第227話 ハートフル(ボッコ)メモリーズ take4

「お前は……あの女にそっくりだ! あの女もお前も人の大事なものを踏みにじる!」

「そうですか、それで?」


 聞き返してやれば、父とイルマがパクパクと口を開閉して押し黙る。


「面倒だから教えておいて差し上げますが、私を傷つけようとしての発言は無為ですよ。私にとって貴方たちは野辺の雑草ほどの価値も意味もない。野辺の雑草に足を取られたからって、その雑草を根絶やしにしようと思いますか? この下らない時間が長引くだけなので、止めておきなさい」


 やんわりと告げると、父が嗤う。


「雑草!? では何故念入りに取り除こうとしている? それはお前が俺を驚異に感じて」

「ないですね。というか、それはアレですよ。私が丹精して育てている菊乃井という花の、成長の妨げになる雑草は抜いておこうというだけのことですし」


 大概自己評価高いな。

 どこから私が気にするほどの価値が自分にあるって、自信が湧くんだろう?

 解せぬ。

 大きくため息をつくと、私は先生方を見た。

 すると先生方も大きなため息を吐く。

 ロマノフ先生が半眼で唇を開いた。


「鳳蝶君が貴方を除いておきたいのは、貴方が菊乃井の家名に泥を塗りたくったためですよ」


 家名とは突き詰めれば社会的信用なのだ。

 家名を汚すのは菊乃井の社会的信用を貶めるのと同じこと。

 領地を治める領主に信用がないということは、領地、ひいては領民に信用がないということになる。

 領主の家名に、領民の信用がかかっているといっても過言ではない。

 信用がない人間がどう扱われるかなど、自明の理だ。

 菊乃井をそんな危機に晒したこと。

 それこそが毒の杯を渡されるほどの罪なのだ。

 ロマノフ先生がそう締め括れば、ヴィクトルさんもラーラさんも頷く。

 青ざめる父に、私はいっそ優しく声をかけた。


「……考えたこともなかったでしょう? 私達貴族がどうして尊ばれるか」

「…………」

「私達次第で少なくない数の人生が左右され、時には首一つでその命を贖うことが出来る。それだけの覚悟と行動をもって民衆を導く。そしてその覚悟を血脈に代々受け継ぎ、義務から逃げることを決して許さない。だから人々から、貴き一族、貴族と呼ばれ、その強き覚悟を讃えられるのです」


 その当主として、貴方は、いや、貴方も母もどうだったのか?

 そんなことを今更聞きたいのかと、目で問いかけると父は項垂れた。

 だけどだ。

 父がそこまでの覚悟を持てなかったのは、生まれのこともあるだろうけれど、菊乃井の方でも教育を怠ったからでもある。

 もう少し真面に、中継ぎだったとしても、当主として教育されていれば、ここまで家名に無頓着でいることもなかった筈だ。

 そして父からマーガレットさんに、使用人に対する女主人の義務を教えてあげられたろう。

 今となっては言っても仕方ないことだけど。

 そう言えば父親力なく頭を垂れ、代わりにイルマが口を開く。


「そ、それでも人としてはお嬢様の方がずっとあんな女よりましよ!」

「そうでしょうか?」


 これも首を傾げざるを得ない。

 そういう反応を見せれば、ヴィクトルさんが普段とは全く違う冷たい目をイルマに向けた。


「ここの元使用人の子達に聞いたけど、君、随分と小さい子にきつく当たってたんだって?」

「そ、それが!?」

「子どもをそんな風にいじめる女に育てられた娘さんが、まともに子どもを育てられるの? 世の中ってどうあっても、鳶が鷹を生むより、蛙の子は蛙の確率のが高いと思うんだけど? それとも類は友を呼ぶのが解りやすい?」


