第226話 ハートフル(ボッコ)メモリーズ take3

 イルマが口を開く。


「……よくもこの家に足を踏み入れられましたこと。ここは元はと言えば貴方様のお母様が不幸にしたお方の屋敷ですのに!」

「そうは言われても、この屋敷は菊乃井伯爵家別邸。つまり菊乃井伯爵家の財産、ひいては菊乃井の領民の税金で買われたもの。対価はお支払してますし、貴方たちの給金も菊乃井家から出ていますから。反対に聞きますけど、なんで貴方のお嬢様は憎き菊乃井家に屋敷を売ったんです?」

「それは……! そこの男が……!」

「では貴方のお嬢様と父の問題ですね。使用人が口を挟むことじゃありません」


 ましてや菊乃井の録を食むものが、その当主に歯向かうなどあり得ない。

 辞めてからにしろよ。

 締め上げたっていっても、父の給料と合わせれば贅沢しなきゃ暮らしていけるだけの費用は払ってる。

 非人道的な行いをして噛みつかれるならまだしも、そうでないなら謂れがない。

 それにこの屋敷を売り出した時点で、この家は困窮していた。

 ルイさんに調べてもらった結果では、この屋敷を購入するのに、菊乃井は相場の二倍のお金を払っている。

 そして屋敷を売る原因になった、レグルスくんのお母様のお父様、レグルスくんのお祖父様の借金は全て返済されて、レグルスくんのお母様・マーガレットさんは身売りせずに済んだ。

 感謝されこそすれ、それこそ屋敷の困窮を知りながら相談もされなかった使用人に口出しされるようなことじゃない。

 解ってはいるけれど、視線を父に向けると彼は目を伏せて。


「……お義父上の借金を返すのに、屋敷を売りに出したところで間に合わない。だから身売りするとマーガレットが言い出した。屋敷を売って得た金は、乳母や使用人の退職金にして、と。だから俺は菊乃井から金を引き出すために……!」

「なっ!? そ、そんなっ!?」

「私を作った訳ですよね。私が生きている限り離婚は出来ないけど、お金は引き出せる」


 ため息が出る。

 父も母も、私を自分達の都合だけで作った。

 そして私がいるということが都合が悪いから、放置した。

 彼らにとって、私は子供どころか人ですらない。単なる置き場に困る道具だった。

 いや、役に立たないからゴミだったのかもしれない。

 解っちゃいたけど、改めて向き合うとしんどいな。

 精神衛生に良くない。

 ダメージコントロールは重要だ。

 私はイルマに視線を移す。


「貴方が知りたがってたことが知れましたね。それでどう思いました?」

「そ、それは……そうよ! その借金だって、菊乃井が旦那様の事業に圧力をかけたからで……!」

「その前から、少しずつここは傾いていたさ……。お義父上は商売があまり上手い人では無かったんだから。俺が菊乃井に身を売ったのは、父がお義父上の連帯保証人になって負った借金の精算のためだ」


 ルイさんの調査にも確かにそうあった。

 だから正直、なんで父がマーガレット様と別れなかったか、凄く疑問だったんだけど、おそらくそれは同病相憐れむの類いだったんじゃないかな。

 父とマーガレットさんは幼年学校の同級生だっていうし、そんな環境に好きな人をおいておくのも心配だったのだろう。

 自分が我慢して憎い女を抱いて子供さえ作ってしまえば、それで恋人も恋人の実家も助かる……なんて、悲劇に酔っぱらっちゃったんだろうな。

 それで作られた私にしたら笑えない喜劇だけど。

 でも悲劇に酔ってばかりいられても面倒だ。

 水をかけておこう。


「なにを悲劇の主人公ぶってるんです。貴方が菊乃井に売られたのは確かに実家の借金返済のためですけど、そもそも貴方が勝手にレグルスくんのお祖父様の借金の連帯保証人に、貴方のお父様の名前を使ったせいで負ったものを、自力で返済させられただけじゃないですか」

