第169話 箱入り娘(ポニー)とどこかの骨(馬)と

 厩舎の柵を挟んで、ヴィクトルさんはポニ子さんを頭から尻尾の先まで、それこそ全身隈無くみると、はぁっと大きなため息を吐いた。

 そのリアクションに、私もレグルスくんも、ロマノフ先生やラーラさん、ヨーゼフも固唾を呑む。

 悲嘆のため息だったら、その時は私が……。

 手のひらに爪の食い込む痛みで、強く握りこぶしを作っていたことに気付いてほどくと、「うーん」と首を捻るヴィクトルさんが口を開くのを待つ。

 皆の固い視線に気づくと、ヴィクトルさんはへらりと笑った。


「あー……うん、結論から先に言うと、ポニ子さんは確かに妊娠してるし、もういつ生まれてもおかしくない。だけど、これ、凶暴なモンスターじゃない。っていうか、そういうんじゃないのは解るんだけど……うーん……確証が持てない……」


 凄く曖昧な言葉に、ラーラさんが肩を竦める。


「なんだ、随分勿体ぶるね?」

「いや、勿体ぶるっていうか……。見えてるものをそのまま信じるべきなんだろうけど、ちょっと、これは……僕の目が悪くなったって言われた方が納得行くもんだから……」

「珍しいですね、ヴィーチャがそんなに言い渋るなんて」

「うーん、本当に自分の目が信じられないというか……」


 ヴィクトルさんはうんうん唸っていたけれど、それでも私たちには「危ないやつじゃないから安心して」と笑顔を向けてくれた。

 あの大きなため息は安堵のため息だったらしい。

 しかし、それじゃあ一体何がポニ子さんのお腹の中にいるんだろう?

 深まる謎に、バリバリとヴィクトルさんは頭を掻いた。

 そして「そうだ!」と、ぽんっと手を打つと、真剣な目をして私を見る。


「あーたん、罠を張ろう」

「へ?」

「僕が見たものが真実なら、今夜辺りポニ子さんは産気付くよ。そのときに、ポニ子さんのお腹の赤ちゃんの父親もきっと現れる。アレはそういう習性があるからね」

「お産に立ち会う習性が、ですか?」

「そう」


 なんだその変わった生き物。

 いや、昨日まで膨れていなかったお腹が、産気付く直前に膨らむとか普通の生物じゃないんだろうけど。

 すると、それまでヴィクトルさんと私のやり取りをじっと聞いていたロマノフ先生が「はい」と手をあげた。


「ござる丸くんも連れて来ましょうね」

「ござる丸?」


 なんでポニ子さんの出産にござる丸が関係するんだろう?

 益々解んなくなるこちらとは違って、意味が解ったのかラーラさんが目を見開いた。


「え? なに? ポニ子さんのお腹の中にいるのって、もしかして……?」

「うん、でも、確証が持てない。だってポニーと子どもを作れるとか、聞いたことないし」

「ああ……確かに聞かないね……」


 腕組みして、ラーラさんもうんうん唸る。

 つか、先生方にはポニ子さんのお腹の中のこどもの父親の見当がついた。それで罠を張って捕まえるっていうなら、私に否やはない。

 うちのポニ子さんに手を出して挨拶もない何処の馬の骨とも解んない奴──ポニーと子どもを作るんだから馬なんだろうけど。

 そいつを野放しになんかするもんか。

 お産に立ち会うなら、親としての自覚はあるんだろう。

 責任はきっちりとってもらうんだからね!