 人格や価値観に偏りがある人間から教育を受ければ、その影響を当然教育を施される側は受けるもの。


「子どもの誕生日に、その父を装って呪いの道具を渡す。他人事だとしたら随分酷い人だと思いませんか?」

「そ、それは……! その男がプレゼントを自分で選ばなかったせいじゃない!」

「渡す相手が子どもだと解ってて呪いの道具を選んだ自分に罪はないとでも?」

「お、お嬢様はあの男のせいで肩身の狭い思いをしてたのよ!」

「そのお嬢様の忘れ形見でもあるのにそんな子を殺そうとして、よくも忠臣面出来ますよね?」

「なっ!? 死ぬほどの呪いなんか使わないわよ!」

「いいえ。貴方が贈った呪具は、一つでも欠けがあったら、菊乃井の全てを根絶やしにしていたんですよ」

「……は?」


 すとんと私からも先生方からも表情が失せて、視線がイルマに集中する。

 イルマの方は何を言われたか理解出来なかったのだろうけど、私達の尋常じゃない雰囲気に息を飲んだ。


「……デミリッチが出たそうだ」


 隣で縫い付けられた父が、力なく呟く。

 その言葉にイルマはパチパチと瞬きを繰り返す。

 理解が追い付かないのだろう。

 私は監視役の蝶に魔力を送ると、幻灯奇術でイルマと父の前に映像を投影した。

 私の中にあるデミリッチとの戦闘記憶を。

 最初は怪訝そうにしていた二人も、映像が進むにつれて青ざめて、終わる頃にはガタガタと身体を震わせて。


「バーバリアンやレグルスくんや先生方、私の友人の、誰か一人でもいなければ、菊乃井はデミリッチに滅ぼされていたでしょう。貴方が父憎しでやったことが原因で」

「し、知らない! アタシは知らない! デミリッチが宿っていたなんて知らなかった!」

「そうでしょうね。でもこれが現実。そして貴方には横領どころか、私に対する暗殺未遂犯としての罪がある」

「は!? な、なんで!?」

「決まってるでしょ。デミリッチと対峙したのが私だからですよ。伯爵家に対する謀反というか、不敬罪ですね。極刑でもおかしくない」


 そしてこんな言い方は不謹慎極まりないけれど、マーガレットさんが亡くなっていたから、レグルスくんは助かるのだ。

 使用人のしたことは、その使用人を雇用している家の責任だし、使用人を雇用する責任はその屋敷の主人と女主人にかかってくる。

 イルマのやったことの責任を、連座でマーガレットさんが追わされ、更に家全体の責任としてレグルスくんまで類を及ぼすところだったのだ。

 それがマーガレットさんが亡くなっていたことと贈り物の宛先がレグルスくんだったことで、彼は寧ろ被害者の立ち位置。

 よって彼を守るために伯爵家に入れるという選択肢を取れたのだ。

 まあ、マーガレットさんが存命なら起こらなかったことかもだけど、イルマが考えなしならマーガレットさんを通じて呪具を父に贈ることもあり得たかもしれない。

 母やセバスチャンなら、イルマを操ってそう仕向けるのも簡単だろう。

 現にイルマは、セバスチャンの手の平の上で踊っていたのだから。

 セバスチャンやら母の企みは省いて、自身の行いが下手をすればマーガレットさんを巻き込むことだったと説明してやれば、イルマの顔色が真っ白になった。


「ア、アタシが……そんな……」

「使用人のでしゃばりが主人を殺す。あってはならないことですが、子まで持った女主人をいつまでもお嬢様と呼ぶような使用人と、それを許すような力ない主人なら致し方ないことかも知れませんね」

「お嬢様の何がアンタらに解るっていうのよ!?」

「解りませんね。私はマーガレットさんと話したこともなければ会ったこともない。だけど貴方や父の所業を見ていて、それを止めるどころか許しているのだから、その程度の人なんだろうと思ってはいます。つまり、貴方たちのせいでマーガレットさんの評価は地の底ってことですよ」


 そこまで言われて漸く理解出来たのか、二人が息を詰めて俯く。

 長かった。

 他人がどう思っているかまで辿り着くのに、これだけかかるとは。

 だけど二人に欠けた物の正体が解った。

 この二人には圧倒的に想像力が欠けている。

 止めといこうか。


「父上、マーガレットさんはレグルスくんに貴方は立派な人だと言っていたそうですが、その貴方がどうして一年半の間あの子を放っておいたんですか?」

「……放っていたつもりなどなかった。俺だって子どもの時に父親と過ごした記憶なんてない。だからそんなものだと……」

「それで貴方は寂しくは無かったんですか?」

「それは……」

「貴方はお父上に構ってもらえずに寂しい思いをした。なのにレグルスくんは放っておかれても寂しくないと?」

「……っ!」

「自分がした苦労や嫌なことを、親は子にさせないようにするものと聞きましたが、貴方はそうは思わなかったんですね」


 にこっと笑ってやれば、父は悄然と首を落とす。

 次にイルマを見れば、キッとこちらを睨む。


「その男とアンタの母親が悪いのよ! 好きな人と純白のドレスで神様の前で愛を誓いたい、そんな式が夢だって言ってた! それをアンタの母親とその男が奪ったんじゃないのさ! アタシがそのご無念を晴らして差し上げて、何が悪いの!?」

「それはそれは。父も毒杯の可能性も出てきましたし、さぞや虹の橋の向こうでマーガレットさんもお喜びのことでしょう。万歳して他人の不幸をお祝いされているかもですね」

「お嬢様はそんなことするわけないだろう!? お優しい方なんだ!」

「そのお優しい方が喜ばないことをして、どうしてマーガレットさんのおためだと言えるんです。全て貴方の自己満足ですよ。結果、マーガレットさんは私が訴えでたら大罪人だ」

「ア、アタシ、アタシがお嬢様を……!?」

「貴方が貶めたんです」


 大きく目を見張ったかと思うと、イルマはブツブツと「アタシが……」とか「そんなつもりは……」とか言い出した。

 クッと喉で嗤う。

 お前たち二人は絶対に許さないからな。


「さて、己の罪を自覚出来ましたか?」


 穏やかに尋ねても、二人は答えない。

 俯いたまま、びくりとほんの少し身体を跳ねさせただけ。

 だからもう一度、罪を自覚出来たか問えばゆっくりと頷いた。


「でしたら、覚悟は出来ていますね?」


 その言葉に、二人がのろのろと顔を上げる。

 さて、止めといこうか。


「では毒の杯を差し上げましょう」


 最上級の微笑みで告げれば、二人の顔が絶望に凍りついた。

 私は表情を変えない。

 壁に縫い止めていた氷柱を消してやると、二人はずるりと床に崩れ落ちた。

 そして蹲ると、二人から啜り泣きが聞こえて。

 こんなもんかな。


「なーんちゃって? 冗談ですよ」


 そう告げれば、先生方に「め!」って口だけで叱られた。

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