「ぐっ……」


 もうさあ、調査報告持ってきた時のルイさんの顔ときたら、だよ。

 掘れば掘るほど小狡い男ってのが出てきて、あのロッテンマイヤーさんでさえ悲痛な顔で「縁を切るのであれば、もうよろしいのでは……」って言い出したんだから。

 どうでもいいんだけど。


「それにしても、そうまでして助けたマーガレットさんの家の方から、蛇蝎のごとく嫌われてるんだから気の毒な人だ」

「……っ!」


 しれっと言えば、父は俯き唇を噛む。

 イルマも気まずそうに目を逸らした。

 父のしたことは決して誉められたことじゃない。

 だけど、助けた筈の人間から恩を仇で返されるのは、客観的に見て理不尽だ。

 心の底から同情する。


「義務を果たして金蔓を手に入れたのに、マーガレットさんは夭折。忘れ形見には愛想を尽かされて……」


 ため息をつけば、イルマが嗤った。


「子供にまで嫌われたの!? いい気味よ!」

「なっ!? 貴様……!」


 ぎりっと父が眉をつり上げる。

 ゲラゲラと嗤うイルマの声が酷く耳障りだ。

 私は目を伏せる。

 マーガレットさん、ごめんなさい。

 頭が痛いとばかりに、私はこめかみを押さえた。


「そうですね。こんな人を立派な人だという辺り、マーガレットさんは実に見る目がなかった。日陰者で人生を終えても致し方ないくらいには……。ああ、でも破れ鍋に綴じ蓋なのかもですね。そう思えば実にお似合いだ」


