第215話 巡り来るツケ

 ラーラさんがブラダマンテさんを連れて戻って来たら、ロマノフ先生とヴィクトルさんが「後のことは任せなさい」と請け負ってくれた。

 きちんと最後までやるって言ったんだけど、お膳立てを先生方にしてもらった関係上、手続きとかは私が手を出すと煩雑になるそうなので、お言葉に甘えて一足先にラーラさんと家に帰ることに。

 帰路の馬車の中で、ラーラさんに「出会った時はたしかにまんまるちゃんだったし、痩せて益々可愛くなった今だって、中身はシルキーシープみたいなまんまるちゃんだと思ってる。けど君が白豚だったことなんか、一度もないんだからね」って、ぎゅっぎゅ手を握られた。

 なんだか余計な気を使わせちゃったな。

 菊乃井の屋敷に帰ったら帰ったで、ロッテンマイヤーさんにぎゅっと手を握られて「お疲れ様でした」って労われた。

 レグルスくんや奏くんもいて。

 彼らには私が何をしに帝都に行ったかなんて教えてないけど、なにかを察したのか黙って傍にいてくれた。

 正直な感想を言えば、疲れたとしか。

 最小限の徒労でいかに相手に大ダメージを与えられるか。

 ここ最近そんなことばかり考えていた。

 そうすると、自分がいかに卑しく厭なヤツなのかを思い知ることになって。

 だけどまだあと一人残っている。

 こんなところで自己嫌悪だの自己憐憫に浸っている場合じゃない。

 それでも今はちょっとだけ休みたい。

 リビングのソファでレグルスくんと奏くんの声を聞きながら、私はそっと目を閉じた。

 ……のが、ダメだったみたいで、起きたら翌日だったよ。びっくり。

 いつも通りの寝起きに、いつも通りのルーティンで着替えたり顔を洗ったり、いつもと同じ朝だ。

 そりゃそうだよね。

 私がしたのは母とセバスチャンに引導渡して、家督相続の手続きを何年か分前倒しにしただけで、抱えている問題や課題が解決した訳じゃない。

 正式に菊乃井の諸問題に取り組める権利を有するための手続きが一つクリア出来る段階に至っただけだもん。

 色々と遠いわ。

 さてさて、あの後どうなったかって言うと、母は帝都で冬に流行る質の悪い風邪にかかったそうだ。

 実際は腐肉の呪いなんだけど、先生方が色々あれこれどうこうしてそういうことになったそうで、私が帝都に行ったのは病が存外重くて気弱になった母が、今までの所業を詫びたいと言ってきたからってことになってる。

 んで、ブラダマンテさんは母が神様に今までの自分のことを懺悔したいと言ったから、私が伝手で桜蘭から招いた巫女さんだとか。

 つまり、それだけ母の具合は良くない。

 いつ何時、人事不省に陥ってもおかしくないという噂の下地を作ったわけだ。

 これで一命は取り留めたけど「人として立ち行かなくなりました」は、成立しやすくなった。

 他にも色々手回し根回しはあったらしいけど、それをスムーズにしたのは帝都のメイド長だ。

 あの人、本来は祖母の側仕えだったらしいけど、祖母が亡くなった後は帝都の屋敷に移されたんだそうな。

 ロッテンマイヤーさんのメイドとしての師匠に当たる人で、先代の執事さんが息子のセバスチャンの行状に内心で不審と不安を抱いて、彼女に屋敷の業務全てを引き継いだらしい。

 母へは何度か諫言を試みたらしいけど、「三回言って聞かなかったら娘のことは諦めて、孫のために帝都の屋敷を守ってほしい」という祖母の遺言に従い、母というより菊乃井に忠実に勤めてくれていたようで、なんと彼女は帝都屋敷の無駄遣いをかなり抑制してくれていたそうだ。

 私の兵糧攻めは母の屋敷にも甚大なる被害をもたらしていて、使用人の数がかなり減っていたので、何が起こったのか情報を統制するのも、彼女の手腕をもってすれば楽に出来るとか。

