第182話 春を待つための別れ
朝食は私とレグルスくんと先生方三人で、忙しくない限り必ず一緒に食べる。
本日はロマノフ先生のお母様のソーニャさんも一緒で、いつもより華やか。
その席で、昨夜氷輪様が私に話してくださった事を伝えると、先生方が凄く微妙な表情になった。
一方で、ソーニャさんは「あらあら」とおっとりと笑う。
「こどもが構ってもらえなくて癇癪起こすなんて、よくある話ねぇ」
「あー……はい、そうですね……」
にこやかなソーニャさんの言葉に、私はそっと視線を逸らす。
だってー、身に覚えがー、ありすぎるんだもんー。
若干黒歴史を抉られて白目剥いてる私に気がついたのか、ロマノフ先生がわざとらしく咳払いをした。そして、微妙な表情のまま口を開く。
「そ、それで氷輪公主様はこれからどうなさると?」
「それなんですが、その……氷輪様はお子さんとの関わりが薄く、どう艶陽公主様と関わればよいか悩ましい……と。私はこどもでも、自分でいうのもなんですが大人しい方なので」
「あーたんは良すぎるくらい聞き分けがいいもんね」
「まんまるちゃんは、もう少し我が儘言った方がいいくらいだ」
んん? 私、結構我が儘してると思うけどな。
昨日だってソーニャさんのお泊まりおねだりしたし。
っていうか、私のことはいいんだよ。
家庭教師歴のある先生方や子育ての先輩なソーニャさんから有益な助言をもらって、それを氷輪様にお伝えしたい。
私がそう言うと、ソーニャさんが笑った。
「こどもって皆同じ様な事をするものだけど、やっぱり個々で違うものね。参考になるか解らないけれど、それで良ければ」
「はい。とりあえず自分の時はどうだったとか、どんな対応をしたとか、そういったことを教えてもらえれば……」
そういうことであればと、先生方もソーニャさんも、メイドさんたちも色々情報や意見をくれた。
皆それぞれに持論のようなものがあって、だけど皆「怒るのと叱るのは別」ってとこでは一致してたな。
それをロッテンマイヤーさんが纏めてくれたので、紙に書き直して氷輪様にお渡しすることに。
それで一先ず氷輪様の件は良いとして、今度は姫君の方だ。
昨日のお怒りの度合いを見ていると、取り成しとか無理なんじゃないかと思うんだけど、やる前から諦めちゃダメだな。
朝食の後、レグルスくんと奥庭に行くとちらほらと冬に咲くべきじゃない花が、生け垣にちらほらと咲いている。
これは姫君の目を楽しませたいと、花たちがやって来て命を削ってでも咲いていると仰ってた。
花は姫君を慕っている。艶陽公主様もきっとそうなんだろう。
「む、そうなのかえ?」
どうしたら姫君にそれをお伝え出来るか考えていると、唐突に姫君のお声が聞こえて、反射的にレグルスくんと膝を折る。
「立つが良い。息災……よのう」
「は、姫君様にもご機嫌麗しゅう」
「うむ、まあ、昨日よりは良い」
うーむ、これとりつく島があるのかなぁ?
若干遠い目をすると、ひらりと姫君の団扇が翻った。
「ところで、先ほど妾を艶陽が慕っているとか聞こえたが?」
「ああ、はい、その……」
訝しげに目を細めた姫君に、昨夜氷輪様よりお伺いした艶陽公主様のお話とご事情とをお伝えすると、徐々に姫君の整った眉間にシワが出来て、それを痛そうに押さえられた。
「矢張り、艶陽はそういう存在であったか……」
「矢張り……とは、姫君様はお気づきだったのですか?」
「気付いていたというより、薄々そうではないかと感じていたといったところじゃな。特に海の辺りは孫子がおるでの。その
なるほど、ロスマリウス様はご自身の家族を見ておられるから気付かれたのか。
それなら氷輪様はロスマリウス様にもご助言いただけば良いんじゃないかな?
