと思いつつ聞いてみると、ロマノフ先生とラーラさんが揃って肩を竦めた。


「話の通じない人は何処にでもいるものですが、君やヴァーサ氏と同じ人類とも思えない通じなさでしたね」

「まんまるちゃんと直接話をさせろって言うんだよ。君がボクらに遠慮して、本心を口に出来てない可能性があるってさ」

「あのやり取りの映像を見て、まだ言いますか……」


 持たせた映像には、彼の三人組冒険者とのやり取り全てが記録されている。

 それを見ても尚、私を傀儡だと思うなんて、余程事実を見る目がないのか、何なのか。

 そんな人でも帝国・シェヘラザード・桜蘭・コーサラの各冒険者ギルドからの監査要請や、シェヘラザードの商業ギルドからの取引縮小通知には驚いたようで、顔をひきつらせたそうで。


「ベルジュラック君の件はヴァーサ氏の調査結果を受け入れて、ベルジュラック君を騙したパーティに既に出頭要請を出しているから、指名手配に変更するそうです」

「ヴァーサさんの身柄は?」

「それがねぇ……」


 なんでもあちらのギルドのマスター、ヴァーサさんの身柄の引渡しには消極的だそうな。

 彼の有能さを惜しんで、ではないだろう。

 なんだ?

 嫌がらせか?

 顎を擦って考えていると、ロマノフ先生とラーラさんが呆れたような顔をしているのが見えた。

 首を傾げると、ラーラさんがため息を吐く。


「ほら、彼、ルマーニュのお役人だったろう? 彼から菊乃井ギルドを通じて、帝国に情報が流れるのを懸念してるみたいだよ」

「ベルジュラック君の事も、後ろにルマーニュの貴族がいるようですね。その人物が虚栄心を満たすために、神狼族を従えたい、と」

「何というズブズブさですか……」


 ロマノフ先生の補足と合わせて、実に頭の痛くなる話だ。

 ともかく、ルマーニュ王都ギルドはヴァーサさんの件もベルジュラックさんの件も、回答まで少し時間が欲しいと言う。

 何をするつもりか知らないけど、不祥事というのは対処に時間がかかればかかるほど、当事者に不信感が増すばかりだ。

 本当に事件を解決する気があるのか疑わしくもなってくる。

 そう口にすれば「さもありなん」と、ロマノフ先生が頷いた。


「なので、回答期限を設けました。ヴァーサ氏の件は三日以内、ベルジュラック君の件は七日以内。それぞれ回答がない場合は、要請文を出した四つのギルドに訴えるとしています」

「なるほど、解りました。ではまず三日待ちましょう」


 皆、顔を見合わせると、この話はおしまい。

 ルマーニュ王都ギルドの答えを待つことに。

 お茶を飲みながら、初心者冒険者講座をシェヘラザードへ輸出するかも知れないことを話す。

 その過程で晴さんから貰ったデザイン画を見せると、ラーラさんがごふっと噎せ、ロマノフ先生が首を錆び付いたようなぎこちなさでヴィクトルさんの方に顔を向けた。


「本物の原画ですよね?」

「僕の目がおかしくなってなけりゃね」


 肩を竦めるヴィクトルさんに、ラーラさんやロマノフ先生も呆れたように首を振る。

 そんな三人に、私の膝に座っていたレグルスくんがぴこんっと立ち上がった。


「ヴィクトルせんせー、レクス・ソムニウムってだれー? すごいひと?」

「あ、私も気になってました!」


 ぽんっと手を打てば、瞬きを数度してヴィクトルさんが「ああ」と呟く。

 ロマノフ先生も頷くと、ラーラさんが口を開いた。


「千年以上前に実在した人間の魔術師だね」

「天空に城を浮かせて、ドラゴンにそれを引かせていたそうですよ」

「すごぉい!」


 随分とスケールの大きな話に、レグルスくんがきゃっきゃする。

 けれどヴィクトルさんは少し考えてから、首を横に振った。


「いやぁ、伝承を聞くに随分と変わった人みたいだけどねぇ。魔術師だけどドラゴンを従えるために拳で語り合ったとか、自分を捕らえようとした国を流星を降らせて平らにしたとか」

「え、怖っ!?」


 他にも、遊びで狩りをした何処かの国の王族を獣に変えて、弓矢を持って追いかけ回したり、かと思えば化け物への生け贄にされた少女に同情して、そいつを倒してあげたり、良いように搾取されていた渡り人を保護して、何処ぞの神殿を向こうに回して戦ったり。

 良いのか悪いのかよく解らない伝承が沢山あるそうな。

 だけど確実に言えるのは、空飛ぶ城は存在していて、今は主が不在だし、城を引くドラゴンもいないから、空をふよふよ漂ってるのだ、と。


「そのお城、老朽化して落ちてくるとかないですよね……?」

「君はまた、ロマンが裸足で逃げてくようなことを……」


 私の言葉にロマノフ先生が苦笑する。

 いや、だって、城みたいな大きいのが空を飛ぶって怖いじゃん。

 しかも城自体千年ものとか、老朽化して落ちてきたら大事故だし。

 思ったことを口にすると、ヴィクトルさんが首を否定系に動かした。


「魔術師の城だからね。魔術で老朽化を食い止めてるそうだよ」

「そうなんですか」

「うん。彼の死後1度だけその城に冒険者が入れたんだけど、その時に番人の魔術人形がそう言ったんだって。それで調査に来た冒険者に装備のデザイン画を渡したのも、その魔術人形。主の言い付けで、遺産を渡すって」

「ひぇ!?」

「シェヘラザードのマスターは、サンダーバードが凄く可愛いんだね。こんな貴重なものを貰ったら、余程腹に据えかねることがない限り、縁切りとか出来ないでしょ」


 たしかに、無理だ。

 いや、晴さんとは仲良くしたいと思ってるから、こんなの貰わなくても縁切りとか考えないけども。

 羊皮紙をじっと見る。

 イラストには、背中にリボンで編み上げるコルセットのような装飾がついたフロックコートが描かれていて、技術的には作れそう。

 後は材料とかだけど、それは一回ユウリさんに見てもらってから考えようか。

 揉め事は好きじゃないけど、お蔭でこんなデザイン画が手に入ったと思うと、少しだけ気分が上を向いた。

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