 養子縁組みと出家願いの提出は、先生方とセバスチャンでやったとも。

 ブラダマンテさんによると、母にかかった呪いは本当に重篤で、宇気比の結果でさえなくば三日と持たずに落命するようなものだったらしい。

 艶陽公主の加護をいただくブラダマンテさんですら、痛みを和らげるのがやっとという有り様で、これ以上は教皇猊下でもどうにも出来ないという。

 それでも希望があるとするなら、宇気比の呪いは罪の購いなのだから、それを全うすれば……。

 その言葉に反応したセバスチャンが協力を申し出たのだ。

 罪の購いというのがこの場合どういうことになるのか曖昧だけど、善行を施せばそれは購いになるのではないか。

 すぐ出来る善行と言えば菊乃井の領地を豊かにし、領民を富ませる私に協力して、更に菊乃井を発展させることではないかと考えたらしい。

 母の側近だったセバスチャンと、私の味方な先生方が一緒に行動してれば、それは私と母の関係改善がなった噂の補強にもなる。

 これで家督相続の件はお沙汰を待つばかり。

 父が離縁に異を唱えようが何をしようが、血筋的に相続を許されるのは私しかいないんだもん。あっちにはもうどうしようもない。

 問題は父の処遇なんだけど、これがなぁ……。

 家との縁切りは兎も角、レグルスくんとも縁切りしてもらわないと。

 もう二度と彼とは会わない。

 それくらいの誓いを立ててもらわなきゃ、レグルスくんを養子にした後で私に何かあったら、絶対にレグルスくんが痛くない腹を探られるもんね。

 まあ、「何か」は起こるんだけど、余人からは起こったことをが見えないようにしとかなきゃ。

 しかし、これでとりあえずの目処は立った訳で、父に引導を渡すまで少しはゆっくり出来る。

 そういうことで、本日はお勉強もお仕事もなく、のんびりだらけてなさいって先生方に言われて。

 朝御飯の後、レグルスくんとポニ子さん一家のお世話に行って、お昼までお絵描きするレグルスくんの横でバーバリアンの服を作ることにしたんだよね。

 お昼ご飯の後はアンジェちゃんや奏くん、奏くんの弟の紡くんも一緒に雪遊びの予定。

 クレパスでぐりぐりと画用紙に黄色い丸を描いて、その丸の中に黒でまた丸を二つ。

 その少し下辺りにオレンジの三角がちょんっと付いたら、レグルスくんのひよこが完成する。


「にぃに、ひよこちゃんかけた! つぎはタラちゃんとござるまるかくね!」

「うん。レグルスくんは絵が上手いねぇ」

「そう? れー、うまい?」

「うんうん、上手。才能あると思うよ」


 ふんすっと鼻息荒く絵を見せてくるひよこちゃんが最高に可愛い。

 色とりどりのクレヨンとにらめっこしながら、画用紙に線を引くレグルスくんに癒されていると、静かに部屋の扉を叩く音がして。

 「どうぞ」という私の応えに、扉を開けたのはロッテンマイヤーさんとロマノフ先生だった。


「何かありましたか?」


 二人揃って来るってことは、あちらで何かあったのかと顔を強張らせると、ロッテンマイヤーさんが首を横に振る。


「いえ、あちらのことは問題ございません」

「そうですか、良かった」


 頷けば、ロマノフ先生が柔い笑みを浮かべた。


「家督相続に関する件と言えばそうなんですが、もう少し柔らかな話ですよ」

「柔らかな話?」

「はい。旗印の件ですね」

「旗印?」


 なんぞ?

 頭に疑問符が沢山浮かんだのがロッテンマイヤーさんと先生には解ったようで、斯く斯く然々と教えてくれたことには、貴族の男子は幼年学校入学時に自分の旗印を決めておくそうだ。

 旗印というのは、戦場に軍を率いて行った時に「某家の誰某」が解る目印みたいなもの。

 帝国も昔は戦争をしていたし、今だってモンスター相手に兵を派遣していくことがある。

 昔は「某家の誰某がここにいるぞ!」っていう示威の一環だったけど、今は「某家の誰某がモンスターを討ち取ったぞ!」っていう手柄のアピールに使われているそうだ。

 傾向としては、昔は戦に家の勃興がかかっていたから当主やその跡継ぎの旗が派手だったけど、今はモンスター退治で名を上げて家を興したり、良い婿入り先を望む次男三男の旗の方が派手なんだとか。

 家の紋章の下に、自分の旗印を付けるのがお約束。

 手柄があったとかで特別に許されると、家の紋章の上や中に自分の紋章を組み合わせられることもあるそうな。

 菊乃井家で言えば、家の紋章は盾型の真ん中に大輪の菊花が三つのシンプルな紋章の下に、私の紋章が来ることになる。


「でも、幼年学校入学の時に決めるものなら、まだ早いんじゃ……?」

「そうとも言えませんよ。君が当主になってすぐ、ダンジョンからモンスターが溢れ出て来ないとも限らないでしょう?」

「あ!」


 そうだ。

 うちにはそういう危険があって、両親を領主の座から追う以上、大発生が起こったらモンスター討伐の指揮を取るのは私なんだ。

 その時に戦場に翻る旗に、私の紋がないなんてあり得ない。

 「決めないとダメですね」と言った私に、ロマノフ先生とロッテンマイヤーさんが頷く。

 それだけじゃなく、先生は視線をお絵描きに夢中なレグルスくんへと飛ばした。


「レグルス君のも決めないとダメですね。彼も菊乃井家の男子、大発生が起こって当主の君が戦場に行くなら、彼を街の守りにおかないと領民が落ち着かない」

「……っ!」


 両親を廃したなら私の跡継ぎはレグルスただ一人だ。

 危ないことをさせる気はないけれど、街の守りに跡継ぎのレグルスくんがいるのといないのとじゃ、領民の安心度が違うだろう。

 もっと時間をかけて両親を追い出したかったのは、こういう側面があったからだ。

 だから大人しくしていて欲しかったのに!

 本当にろくなことしやがらない。


「気持ちは解りますけど、とりあえずやれるところから片付けていきましょうね」

「はい……」


 親父、はっ倒してやりたい。

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