その思い付きも駄々漏れていたようで、姫君が首をゆるゆる横に振った。
「氷輪は出不精故、艶陽のためにそこまでせぬであろうよ」
「出不精? 週に三日ほどはご来訪くださいますのに?」
「は!? あやつ、そんなに繁く通っておるのかえ!?」
「へ?」
どういうことなの?
姫君がなんだか物凄く驚いたような顔をされる。
そして物凄く納得いかなさげな雰囲気を醸しつつ、団扇を振られた。
「そうか……。ではそなたから氷輪に、妾がロスマリウスに助言を仰ぐよう言っていたと伝えよ。こちらから出向かねば数百年単位で引きこもる輩が、そなたのところには通うのじゃ。そなたの言葉であれば聞き入れるであろう」
「いやー、それは……。伝言は賜りましてございます。それで、その、艶陽公主様の件は……?」
「む、そうよの。慕われておるのであれば悪い気はせぬ。天にいる間は艶陽を気にかけてやらぬでもない」
むすっとしたお顔でいらっしゃるけど、こうやって折れてくださる辺り、凄く姫君はお優しいよね。
腰を折って「ありがとうございます」とお礼すれば、レグルスくんも一緒にお辞儀する。
顔をあげるように言われて姿勢を元に戻すと、姫君は麗しく微笑まれた。
「まあ、よいわ。ともあれ去年からの案件は万事片付いた。そなたの働き、見事であった」
「お言葉、ありがたき幸せに存じます」
「今より妾は暫しの間地上を離れるが、その間健やかに過ごせるよう厄除けを施してやるゆえ、額を出すように」
そう仰ると、姫君はどこからともなく化粧筆を取り出して、前髪をあげた私たち兄弟の額に、去年と同じく花の模様を紅で描いて下さる。
レグルスくんが、じわっと眼を潤ませた。
「ひめさま、またかえってきてくださいね?」
「勿論じゃ。ひよこや、兄を助けて棒振に励め。そなたは強いが、上には上がおるでのう」
「はい!」
姫君は柔く口角をあげて、レグルスくんの綿毛のような髪をふわりと撫でる。それから私の方に視線を向けると、胸元からいつぞやの守り刀を取り出した。
「此度も預けおく。抜くな。使うことになる前に叩き潰せ。それこそ、この間の某いう男爵のようにの」
「承知致しました」
姫君の手からふよふよと守り刀が空を飛んで、私の手のなかに落ちる。
それを見届けると、姫君は緩やかに手の中の団扇を閃かせた。
するとぽんっと音がして、私とレグルスくんの前に沢山黄色い丸いものが入った木箱が。
なんだろうと思う間もなく漂う柑橘の、それも日本人なら冬と言われればすぐに思い付く類いの匂いに、はっとなる。
これは!
「蜜柑!」
「うむ。妾らは橘と呼んでおるがの」
木箱に山盛り一杯の蜜柑。
こっちにも蜜柑があるなんて、初めて知ったよ。
ところでなんで山盛り蜜柑なんだろう?
姫君を伺えば「ふふん」って感じで、胸を張られた。
「いつも桃ばかりでは芸がない故な。イゴールにもやったら、ヤツの囲う小僧にもくれてやったらしくての。そやつが蜜柑と言っておった、と。量があるゆえ、安心して屋敷の者と分けるがよいぞ。橘はそのまま食べても仙桃のような効用はない」
「はい、お気遣いありがとうございます」
仙桃だと毎回私が尻込みしちゃうから、効用のない蜜柑にしてくれたとことか、本当に姫君はお優しい。
その姫君がお戻りになるまでに、ミュージカルの片鱗を少しでもお見せ出来るようにしておきたい。
決意を込めて刀を握れば、私の気持ちは姫君に伝わったようで。
「うむ、楽しみにしておるぞ」
「はい、必ずや!」
姫君はそれはそれは美しく微笑まれると、ひゅっと団扇を翻す。
するとしゃらりと涼やかな音を立てて、鮮やかな牡丹が少しずつ消えていく。
「ではな」
「お戻りを首を長くしてお待ちいたしております!」
「れーも! れーもまってます!」
薄紅の牡丹の花びらは、北風と共に消えて、姫君の纏う香だけが僅かに残っていた。
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