第232話 それは雷と同じで何時何処で誰に落ちるか解らない

 さてさて、あれから。

 商談が成立したところで、私は役所に来ていた。

 あの後すぐにロッテンマイヤーさんに頼んで、役所にいるルイさんにアポイントを取ってもらったんだよね。

 ルイさんは昼から屋敷に来るって言ってくれたけど、私より行政を司ってるルイさんのが、どう考えても忙しい。

 だから私の方から行くからと伝えておいてもらって。

 レグルスくんと宇都宮さん、それからロマノフ先生とお散歩兼ねてお出掛けだ。

 てくてくとレグルスくんとお手々繋いで歩く前をロマノフ先生が行き、宇都宮さんは後ろ。

 レグルスくんからは上機嫌な鼻歌が聞こえる。

 ちょっと音程を外すこともあるけれど、それだってとても可愛い。

 屋敷から歩くこと暫く、街の大通りにでる。

 私がルイさんとお話している間、レグルスくんと宇都宮さんはラ・ピュセルのお稽古を見学することになっていて。

 奏くんや紡くんやアンジェちゃんもカフェで待っているそうだ。

 ラーラさんもヴィクトルさんも、今日はユウリさんと一緒にラ・ピュセルにお稽古をつける日だから、カフェにいる。


「お話が終わったら行くから、待っててね?」

「はい! おしばいのおけいこみてまってる!」

「うん。それじゃあ、宇都宮さんよろしくね?」

「承知いたしました、お気をつけて!」

「ありがとう」


 良い子のお返事をするひよこちゃんのふわふわ綿毛を撫でると、レグルスくんはきゃらきゃら笑う。

 そうして一頻り笑った後、宇都宮さんの手を引いて、役所とは反対の方向にあるカフェと歩き出した。

 その背を見送って、私とロマノフ先生も役所へ。

 役所は分かりやすく厳めしい造りになっていて、役人とおぼしき人がひっきりなく行き交っていた。

 忙しいのは悪いことじゃない。

 門を潜って役所に入れば、衛兵さんが私とロマノフ先生に気付いて、アワアワと寄ってきた。

 それを片手を上げて制すると、ルイさんに面会に来たこととアポイントは取ってあることを伝える。

 すると「聞いております」と一言、それからルイさんの執務室へ案内してくれて。

 長い廊下を曲がりくねって辿り着いたドアの前。

 衛兵さんが扉をノックして私達の来訪を告げると、中から扉を開けてルイさんが現れた。


「よくお出でくださいました」

「お仕事中にお邪魔します」

「お邪魔します」


 挨拶して入室すると、ここまで連れてきてくれた衛兵さんにお礼を言ってお別れ。

 扉を閉めると、応接間のソファを勧められた。


「お話があるそうですが、施策のことでしょうか?」

「施策というか、EffetエフェPapillonパピヨンの新しい宣伝戦略の話ですね。それが当たれば売り上げにも繋がるだろうし、儲かったらそれだけ雇用を産み出せます」

「なるほど、お話をお聞かせください」


 頷くと、そのタイミングで係の人がお茶を運んできた。

 お礼を言って受けとると、カップから仄かにお茶の香りが漂ってくる。

 一口含んで、私は首を傾げた。

 知ってる味だ。

 ロッテンマイヤーさんは役所の人にまで、私の好みの淹れ方を教えてるのかな?

 一瞬浮かんだ考えに内心で首を振る。

 お役人さんもロッテンマイヤーさんも忙しいんだから、そんなはずない。

 切り替えて、幻灯奇術によるEffetエフェPapillonパピヨンの広報活動の試みと、そのためにバーバリアンとエストレージャの模擬戦を執り行いたいこと、そして場所としてダンジョン近くの砦を借りたい旨を説明する。

 ルイさんが頷いた。


「ふむ。エストレージャとバーバリアンの対戦は武闘会で一番見所のあった試合です。それが砦で見られるとあれば、兵士達への慰問にもなりましょう。悪くはないかと」

「ではシャトレ隊長に許可を取ってもらっても?」

「承知いたしました。隊長からはお預かりしたエストレージャは、それぞれ部隊長を勤められるくらいには成長したと聞いております」

「そうですか。それは迫力ある試合になりそうですね」


 これで用事は終わり。

 あまり時間を取らせるのも悪いので、ロマノフ先生と顔を見合わせると、そろそろお暇しようとお茶に口をつける。

 お茶は高級品だから、出してもらったら飲みきらないと、相手の気遣いを無にしたことになるんだよね。

 香りを楽しみながら飲んでいると、ルイさんがひたりと私を見ていることに気付く。


「どうしました?」

「はい、いえ……」

「えぇっと、何か街とかのことで問題が起こってたりします?」

「いえ、菊乃井は平和です。景気も上向きです。後少し税収が上がれば週二日、子供達に昼食付きの学問所が開けるのではという試算が出ております」

「そうなんですか!? それは凄いですね。私も頑張らなきゃ!」

「少しずつ、前が開けて来ていますね。鳳蝶君もよく頑張りましたね」


 嬉しくなって拍手すると、ロマノフ先生の手が頭を撫でる。

 それからぎゅっと抱き締められたけど、一瞬ビクッと緊張してしまった。

 なんだか馴れないんだよね、抱き締められるって。

 撫でられたり触れられたりって、嫌じゃないっていうか嬉しいんだけど、どうも緊張しちゃう。

 自分から触るのは全然平気なんだけど。

 ロマノフ先生には私の一瞬の緊張が伝わってるんだろうけど、そこは何も言わずにハイタッチとかに切り替えてくれるから有難い。

 そんな私と先生を見ているルイさんの視線がちょっと硬い。

 これはいよいよ何かあったんだろう。

 もしかしてルマーニュ王国絡みだろうか?

