第173話 風の運ぶ縁

 コポコポと菊乃井で一番上等な紅茶と蜂蜜、自家製ジャムと料理長が精魂込めて焼いたスコーンを前に、優雅にソファに座るイゴール様には既視感がある。

 EffetエフェPapillonパピヨンを興す切っ掛けは、イゴール様の訪問と、その加護を受けた次男坊さんの手紙だったっけ。

 イゴール様とは取引の関係上、何度もお会いしているけど、こんな風に改まっては久々だ。

 かたりとテーブルに紅茶の入ったカップを皿ごと置いた、イゴール様はにこりと笑う。


「いやぁ、君にちょっと用があって来たら、僕の名前が聞こえたもんだから。天井から現れようかと思ったんだけど、前に玄関から入るもんだって言われたの思い出して。アイツにも『そりゃあっちの弟やら友達の言葉が正しい』って言われちゃったしね」

「そうなんですか」

「うん」


 次男坊さん、大概イゴール様への扱いが雑だな。

 それに対してイゴール様は怒ってないみたいだし、ある種の信愛の表現として受け取られているんだろう。

 ところで用ってなにかな?

 疑問が浮かぶと同時に、イゴール様が「それだけどね」と仰る。

 相変わらずこちらの考えてることは駄々漏れのようだ。


「実はアイツの街に、アイツが肩入れしてる孤児院があるんだけど、経営難でね。何か子供たちでも出来る仕事ってないかなって思ったときに、EffetエフェPapillonパピヨンの手芸を手伝わせて貰えないかって思ったらしいんだよね」

「ああ……手芸なら刃物や針の扱いを厳密にやれば、子供でも出来なくはないですしね」


 でもなぁ、EffetエフェPapillonパピヨンで使う分のパーツ作りは、もう菊乃井の孤児院に委託してしまっている。

 他の街の孤児院に委託すると移送料とかが発生してしまうから、利益率が悪くなってしまうし。

 これはちょっと相談されても……と、首を横に振ろうとすると、それを「まだ続きがあるから、とりあえず聞いて」とイゴール様に制される。


「それで、何かないかって探した時にアイツ、これを目敏く見つけたんだ」


 イゴール様が「これだよ」と私に見せたのはご自身の腕。

 なんのことかと首を捻ると、イゴール様が手首を揺らす。そこには帝都の神殿で、私がお供えしたミサンガが巻かれていた。

 「これ」って、ミサンガのこと?

 視線でイゴール様にお伺いを立てると、我が意を得たりとばかりに微笑まれた。


「これって子供でも編めるんでしょ? これを作って売れば多少は孤児院の助けにならないかなって思ったんだって」

「確かに子供でも編めますね」


 だって現に子供の私が編んだんだもの。

 ただ、販路となるとなぁ。

 EffetエフェPapillonパピヨンは一応、貴族に対してはマリアさんやロートリンゲン公爵家の紹介で注文を承っている。

 ロートリンゲン公爵家やマリアさんを通して行われる取引だから、注文した貴族側はドタキャンも出来なければ必要以上の値下げ交渉も出来ないし、代わりにこちらは絶対に粗悪なものを売らないという誓いを、二人に立てているようなものだ。

 ちなみにお二人を通して買い上げてくださった方には、メンテナンスも無料で行うことをお伝えしているけれど、今のところ御礼状を貰う以外はなにもなし。

 帝都の武闘会での宇気比の件で、帝国でのEffetエフェPapillonパピヨンの販売利権は菊乃井が……いや、私が持つことは知られている。けれど、それは先生方が持つ利権を、私が委託されているということになっているから、品物の売れ行きは好調だけど他の貴族たちから直接の販売交渉は基本的にない。

 私の後ろにはロートリンゲン公爵家と帝国の三英雄がついているからだ。

 じゃあ市井はどうかというと、やっぱり三英雄とロートリンゲン公爵家のご威光が強くて、商人ギルドとか大商会は二の足を踏んでる感じ。

 だけど菊乃井のギルドには、庶民的な低価格で流通させてるし、次男坊さんとこの街のギルドにも商品を卸している。

 更に言えば、スパイスを菊乃井用に大量に仕入れてくれている商人のジャミルさんにも、商会の代理店としてEffetエフェPapillonパピヨンの商品を他所で売って貰ったりもしてる。

