第181話 幼心の姫神様

 結局、帝都からソーニャさんへ一泊二日の菊乃井滞在の許可書が届いたのは、その日の夕食間近のことだった。

 ソーニャさんの使い魔は確かに早く飛べるけど、役所の決済が遅いとこんなものだそうな。

 それだけ重要な役割を、ソーニャさんが負ってるってことでもあるんだろうけど。

 なので、今日のところは、先生方とロッテンマイヤーさんと積もる話をしてもらうとして、奏くんに会ったり、一緒に菊乃井の観光をしたりするのは明日に持ち越し。

 ソーニャさんは「一泊二日でしょ? 日付が変わるギリギリまで居ても、一泊二日よね」と、にんまりしてた。

 お母さんはどこの世界でも逞しい。

 うちのは知らんけど、あの人も針のむしろの筈の帝都に居座れるんだから、違う意味で逞しいんだろう。知らんけど。

 本日のお夕飯は、お客様がいらして、それも先生方のお母様で伯母様、更にロッテンマイヤーさんの大お祖母様ということ、それからケルピーが無事に帰って来たから、料理長に頼んで私もレグルスくんもお手伝いして、三角お山の卵焼きを作ったり、菊乃井名物となってる料理を用意したりで、ちょっと豪勢にして屋敷で働く皆にも同じものを食べてもらうようにしたんだよね。

 本当ならパーティーにしたかったけど、そういうのはやっぱり準備がいるって料理長が申し訳なさそうにしてたけど、ソーニャさんは「また来るからその時に」と言って料理長と握手してた。

 ディナーの後にはまったりお茶を楽しみながら、私とレグルスくんは先生方の子供の頃の話や、エルフの子供の遊びの話やらを聞かせてもらったんだけど、自分たちの子供時代の話って大人になると恥ずかしくなるのか、先生方の魂がちょっと抜けかけてた。

 だけどあれだよ。

 ロマノフ先生は人間の遺跡とか好きで潜り込んで泥々になったり、ヴィクトルさんは音楽に夢中でご飯食べ忘れて寝込んだり、ラーラさんはモンスター牛でロディオしたり。

 それぞれめっちゃ個性的。

 うちのひよこちゃんはラーラさんのモンスター牛でロディオの話が気に入ったらしく、自分もしたいと目を爛々と輝かせてたっけ。

 だけどそういう楽しい時間は、どうしても去っていくのが早い。

 夜も更けて、続きはまた明日ということでお話し会は終わって、私はお風呂の後の趣味タイム。

 窓越しに見上げた月が、雲の合間からさやさやと部屋の中を照らす。

 すると、月光が柔らかく人の形に変わり、徐々に輪郭をはっきりさせて。

 瞬きする間に、胸元が広く開いた黒のロングジャケットに身を包んだ氷輪様が部屋に佇む。


「いらっしゃいませ」

『ああ』

「ケルピーのこと、ありがとうございました。お陰さまで無事に戻って参りました。これからは当家でケルピーの家族共々、大事にしていきます」

『そうか。艶陽にもお前の言葉を伝えておこう』

「よろしくお願い致します」


 お辞儀すると、すかさず旋毛をつつかれる。

 顔を上げろという合図に、そうすると氷輪様が決まり悪そうな顔をしていた。


「どうなさいました?」


 不思議に思ってお訊ねすると、氷輪様はいつもの様に私のベッドに腰かけられて『ちこう』と手招きされる。

 とてとてと近付くと、手を取られて氷輪様の真横に座るように促された。

 不敬だと思ったけど、促されて座らない方が不敬だよね。

 すとんとベッドに腰を下ろすと、『艶陽のことだが』と言いつつ、氷輪様が長い足を組んだ。


『我ら神は皆、同じ親神より生まれ出でている。だが、人間のように赤子だった頃はなく、生まれ出でた時よりこの我だった。だから艶陽が少しばかり幼くとも、神としての道理を弁えていると思っていた』

「はぁ……」

『しかし、艶陽の振る舞いを──荒ぶる感情のままに力を振るったり、他者に思いを致したりすることもあまりないのを見ていると、我らと少し違うのではないかと……』


 そう言えば、姫君様も艶陽公主様が最後に生まれたから幼いって仰ってた。

 けどそれは幼い人格神なのではなくて、本当に幼いって意味なのかしら。


『そうだ。我も今日艶陽とじっくり話してみて、そう感じた』


 おうふ、駄々漏れだ。

 いや、まあ、それは良いんだけど、つまり艶陽公主様は他の神様と違って、子供っぽいところのある大人じゃなくて、小さい子だったってことか。

 それは、それは。

 驚いていると、氷輪様が眉を寄せながら頷く。


『お前と話すようになってから、我は大きな勘違いをしているのではないかと思うようになった。お前は大人顔負けな存在だが、やはりこどもであるには違いない。些細なことにもはしゃぐ。もしや艶陽も大人なのでなく、そういう存在なのではないか、と』

