第239話 アンファン・テリブル(物理)

 森の中は人が踏みいるからから、然程に歩きにくいってことはなく。

 小さな子どもでも、草に足を取られて転びそうになることもなかった。

 小路と言っていい程度の整った道もあって、比較的日差しも穏やか、小鳥の囀ずりさえ聞こえるとなると、気分はピクニック。

 だけど時々おかしな気配がして、奏くんがキョロキョロと辺りを見回す。

 タラちゃんやござる丸も周囲の気配を伺う様子があるし、私もうなじがチリチリする。

 プシュケーは先頭を行くタラちゃんとロマノフ先生の前に三個、殿を務めてくれているソーニャさんの後ろに二個の配置。

 索敵も兼ねて情報を収集させていると、前を行くタラちゃんがぴたりと止まって、その背中から降りたござる丸が木の根っこに近づく。

 そして根っこに屈むと両手で何かをもぎる仕草をして、それからてこてこと私の方に歩いて来た。


「ゴザッ!」

「ござる丸、どうかしたの?」

「なぁに? きのこ?」

「ほう、星茸ですね」

「星たけ?」

「なぁに?」

「まあ、星茸! 運が良いわね!」


 持っていたのは笠の部分が星の形をしたキノコで、ロマノフ先生とソーニャさんがパチパチと拍手する。

 星茸というのは見たまま、笠が星形の茶色のキノコで、シチューとかに入れると頬っぺたが蕩けるくらい美味しくなるキノコだそうな。

 栄養価も高くて、雪山で遭難してもこのキノコ一つあれば二週間は生き延びられるって言われてる。

 でもその分見つかりにくく、年中生えてるわりに一ヶ月に三本採れたら豊作らしい。

 ソーニャさんも生の星茸を見るのは三年ぶりとか。

 感心していると「あ!」とレグルスくんが声を上げた。

 指差した他の木の根元にま、星形のキノコがある。


「にぃに、あれもほしたけ~?」

「え? どうかな?」

「とってみるぅ?」

「紡、待て」


 興味津々な紡くんがキノコに近寄ろうとしたのを、すかさず奏くんが止める。

 ちりっと肌が僅に粟立ったのを感じて、魔力をプシュケに行き渡らせて。

 レグルスくんも木刀に手をかけると、いつでも抜ける体勢取った。

 奏くんも弓に矢をつがえたのを見て、紡くんもはっとした顔でスリングショットに礫をセットする。

 タラちゃんやござる丸も敵意を感じているのか、レグルスくんの前にしっかり陣取った。

 ロマノフ先生もソーニャさんも軽く戦闘態勢を取っている。

 プシュケを使って辺り一帯の情報を頭の中で受けとると、こちらに全速力で近づいてくる角の生えた大きな赤色の熊が見えた。

 何か相当焦っているのか、生い茂る木々の小枝が肌を掠めても気にせず、わりと太めの枝が当たろうともそれを折る勢いでこっちにやってくる。

 熊は目は血走っていて殺気立っているし、どう考えても接触したら襲われることはあっても、逃げてくれそうもない。

 仕方ない。


「熊が来るよ! 姿が見えるまでまであと5……4……3……2……1……」


「0!」と叫ぶのと同時に三個のプシュケを熊の全面に押し出して、わざとその鼻先に障壁を勢いよく叩きつけ、残った二つで全員の防御力と攻撃力を底上げ。

 私の声と同時に奏くんの矢と紡くんの礫が、氷を纏って突き刺さり赤色の熊の両目を潰す。

 突然の痛みに立ち上がった熊の、がら空きになった胴体に、レグルスくんが一足飛びに踏み込んで、居合いの要領で抜き放った木刀が見事に決まった。

 悲鳴のような咆哮と熊が倒れる衝撃が、森の木々と地面を揺らす。

 ぴくりとも動かない熊にロマノフ先生が近付くと、首を横に振った。

 熊は死んだみたい。


「はー、びっくりした!」

「だなぁ! 熊、でけぇし」


 そう。

 赤い熊は倒してみれば、ロマノフ先生の二倍くらいの大きさ。

 横幅もかなりあって、凄く筋肉質そうな感じ。


「にぃちゃん、つむのいしあたった!」

「おう。練習した成かだな!」

「にぃに、れーのわざみた!? みた!?」

「見たよー! レグルスくん、強いねぇ!」


 駆け寄ってくるレグルスくんの頭を撫でていると、奏くんも紡くんの頭を撫でている。

 ソーニャさんがパチパチと拍手してくれた。


「四人とも連携バッチリだったわねぇ!」