 私が「えいえいおー!」と気合いを入れれば、横にいたレグルスくんもヨーゼフも「えいえいおー!」と拳を振り上げる。

 特にヨーゼフの目には固い決意が見えた。


「オラと若様方の大事なポニ子さんさ手ェ出して、ただで済むと思うなよ!」


 おぉう、吃音が消えるくらい怒ってるぅ。

 つまり、一瞬でもポニ子さんの赤さんを殺さなきゃいけないかもって思ったのは、ヨーゼフにとってそれくらいのストレスだったのだろう。


「ごめんね、ヨーゼフ」

「は?」

「一瞬でもポニ子さんのこどもを殺すことを考えて」

「いやいや、そんな……! ご、ごりょっ、ご領主様なら、あ、あ、当たり前のことです。モ、モモ、モンスターを、ま、まち、街さ行かせるのだけは、ふ、ふ、ふせっ、防がないと……!」


 ヨーゼフは大袈裟なくらい、ブンブンと首と手を否定系に振る。

 そして「若様は覚えておられないでしょうけど」と、訥々と話し始めた。

 私が四歳の秋、つまり、病気で死にかけるちょっと前、お金を預けられてヨーゼフは市場に馬を買いにいったのだそうな。

 私は伯爵家の嫡男、馬くらい乗れないとダメだろうし、そろそろ乗馬の練習をするべきだとロッテンマイヤーさんが考えたらしい。

 ヨーゼフの目利きは確かで、先生方が乗る馬も実は彼が市場で買って、人が乗れるまで調教を施した子達なんだそうだ。

 そんな訳で、その日もヨーゼフは優秀な馬に何匹か当たりを付けてたと言う。

 しかし、いざ買おうと思ったその時に、市に引き出されてきたポニ子さんを見て、ついつい渡されたお金でポニ子さんを買ってしまったのだ。

 理由はポニ子さんがあまりにも痩せ細り、馬主もポニ子さんを丁寧に扱うどころか、ヨタヨタ歩くポニ子さんに鞭を何度も振るって……まあ、虐待まがいのことをしていて、見ていられなかったから。

 動物が好きなヨーゼフからしたら、思わず泣いてしまいそうなほど、その扱いは惨かったそうだ。

 だけどヨーゼフがというか、菊乃井が必要としているのは馬であって、ポニーじゃない。

 やってしまったと思って屋敷に帰ってきたら、運悪く誰より先に会いたくなかった私に、庭先で会ってしまったのだ。

 その時に。


「お、お、恐る恐る事情をはなっ、話したら、わ、若様『私が乗るんだから、きちんと恥ずかしくないように肥らせて調教しなさい』って、それだけで……」

「ああ、その時の白豚な私が乗ったら、痩せたポニ子さんじゃ潰れるもんね」

「あーたん、イイハナシはイイハナシで終わらせようよ」


 これの何処がイイハナシなんだか。

 ヴィクトルさんと、お互い怪訝な顔して肩を竦める。

 まあ、でも、覚えてないしな。

 兎も角、ヨーゼフに取っては私はポニ子さんの恩人だし、本当ならきちんと仕事をしなかった件で首を切られても仕方ないところを、お咎めなしで終わったことで、恩義を感じていたらしい。

 なのに預かった大事なポニ子さんに、知らない間に赤さんが出来てたのは、本当にショックだったのだとか。


「絶対に捕まえて見せますだ!」

「ああ、うん。私も頑張るよ」

「れーもがんばるよー!」


 そんな訳で、もう一度気合いを入れると、なんだかエルフ先生方も乗り気で「えいえいおー!」と三人腕を振り上げる。

 それからゴニョゴニョと三人で厩舎の周りをまわって、何かを仕掛けてくれたみたいだった。



 そして夜、前世でいうところの草木も眠る丑三つ時。

 本来ならこんな時間に起きてたら、ロッテンマイヤーさんに寝かし付けられちゃうんだけど、今日はポニ子さんのお産があるので特別に許してもらった。

 勿論、私だけじゃなくレグルスくんも。

 奏くんも源三さんが勉強になるからって、やって来た。

 あらかじめ厩舎には、入ったら最後、ヴィクトルさんが解くまで出られない結界が張られたし、私とレグルスくんと奏くんとヨーゼフは、ロマノフ先生が持っていた気配遮断の布を頭からすっぽり被ってポニ子さんの傍に待機。

 先生方は自前の魔術で気配を消して、厩舎の外の草むらで待機している。

 ポニ子さんは産気付いたのか、立ったり座ったり凄く落ち着きがない。

 そんな様子にこっちもなんだかソワソワするなかで、ヨーゼフは冷静に「まだもうちょっとかかる」とか、静かにポニ子さんを見守る。

 そういえば源三さんはヨーゼフを「動物に関しては歴戦の覇者」と評していたとは、奏くんからの情報だ。

 そのヨーゼフが「まだ」だというなら、まだなんだろう。

 布を被って息を殺していると、不意に厩舎の扉がぱたりと開いた。

 ゆったりと月の光に照られて現れたのは、鬣に色とりどりの花を咲かせた青みがかった大きな……ばん馬っぽいお馬さん。

 え? デカくない?