 そう尋ねるとルイさんは「プライベートなことで恐縮ですが」と、口を開いた。


「実は結婚を前提に交際している人があるのです」

「へ!?」

「その人にプロポーズをしようと思うのですが……」

「そ、そうなんですね……?」


 ひぇぇ、凄いこと聞いちゃった。

 というか、ルイさん忙しそうなのに彼女さんがいたんだ……。

 容姿でいうならルイさんはかなり良い方だし、バリバリ仕事も出来るし、話し方もちょっとズバッと切り込むことはあっても紳士的だし、モテないことはないんだろう。

「ほえー」だか「はえー」だか、言葉にならない感嘆を漏らすと、ルイさんが目を伏せた。


「彼女は仕事を持っておりまして、そこに情熱を注ぐ姿に心惹かれました。真面目で聡明、かつ細やかな気遣いをしてくれる人で、その優しさや愛情深さに尊敬の念も抱いております」

「ははぁ、凄く素敵な女性なんですね」

「左様です。彼女の他に妻に請いたいと願った人はいません。彼女が初めてなのです」


 おぉう、熱烈な惚気だ。

 これは姫君様が帰ってこられたら、一番先にお話しないといけない案件では?

 口には出さないけどちょっとワクワクしていると、隣のロマノフ先生が咳払いをして。


「そうですか。仕事はどうなさるので?」

「結婚しても仕事は続けてもらえればと思います。生涯かけてお支え申し上げたいと思うお方の傍にいるのですから、遣り甲斐も一入でしょうし。それにその方も彼女を大切に思ってくださっています。私と結婚したとしても、仕事を続けることをお許しくださるかと」


 ルイさんが胸を張る。

 随分と立派な人に彼女さんはお仕えしてるんだな。

 というか、結婚しても家庭に入らなきゃいけない決まりはなかったよね?

 ルイさんは亡命したとはいえ、それなりの家柄だったから奥さんがお仕事するのははしたないっていうのがあるんだろうか?

 きょとんとしながらロマノフ先生とルイさんのやり取りを聞いていると、不意に二人の視線が私に向けられた。


「我が君はいかが思われますか?」

「私ですか? え?」

「はい。我が君は女性が結婚しても仕事を続けることをどうお考えでしょう?」

「良いことじゃないですかね? でも家庭と仕事の両立って難しいですよね。特に子育てとか。旦那さんが協力するのは当たり前として、夫婦二人を支える社会的仕組みが必要かなって」

「夫婦二人を支える社会的仕組み、ですか?」


 頷くとロマノフ先生とルイさんが首をかしげる。

 前世には産前産後に女性が仕事を給料を少しだけ保証されつつ休める制度があったし、育児期間もそういうのがあったはず。

 たしか「俺」が死ぬ寸前は男性も育児に携わるために、育児休暇を取得するよう世の中が変わって行こうとしてた筈で。

 前世じゃなくて「異世界の社会制度」として、そんなのがあるって聞いたと、ロマノフ先生とルイさんに伝えると二人とも真面目な顔で頷いた。


「ふむ。つまり我が君は女性が結婚しても仕事を続けることに賛成だということですね?」

「そう、なるのかな? まあ、経済的な自立は自由を担保しますしね。選択肢が沢山あるのは悪いことじゃないですから」

「なるほど、お考えはよく解りました。私もこれで心置き無くプロポーズが出来ます」


 ニヤリと笑うルイさんはカッコいいけど、なんで私の言葉で自信が付くんだろう?

 もしや、お相手の彼女さんは仕事と結婚を秤にかけたら、仕事を選ぶような人なんだろうか?

 仕事に情熱があるとは言ってたけども。

 意味を図りかねて首を傾げると、ロマノフ先生がため息を吐く。


「肝心な相手に根回しを忘れないのは流石ですね。まあ、いいでしょう。泣かせる様な事をしたら許しませんが」

「それはありません。断言いたします」


 意味深な二人の会話に、私は困惑しかなくて。

 特にロマノフ先生の態度に、謎が深まる。


「えー……ロマノフ先生はルイさんの彼女さんとお知り合いなので?」

「知り合いもなにも……」


 キョロキョロと二人の間で視線をさ迷わせていると、今度はルイさんが咳払いをする。


「我が君」

「はい?」

「アーデルハイド・ロッテンマイヤーさんです」

「はえ?」

「私がプロポーズしようとしている方はアーデルハイド・ロッテンマイヤーさんです」


 は!?

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