「そうですね、素晴らしかったです。ただ難点をあげるとしたら、使い魔にもちゃんと指示してあげましょうね」

「はい!」


 ロマノフ先生も拍手してくれたけど、ちゃんと注意事項を指摘してくれる。

 そうだよね、タラちゃんやござる丸もパーティのメンバーなんだから、ちゃんと活躍出来るようにしないと。

 彼らの主は私なんだから、その辺の把握はきちんとしておかなくてはいけない。

 ちょっと所在なさげにしていたタラちゃんとござる丸に、「次はちゃんと指示するね」と声をかければそれぞれ飛びはねて応えてくれた。

 熊はとりあえず、ロマノフ先生のマジックバッグに入れておいて、街に帰ったらギルドで解体してもらうことに。

 あの熊、お肉は癖があって生や単に火を通しただけじゃ食べられないらしいけど、干し肉や薫製にすると凄く美味しくなるそうだ。

 皮も骨も防具や武器の材料になるそうで、解体費を差っ引いても利益が出るらしい。

 皮はEffetエフェPapillonパピヨンで引き取って、骨は次男坊さんの処のドワーフさんたちに日頃のお礼に渡したらいいかな。

 それはいいとして。

 マジックバッグっていうのは凄いもので、許容範囲であればどんなに大きなものでも仕舞える上に、重さは特に感じない。

 ロマノフ先生のマジックバッグは菊乃井の屋敷が一軒、丸々入るほどの容量があるそうだから、熊一頭くらい全然平気だそうだ。

 だけどそのせいで、何を入れたか忘れちゃうこともあるそうな。

 良し悪しだよね。

 見つけた星茸を紡くんがもぎって計二本は、代表して私のマジックに入れておくことにして冒険再開。

 先生やソーニャさんの話によると、アルスターの森の一番奥には樹齢五千年と言われている巨木があって、その樹には妖精が住んでるって言い伝えがあるそうだ。

 一年中上質な綿花を咲かせている木は、その巨木の近くに生えているとか。

 森の入り口から進むごとに、人が踏み入れなくなるからか、道も悪くなって草も深くなっていく。


「レグルスくん、大丈夫?」

「うん。タラちゃんのうしろをとおったら、くさがたおれてるからだいじょうぶ!」

「タラちゃん、ありがとう。通りやすくしてくれてるんだね」


 お礼を言えば糸で『どういたまして』と返ってきたけど、多分「どういたしまして」ってことだよね。

 タラちゃんに字を教えたのはレグルスくんだけど、この返礼もレグルスくんが教えたのかな?

 凄いよね、レグルスくん。

 可愛い上に才能が迸ってるんだから。

 そんなことを考えながら歩いていると、ふと違和感が。

 奏くんも感じているのか、首を仕切りに捻る。


「あのさ、若様。静か過ぎないか?」

「うん。入り口辺りは小鳥が鳴いてたのに、今は全然……」

「だな。熊をたおす前に感じてた変な気配がまだ消えないし」

「そうなんだよね。って言うか、あの熊なにか凄く焦ってた雰囲気があったよね?」

「ああ。なんか逃げてきた的な?」

「逃げてきた……?」


 何かが引っ掛かる。

 そう思ってロマノフ先生を見ると、にこにこと凄い笑顔。

 ソーニャさんを振り返れば、こっちもとても良い笑顔だ。

 つまり、核心に触れた部分があるってことか。

 そう言えば、私達がこの森に来たのって、この森に普通ならいないモンスターがいるかもしれないからって調査依頼を受けたからだよね?

 そして依頼が出されたのは、この森に住む一番強いモンスターの悪鬼熊が、何頭も食い散らかされた姿で見つかったから。

 悪鬼熊はつまり熊だ。


「……先生」

「はい?」

「私達が倒した熊って、もしかして?」

「悪鬼熊ですよ。角があって体毛が赤いのが特徴ですね」

「わお……!」


 それが逃げてきた先に私達がいた。

 と言うことは、私達は特殊モンスターが獲物として狙ってた悪鬼熊を横取りした可能性があるわけで。


「……若様、ついてきてるっぽいぞ」

「うん、それっぽいね」

「当たりですよ、二人とも」

「そうね。相手は多分大きいから、木の枝が沢山あるところで戦う方が私達は有利かしらね」


 うーん、さて、どうしようか?

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