 クッと口角をあげて、蔑んだ視線を二人に向けると、途端に父とイルマが憤怒の形相を浮かべる。

 いがみ合ってた癖に、二人が同時に声を上げた。


「どういう意味だ!?」

「どういう意味よ!?」


 だからって別に怖くも何ともないし。


「そのままですよ」


 レグルスくんから衝撃の告白を聞いた後で、裏付けるように奏くんからも聞いた話では、マーガレットさんは菊乃井の街では随分と評価が低かった。

 面と向かって関係者に話すのを戸惑う程度には。

 だけどレグルスくんの思い出が一大事なんだから、そんなことも言ってられない。

 覚悟を決めて話そうとすると、肩をそっと後ろから抱かれた。

 首だけ振り返るっていうか、仰ぎ見ると先生方が。

 ヴィクトルさんが片目を瞑って、口に人差し指を当てる。

 ロマノフ先生とラーラさんが芝居がかった仕草で肩をすくめた。


「死に瀕している子どもがいて、その父親を死の床に会いにも行かせない女性なんて、血も涙もないと思われて当然でしょう?」

「まして自分達から搾り取った税金で好き勝手贅沢にくらしてる側室だか愛人だかなんて、客観的に見て好かれる道理がないよね?」


 内実を知らずに、見える事実だけを並べると、そうなるだろうなってことは私にも解る。

 解るけど、宇都宮さんから聞いた感じとか、レグルスくんに接してると、そんな人じゃないとも思うんだよね。

 だから言いたくない気持ちを察して、先生方が話してくれてるんだろうけど、それはそれで先生方に悪役をさせてるみたいで凄くヤだ。

 居たたまれなくなって、もう一度目を伏せる。

 するとイルマが吠えた。


「この男が菊乃井に帰らなかったのは、この男の意思よ! お嬢様は帰ってやれって何度も言ってたんだから! お嬢様をこの人でなしと一緒にしないでよ!」


 ああ、やっぱり。

 思った通りの答えに安堵していると、父が口ごもる。


「まさか本当に死の床にいるとは思わなかったんだ……! あの女も俺が相手にしなければ、煩く死ぬ死ぬと喚いていたから!」

「五歳になるかならないかの子どもにそんな知恵があると思ってた訳ですか? 箸にも棒にもかからないと評価していた子どもに?」

「あの女が俺を呼び戻すためにやってるんだと思ってたんだ!」

「は? 貴方、母のプライド粉々に砕いて、あの時点でもまだ好意を持たれてると思ってたんですか?」


 私の反論に父がぐっと息を詰める。

 この人は何かしらズレている。

 先生方も同じように感じたのか、顔を見合わせた。


「あのさ、例えばの話なんだけど婿養子の旦那がお嫁さんの実家のお金を、湯水の如く愛人に注いでたら、普通に旦那も愛人もお嫁さんやら周りに嫌われるもんじゃないの?」

「それは……そう、ですが……! 俺はあの女に望まれて!」

「愛情は無限でなく有限ですよ? 最初は好きでも嫌がらせされ続けたら、好意なんかすぐに枯渇するもんです。貴方は好きな人に虐げられても、ずっと好きでいられますか?」

「…………」

「答えないってことは、無理っていうのと同義だよね?」


 ヴィクトルさんの言葉を補うようなロマノフ先生の話に、父は押し黙り、ラーラさんはその姿に呆れたように首を振る。

 一連の流れに、なんとなく違和感の正体が見えてきた。

 と、イルマが高く嗤う。


「その男にそんなこと期待するだけ無駄よ! 他人のことが考えられるなら、お嬢様を日陰者にするはずないんだから!」

「なんだとっ!?」


 消沈してるわりには貶されると噛みつくってのは、躾の悪い話だ。

 唸る父に構わず、イルマは言葉を続ける。


「だってそうでしょ!? 愛人だの側室だのがどれだけ外聞が悪いと思ってんのよ!? お陰でどれほどお嬢様が肩身の狭い思いをしてたか……! 金で買われたんだろうって、聞こえよがしに囃されたこともあったけど、そんなことお嬢様はアンタに何一つ言わなかっただけよ!」

「そ、な……っ」


 そうだろうな。

 お家第一で、保険のために庶子を用意することのある貴族でさえ、愛人だの側室だのを快く思わないんだから、庶民なら尚更だろう。

 それを、愛ゆえにマーガレットさんは耐えたのか。

 自分を助けるために、やり方がこすっからくてもお金を工面して安寧をくれたり、家族を大事にして自分を一途に想い続けたり。

 端から見ればこんなしょうもない男でも、マーガレットさんには悪いばかりの男では無かったのだろう。

 しかし、だ。


「私は破れ鍋に綴じ蓋と言いませんでしたか?」


 静かに冷たく問えば、イルマも父もひゅっと息を飲んだ。


「メイド長、イルマ。貴方、使用人が失敗したら折檻していたらしいですね!」

「そ、それが!? 使用人たちの躾はメイド長の役目ですから!」

「マーガレットさんは暴力を振るうなと貴方に命じたと、料理人見習いのアンナから聞いていますが?」

「未熟者の指導の一貫よ! お嬢様はお優しいから、アタシが代わりに……!」

「なるほど。だとしたら、屋敷を仕切る女主人としてマーガレットさんは失格ですね」


 貴族の奥方は、夫が表で社交や仕事に専念できるよう、家の奥向きのことを全て取り仕切る。

 使用人の統率やらなんやらは、全て夫人の意向に添うものでなくてはならず、使用人は女主人に余程のことがない限り服従するものだ。

 しかしイルマは?

 彼女はマーガレットさんを差し置いて、使用人に対して女主人が禁止した折檻を行っていたという。

 乳母だったとはいえ、使用人一人の手綱も握れないようでは貴族の夫人としては失格。

 それを鑑みれば伯爵夫人として教育をきちんと施され、使用人の統率を過不足なく行っていた母の方が、貴族の女性としては段違いに格が高い。

 そうゆったりと告げれば、父とイルマが一瞬息を止める。

 それからブルブルと父が震えだした。

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