 だってポニ子さんポニーよ?

 どうやったらばん馬と赤さんが出来るの?

 唖然としたのは私だけじゃなく、奏くんやレグルスくんもヨーゼフも目を点にしていた。

 しかし、その答えは突然現れた馬自体がくれた。

 いきなり身体が光ったと思うと、しゅるんっとポニ子さんと同じ体格まで縮んじゃった。

 なんじゃそれ!?

 叫びそうになったのを飲み込むと、どさりとポニ子さんが敷き詰められた藁の上に座る。

 ちらりと動かしたシッポの隙間から、お腹のなかの赤さんの脚先が覗いていた。

 すると、縮んだ馬がするりと柵を外して、ポニ子さんの寝床に入る。そして見えている子馬の脚をちょんっと咥えるではないか。

 これって出産手伝おうとしてるんだろうか。

 しかし、どうも白い馬が上手いことポニ子さんが息むのに合わせて、子馬の脚を引っ張れないでいる。

 わなわなとヨーゼフが身体を震わせて、それからガバッと気配遮断の布をはね除けた。


「こンの、下手くそ! そんな手間取ったらポニ子さんもややこも苦しいだろうが!」

「ヒ、ヒヒンッ!?」

「うっせぇっ、そこさ代われっ!」


 普段の自信なさげな態度は何処へやら、白馬を押し退けてポニ子さんの頭を撫でて「きばれ!」と一声かけるや否や、ヨーゼフは子馬の脚をむんずと掴む。

 そしてポニ子さんと呼吸を合わせて、ずるりと子馬を引き出してしまった。

 私やレグルスくん、奏くんもだけど、傍にいた白馬もポカーンって感じ。

 羊膜を破って子馬の顔を出してやると、その馬の体毛も青みがかった白、鬣には小さな花が散っている。

 すると、ドサッと傍にいた白馬が膝から崩れ落ちる。同時に子馬は元気に立ち上がり、もうポニ子さんのお乳を吸い出して。


「ちょ!? 馬が!?」

「え? だ、だいじょうぶなのか!?」

「おうまさん、どうしたのお!?」


 慌てる私たちに気がついたのか、ポニ子さんが「ヒン」と小さく鳴く。

 その声にヨーゼフがポニ子さんの傍を離れて、白馬の様子を見ると首を振った。


「気絶してます」

「は?」

「ポニ子さんがいうには、気の小さい奴らしくて、御産に立ち会うだけでなく、オラたちに囲まれてビビっちまったんだろうって」


 おい、こら。

 思わずジト目で倒れた馬を見下ろす。

 それにしてもこの馬、なんなんだろう?

 あまりにもあまりな存在を囲んでいると、外からガヤガヤと先生方とござる丸が厩舎の中へとやってきた。

 そして倒れた馬を見たヴィクトルさんが、目元を押さえてから天を仰ぐ。


「あー……僕の目は正しかった……」


 「だねー」と頷くラーラさん。

 ロマノフ先生も頷いていると、その足元からちょこちょことござる丸が馬の方に駆け寄る。

 そしてペチペチと馬の顔を叩いたけど、反応はない。

 すると何を思ったのか、ござる丸は馬の耳に向かって「ゴザルゥゥゥ!」と叫んだ。

 ビクッと馬の身体が跳ね上がると、ブルブルと頭を振りながらもたげる。

 そして馬は何やらひんひんと鳴き始めた。

 鳴き声に耳を傾けていたヨーゼフが、小首を傾げる。


「…………ケルピー? お、お、お、お前、ケルピーっていう、な、名前なのか?」


 今、何て言った?

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