「ははぁ、なるほど……?」


 私なんか大人からしたら生意気な子供なんだろうけど、今のところ周りの大人の皆さんが寛容だったりおおらかに受け止めてくれたりするから、好きなこと出来てるだけだと思うんだよね。

 それは兎も角、艶陽公主様が身体は大人で心が子供ってアンバランスさだったら、それはそれで大変そうだな。

 口には出さないけど伝わったのか、氷輪様が首を横に振った。


『艶陽は見た目も幼い。丁度お前と同じくらいだ。だが我らは生まれた時から今の我らで、成長するということがほぼ無かった。故に艶陽も姿は子供とはいえ、中身は我らと同じく完成されたものと思い込んでいた。まして神は自在に姿を変えられる』


 そういえば氷輪様は女性でも男性でもないけど、死に臨む人には女性にも見えるし、私が役者さんを投影するせいで男性だったり女性だったり、まちまちの姿を見せてくださる。

 ロスマリウス様も最初はお爺さんの姿を取られていたけれど、神様としてはお若い姿をしておられた。

 神様方が艶陽公主様の幼い姿を、好きでそうしていると思い込んでもおかしくはない訳で。

 これに加えて、神様同士は互いにあまり行き来はしなくて、お正月に集まって宴会するくらいで、積極的に交流を持とうとするのはイゴール様ぐらいだというから、誤解が続いた理由なんて、つまり。


「没交渉故の相互理解の不成立……!」

『……そういうことだ』


 あらぁ……。

 なんとも言えない顔をしていると、それを見た氷輪様がとてもばつが悪そうな顔をする。

 だからお出でになった時に、決まり悪そうな顔をなさってたんだな。

 となると、気になることが出てきて、私はおずおずと氷輪様にお訊ねした。


「では、もしかして気性が荒いというのは……」

『神といえど儘ならぬことはあるが、それに耐えたり、荒ぶりを諌められたりする経験のなさが、他者を恣にしてもよい、寧ろ自分の意を汲まぬ者が悪いという考え違いの土壌になったようだ』

「それは……」

『有り体に言えば我が儘だな』


 ピシャリと言い切る氷輪様のお顔は少し厳しい。

 だけども、そういう土壌を作ったのは他者との関わりの無さによる、学びの欠如だ。

 こういうある種の悲劇を無くすために教育は必要と掲げる私としては、若干我が儘と言い切ってしまうのは、どうかと思う訳で。

 そんな私の悶々とした何かは駄々漏れなようで、氷輪様は『解っている』と頷かれた。


『解っている。アレの気性があのようになったは、あれを見誤って放置していた我らにも非のあることだ。だから、諌めるためにあの場に行った』

「そういうことでしたか!」

『うむ。艶陽には少し厳しめに言って泣かせてしまったが、それでもあれも永く神であった身。己のしようとしたことが、人間にとっても誰にとっても不幸しか呼ばぬと解れば、素直に態度を改めた。そもそも百華にケルピーを所望したのも、寂しかった故ケルピーが手に入れば良し、ダメならそれを理由にちょくちょく百華と共に過ごせると思ったからだそうだ』


 なんですと!?

 そんな真意が隠れてたなんて。

 氷輪様の言葉に思わず絶句する。

 それって艶陽公主様は姫君様と仲良くしたいってことだよね。

 だけど今回のこと、姫君様は物凄くお怒りになられてた。

 その話を氷輪様にすると、その秀麗な面が苦悩にひきつる。


『それは……、艶陽にも聞いたがケルピーが手に入る、尚且つ百華が寵臣に命じて自分のために調教を施してくれると聞いて舞い上がって、百華の説明をその辺りまでしか聞いていなかったそうだ。我からそれを百華に話しても怒りが深まるだろう。済まぬが取り成してやってくれ』

「し、承知致しました……!」


 ああ、子供ってそういうとこあるよねー。都合良いとこしか聞いてないって、私も覚えがあるわー。

 私が請け負うと、氷輪様はほっとしたように大きく息を吐く。


『それにしても、子供と関わるというのは……いや、叱ると言うのは難しいものよな。泣かせたい訳ではないのに、つい何故こちらの事を解ってくれぬのかと思ってしまう』


 私の頭をワシワシと撫でると、再び大きなため息を吐かれる。


『お前は弟をどのように叱っている?』

「私ですか? 私は……そう言えば叱ったことがないような?」


 だってレグルスくん、凄く良い子なんだもの。

 私が「こういう理由があるから、それはいけないことだよ」って説明したら、大概解ってくれるし。

 もしかしたら宇都宮さん辺りには叱られた事があるかもだけど。

 そう伝えると氷輪様は緩く頭を振って、肩を落とされる。

 その姿も麗しく悩ましいんだけど、本当に氷輪様は艶陽公主様とのつきあい方に悩んでおられるようだ。

 こういうのって育児疲れっていうのかしら?

 それにしても美人が悩むと、凄く綺麗。

 そう思ってハッとする。

 うちには今、凄く綺麗な育児の先輩がいるじゃないか!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る