 ただし低価格だから、傾いた孤児院の経営を救えるほどの利益が上がるとは思えない。

 だとすると、新たな販路、それも恒久的に利益になるような売り方を考えないと。

 これは困った。

 考え込んでいると、奏くんとレグルスくんが、ピコピコと頭を寄せあっている。

 それを視線で追うと、イゴール様も同じく二人を見た。


「あの二人は……。ああ、菊乃井に新しいソースが出来たの? それ異世界のソース? アイツも知ってるやつ?」

「ええ、多分」

「じゃあ、ちょっと分けて貰えるかな? アイツに持って帰ってやりたい」

「ああ、はい」


 私が頷くとロッテンマイヤーさんが宇都宮さんに目配せする。

 すると宇都宮さんが一礼してリビングから出て行った。

 厨房に行ったのかな?

 にしても、二人はなんでソースの話なんかしたんだろう?


「奏くん、レグルスくん、ソースって……なんの話してるの?」


 突然私が話しかけたからか、ビクッと二人の肩が揺れた。

 奏くんがポリポリと頭を掻く。


「いやぁ、ひよさまがたこパはタコが高いから無理かもだけど、中にベーコン入れたりするヤツなら、てっぱんがあれば『こじいん』でも作れるかなぁって?」

「でもにぃに、かなはソースがたかいからだめかなって……」


 なるほど、奏くんとレグルスくんなりにそう言うことを考えてくれてたのか。

 そう言えばタコ焼き……じゃなくて、たこパは前世ではお祭りの屋台とかでも食べられたんだっけ。

 流通事情が違うとはいえ、安価で海産物が内陸でも食べられるって良いことだよね。

 こっちもそうなれば良いけど。

 それにしても縁日とか、あまりこっちではないような?

 そこまで考えてハッとする。

 お祭りってのは前世では神社、こっちの神殿に当たる場所で開かれてた。

 神社には他にも「お守り」なんかが売られてて、あれはあれで重要な収入源になってたような?

 そしてイゴール様に差し上げたミサンガは、それに願を掛けて手首につけ、それが自然に切れれば願いが叶うっていうお呪いのブレスレットだった筈。

 これは行けるかも知れない。

 イゴール様に視線を移すと、ニヤリとイゴール様が口の端を上げる。


「僕の神殿の司祭長はかなり話が解るよ。何せ僕が見つけてきて、うちの司祭長にしたんだから」

「そうですか、ではご協力下さいますか?」

「うん、掛け合ってみるよ」


 なら、私はミサンガの編み方を早急にマニュアル化しないと。

 お互いニコッと顔を見合わせると、イゴール様が「さて」とソファにもたれた。


「こっちの話を聞いて貰ったんだし、次は君達の話を聞こうか?」

「はい、実はですね。ケルピーが見つかりまして」

「へぇ、それは凄いじゃないか。やったね、百華も喜んだろう?」

「ええ、はい。お誉めの言葉を頂戴したんですが……」


 斯く斯く然々、あれそれどうこう、何がどうしたを包み隠さず、全てイゴール様にお話する。

 するとイゴール様が遠い目をして、ソファに崩れた。


「あー……それ、ケルピーの馬具は僕が作らされる流れじゃん」

「……ですか」

「だよ……。艶陽は絶対に僕に最高のを作れって言うし、百華も君達のお馬さんを死なせないために何とかしろって無茶振りしてくるだろうし」


 がばっと崩れた姿勢を立て直すと、イゴール様は顔を両手で覆われる。

 そしてパンパンと軽く頬を両手で叩くと、諦めたように手を下ろした。


「よし! そっちのお馬さんの件は僕に任せてよ。だからこっちの件は任せるからね?」


 イゴール様がさっと手を差し出す。

 これで私とイゴール様、ひいては次男坊さんとの取引が成立したのだった。

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